こころ

5話 上 先生と私 五

1,345字 約3分 2026年9月1日 公開

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 (わたくし)は墓地の手前にある苗畠(なえばたけ)の左側からはいって、両方に(かえで)を植え付けた広い道を奥の方へ進んで行った。するとその(はず)れに見える茶店(ちゃみせ)の中から先生らしい人がふいと出て来た。私はその人の眼鏡(めがね)(ふち)が日に光るまで近く寄って行った。そうして出し抜けに「先生」と大きな声を掛けた。先生は突然立ち留まって私の顔を見た。

「どうして……、どうして……」

 先生は同じ言葉を二(へん)繰り返した。その言葉は森閑(しんかん)とした昼の(うち)に異様な調子をもって繰り返された。私は急に何とも(こた)えられなくなった。

「私の(あと)()けて来たのですか。どうして……」

 先生の態度はむしろ落ち付いていた。声はむしろ沈んでいた。けれどもその表情の(うち)には判然(はっきり)いえないような一種の曇りがあった。

 私は私がどうしてここへ来たかを先生に話した。

(だれ)の墓へ参りに行ったか、(さい)がその人の名をいいましたか」

「いいえ、そんな事は何もおっしゃいません」

「そうですか。――そう、それはいうはずがありませんね、始めて会ったあなたに。いう必要がないんだから」

 先生はようやく得心(とくしん)したらしい様子であった。しかし私にはその意味がまるで(わか)らなかった。

 先生と私は通りへ出ようとして墓の間を抜けた。依撒伯拉何々(イサベラなになに)の墓だの、神僕(しんぼく)ロギンの墓だのという(かたわら)に、一切衆生悉有仏生(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)と書いた塔婆(とうば)などが建ててあった。全権公使何々というのもあった。私は安得烈と()り付けた小さい墓の前で、「これは何と読むんでしょう」と先生に聞いた。「アンドレとでも読ませるつもりでしょうね」といって先生は苦笑した。

 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽(こっけい)もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石(はかいし)だの細長い御影(みかげ)()だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは死という事実をまだ真面目(まじめ)に考えた事がありませんね」といった。私は黙った。先生もそれぎり何ともいわなくなった。

 墓地の区切り目に、大きな銀杏(いちょう)が一本空を隠すように立っていた。その下へ来た時、先生は高い(こずえ)を見上げて、「もう少しすると、綺麗(きれい)ですよ。この木がすっかり黄葉(こうよう)して、ここいらの地面は金色(きんいろ)の落葉で(うず)まるようになります」といった。先生は月に一度ずつは必ずこの木の下を通るのであった。

 向うの方で凸凹(でこぼこ)の地面をならして新墓地を作っている男が、(くわ)の手を休めて私たちを見ていた。私たちはそこから左へ切れてすぐ街道へ出た。

 これからどこへ行くという目的(あて)のない私は、ただ先生の歩く方へ歩いて行った。先生はいつもより口数を()かなかった。それでも私はさほどの窮屈を感じなかったので、ぶらぶらいっしょに歩いて行った。

「すぐお(たく)へお帰りですか」

「ええ別に寄る所もありませんから」

 二人はまた黙って南の方へ坂を下りた。

「先生のお宅の墓地はあすこにあるんですか」と私がまた口を利き出した。

「いいえ」

「どなたのお墓があるんですか。――ご親類のお墓ですか」

「いいえ」

 先生はこれ以外に何も答えなかった。私もその話はそれぎりにして切り上げた。すると一(ちょう)ほど歩いた(あと)で、先生が不意にそこへ戻って来た。

「あすこには私の友達の墓があるんです」

「お友達のお墓へ毎月(まいげつ)お参りをなさるんですか」

「そうです」

 先生はその日これ以外を語らなかった。

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