わか紫

9話 室咲 九

1,344字 約3分 2020年9月7日 公開

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「はい。」

 とばかり不承不承、返事も恩人なればこそ、()けひく気色はちっともない。

 旅客は再び、差寄って、

「よ、ほんとうに気を着けなよ。

 今の車夫もそういったが、お前何か、それを持って小田原まで行くんだというではないか。

 気にかけないものだというと、瞽女(ごぜ)背負(しょ)った三味線箱、たといお前が(わら)づつみの短刀を、引抱(ひっかか)えて歩行(ある)いた処で、誰も目をつけはしないもんだが。

 そうやって、人に見せまい、必ず手をつけさすまい、と(かく)しているだけ、途中何となく気が寄って、まあ、魔がさすとでもいうものか、思いがけない邪魔が入る。

 またこの(さき)、どんな事で、誰が見ようとしないとも限らない、――その時だ。

 今のように、身体(からだ)(かば)って、とんだ怪我でもしちゃ不可(いか)ん、気をつけるんだよ、きつと、(いい)か、分ったかね。」

 熱心に教えながら、お鶴の姿を左から、右へぐるりと一(まわり)

 その歩行(ある)く方へ瞳を動かし、ぱちり音するかと二ツ三ツ瞬いて聞いていた。

「じゃ、あの、見せろッていいましたら、出しても()くって? 貴下(あなた)。」

「可かろうとも。」

「神様に見せない前に。」

 と口早に附け加えた。

「神様に。」

「ええ。」

 その顔を上げた時、はらりと顔にこぼれかかる、(びん)の毛を、指に反らして払い、

孔雀(くじゃく)みたいな、あの、翡翠(かわせみ)みたいな、綺麗な鳥が来て、種をこぼして行きました。

 小田原の神様が、おとっさんに、(こしら)えろッていったんですって。

 ですから、あの、これは神様のものなんでしょう。」

 見詰めつついう気構(きがまえ)に、(さから)わず打頷(うちうなず)き、

「そうか、神様のものか。むむ、そして、(つと)の中は茄子(なすび)だといったが、まったくかい。」

「は、お初穂を上げに行くんです。あの、これが小さな、紫色の苗になりましてから、白髪(しらが)のおとっさんが、あのね。

 死んだおっかさんが着ていました、桃色の(きれ)だの、浅葱(あさぎ)の切だの、いろいろ継合わしたちゃんちゃんこを着ちゃ、背戸へ出て、十国峠へ日が昇るの、大島へ月が入るの、幾度見たか知れないの、丹精して出来たんですもの。

 おかしくッてねえ。だって鳥の羽みたいな五色のを()て、おとっさんは、種を持って来た神使鳥(つかいどり)のようじゃなくッて。

 それから今度、おつかいに持って行く、私だって……何なのよ。

 過日(こないだ)ッからお精進をしたんです。今朝は、髪を洗って、あけ方お湯を貰ったんです。

 すっかり身体(からだ)を清めて来ました。」

 さらぬだにこの風采(ふうさい)を、まして、世に、かくまで清き(ひめ)やある。

 旅客は恍惚(うっとり)、引入れらるる(さま)であった。

「それを、それを、あの、だって、大事にして見るんなら、まだ何ですけれども、賭博(ばくち)の目に、よもうッていうんですもの。

 私、殺されても見せないんだわ。」

 しばらくして(おも)正しゅう。

「もっともだ、至極その(はず)だ、成程。

 昨日(きのう)通りがかりに、小田原の鎮守の(やしろ)へ、参詣(さんけい)をして来たが、御城の石垣の白いのが、鶴の巣籠(すごもり)のように見える。(しん)として、神寂(かみさ)びた森の中の、小さな鳥居に階子(はしご)をかけて、がさり、かさこそと春の支度だろう。輪飾(わかざり)を掛けていたっけ。

 神主のその顔が、(おおき)な猿のように見えて、水干烏帽子(すいかんえぼし)を着ていたのが、何となく神々(こうごう)しかった。

 誠は神に通ずとやらいうから、大方神様の方でも、姉さん、お前の行くのを待っておいでなさるんだろう。けれどもだ。」

 日はまたかげって尾花白く、薄雲空に靉靆(たなび)く見ゆる。

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