わか紫

15話 日金颪 十五

1,558字 約3分 2020年9月7日 公開

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「またそうまでにはなさらぬお方も、いざ、という時の御用心に、手廻りのものなんざ、御寝(げし)なります時、枕許(まくらもと)へお引きつけ遊ばしてお置きになります始末。

 そうでもござりましょうか、――先刻(さっき)の騒動の最中、この家ならびで二軒さきの玉喜屋の表二階で、仁王立になって、ばらばら、ばらばら、大道へ品物を投げ出していた方がござりますそうな。

 へい。」といったまま、きょとん。

「だって、地震だって、恐しい騒ぎだけれど、ちっとも揺れもどうもしないんだもの。」

 喜番、呼吸(いき)をつめて、ややあって、

成程(なあッ)。」

 といい、

「でござりますな、そこでござりますな、いかにも揺れはいたしません。また根もない地震に、大地が揺れたり、三階建がぐらついたりしては(たま)ったものじゃござりません。

 けれども夫人(おくさま)、貴女様は、ちゃんとここへ、魂が落着いておいでなさりますからで。

 どうして手前なぞは、そりゃ地震、と聞いたが最後。

 先刻、あの(さわぎ)の時は、帳場に坐っておりましたが、驚破(すわ)というと、ただかっといたして、もうそれが、()の底だか、天上だか分りません。

 天窓(あたま)がぐらぐらとすると、目がくらんでしまいまして、揺れるか、揺れんか、考えておりますようなゆとりはないのでござります。

 主人は真先(まっさき)に、戸外(おもて)へ、鉄砲玉のように飛出しました。おかみさんも、刎起(はねお)きて、突立(つった)ったにゃ突立ちましたが、腰がふらついて歩行(ある)けませんので、大黒柱につかまって、おしッこをするように震えています。手前は、その、……四這(よつんば)いに這いました。

 座敷々々のお客人も一時(いっとき)()きましてな、一人として(じっ)となすっていらっしゃったお方はないので、手前どもにゃ僥倖(しあわせ)と、怪我をなすった方もござりませんが。

 それでも竹、へい、あの(いき)がった年増(としま)の女中でござります。あれは貴女、二階の(しち)番からお(ぜん)を下げまして、ちょうど表階子(おもてばしご)下口(おりぐち)へかかりました処で、ソレ地震でござりましょう。ドンと腰を抜きました拍子に、トントントントンと、一段ずつ俵が転がったように落ちたでござります。どういう拍子か、背中を強く擦剥(すりむ)きまして、(きゅう)のあとから走るように血が流れたんで、二ツに裂けたという騒動、もっともひきつけてしまいました、へい、何、別条はござりません。

 落胆(がっかり)して、お(なか)()いたと申して、勝手でお茶漬を掻込(かっこ)んでおるでござりますが、な。

 機会(はずみ)と申すは希代なもので、竹がその腰をつきます時に、(ほう)りましたお膳でございますが、窓からぽんと物干の上へ飛び出しまして、何と、小皿も(はし)も、お茶碗なんざ(ふた)をいたしましたままで、お月様へ供えまする(てい)、や、どうも。」

「まあ。」

「あとで大笑いいたしたことでござります。まず手前どもでは珍事がその位で済みましてございますが、お向うの伊東屋なぞでは、貴女、御夫婦抱き合って、二階から戸外(おもて)へお飛びなすって、大怪我をなさいました方がござります。

 何しろ、一時は人の波が沸きましたように、上下(うえした)(かえ)しまして、どどどど廊下を()けます音、がたびし戸障子の外れる(ひびき)、中には泣くやら、(わめ)くやら、ひどいのはその顛倒(てんどう)で、洋燈(ランプ)(ひっ)くらかえして、小火(ぼや)になりかけた家もござりますなり。

 一体何屋の二階から騒ぎ出したとも、どこの内証から、喚きはじめたとも分りません。

 一騒ぎ鎮まりましてから、門口では隣ずから、内では部屋々々の御見舞。仲間うち、土地のもの、お客様方に伺いましても、そら、地震だと、(ごう)となったのが、ちょうど九時半、ちとすぎ、かれこれ十時とも申しまして、この山の取着(とッつ)きから海岸まで、五百に近い家が、不思議に同一(おなじ)時刻。

 まあまあ、かねて大地震がある、大地震があると申しておりましたので、どこか一軒、神棚から御神酒(おみき)徳利でも落ちましたのを、慌てて地震と申したのが、家から家へ、ものの五分間ともたちませぬ内に、熱海中、鳴り渡りました儀かとも存じまするが。」

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