1話 霊魂不滅論 第一回 発端
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近年、西洋学の流行に伴って、近眼の者がにわかに多くなりしは、なにびともよく承知していることなるが、肉眼ばかりの近眼でなくて、心眼までが近眼になりたるは、実に驚き入りたる次第であります。その一例は、世間の霊魂論について分かりましょう。まず、世間にて少々物知り顔を装っている連中は、十人中九人まで、霊魂は肉体とともに滅し、死後の世界は決してあるべからず、天堂地獄の説は妄談である、六道輪廻などは嘘八百を並べたるものである、釈迦は嘘つきの隊長、ヤソも詐偽師の親方のように言い触らし、人間は一生五十年の間さえ都合よくごまかせば、それにて足れり、宗教などは野蛮未開の遺物、愚夫愚婦の玩弄物にほかならず等と申しています。これは全く当人の心が近眼病にかかりて、死後までを見る力を失っているからであると考えます。もっとも、その連中の仲間には俗物もあり学者もありて、俗物の方は元手なしの議論であるから、かれこれ弁駁するまではあらざれども、学者の方はいやに屁理屈を並べ立て、もっともそうに見せかけるから、そのままに捨て置くことはできませぬ。しかし学者は、霊魂はない、未来はないというまでにて、己の道徳、品行を乱すようなる恐れはあらざれども、俗物の方は、死後の世界も賞罰もないのを幸いとして、人間は政府の法律に触れなければ、道徳や品行などはどうでもよいと心得ているから、これまた捨て置くわけに参りませぬ。そうしてみると、学者も俗物も、ともに一征伐せなければなりませぬ。されば、これより拙者は、俗論退治の大団扇を心の土蔵中より取り出して、これらの蒼蠅を一掃してやりましょう。なんと、時節がら愉快のことではありませぬか。もし拙者の御伴するものがあるなら、吉備団子の一つくらいは差し上げてもよろしい。
かく拙者が近眼連中を征伐するのは、あえて仏教のために弁護の労をとるわけでもなく、ヤソ教のために応援する次第でもなく、儒教のためでも神道のためでもなく、ただ拙者は、この問題たるや、国民の道徳、社会の風教に関するすこぶる重大の事件にして、国家の独立興廃にも影響する一大事なれば、決して軽々しくみすごすべからざることと思い、真理のあるところはどこまでも推し究めて、世間の俗論輩と一大決戦を試み、刀折れ矢尽くるまで相争う決心であります。まず最初は俗物、無学の連中を相手として論じ、つぎに学者、理屈家を相手として論じましょう。今、これを論ずる前に、一応お断りをいたしておきたいことがあります。それは別儀にあらず、霊魂の不滅を論ずるには、死後の世界の有無も、地獄極楽の有無も、ともに論ぜざるを得ざれども、これただ現世の道理をもって推し測るよりほかなく、到底拙者のごとき人間なみの者が、その実況をまのあたり人に示すことはできるはずはありませぬ。たといその真情を実視したる神や仏にても、人間に対してその実際を説くことは、あたかも盲人に向かって色の講釈をすると同様なれば、これまた望み難いことである。そのわけは後に説明するつもりなれども、あらかじめ承知あらんことを願います。