5話 第五話 灯を消す人
読み方を変える
その人が来たのは、十七日目の夕方だった。
閉館三十分前、カウンターに三十代くらいの男性が立った。紙袋を二つ提げていて、片方から本の角がのぞいていた。
「あの、返却……でいいのか分からないんですけど」
彼はそう言って、紙袋をカウンターに置いた。
中身は、あの緑や灰色の背と同じ手ざわりの本だった。二十冊近くあった。
「父の家を、片づけていて」
彼は言った。「浅野といいます」
私は、うまく言葉が出なかった。
彼は勘違いしたらしく、慌てて付け足した。
「すみません、これ、たぶん昔ここの本で。勝手に返してて。夜だと誰にも訊かなくて済むから、つい。迷惑ですよね」
「いえ」
私は首を振った。「いえ、あの、ちゃんと届いています。全部」
彼は少し笑って、それから、目のふちを指で押さえた。
浅野さんは、家の本を近所の子どもに貸していた。返却の紙を作って、一冊ずつ記録をつけていた。
息子さんは、その記録を見つけたのだという。三十年ぶんの、手書きの貸出帳。
最後の頁には、まだ誰にも貸していない本の一覧が残っていた。
「父は、これを配りきれなかったんだと思います」
彼は紙袋の縁を指でなぞった。
「だから、いちばん人が来るところに戻そうと思って。夜にすみません。昼間だと、なんというか、説明ができなくて」
「紙が挟まっているのは」私は訊いた。「あれは、お父さまが」
「ああ、あれ」
彼はうなずいた。「貸すときに、一枚入れるんです。読む人へ、って。うちの本を借りた子は、みんなもらってました。僕ももらってた」
彼が帰ったあと、私は司書室で、集めた紙片を机に並べた。
十七枚あった。角ばって、少し右上がりの字。
――ここまで読んだら、外を見てください。
――三章の途中で眠くなったら、そこで閉じていいです。
――この本は、二回目のほうが面白いです。急がないでください。
――誰かに貸すなら、返ってこない覚悟で貸してください。
どれも、本の話をしていない。
読む人の話をしている。
除籍された本を、目録に戻すことはできない。規則がそうなっている。
だから私は、別のことをした。
翌週から、返却されたばかりの本を書架に戻すとき、一枚ずつ紙を挟むようにした。
レシートの裏でも、便箋の切れ端でもいい。短く、本の内容には触れずに書く。
――この本、後半で急に速くなります。飲み物を用意してから読んでください。
最初の一枚を挟んだ本は、三日後に貸し出された。
二週間して返ってきたとき、紙は無くなっていた。
代わりに、知らない字で、一枚入っていた。
――用意しました。ありがとう。
閉館の作業は、いつも同じ順番でする。
書架の灯りを奥から順に落として、閲覧席、それからカウンター。最後に玄関の灯を消して、外に出る。
鍵をかけて振り返ると、返却口の金属の蓋が、街灯を薄く受けて光っていた。
今夜も、たぶん何冊か入る。
私はそれを、明日の朝いちばんに取り出す。