わか紫

22話 黒影、白気 二十二

1,424字 約3分 2020年9月7日 公開

読み方を変える
字の大きさ
行の間隔
1行の長さ
書体
配色
組み方

「じゃ、お前が、あの方という人はえ?」

「あの方は、一番高い(とん)がった巌の上に、真暗(まっくら)な中に、黒い外套(がいとう)にくるまって、足を投げ出して、(みんな)の取って来たものを指環(ゆびわ)だの、黄金(きん)時計だの、お金子(かね)だの、一人々々、数をいいますのを、黙って聞いておりました。」

 かえって夫人がさしうつむいた、顔を見るだに(あわれ)さに、(かたえ)へそらす目の遣場(やりば)(くだん)の手帳を読むともなく、はらはらと四五枚かえして、

「星があっても暗かったろう。」

「遠くの沖で時々浪が光ります、あのこの鉛筆のような紫色に。

 その(ほか)は、(やみ)だったんです。」

「でも、よく手帳へ書けたのね。」

(あお)い色に燃えますマッチを()るんです。そうすると、(あかる)くなって、(いわ)附着(くッつ)いた、(みんな)の形が、顔も衣服(きもの)も蒼黒くなって、あの、(おおき)(まぐろ)が、巌に附着いておりますようで、打着(ぶつか)ります浪の《しぶき》が白くかかって見えました。

 前刻(さっき)、奥様がお座敷にいらっしゃらない処へ入って、私、よっぽど()ったんです。そうして洋燈(ランプ)を吹消して出ようとして見ますと、あの向うの蒸風呂の壇を上っておいでなすって、どこへも()げられませんから、洋燈を消して、壁に附着いて(かが)んだんです。

 でも、ずんずんいらっしゃって、座敷へ入りそうになりましたから、私、蒼い灯をつけて(おどか)したでしょう。

 え、え。

 でも、恐がらないで、おや、お前かいッておっしゃいました。

 あの時摺ったマッチですわ。

 私、ここに持っております。」

 と、帯の間に手を入れる。

「可いよ。可いよ、見なくっても大事ないよ。」

 余りの事に、さるにても、なお(みまも)らるるお鶴の顔。

「でも何、先刻(さっき)私を(おどか)したのは、あれはお前が考えたの。」

「いいえ、ここへ来ましょうと、(いわ)を下ります時に、暗がりから、誰だか教えてくれたんです。」

「何といって、さあ。」

 夫人は忍び()を震わした。

対手(あいて)婦人(おんな)だ、それに、お百度を踏もうという信心者だから、遣損なったら、威すと可い。()げるだけは仔細(しさい)はないッて、」

「あれ、そんなことまで知っているのかねえ。」

「はい、そしてあの、十二時を過ぎてから、お百度をなさいますから、その(ひま)にッて、いいましたんです。でも、来て、あの姿見の向うの流しの硝子戸(がらすど)から(のぞ)きますと、映りましたのは私ばッかりで、奥様はお座敷にも廊下にも見えなさいませんから、この間と思って、飛込んだんでございますわ。」

「であの、そこへ集っただけで(みんな)?」

「いいえ、仕事をするとすぐに。」

 ちりちりばらばら。

「三島へ遁げるのもありますし、峠を越して函嶺(はこね)へ行ったのもございますし、湯河原を出て吉浜、もうその時分は、お関所(あたり)で、ゆっくり紙幣(さつ)を勘定しているものもあろうし、峠の棄石(すていし)へ腰をかけて、盗んだ時計で、時間を見ているのもあるだろうッて、浪の音の合間々々に、(みんな)が話していたんです。」

「大概どのくらいな仕事だとか、その人はいっちゃいなかったの。」

内端(うちわ)に積りまして一万円ばかりですって。」

「大変なこッたねえ、それから、何、お鶴さん、その人の名は何というの。いいえ、大丈夫、私の命がなくなっても、とお百度を拝んでいる、観音様の御名にかけて、きっと人にはいわないから。」

「万綱っていうんです。」

「ああ、そうでしょう。それからその手下の(しゅ)の名は知らないかい。」

「はい、地震が済むと、私と二人で、そこら歩行(ある)きながら、巌の上へ参りました、しばらく()ちますと、一人来たり、三人来たり、ぴちゃぴちゃ、潮のふるえる音がしました。

 あの方が、(みんな)揃ったかッていいました。」

「そうすると……」

目次に戻る

目次