老主の一時期

1話 老主の一時期(1)

6,780字 約14分 2005年3月24日 公開

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「お旦那(だんな)の眼の色が、このごろめつきり鈍つて来たぞ。」

 店の小僧や番頭が、主人宗右衛門のこんな陰口を(ささや)き合ふやうになつた。宗右衛門の広大な屋敷内に、いろは番号で幾十戸前の商品倉が建て連ねてある。そのひとつひとつを数人(ずつ)でかためて居る番頭や小僧の総数は百人以上であつた。その多人数の何処(どこ)か一角から起つたひとつの話題が、全体へ行き渡るまでには余程の時間がかゝる。そしてその話題によほどの確実性と普遍性がなければ、多くはある一角、または半数、三分の一くらゐなところで、いつも立ち消えになつてしまふ。宗右衛門のこの(うわさ)は、いつ、どの辺から起つたのか、どれだけの時間を経て屋敷全体に拡がつたものか判らないが、()(かく)今までにない確実性と普遍性とを持つてゐる。その上一同の者に、これほど直接に関係する話題はなかつた。

 山城屋宗右衛門のその一瞥(いちべつ)で、屋敷の隅々までも見透すほどの鋭い眼光は、彼が江戸諸大名の御用商人として、一代に巨万の富をかち得た(すぐ)れた彼の商魂によつて磨き出されたものである。彼が次第に老齢を加へて来ても、容易に衰へなかつたその眼光が、にはかに鈍つた原因として誰も否定し得ない出来事――山城屋の家庭の幸福を根こそぎ抜き散らしてしまつた悲惨な出来事が、最近突然山城屋へ現はれた。

 宗右衛門に二人の娘があつた。上のお小夜(さよ)(かえで)のやうな(さび)しさのなかに、どこか(なま)めかしさを秘めてゐた。妹のお里はどこまでも派手であでやかであつた。宗右衛門の幸福は、巨万の富を一代にかち得たばかりで満足出来なくて、あの春秋を一時にあつめた美貌(びぼう)を二人まで持つたと人々は(うらや)んだ。その二人の娘が――お小夜は十九、お里は十七になつたばかりの今年の春、激しい急性のリヨーマチで、二人が二人とも前後して、俄跛(にわかびっこ)になつてしまつた。人々の驚き、まして宗右衛門夫婦にとつては、驚き以上の驚きであり、悲しみ以上の悲しみであつた。妻のお辻はそれがため持病の心臓病を(にわ)かに重らして死んで行つた。お辻は宗右衛門に添つて三十年、宗右衛門の頑強と鋭才との下をくゞつて、よく忍従に生きて来た。お辻は一日に三度か、四度侍女や乳母(うば)にかしづかれる愛娘達の部屋を(のぞ)くばかりが楽しみで、だまつて奉公人と共に働いて、別に人から好いとも悪いとも、批判されるほど目立ちもしない性分であつた。が、支へを失つた巨木のやうに、宗右衛門はがつかりとお辻の死顔の前へ座り込んでしまつたのである。俄跛の姉妹のことを()れ/″\も夫にたのんで()つたお辻の死顔の(あお)ざめた(しな)びた(ほお)――お辻は五十で死んだのである。

 五月下旬の或る曇日の午後、山城屋の旦那寺(だんなでら)の泰松寺でお辻の葬儀が営まれた。宗右衛門は一番々頭の清之助や親類の男達に(まも)られながら葬列の中ほどを()つて歩いた。

 今、お辻の寝棺が悠々と泰松寺の山門――山城屋宗右衛門の老来の虚栄心が、ひそかに一郷の聳目(そばめ)を期待して彼の富の過剰を形の上に持ち(きた)らしめた――をくぐつて行つた。宗右衛門には久しぶりに来て見たこの仰々(ぎょぎょう)しい山門が、背景をなす寺の前庭の寂びを含んだ老松(おいまつ)の枝の古色に何となくそぐはなく見えるのであつた。いつものやうな彼のこの山門に対する誇りと満足とは、決して彼には感じられなかつた。彼はむしろ、そのけばけばしい磨き(かわら)(つや)が、低く垂れた曇天の雲の色に、にぶく抑圧されてゐるのに安心した。彼は()れぼつたい眼を山門から()らして、ほつと溜息(ためいき)をついた。彼は門脇の寄進札の劈頭(へきとう)に、あだかもこの寺門の保護者のやうに掲げ出されてある自分の名を、出来るだけ見まいとした。無頓着(むとんちゃく)な老師に先んじて、平常()うした俗事にまめな世話役某の顔を莫迦(ばか)/\しく思ひ浮べた。

 泰松寺は寺格の高い割りに貧乏であつた。新らしい堂々たる山門に較べて、本堂はほんの後れ毛のやうに古くてみすぼらしい。お辻の(ひつぎ)がその赤ちやけた本堂の畳敷の真中に置かれて、ます/\豊かに立派に見えた。宗右衛門は正座に(すわ)つて自分のこの土地に於ける勢力を象徴するものゝやうに、本堂もひしめくばかり集つた大勢の会葬者の群を見廻した。そしてあらためてまたお辻の棺に眼をやつた。その中に(よこた)はる(あお)(しな)びたお辻の死体……彼は、小さくても肉付きのよい顔かたちの人並すぐれてよく整つてゐた若い頃のお辻が、いつの間にか年をとつて、こんなに蒼く萎びたかと、納棺前のお辻の死体の傍で感じたことを思ひ出した。彼はそのとき、ろく/\妻の姿かたちさへ心にとめないで何十年間稼いで稼ぎ抜いた自分が、何となくあさましく思はれたのであつた。

 二人の娘を飾るための衣装の費用よりほか――それだけはむしろ宗右衛門自身が進んで出したがる費用でもあつた――何一つ出費の厳しい夫にねだつたこともないお辻の為めに、最後のお辻の衣装である棺を立派にしてやらうと、宗右衛門は思ひ付いたのであつた。角厚な(ひのき)材の寝棺をお辻の死体が二つほども這入(はい)れるくらゐ広く造つた。家の奥座敷でお辻の死体をそれに入れる時「出し惜しみが急に気張つたのでお辻さんは風邪をひくわい」と兼々(かねがね)気まづかつた親類の一人が、わざと聞えよがしの陰口をきいた。いつもの宗右衛門が、かつと怒るかはりに、成程(なるほど)と思考して死体のまはりの空所に色々なものを詰めてやつた。いつの間にかお辻が丹念に蓄へて置いた珊瑚(さんご)の根掛けや珠珍の煙草(たばこ)入れ、大切に掛け(おし)んでゐた縞縮緬(しまちりめん)の丹前、娘達の別れがたみの人形、宗右衛門自身が江戸の或る大名家老から頂戴(ちょうだい)した羽二重(はぶたえ)(しとね)が紅白二枚、死出の旅路をひとりで辿(たど)るお辻の小さな足にも殊更(ことさら)に絹足袋(たび)を作つて穿()かせ、穿きかへまでも一足添へた。宗右衛門は(にわ)か覚えの念仏をぶつぶつ口のなかで唱へながら、何もかにも手伝つてやつた。するとまた「お旦那(だんな)()が折れた。お嬢さん達があんなになりなさつて気が弱つたからだ。」と、どこかで奉公人達が、ひそひそ言ふけはひもしたが(俺はもう誰にも何にも言はぬぞ)観念すれば何事にも意志の強い自分であることを宗右衛門は知つてゐた。そして、それがまた何となく(さび)しいやうにも感じられて、棺を見つめてゐた眼をしばたゝいた。そのまゝ何もかも黙つてお辻の棺について寺へ来たのである。

 宗右衛門は軽い眩暈(めまい)を感じて眼を閉ぢた。何か哀願するやうなお辻の声が何処(どこ)かでした。それから、また、閉ぢた(まぶた)の裏にまざ/\と二人の娘の(びっこ)姿が描かれるのであつた。宗右衛門は首をひとつ強く振つて、それをかき消さうとするのであつたが、(かえ)つて場面を廻転したいまはしいシーンが、はつきりとあとへ描き出されるのであつた。やはりお辻の棺がまだ寺へ来ぬまへのことであつた。いよ/\家の奥座敷から、それを出さうとする時であつた。幾度も人の(すく)ない時を見計らつてはお辻の死床に名残(なごり)をおしみに来た二人の娘が、最後に(そろ)つて庭を隔てた離れ()から出て来た。その時は如何(いか)(はばか)らうにも人は棺の前後にあふれ、座敷の上下に渦をなしてゐた。低声ではあつたが、今まで何となくざわざわしてゐた人々の声が、(にわ)かに静まつた。宗右衛門もふと奥庭の奥深くへ眼をやつた。白無垢(しろむく)のお小夜とお里が、今、花のまばらな(くちなし)の陰から出てつはぶきに取り囲まれた筑波井(つくばい)の側に立ち現はれたところである。若い屈強な下婢(かひ)が二人左右に――姉も妹も()せ形ながら人並より高い背丈を、二人の下婢の肩にかけた両手の力で危ふく支へて(わず)かに自由の残る片足を覚束(おぼつか)なげに運ばせて来る。黒紋付を着た()い老婢が一人、小婢を一人(したが)へて、あとから静かに付き添つて来る、……やがて薄い涙で曇つた宗右衛門の眼に、拡大されて映つた二人の娘の姿が、静まり返つた人々の間を通つて、お辻の寝棺の傍に近づいた。宗右衛門はあわてゝ立ち上つた。そして棺に高い台をかふやうに急いで命じた。人々も娘達も呆気(あっけ)にとられた。宗右衛門は娘を其処(そこ)へ座らせまいとしたのであつた。座ればその下半身は、曲らぬ片足を投げ出したまゝの浅ましい異様なもののうづくまりになるからである。棺は丁度、娘達の胸まで達した。あらためて娘達は棺に近づいた。姉も妹も並んで一所に額付(ぬかづ)いた……二人の白羽二重の振袖(ふりそで)が、二人がなよやかな首を延べて身をかゞめようとするその拍子に、丸い()の肩を滑つて、あだかも鶴の翼のやうに左右へ長く開いたのである……人々はこの清艶(せいえん)な有様に唾を()んだ。娘達はそのまゝ黙つてしばらく泣いた。顔を上げた時、二人の(ほお)から玉のやうな涙が(あふ)れ落ちた。御殿女中上りの老婢に粧装(つく)られる二人の厚化粧に似合つて高々と()ひ上げた黒髪の光や、秀でた(まゆ)(つや)が今日は一点の(べに)をも施さない面立ちを一層品良く引きしめてゐる。とりわけ近頃(うれ)ひが添つて(かえ)つてあでやかな妹娘の富士額(ふじびた)ひが宗右衛門には心憎いほど悲しく眺められたのであつた。

「ごーん」と低い丸味を帯びた鐘の音が、本堂の隅々まで響いた。夢のさめたやうな宗右衛門の追想が打ち切られた。彼はあわてゝ眼を開いた。読経(どきょう)が始まらうとするのである。泰松寺の老師が、五六人の伴僧を(したが)へて、しづ/\棺前に進み寄つた。宗右衛門は幾度も眼をしばだたいて老師のにび色の法衣をうしろから眺めた。老師の後頭部の薄い禿(はげ)へ仏前の蝋燭(ろうそく)()がちらちらとうつつた。宗右衛門はいつもならばひそかに得意の微笑を()らすのである。老師は宗右衛門より三つ四つ年も若い。宗右衛門にはまだ白髪交(しらがまじ)りでも禿はない。かなり名の知れた名僧でありながらいつも貧乏たらしいにび色の粗服で、何処(どこ)かよぼよぼして見えるのが、無信心の宗右衛門にむしろ平常は滑稽(こっけい)にも思はれた。だが、今日の宗右衛門には老師のにび色姿が何となく尊く見える。

「不思議だな、俺も変つたわい」

 宗右衛門は腹の中で独り言つた。

 夏になつて二人の娘達はいよ/\美しかつた。片輪の身のあはれさが添つて、以前の美しさに一層清艶(せいえん)な陰影が添つた。が、今年もお(そろ)ひの派手な縮み浴衣(ゆかた)を着は着ても、最早(もは)やその(すそ)から玉のやうな(かかと)をこぼして蛍狩(ほたるがり)や庭の(すず)みには歩かなかつた。異様な醜いうづくまりをその下半身にかたちづくつて、二人は離れ()の居室にひつそりとしてゐた。退屈な悩ましい――しかしそれを口にはあまり出し合ひもせず、二人は美しい(ひたい)の汗ばかり()いてゐた。

「御覧あそばせな、今朝は紅が九つ、紫が六つ、絞りが四つと白が七つ、それから瑠璃(るり)色が……」

 老女が()女によく磨いた真鍮(しんちゅう)耳盥(みみだらい)竹椽(たけえん)へ運ばせた。うてなからちぎり取られた紅、紫、瑠璃色、白、絞り咲きなどの朝顔の花が、幾十となく()を抜いた小傘のやうに、たつぷり張つた耳盥の水面に浮んでゐる。この毎朝のたのしみを老女は若い頃の大名屋敷勤めの間に覚えた。

「あ、お旦那(だんな)が」

 小女が老婢(ろうひ)の後で言つた。皆、水面に集まつてゐた眼をあげた。古いきびらを着た宗右衛門が母屋(おもや)へ通ふ庭の小径(こみち)をゆつくりと歩いて来る。

「お珍らしい」

 老女は顔を(しわ)めて微笑した。

「まあ、お父様」

 おとなしいお小夜は、たゞうれしくなつかしかつた。(にわ)かに居ずまひを直しにかゝつた。が、敏感なお里は何事か胸にこたへた。お里は、ぢつとしたまゝ黙つてゐた。前庭の一番大きな飛石の上に、宗右衛門は立つて(さび)しく微笑した。

「まあ、お珍らしい」

 老女はひたすら宗右衛門を座敷の方へ招じ入れようとした。

 今朝もまた、彼が見る(ごと)に二人の娘の美しさは増して行つた。醜い下半部の反比例をますます上半身に現はすのではないか。皮肉の美しさを、ます/\宗右衛門は見せつけられる。美しい娘達の上半身を見る宗右衛門の苦痛は、醜い下半部を見る苦痛と変らなかつた。

 宗右衛門はこの苦痛の為めに、追々(おいおい)娘達の部屋を訪れなくなつたのであつた。母の無いのちの一層たよりない娘達を(かえ)つて訪ねて来なくなつたのであつた。

「おとふ様、どう遊ばしました」

 お小夜が懐かしげに父親を仰いだ。

「どうも商売の方が忙しくてな。それにお母さんが亡くなつて、家の方もなにやかや……」

 ぢつと眼を伏せてゐるお里を見て、宗右衛門はだまつてしまつた。

「おう、朝顔が綺麗(きれい)だな」

 その耳盥(みみだらい)から少し視線を上げれば、そこにはお小夜の異様な脚部――宗右衛門はぞつとして、逆に老女の顔を見上げた。

「どうだな、二人とも毎日元気かな」

 宗右衛門は四日前の夕方、こゝを訪ねたきりであつた。娘達が忙しいお辻の手から育ての侍女の手に移つてこゝの離れ()()み始めて十何年間、朝夕二回の屋敷へ()くさ帰るさ、必ず宗右衛門はこの部屋へ立ち寄つた。時には夜ふけて寝酒の微酔でやつて来る時さへあつたのに、江戸への出入も店の商売もとかく怠り勝ちになつたといふ此頃(このごろ)の忙しさとは何であるか、老女には判り()ねた。

「お旦那(だんな)が、このごろ、泰松寺へしげ/\行かれる」

 と店の者から、ちらと聞いたが、それにしても娘達に疎遠してまで、妻女の墓参にばかり行かれるとはうけとれなかつた。

「旦那様、泰松寺にまた、御普請でも始まりますか」

「いや何にもない」

 宗右衛門は何故(なぜ)かあはてゝ老女の言葉を消した。

「お父様、お掛け遊ばせ」

 お小夜は小女に、麻の座布団をとらしてすゝめた。

「あゝ、ありがたう、かまはずにゐて()れ、わしは直ぐまた出かけなけりやならない」

 宗右衛門が庭に面して縁端の座布団へ(すわ)つた時、始めて父親を見上げたお里の鋭い視線を横顔に感じた――

(何もかもお里は勘付(かんづ)いてゐる)

 お里の利溌(りはつ)を余計愛してゐた宗右衛門が、今はお里が誰よりも怖ろしくなつた。やがてそれがいくらかの憎しみともなつた。小夜が不憫(ふびん)で、うつかり離れ家へ向けようとした足も、お里を考へてぎつくりと止まる。商売の算段もなまり、倉々を見廻る眼力もにぶつたが、人知れず遠くから離れ家を見詰める宗右衛門の眼の色は、異様に光つた。美しいゆゑに余計に醜い娘達の異形(いぎょう)が、追々宗右衛門の不思議な苦難の妄執となつて附纏(つきまと)つた。

 或る夜も宗右衛門は眼を覚した。広い十畳の間にひとり宗右衛門は寝てゐたのである。宵に降つた雨の名残(なごり)の木雫が、ぽたり/\と屋根を打つてゐた。蒸し暑いので宗右衛門は夜具をかいのけ、煙草(たばこ)()はうとして起き上つた。床の上に座つて枕元の煙管(きせる)をとりあげた。引き寄せて見ると生憎(あいにく)、煙草盆の埋火(うずみび)が消えてゐたので、行燈(あんどん)の方へ(ひざ)を向けた――自然、まつすぐに離れ家の方を彼は向いてしまつたのである。――

(しまつた!)

 彼は喉元で自分を(しか)つた。宗右衛門にとつては最早(もは)此頃(このごろ)の二人の娘は妄鬼であつた。離れ家はまさしく妄者の棲家(すみか)であつた。またしても、お小夜とお里と、それに時たまの例となつて、死んだお辻さへ異形のなかの一例となつて宗右衛門の眼前をぐる/\とめぐつた。

 宗右衛門は煙草(たばこ)を置いて、夏のはじめ泰松寺の老師から伝授されたうろ覚えの懺悔文(さんげもん)をあわてゝ中音に唱へ始めた。

我昔所造諸悪業  皆由無始貪瞋痴

従身語意之所生  一切我今皆懺悔

 この口唱が一しきり済んで、娘達のまぼろしの一めぐりしたあとへ、屋敷内のありとあらゆる倉々の(おもかげ)が彼の眼の前で(おど)り始めた。黒塗りに光る醤油(しょうゆ)倉、腰板鎧(こしいたよろい)味噌(みそ)倉、そのほか厳丈(がんじょう)な石作りの米倉、豆倉。

 彼は、今度は少し大きな声で経を()し続けた。だが、まばたき一つで、また娘達のまぼろしがかへつて来た。

 読経(どきょう)の声が、ずつと高くなると娘達の姿はかき消えて、今度は店の番頭小僧、はした達のまぼろしがぞろ/\眼の前をとほり始めた。

 (まぶた)べつかつこうした小僧もあり、平身低頭の老番頭、そのかげから、昔、かけ先きの間違ひで無体(むたい)に解雇した中年の男のうらめしさうな顔も出る。

 宗右衛門はふら/\と起き上ると、あやふくのめりさうになつた。が、(かろ)うじて足を踏みしめて再び蒲団(ふとん)の上にかしこまつた。そしてすつかり正式の読経の姿勢になつた。前の懺悔文を立てつゞけに誦し続けた。

 宗右衛門は夏の始めから、泰松寺の仏弟子となつてゐた。お辻が死んで一ヶ月程たつてからである。或日(あるひ)宗右衛門は生来の我慢を折つて、泰松寺の老師の膝下にひざまづいたのであつた。彼は突然、信仰心を起したといふわけではなかつた。彼が寂しさ苦しさのあまり、自分を救ふ何等(なんら)かの手段を、衆生済度(しゅじょうさいど)僧たる老師が持ち合せるであらうといふ一面功利的な思ひつきからでもあつた。その時、老師は、梅雨の晴れ上つた午後の日ざしがあかるくさした障子(しょうじ)をうしろに端座してゐた。中庭には芍薬(しゃくやく)が見事に咲き盛つてゐた。宗右衛門はお辻の葬式以来、ます/\老師のにび色姿が尊く思へた。今日は一層、その念を深めた。が、直ぐさま自分の心持ちも言ひ出せなかつた。老師は宗右衛門の娘達の不幸を()づ頭に思ひ浮べた。次に彼の妻お辻の死を思つた。

「まあ、あなたの心は、大抵、わしにも判る。時々来て見なされ」

 老師は、にこやかに言つて小僧に茶を運ばせた。

 それ以来、宗右衛門の泰松寺通ひの(うわさ)が添田家の内外に高くなつた。宗右衛門は商売も追々番頭にまかせ勝ちになつて行つた。

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