11話 霊魂不滅論 第一一回 物質と精神とは判別し難きこと
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かくのごとくだんだん論じきたれば、物質そのものはなにものなるやを究むることが、かえって先決問題となります。よって、ここに物質問題を提出いたしましょう。これを決するに、記名投票でも無記名投票でも構いませぬから、なるべく日程を変更して早く議してもらいたい。これを議されては、定めて唯物論は困るに相違なけれども、霊魂論を立つるには、ぜひこれが先決問題であります。唯物論者は最初より、物質は正真確実のものにして、一点の疑いをいれざるように信仰していますけれども、拙者などの唯心的方面よりこれをみれば、物質は奇々怪々、不確不実のものと考えます。そのゆえは、唯物論者に物質のいかんを尋ぬれば、若干種の分子もしくは元素より成ると答うるも、その元素たるや奇々怪々、不確不実のものにして、そのなんたるやはだれも知らざるところなれば、その形はいかに微小なるも、大怪物であります。そのものたるや、有形なるか無形なるかも明らかに知れませぬ。これを仮に有形とすれば、それ以上の分析もできる道理にて、元素の元素があるはずなれども、元素の元素に至りては一層分からぬに相違ない。しかし、その体なお有形とすれば、さらに分析分割のできる道理である。なぜなれば、有形とは広延を有するゆえんにして、いやしくも広延あれば、分割のできる道理であります。かくして再三再四、分割の上にさらに分割して、無数回の終わり最小至微の極点に達し、また分析することあたわざるに至れば、広延なきものとなりましょう。しかして、広延なきものは物質とはいわれぬから、その体、非物質性となります。そのわけは、物質の特性は広延を有するにほかならざれば、すでに物質にして分析の極み、広延なきに至れば、非物質となるよりほかなきはもちろんであります。しかるに、精神は本来広延なきを特性とするものなれば、物質にして広延なきに達すれば、精神と相分かつことあたわざるに至ります。これを換言すれば、物質分析の極み、精神と同じく無形に帰し、物心の二者その別を見ざるに至り、物質不滅の規則は変じて、精神不滅の規則となります。
かく論じきたるときは、唯物論者は必ずこれに答えて、「物質はなにほど分析しても、決して無広延に達する道理はない」と申しましょう。さすれば、その点はしばらく預りおきて、他の点より論ずるも、同じ断案に達します。そもそも物質の物質たるゆえんは、色、声、香、味、触の五種の性質を具するによることは、唯物論者も否定することができますまい。しかして、この五種の性質は、目、耳、鼻、舌、身の五種の感覚より生ずることは、また決して疑われませぬ。例えば、ここに一幅の絵画ありとせんに、その絵画は墨朱等の絵の具彩色より成るものなれば、彩色を離れて絵画はないと同様であります。果たして物質は五種の感覚の上に現立するを知り、感覚を離れて物質なきを知るに至れば、物質そのものに広延なきことが分かりましょう。かくのごとくだんだん推し究むれば、物質と精神との区別も判然せざるようになります。
かように論じ詰めても、なお負け惜しみの強い唯物論者は、「物質は広延なきに達しても、精神とは大いに性質上の相違がある。なぜなれば、精神はただ無広延であるのみならず、意識、思想をその特性とするものである」と申しましょう。この点に達すれば、物質問題は一変して勢力問題となります。ここにおいて、拙者は勢力恒存の規則にもとづきて、さらに霊魂不滅を論じましょう。