1話 無政府主義と暗殺
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無政府主義の革命といへば、直ぐ短銃や爆彈で主權者を狙撃する者の如くに解する者が多いのですが、夫は一般に無政府主義の何者たるかが分つてゐない爲めであります。辯護士諸君には既に承知になつてる如く、同主義の學説は殆ど東洋の老莊と同樣の一種の哲學で、今日の如き權力、武力で強制的に統治する制度がなくなつて、道徳、仁愛を以て結合せる、相互扶助、共同生活の社會を現出するのが、人類社會必然の大勢で、吾人の自由幸福を完くするのには、此大勢に從つて進歩しなければならないといふに在るのです。
隨つて無政府主義者が壓政を憎み、束縛を厭ひ、同時に暴力を排斥するのは必然の道理で、世に彼等程自由、平和を好むものはありません。彼等の泰斗と目せらるるクロポトキンの如きも、判官は單に無政府主義者かと御問ひになつたのみで、矢張亂暴者と思召して御出かも知れませんが、彼は露國の伯爵で、今年六十九歳の老人、初め軍人となり、後ち科學を研究し、世界第一流の地質學者で、是まで多くの有益な發見をなし、其他哲學、文學の諸學通ぜざるなしです。二十餘年前、佛國里昂の勞働者の爆彈騷ぎに關係せる嫌疑で入獄した際、歐州各國の第一流の學者、文士連署して佛國大統領に陳情し、世界の學術の爲めに彼を特赦せんことを乞ひ大統領は直ちに之を許しました。その連署者には大英百科全書に執筆せる諸學者も總て之に加はり、日本で熟知せらるるスペンサー、ユーゴーなども特に數行を書添へて署名しました。以て其の學者としての地位、名聲の如何に重きかを知るべしです。そして彼の人格は極めて高尚で、性質は極めて温和、親切で、決して暴力を喜ぶ人ではありません。
又クロポトキンと名を齊しくした佛蘭西の故エリゼー・ルクリユス(Ruclus)の如きも、地理學の大學者で、佛國は彼が如き大學者を有するを名譽とし、市會は彼を紀念せんが爲めに巴里の一道路に彼の名を命けた位です。彼は殺生を厭ふの甚だしき爲め、全然肉食を廢して菜食家となりました。歐米無政府主義者の多くは菜食者です。禽獸をすら殺すに忍びざる者、何ぞ人の解する如く殺人を喜ぶことがありませうか。
此等首領と目さるる學者のみならず、同主義を奉ずる勞働者は、私の見聞した處でも、他の一般勞働者に比すれば、讀書もし、品行もよし、酒も煙草も飮まぬものが多いのです。彼等は決して亂暴ではないのであります。
成程無政府主義者中から暗殺者を出したのは事實です。併し夫れは同主義者だから必ず暗殺者たるといふ譯ではありません。暗殺者の出るのは獨り無政府主義者のみでなく、國家社會黨からも、共和黨からも、自由民權論者からも、愛國者からも、勤王家からも澤山出て居ります。是まで暗殺者といへば大抵無政府主義者のやうに誣ひられて、其數も誇大に吹聽されてゐます。現に露國亞歴山二世帝を弑した如きも、無政府黨のやうに言はれますが、アレは今の政友會の人々と同じ民權自由論者であつたのです。實際歴史を調べると、他の諸黨派に比して無政府主義者の暗殺が一番僅少なので、過去五十年許りの間に全世界を通じて十指にも足るまいと思ひます。顧みて彼の勤王家、愛國家を見ますれば、同じ五十年間に、世界でなくて、我日本のみにして殆ど數十人或は數百人を算するではありませんか。單に暗殺者を出したからとて暗殺主義なりと言はば、勤王論、愛國思想ほど激烈な暗殺主義はない筈であります。
故に暗殺者の出るのは、其主義の如何に關する者でなくて、其時の特別の事情と、其人の特有の氣質とが相觸れて、此行爲に立至るのです。例へば、政府が非常な壓制をやり、其爲めに多數の同志が言論、集會、出版の權利自由を失へるは勿論、生活の方法すらも奪はるるとか、或は富豪が横暴を極めたる結果、哀民の飢凍悲慘の状見るに忍びざるとかいふが如きに際して、而も到底合法平和の手段を以て之に處するの途なきの時、若しくは途なきが如く感ずるの時に於て、感情熱烈なる青年が暗殺や暴擧に出るのです。是彼等にとつては殆ど正當防衞ともいふべきです。彼の勤王、愛國の志士が時の有司の國家を誤らんとするを見、又は自己等の運動に對する迫害急にして他に緩和の法なきの時、憤慨の極暗殺の手段に出ると同樣です。彼等元より初めから好んで暗殺を目的とも手段ともするものでなく、皆自己の氣質と時の事情とに驅られて茲に至るのです。そして其歴史を見れば、初めに多く暴力を用うるのは寧ろ時の政府、有司とか、富豪、貴族とかで、民間の志士や勞働者は常に彼等の暴力に挑發され、酷虐され、窘窮の餘已むなく亦暴力を以て之に對抗するに至るの形迹があるのです。米國大統領マツキンレーの暗殺でも、伊太利王ウンベルトのでも、又西班牙王アルフオンソに爆彈を投じたのでも、皆夫れ夫れ其時に特別な事情があつたのですが、餘り長くなるから申しません。
要するに、暗殺者は其時の事情と其人の氣質と相觸るる状況如何によりては、如何なる黨派からでも出るのです。無政府主義者とは限りません。否、同主義者は皆平和、自由を好むが故に、暗殺者を出すことは寧ろ極めて少なかつたのです。私は今回の事件を審理さるる諸公が、「無政府主義者は暗殺者なり」との妄見なからんことを希望に堪へませぬ。