こころ

57話 下 先生と遺書 三

1,549字 約3分 2026年9月1日 公開

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「私が両親を()くしたのは、まだ私の廿歳(はたち)にならない時分でした。いつか(さい)があなたに話していたようにも記憶していますが、二人は同じ病気で死んだのです。しかも妻があなたに不審を起させた通り、ほとんど同時といっていいくらいに、前後して死んだのです。実をいうと、父の病気は恐るべき(ちょう)窒扶斯(チフス)でした。それが(そば)にいて看護をした母に伝染したのです。

 私は二人の間にできたたった一人の男の子でした。(うち)には相当の財産があったので、むしろ鷹揚(おうよう)に育てられました。私は自分の過去を顧みて、あの時両親が死なずにいてくれたなら、少なくとも父か母かどっちか、片方で()いから生きていてくれたなら、私はあの鷹揚な気分を今まで持ち続ける事ができたろうにと思います。

 私は二人の(あと)茫然(ぼうぜん)として取り残されました。私には知識もなく、経験もなく、また分別もありませんでした。父の死ぬ時、母は傍にいる事ができませんでした。母の死ぬ時、母には父の死んだ事さえまだ知らせてなかったのです。母はそれを(さと)っていたか、または(はた)のもののいうごとく、実際父は回復期に向いつつあるものと信じていたか、それは分りません。母はただ叔父(おじ)に万事を頼んでいました。そこに居合(いあわ)せた私を指さすようにして、「この子をどうぞ何分(なにぶん)」といいました。私はその前から両親の許可を得て、東京へ出るはずになっていましたので、母はそれもついでにいうつもりらしかったのです。それで「東京へ」とだけ付け加えましたら、叔父がすぐ(あと)を引き取って、「よろしい決して心配しないがいい」と答えました。母は強い熱に堪え()る体質の女なんでしたろうか、叔父は「(しっ)かりしたものだ」といって、私に向って母の事を()めていました。しかしこれがはたして母の遺言であったのかどうだか、今考えると分らないのです。母は無論父の(かか)った病気の恐るべき名前を知っていたのです。そうして、自分がそれに伝染していた事も承知していたのです。けれども自分はきっとこの病気で命を取られるとまで信じていたかどうか、そこになると疑う余地はまだいくらでもあるだろうと思われるのです。その上熱の高い時に出る母の言葉は、いかにそれが筋道の通った明らかなものにせよ、一向(いっこう)記憶となって母の頭に影さえ残していない事がしばしばあったのです。だから……しかしそんな事は問題ではありません。ただこういう(ふう)に物を解きほどいてみたり、またぐるぐる(まわ)して(なが)めたりする(くせ)は、もうその時分から、私にはちゃんと備わっていたのです。それはあなたにも始めからお断わりしておかなければならないと思いますが、その実例としては当面の問題に大した関係のないこんな記述が、かえって役に立ちはしないかと考えます。あなたの方でもまあそのつもりで読んでください。この性分(しょうぶん)が倫理的に個人の行為やら動作の上に及んで、私は後来(こうらい)ますます(ひと)の徳義心を疑うようになったのだろうと思うのです。それが私の煩悶(はんもん)や苦悩に向って、積極的に大きな力を添えているのは(たし)かですから覚えていて下さい。

 話が本筋(ほんすじ)をはずれると、分り(にく)くなりますからまたあとへ引き返しましょう。これでも私はこの長い手紙を書くのに、私と同じ地位に置かれた(ほか)の人と比べたら、あるいは多少落ち付いていやしないかと思っているのです。世の中が眠ると聞こえだすあの電車の(ひびき)ももう途絶(とだ)えました。雨戸の外にはいつの間にか(あわ)れな虫の声が、露の秋をまた忍びやかに思い出させるような調子で(かす)かに鳴いています。何も知らない(さい)は次の(へや)で無邪気にすやすや寝入(ねい)っています。私が筆を()ると、一字一(かく)ができあがりつつペンの先で鳴っています。私はむしろ落ち付いた気分で紙に向っているのです。不馴(ふな)れのためにペンが横へ()れるかも知れませんが、頭が悩乱(のうらん)して筆がしどろに走るのではないように思います。

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