15話 日金颪 十五
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「またそうまでにはなさらぬお方も、いざ、という時の御用心に、手廻りのものなんざ、御寝なります時、枕許へお引きつけ遊ばしてお置きになります始末。
そうでもござりましょうか、――先刻の騒動の最中、この家ならびで二軒さきの玉喜屋の表二階で、仁王立になって、ばらばら、ばらばら、大道へ品物を投げ出していた方がござりますそうな。
へい。」といったまま、きょとん。
「だって、地震だって、恐しい騒ぎだけれど、ちっとも揺れもどうもしないんだもの。」
喜番、呼吸をつめて、ややあって、
「成程。」
といい、
「でござりますな、そこでござりますな、いかにも揺れはいたしません。また根もない地震に、大地が揺れたり、三階建がぐらついたりしては堪ったものじゃござりません。
けれども夫人、貴女様は、ちゃんとここへ、魂が落着いておいでなさりますからで。
どうして手前なぞは、そりゃ地震、と聞いたが最後。
先刻、あの騒の時は、帳場に坐っておりましたが、驚破というと、ただかっといたして、もうそれが、地の底だか、天上だか分りません。
天窓がぐらぐらとすると、目がくらんでしまいまして、揺れるか、揺れんか、考えておりますようなゆとりはないのでござります。
主人は真先に、戸外へ、鉄砲玉のように飛出しました。おかみさんも、刎起きて、突立ったにゃ突立ちましたが、腰がふらついて歩行けませんので、大黒柱につかまって、おしッこをするように震えています。手前は、その、……四這いに這いました。
座敷々々のお客人も一時に湧きましてな、一人として静となすっていらっしゃったお方はないので、手前どもにゃ僥倖と、怪我をなすった方もござりませんが。
それでも竹、へい、あの粋がった年増の女中でござります。あれは貴女、二階の七番からお膳を下げまして、ちょうど表階子の下口へかかりました処で、ソレ地震でござりましょう。ドンと腰を抜きました拍子に、トントントントンと、一段ずつ俵が転がったように落ちたでござります。どういう拍子か、背中を強く擦剥きまして、灸のあとから走るように血が流れたんで、二ツに裂けたという騒動、もっともひきつけてしまいました、へい、何、別条はござりません。
落胆して、お腹が空いたと申して、勝手でお茶漬を掻込んでおるでござりますが、な。
機会と申すは希代なもので、竹がその腰をつきます時に、投りましたお膳でございますが、窓からぽんと物干の上へ飛び出しまして、何と、小皿も箸も、お茶碗なんざ蓋をいたしましたままで、お月様へ供えまする体、や、どうも。」
「まあ。」
「あとで大笑いいたしたことでござります。まず手前どもでは珍事がその位で済みましてございますが、お向うの伊東屋なぞでは、貴女、御夫婦抱き合って、二階から戸外へお飛びなすって、大怪我をなさいました方がござります。
何しろ、一時は人の波が沸きましたように、上下へ覆しまして、どどどど廊下を駈けます音、がたびし戸障子の外れる響、中には泣くやら、喚くやら、ひどいのはその顛倒で、洋燈を引くらかえして、小火になりかけた家もござりますなり。
一体何屋の二階から騒ぎ出したとも、どこの内証から、喚きはじめたとも分りません。
一騒ぎ鎮まりましてから、門口では隣ずから、内では部屋々々の御見舞。仲間うち、土地のもの、お客様方に伺いましても、そら、地震だと、轟となったのが、ちょうど九時半、ちとすぎ、かれこれ十時とも申しまして、この山の取着きから海岸まで、五百に近い家が、不思議に同一時刻。
まあまあ、かねて大地震がある、大地震があると申しておりましたので、どこか一軒、神棚から御神酒徳利でも落ちましたのを、慌てて地震と申したのが、家から家へ、ものの五分間ともたちませぬ内に、熱海中、鳴り渡りました儀かとも存じまするが。」