9話 室咲 九
読み方を変える
「はい。」
とばかり不承不承、返事も恩人なればこそ、承けひく気色はちっともない。
旅客は再び、差寄って、
「よ、ほんとうに気を着けなよ。
今の車夫もそういったが、お前何か、それを持って小田原まで行くんだというではないか。
気にかけないものだというと、瞽女が背負った三味線箱、たといお前が藁づつみの短刀を、引抱えて歩行いた処で、誰も目をつけはしないもんだが。
そうやって、人に見せまい、必ず手をつけさすまい、と秘しているだけ、途中何となく気が寄って、まあ、魔がさすとでもいうものか、思いがけない邪魔が入る。
またこの前、どんな事で、誰が見ようとしないとも限らない、――その時だ。
今のように、身体で庇って、とんだ怪我でもしちゃ不可ん、気をつけるんだよ、きつと、可か、分ったかね。」
熱心に教えながら、お鶴の姿を左から、右へぐるりと一廻。
その歩行く方へ瞳を動かし、ぱちり音するかと二ツ三ツ瞬いて聞いていた。
「じゃ、あの、見せろッていいましたら、出しても可くって? 貴下。」
「可かろうとも。」
「神様に見せない前に。」
と口早に附け加えた。
「神様に。」
「ええ。」
その顔を上げた時、はらりと顔にこぼれかかる、髪の毛を、指に反らして払い、
「孔雀みたいな、あの、翡翠みたいな、綺麗な鳥が来て、種をこぼして行きました。
小田原の神様が、おとっさんに、拵えろッていったんですって。
ですから、あの、これは神様のものなんでしょう。」
見詰めつついう気構に、逆わず打頷き、
「そうか、神様のものか。むむ、そして、苞の中は茄子だといったが、まったくかい。」
「は、お初穂を上げに行くんです。あの、これが小さな、紫色の苗になりましてから、白髪のおとっさんが、あのね。
死んだおっかさんが着ていました、桃色の切だの、浅葱の切だの、いろいろ継合わしたちゃんちゃんこを着ちゃ、背戸へ出て、十国峠へ日が昇るの、大島へ月が入るの、幾度見たか知れないの、丹精して出来たんですもの。
おかしくッてねえ。だって鳥の羽みたいな五色のを被て、おとっさんは、種を持って来た神使鳥のようじゃなくッて。
それから今度、おつかいに持って行く、私だって……何なのよ。
過日ッからお精進をしたんです。今朝は、髪を洗って、あけ方お湯を貰ったんです。
すっかり身体を清めて来ました。」
さらぬだにこの風采を、まして、世に、かくまで清き媛やある。
旅客は恍惚、引入れらるる状であった。
「それを、それを、あの、だって、大事にして見るんなら、まだ何ですけれども、賭博の目に、よもうッていうんですもの。
私、殺されても見せないんだわ。」
しばらくして面正しゅう。
「もっともだ、至極その筈だ、成程。
昨日通りがかりに、小田原の鎮守の社へ、参詣をして来たが、御城の石垣の白いのが、鶴の巣籠のように見える。森として、神寂びた森の中の、小さな鳥居に階子をかけて、がさり、かさこそと春の支度だろう。輪飾を掛けていたっけ。
神主のその顔が、大な猿のように見えて、水干烏帽子を着ていたのが、何となく神々しかった。
誠は神に通ずとやらいうから、大方神様の方でも、姉さん、お前の行くのを待っておいでなさるんだろう。けれどもだ。」
日はまたかげって尾花白く、薄雲空に靉靆く見ゆる。