26話 生々流転(26)
読み方を変える
さて、夫婦乞食は雪の中を店先や行人から一銭ずつ貰い集めて、夕近い頃、さすがに寒さに堪え兼ねてか、ふだん馴染で彼等に目をかける壺焼芋屋の軒先に入り、火の燠を貰っていつものように暖ろうとしました。壺焼芋屋の隣はおでん屋です。縄暖簾を掻き分けて一人の酔漢がよろめき出ながら、眼に当った夫婦乞食の女の方に向って揶揄いかけます。
「おめいみたいな貞女が女房になるなら、おいらも乞食になるぜ、なあ、おい、およごれの別嬪さん、様子のいゝの」
このときの男乞食の周章て方はありませんでした。矢庭に女乞食をしょぴいて一目散に遁げ出しました。そして酔漢が追い付けない距離まで遠のきますと、そこで男乞食は口惜しい声で仕返すのでした。
「奪れるものなら、奪ってみろ。わたいのおかみさんだい。莫迦、酔っぱらい。やーい、ざまあみろ」
男乞食は相手に聞えなくなる距離へ来ても相手が見えなくなっても尚、言い続けるのでした。それで、道行く人は自分に喰ってかゝられているのかと妙な顔をして振り返ります。男乞食がこういきり立つ傍で女乞食はどうしているのかと見ますと、たゞ普通に無表情で、牡鶏に護られるのが当然として蹴合いの傍でも余念なく餌を啄んでいる牝鶏のような澄ました態度を見せております。
わたくしも寒さに急き立てられ、夫婦乞食より一足先に郭を出て、藍染橋を渡り、棲家の地蔵堂へ帰りました。
牽かれるほどとは思わない眼の相手ではありますが、さりとて外所々々しくも見過せぬ乞食夫婦の存在でございます。わたくしは町への出入りに二人の姿を見かけると、知らず/\和やかな眼ざしを差向け、少しの距離を置いて同じ方向に歩み進んで行くのでございました。
はじめはわたくしを渡り鳥の新参者と、ただ見下げる態度だけでいた女乞食が日を経るに従ってだん/\険悪な相を現して参りました。女乞食は痩せた両肩をぐい/\と上げ下げし、唇を片頬へ釣り寄せて、わたくしを小莫迦にした表情を見せたのが最初でした。それからは、わたくしの姿を見るや必ず額越しに据えた眼でじーっとわたくしを睨みつけ、口角から牙のように、犬歯を露き出して見せるのです。彼女は遂々そうせずにはいられない彼女の意趣を次の言葉で表白しました。
「あっちへ行け。唖気狂い。あたいの旦那を狙うと承知しないよ」
拳を振上げて脅す真似をしたり、果ては石を拾って投げたりいたします。彼女は嫉妬しているのです。このとき、廃石のように感じられていた乞食女のこち/\した身体から優にやさしい体気がほのめくように感じます。わたくしは久し振りに匂い入りの湯にでも浸ったような寛ぎを覚え、鼻から息を吸って口からゆるやかにふ――っとそれを吐き出すのでした。土に匍ってばかりいて、しばらく人間から離れている身は、こんな粗野な理不尽な感情の発露からも情慾の暖味を吸収するほど人愛の餓で、感管が敏感になっているのでございましょうか。わたくしは、ならば女乞食の背でも撫でゝ弁疏してやり度い気になります。しかしこんなことに係り合うのも疲れの因縁を呼ぶ種子と思い返したばかりでなく、人蝟りもうるさいし、石が危なくて仕方ありません。結局わたくしは夫婦乞食には、出会わないよう心掛けるようになって参りました。
夫婦乞食は藍染橋の下に住み、郭は夜明けの午前十一時頃まで寝ていて、それからのこ/\起き出し、郭へ物乞いに出かけます。わたくしはそれを知っているものですから、寝ているうちなら仔細あるまいと、朝のうちに藍染橋の橋板の霜を板草履で踏んで渡るのでした。橋にはわたくしのあと先に車や人も渡ります。だのに、いつか女乞食はわたくしの足音を雑音の中から聞分けるようになり、橋詰の土手へ躍り出て、狂乱の態で石を投げるのでした。わたくしは自分では悉く乞食の足取りになったつもりでいるものゝ、やはりどこかに素人の足取りの調子が残っていて、乞食ともつかず素人ともつかない異様な板草履の音をば、カンのよい白痴の、まして輪をかけてカンの鋭い女乞食のうす眠りの耳に、三度に一度は容易く聴分けられるのでございましょう。わたくしはうるさくなって、もう一つ北の方に在る土橋へ廻って町へ通うようになりました。
土橋近くの川の流れに木材の筏を浸し、軒先にも木材や竹材を立てかけた小さな店構えの材木店があります。わたくしは土橋を渡ってその店の前を行き過ぎようとすると、橋詰からは斜に当る材木店の勝手口から顔を出して川を眺めていたご新造さんが「ちょいと/\」と手招きして呼んで呉れました。わたくしは、
「あーあー」
と言って呼ばれて行きます。
ご新造さんは一たん引込んでまた出て来た手には宴会の折詰のまだ紐で縛ったまゝのを持っていました。鯛の尻尾が蓋の外にぴんと跳ね出しています。
「こんなもの、たまにあたしの鼻薬に持って帰って、宛がうなんて、うちの人もあんまりすることが見え過ぎているじゃないかねえ――」
ご新造さんは溜息をつきます。
「と言ったっておまえさんにゃ聞えも判りもしやしないだろうけれど――さあ、これをおまえさんにあげますよ。持ってってお食べよ」
わたくしは、その折を受取って、栗のきんとんがどっしり入っているらしい折の重味が掌に堪えますと、われ知らず不覚にもにーっと熱いものが胸に滲み出ます。歿くなったわたくしの父が宴会へ行った帰りには無愛想な顔をしながらもきんとんの折を忘れずにわたくしに持って来て呉れたのをつい思い出しましたので。
わたくしは、気持を紛らすため、また唖言葉を吐きます。
「あーあー」
ご新造さんは、自分のためやら、わたくしのためやら判らない溜息を再び深くついたのみか、袖口で眼がしらをちょっと押えさえしまして、
「こうやって傍でみると、まだお前さん、娘のようだね。眼鼻立ちだって、万更、不揃いでもないのに、どうして、こんな不仕合せな片輪者に生れついたのかねえ――と言ったところで聞えもしまいが」
「あーあー」
「酷いことを言うようだが、あたしゃおまえさんを見かけてから、これで、いくらか世の中が諦め易くなったのだよ。世の中にはこれほど不仕合せに運り合せた女の子もいるのだ。そう思えばあたしなんかまだ/\贅沢な慾を出してる部かも知れないとね。――どうもじれったいね、おまえさん全く判らないのかよ」
「あーあー」
もう、ご新造さんは話すのを諦めたらしく布施ものゝ追加に鼻紙を一帖持って来て、「女は紙を断やしたら不自由だから」とわたくしの萎びた袖へ入れて呉れました。それから今度は、手つきの会話で、かしげた首に手枕をして臥し眠る形をしたのは、今日の夜が来たその意味。瞑った眼をぱっちり開けて顔を洗う真似をしてみせるのは一夜あけて明日の朝が来たその意味。それから現在わたくしが立っている台所口の土を指して、
「また、こゝへお出で、よね。いゝかい、判ったかい」
わたくしは諒承した旨を覚らせるべく笑顔を作って「あー あー」と言いました。
わたくしは地蔵堂へ帰り、折詰を開けて見ると、栗と思ったのは隠元豆のきんとんだったのでやゝ拍子外れしましたが田舎の料理屋のものならさもそうずと諾いてそれを食べながら、自分が前身の五感具足な娘のまゝを世にさらしてるときは思わぬ曲った影響を人々に与え、こうして不具者の唖を真似していると材木屋のご新造さんのように人は却ってそれを慰めに息づいている不思議な現象を、たゞ妙なことだと思いながら、一夜を明しまして、翌日同じ時刻に材木店の勝手口に立ちました。
するとご新造さんは待受けてたように勝手の障子を開けて、
「おう/\よく忘れずにね」と言って、わたくしを敷居に腰かけさせ、待たしている間に台所で握飯を握り、野菜の煮ものと一緒に竹の皮に包んで呉れました。
ご新造さんはきょうは何にも言わないで、これだけの恵みでわたくしを悦ばせて帰そうと思っていたらしいのですが、わたくしが感謝の気持を現すために例の唖言葉の、
「あー あー」
を言ってお叩頭をしますと、もう堪らなくなったらしく、
「もう/\そんなにお礼を言わなくてもいゝのだよ。あたしこそおまえさんに諦めを教えて貰ってるんだから――」と愍みに堪えないように言いました。
「けど、諦めと言っても、やっぱり諦めというものは無理慥えのところがあるね」
ご新造は感慨深く溜息をしたのち、わたくしに明日の日をまた約束して呉れました。
翌日行くと、食ものゝ外に、
「いよ/\冬だよ。おまえさんもその服装では」
といって、久留米の紺絣を持出してわたくしに呉れました。
「姉の遺身のものだがね。あたしより何だかおまえさんに着て貰った方が――」
と言いました。
わたくしは地蔵堂へ帰り、その紺絣の着物を拡げてみながら考えるともなく考えます。あの女がわたくしを不運の手本にして諦めようとしながら、なか/\諦め切れない彼女の不幸というのはどういうことであろうか。相当な不幸に違いない。わたくしも諸行無常に疲れて、回避の半年ほども謎に住するうち、おかしなことに諸行無常が少しは恋しくなって来ました。胃酸過多の人間も老境に入ると自然と胃液の分泌が減るにつれ進んで酢の気を好もしくなると言います。わたくしは老いたとは思わず、まだ愁いには毒とは知りつつ、その酢の気に慕い寄る気持が出て来ました。
その夜は木枯しの風が野を吹き晒らして寒月が高く天に照り凍っておりました。たんとはいけない。ひと雫、ふた雫ほどの諸行無常は現在やゝ乾き気味になった心の謎の境涯を持ち続けるためにも湿し薬になるかも知れない。わたくしは、材木店のご新造の身の上の不幸な事情をいくらかでも窺い知りたくて土橋の方へ向いました。
伝馬船なら漸く二艘だけすり違えられる枝川であります。川は冬涸れて、ところ/″\に蘆荻を腐らした泥洲の影を刀身の錆に見せながら、残りの水は月光そのまゝの色を射返して、田畑の中をほとんど一本筋に南から北へ貫いております。もとこの枝川は染物を晒したばかりでなく北に当る東京から南の多那川への曳船の河筋にも使ったので、両側の堤は、平に踏み慣らされ、満潮にやっと溢れを防ぐだけの高さで川に沿うております。それゆえ、川に架け渡した小橋は洪水のときを慮って橋礎から別誂えに高く築いたその上にも水の届かないよう高く聳えさして架け渡してあるので、そこだけ海亀の背でも蟠っているかのように平野の景色の中に眼立ちます。橋には、多那川から水を引いて来る川上に当って夫婦乞食の住む藍染橋が一つ。それよりは川下に当る材木店前の土橋が一つ。あとは用の都度架けたり外したりする板橋だけに眼に止まりません。
極月の月光は曖昧の朧気を潔癖性のように排斥するので、天地は真空ほどにも浄まっています。けれどもこの辺の田野の名物である榛の木立が畦道の碁盤目や綾菱形の上に立ち並び、その梢には乾びた実が房になって懸かり、吹きすさぶ夜風に絶えず鳴るのでその音からしてだけでも、微塵の玉屑が空に立ち昇るように感じられるそのためにか月下の世界は白檀の燻気ほどにはほのかな色に染められているように思われます。
まわりを見廻しますと、木枯の中に誰一人いず、地平線を取巻いて多那川の遠堤から榛の木の影の海の中に村落のやゝ黝んだのが混ってぐるりと見渡せます。北の方の空にだけ都会の灯のオーロラが眺められます。この夜景の中に藍染橋と土橋の袂へ二口の片側町の口がつき、それが町中へ入るに従ってだん/\家数の影は濃くなり、町家の群から抽んでて聳え立つ西隅の遊郭は煌々した灯を鏤めて怪物の棲む城のようです。
わたくしは眺めのおもしろさに暫くあたりを徘徊したのち、どうやら土橋に近づきました。材木店の勝手口や窓の灯も真近かに見えた途端に、わたくしは身を橋の勾配の蔭に伏せました。橋の向うの袂の堤の上に女一人の姿を見当てましたので。
堤の道は中天に差しかゝった月の光りを受けて、砥石の面のように滑かに照り返しております。細身の若い女は殆ど足音もなくその面の上を行きつ戻りつしております。片手に抱えている女の衣裳らしいものをとき/″\月に翳しては見あらため、くしゃ/\と揉み畳んで元のように手に抱え、また首を垂れて同じ路面を行きつ戻りついたします。歩調のせいでしょうか、それとも浴びる光の加減でしょうか、その身体の揺らぐ度に女の影は一重に見えたり二重に見えたりします。一重のときは単弁の花が咲いているように寂しく便り無く、二重になるときは重弁の花が弁の形ちを少しずつずらして咲いているように乱れごころを誘います。
そう見えるのは立ちかけて来た河霧のためでしょうか、風も止み加減になり、気温も急に暖かくなりました。わたくしは見咎められまいと橋の勾配の蔭に身を伏せたときから、女は材木店のご新造とは承知しましたが、女に何か嘆きの美しい姿があるまゝに、材木店のご新造さんとして眺めるより月下の嘆きの女としてもう暫らく眺めたく、そこですぐには現れ出ないで、窃眇とした夜気の中にその姿を覗いていました。考えて見れば美しさというものにも、製菓会社のビスケット包装室で働いた時以来しばらくお訣れでした。
月光に弄ばれ河霧に揺られて細身の若い女の身体は、白紗を敷いたような堤の上を行きつ戻りついたします。影を一重にしたり、二重ににじませたりして。その姿の幽婉な揺れ方は、白燃の火焔だけを薪から離して水の上に放ったようでもございます。
ゆらめきの中からすゝり泣の声が聞えて来ました。女はとき/″\立止って衣裳を拡げて見ます。月光に大柄な模様がきらめきます。
わたくしは時分はよしと思って伸び上り、「あー あー」と言いました。
ご新造はびっくりしたようですが、すぐわたくしと認めて、ちょっとわが家の障子の灯を見返り、それから、なつかしそうにわたくしの方へ歩いて来ました。
風はすっかり止み、あたりには霧が立ち籠めてしまって、遊郭の灯りなどは海を距てた山上の竜灯のように潤んでいます。二人は材木店からは見透かされない橋の蔭の堤の道へ下り、そこの捨石に腰かけて肩を並べました。ご新造さんはまず、
「おまえさん、寒くはないのかい」
と、そういって、わたくしの着物を撫で、襟を捻ってきょう日中与えられた紺絣を下にわたくしがちゃんと着込んでるのを見て、
「そう/\お利巧/\」
とほゝ笑みました。
わたくしは、手付仕方でご新造さんが堤上を行きつ戻りつしたそのわけ、衣裳を拡げて検めたり、すゝり泣きをしたわけを訊ねました。
「あー あー」
するとご新造は苦笑して、張合のない手を振りましたが、わたくしが更にねつく訊ね進むのに動かされ、
「おまえさん、耳の方はいくらか通じるのかい。――よし聞えないにしろ、お互に女同志のことだから、親身の話なら何かしら通じないこともあるまい。とにかく話してみるから」
と言って、唖のつもりでいるわたくしに向って次のように語りました。
一年ほど前、この材木店の先妻は歿くなりました。歿くなった先妻はご新造の姉でありました。主人とご新造さんの姉とは永らく恋仲であった後結婚したのでした。ご新造さんの姉はこゝの主人と結婚後三年足らずの月日を過した一年ほど前、肺病で歿くなったのでした。そのとき姉は妹に遺言して、自分のあとに直って主人の妻となり、添い果てなかった自分のあとを代って添い遂げて貰いたいと望んだのでした。折角の旦那を赤の他人の女に添わせるよりはと。
ご新造さんは姉の遺言通り主人と結婚しました。妹は主人を憎からず思っております。妹は心が冷静なときは自分に強いて冷たくするわけでもないと判っているのでした。しかし何かのひょうしで主人が歿き姉のおもい出から脱けてないと知った場合は嫉妬と落胆とで心は散々に掻き乱されるのでした。
「主人は頼むんだよ、自分もおまえの姉の思い出を捨てるから、おまえも自分というものを捨てゝ、すっかり姉の気持になり代って呉れ」
歿き人の思い出を捨てるのも骨が折れるだろうが、自分を捨てゝ姉の気持になり代ることは一層むずかしい骨折だとご新造は言います。ご新造さんは姉の霊に祈るようになりました。どうか自分を姉さんそっくりのものにして呉れと。また妹は姉の気質から身振り言葉つきまで真似ようと務めました。その甲斐があって主人はとき/″\自分の上に姉の面影を見るようになったと言います。そこで自分は一たん歓びます。だが、それが女として何の手柄になることでしょう。自分の心の手堪えになることでしょう。主人の愛は矢張り姉に対する愛で、妹の自分に対するのではないではありませんか。さればと言って、妹は自分の力だけで主人の愛を自分に向けて新らしく催し出さす見込はありません。
妹の心は乱れながら、その乱れを主人に隠しています。主人はこの頃はかなり妹に対して姉に向っていたと同じ気持になれて来たと言って、姉の遺身として大事に取って置いた持ちものをぽつ/\妹に取出して譲って呉れるようになりました。妹は、表面はとにかく、内実の乱れ心に於て、どうして姉の着物を肌身につけることが出来ましょうか。「おまえさんにやった紺絣もそういう意味からやったのだった」と、ご新造さんは言いました。
今夜はまたます/\姉に肖て来たと主人に褒められて妹のご新造はこの姉の晴着の遺身を貰ったのでした。
「しかし、この晴着もおまえさんにあげます。あたしゃ、主人がそうなって来るほど自分というものはどこかへ追い寄せられる口惜い切なさは、どうしていゝか判らなくなるんだよ」
わたくしは、この悩みの女に向って、こういう一言を思い付きました。
「自分が姉になるのが嫌いだったら、姉をこそ、自分に生れ更らしたら、どう」
だがわたくしは遂に唖を護り通しました。今のところそんな小癪な言葉は、たとえ思いつけても、口から出ません。ただ俯向いていますとご新造はわたくしの手を取って言いました。
「あら、おまえさん泣いているのね。物狂も思う筋目のありと申すてことが謡の文句にあるが、――それでは、ちっとわたしの言ったこともおまえさんの胸に響いたのかえ」
もしわたくしがこゝで「あー あー」と返事してしまえば、物事は応け答えに纏ってご新造さんの気は済みもしましょうが、わたくしの求める諸行無常にはなりません。わたくしは心を鬼にして「ううん」と言いました。
これを聴き「やれ/\是非もない」とご新造さんの果敢なく力を落した姿かたちは美しくありました。それが如何にわたくしの乾いた謎のこゝろに潤い深く浸み込んだことでしょう。わたくしは無感覚を装うて、ふらりと立去りました。美しい不如意の恨を尚も二人の女の間にこの末永く残そうために――