二葉亭追録

1話 一 二葉亭が存命だったら

2,547字 約5分 2011年7月20日 公開

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 二葉亭が存命だったら今頃ドウしているだろう? という問題が或る時二葉亭を知る同士が寄合(よりあ)った席上の話題となった。二葉亭はとても革命が勃発(ぼっぱつ)した頃まで露都に辛抱していなかったろうと思うが、仮に当時に居合わしたとしたら、ロマーノフ朝に味方したろう()、革命党に同感したろう乎、ドッチの肩を持ったろう? 多恨の詩人肌から亡朝の末路に薤露(かいろ)の悲歌を手向(たむ)けたろうが、ツァールの悲惨な運命を哀哭(あいこく)するには余りに深くロマーノフの罪悪史を知り過ぎていた。が、同時に入露以前から二、三の露国革命党員とも交際して(かれ)らの苦辛や心事に相応の理解を持っていても、双手(もろて)を挙げて渠らの革命の成功を祝するにはまた余りに多く渠らの陰謀史や虐殺史を知り過ぎていた。

 二葉亭の頭は根が治国平天下の治者思想で(たた)き上げられ、一度は軍人をも志願した位だから、ヒューマニチーの福音を説きつつもなお権力の信仰を把持して、“Might is right”の信条を忘れなかった。貴族や富豪に虐げられる下層階級者に同情していても権力階級の存在は社会組織上止むを得ざるものと見做(みな)し、渠らに味方しないまでも呪咀(じゅそ)するほどに憎まなかった。

 二葉亭はヘルチェンやバクーニンを初め近世社会主義の思想史にほぼ通じていた。就中(なかんずく)ヘルチェンは晩年までも座辺から全集を離さなかったほど反覆した。マルクスの思想をも一と通りは(わきま)えていた。が、畢竟(ひっきょう)は談理を好む論理遊戯から愛読したので、理解者であったが共鳴者でなかった。書斎の空想として興味を持っても実現出来るものともまた是非実現したいとも思っていなかった。かえってこういう空想を直ちに実現しようと猛進する革命党や無政府党の無謀無考慮無経綸(けいりん)を馬鹿にし切っていた。露都へ行く前から露国の内政や社会の状勢については絶えず相応に研究して露国の暗流に良く通じていたが、露西亜の官民の断えざる衝突に対して当該政治家の手腕器度を称揚する事はあっても革命党に対してはトンと同感が(うす)く、渠らは空想にばかり(とら)われて夢遊病的に行動する駄々ッ子のようなものだから、時々は(きゅう)()えてやらんと取締りにならぬとまで、官憲の非違横暴を認めつつもとかくに官憲の肩を持つ看方(みかた)をした。

「露西亜は行詰っているが、革命党は空想ばかりで実行に掛けたらカラ成っていない。いくらヤキモキ騒いだって海千山千(うみせんやません)の老巧手だれの官僚には歯が立たない、」と二葉亭は常に革命党の無力を見縊(みくび)り切っていた。欧洲戦という意外の事件が突発したためという条、コンナに早く革命が開幕されて筋書通りに、トいうよりはむしろ筋書も何にもなくて無準備無計画で初めたのが勢いに引摺られてトントン拍子にバタバタ片附いてしまおうとは誰だって夢にだも想像しなかったのだから、二葉亭だってやはり、もし存生(ぞんじょう)だったら地震に遭逢(でっくわ)したと同様、暗黒(くらやみ)でイキナリ頭をドヤシ付けられたように感じたろう。

 が、二葉亭は革命党の無力を見縊っていても、その無思慮な軽率なヤリ口に感服しなくてもまるきり革命が起るのを洞観しないじゃなかった。「露西亜は今噴火坑上に踊ってる。幸い革命党に人物がないから太平を(よそお)っていられるが、何年か後には必ず意外の機会から全露を大混乱に陥れる時がある」とはしばしば()い云いした。「その時が日本の驥足(きそく)を伸ぶべき時、自分が一世一代の飛躍を試むべき時だ」と畑水練(はたけすいれん)気焔(きえん)を良く挙げたもんだ。

 果然革命は欧洲戦を導火線として突然爆発した。が、誰も多少予想していないじゃないが余り迅雷疾風的だったから誰も面喰(めんくら)ってしまった。その上、東京の地震の火事と同様、予想以上に大きくなったのでいよいよ面喰ってしまった。日本は二葉亭の注文通りにこの機会に乗じて驥足を伸べるどころか、火の子を恐れて縮こまって手も足も出ないでいる。偶々(たまたま)チョッカイを出しても火傷(やけど)をするだけで、()やともすると野次馬(やじうま)扱いされて突飛ばされたりドヤされたりしている。これでは二葉亭が一世一代の芝居を打とうとしても出る幕がないだろう。

 だが、実をいうと二葉亭は舞台監督が出来ても舞台で踊る(がら)ではなかった。縦令(たとい)舞台へ出る役割を振られてもいよいよとなったら二の足を踏むだろうし、踊って見ても板へは附くまい。が、寝言(ねごと)にまでもこの一大事の場合を歌っていたのだから、失敗(やりそこな)うまでもこの有史以来の大動揺の舞台に立たして見たかった。

 ヨッフェが来た時、二葉亭が一枚会合に加わっていたらドウだったろう。あの会合は本尊が私設外務大臣で、双方が探り合いのダンマリのようなもんだったから、結局が百日鬘(ひゃくにちかずら)青隈(あおぐま)公卿悪(くげあく)の目を()睨合(にらみあ)いの見得(みえ)で幕となったので、見物人はイイ気持に看惚(みと)れただけでよほどな看功者(みごうしゃ)でなければドッチが上手か下手か解らなかった。あアいう型に(はま)った大歌舞伎(おおかぶき)では型の心得のない素人(しろうと)役者では見得を切って大向(おおむこ)うをウナらせる事は出来ないから、まるきり型や振事(ふりごと)の心得のない二葉亭では舞台に飛出しても根ッから()えなかったろうが、沈惟敬(しんいけい)もどきの何とかいう男がクロンボを勤めてるよりも舞台を引緊めたであろう。

 とは思うものの、二葉亭は舞台の役を振られて果して躍り出すだろう乎。空想はかなり大きく、談論は極めて鋭どかったが、()ざ問題にブツかろうとするとカラキシ舞台度胸がなくて、存外(しそ)逡巡(しゅんじゅん)して容易に決行出来なかった。実行家となるには二葉亭は余りに思慮が細か過ぎた。右から左から縦から横から八方から只見(とみ)うこう見て()の毛で突いたほどの隙もないまでに考え詰めてからでないと何でも実行出来なかった。実行家の第一資格たる向う見ずに猪突(ちょとつ)する大胆を欠いていた。勢い躍り出すツモリでいても出遅れてしまう。機会は何度(なんたび)来ても出足が遅いのでイツモ機会を取逃がしてしまう。存命していても二葉亭はやはりとつおいつ千思万考しつつ出遅れて、可惜(あったら)多年一剣を磨した千載(せんざい)の好機を逸してしまうが(おち)であるかも解らん。

 が、それでも()かして置きたかった。アレカラ先き当分露国に滞留して革命にも遭逢し、労農政府の明暗両方面をも目睹(もくと)したなら、その露国観は必ず一転回して刮目(かつもく)すべきものがあったであろう。舞台の正面を切る役者になるならぬは問題でなくして、()()く二葉亭をしてこの余りに大き過ぎて何人にも予想出来なかった露西亜の大変動に直面せしめたかった。

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