35話 第四段 コックリの原因を論ず 第三五節
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その他、人の年齢をコックリに向かって問うにその答えあるは、これを問う人あらかじめその年齢を知るをもって、不覚筋動を生ずるに至るなり。しかるに、明らかにその年齢を知らざるもの、コックリにたずねてこれを知ることあるはいかんというに、これまた不覚筋動によるものなり。けだし、不覚筋動は必ずしもその明らかに知るところのものより生ずるにあらず、その想像するところ、その推察するところのものより生ずることまた多し。例えば、明らかにある人の年齢を知らざるも、その人の外貌、挙動について多少その年齢を察知することを得るをもって、その察知せしところのもの、自然に筋動を生ずるに至るなり。しかして、そのこれを察知するも連想力によりて自然に起こり、その筋動を生ずるもまたこの力によりて自然に起こり、さらにこれを識覚することなし。店に幾名の人あるを知らずして、コックリにたずねてその実を得、戸外に子供幾人あるを知らずして、コックリに問うてその数を知るがごときは、全く想像、推察によるものなり。すなわち、その心に自然に想像、推察するもの、知らず識らず筋動を生ずるに至るなり。しかして、その想像は経験連想の力によりて自然に生ずるをもって、必ずしも意力を用いてこれを想起するにあらず、また推理によりてこれを論定するにあらず、ただ自然の勢い、知らず識らずその想を現ずるなり。例えば、われわれが故人の名を思えば、その容貌自然にわれわれの想像中に現ずるがごとし。また、たとい一面識なき人も、その名を聞けば、おのずからその容貌を想出するがごとし。
これをもって、明らかに知らざることも、コックリに問うて知ることを得るに至るなり。その他、コックリの回転するに当たり、獣類中天狗の来たるときはその力最も強く、弱小なる獣類の来たるときはその力また弱しというがごときも、連想の規則によりてしかるなり。すなわち、われわれが天狗について、その力の強きを知るときは、天狗と強力との間に思想の連合するありて、天狗の来たると思えば自ら強き力をこれに与うるをもって、コックリもこれに伴ってまた強き回転を示すに至るべし。これに反して、弱き獣類の来たると思えば弱き力を与うるをもって、弱き回転を見るに至るなり。これみな、連想より生ずる不覚作用といわざるべからず。