或敵打の話

1話 発端 一

1,546字 約3分 1999年1月12日 公開

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 津崎左近(つざきさこん)は助太刀の(こい)(しりぞ)けられると、二三日家に閉じこもっていた。兼ねて求馬(もとめ)と取換した起請文(きしょうもん)(おもて)反故(ほご)にするのが、いかにも彼にはつらく思われた。のみならず朋輩(ほうばい)たちに、後指(うしろゆび)をさされはしないかと云う、懸念(けねん)も満更ないではなかった。が、それにも増して堪え難かったのは、念友(ねんゆう)の求馬を唯一人甚太夫(じんだゆう)に託すと云う事であった。そこで彼は敵打(かたきうち)一行(いっこう)が熊本の城下を離れた()、とうとう一封の書を家に遺して、彼等の(あと)を慕うべく、双親(ふたおや)にも告げず家出をした。

 彼は国境(くにざかい)を離れると、すぐに一行に追いついた。一行はその時、ある山駅(さんえき)の茶店に足を休めていた。左近はまず甚太夫の前へ手をつきながら、幾重(いくえ)にも同道を懇願した。甚太夫は(はじめ)苦々(にがにが)しげに、「身どもの武道では心もとないと御思いか。」と、容易(ようい)()け引く色を示さなかった。が、しまいには彼も()を折って、求馬の顔を尻眼にかけながら、喜三郎(きさぶろう)の取りなしを機会(しお)にして、左近の同道を承諾した。まだ前髪(まえがみ)の残っている、女のような非力(ひりき)の求馬は、左近をも一行に加えたい気色(けしき)を隠す事が出来なかったのであった。左近は喜びの余り眼に涙を浮べて、喜三郎にさえ何度となく礼の言葉を繰返(くりかえ)していた。

 一行四人は兵衛(ひょうえ)妹壻(いもうとむこ)浅野家(あさのけ)の家中にある事を知っていたから、まず文字(もじ)(せき)瀬戸(せと)を渡って、中国街道(ちゅうごくかいどう)をはるばると広島の城下まで上って行った。が、そこに滞在して、(かたき)在処(ありか)(さぐ)る内に、家中の(さむらい)の家へ出入(でいり)する女の針立(はりたて)の世間話から、兵衛は一度広島へ来て(のち)、妹壻の知るべがある予州(よしゅう)松山(まつやま)へ密々に旅立ったと云う事がわかった。そこで敵打の一行はすぐに伊予船(いよぶね)便(びん)を求めて、寛文(かんぶん)七年の夏の最中(もなか)(つつが)なく松山の城下へはいった。

 松山に渡った一行は、毎日編笠(あみがさ)を深くして、敵の行方(ゆくえ)を探して歩いた。しかし兵衛も用心が厳しいと見えて、容易に在処を(あらわ)さなかった。一度左近が兵衛らしい梵論子(ぼろんじ)の姿に目をつけて、いろいろ探りを入れて見たが、結局何の由縁(ゆかり)もない他人だと云う事が明かになった。その内にもう秋風が立って、城下の屋敷町の武者窓の外には、溝を(ふさ)いでいた()の下から、追い追い水の色が拡がって来た。それにつれて一行の心には、だんだん焦燥の念が動き出した。殊に左近は出合いをあせって、ほとんど昼夜の嫌いなく、松山の内外を(うかが)って歩いた。敵打の初太刀(しょだち)は自分が打ちたい。万一甚太夫に遅れては、主親(しゅうおや)をも捨てて一行に加わった、武士たる自分の面目(めんぼく)が立たぬ。――彼はこう心の内に、堅く思いつめていたのであった。

 松山へ来てから二月(ふたつき)余り(のち)、左近はその甲斐(かい)があって、ある日城下に近い海岸を通りかかると、忍駕籠(しのびかご)につき添うた二人の若党が、漁師たちを急がせて、舟を仕立てているのに()った。やがて舟の仕度が出来たと見えて、駕籠(かご)の中の侍が外へ出た。侍はすぐに編笠をかぶったが、ちらりと見た顔貌(かおかたち)は瀬沼兵衛に(まぎ)れなかった。左近は一瞬間ためらった。ここに求馬が居合せないのは、返えす返えすも残念である。が、今兵衛を打たなければ、またどこかへ立ち退()いてしまう。しかも海路を立ち退くとあれば、()()をつき止める事も出来ないのに違いない。これは自分一人でも、名乗(なのり)をかけて打たねばならぬ。――左近はこう咄嗟(とっさ)に決心すると、身仕度をする間も惜しいように、編笠をかなぐり捨てるが早いか、「瀬沼兵衛(せぬまひょうえ)加納求馬(かのうもとめ)が兄分、津崎左近が助太刀(すけだち)覚えたか。」と呼びかけながら、刀を抜き放って飛びかかった。が、相手は編笠をかぶったまま、騒ぐ気色もなく左近を見て、「うろたえ者め。人違いをするな。」と叱りつけた。左近は思わず躊躇(ちゅうちょ)した。その途端に侍の手が刀の柄前(つかまえ)にかかったと思うと、(かさ)(あつ)の大刀が大袈裟(おおげさ)に左近を斬り倒した。左近は尻居に倒れながら、目深(まぶか)くかぶった編笠の下に、始めて瀬沼兵衛の顔をはっきり見る事が出来たのであった。

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