迷信解

1話 迷信解 第一段 緒論

3,194字 約6分 2010年8月13日 公開

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『国定小学修身書』を案ずるに、尋常小学第四年級用第十五課に「迷信を避けよ」との一課あり、また、高等小学第二年級用第六課に「迷信」の一課ありて、その課の目的は迷信の避くべきことを知らしむるにありと書いてある。されば、学校における児童はいうに及ばず、家庭においてもよくこの心得を守りて、児童に迷信の信ずるに足らぬことをよく教え込んでおかねばならぬ。よって、余は多年このことを研究したりし(かど)をもって、『修身書』に示されたる迷信の箇条を詳細に解釈し、多くの人に分かりやすきように説き明かしておきたいと思う。

 尋常の『修身書』に出ておる、武士が瓢箪(ひょうたん)を切りたる話は、『珍奇物語』と題する書中に出ておる。また、祈祷(きとう)者が神酒(みき)徳利に(どじょう)をいれたる話は、『閑際筆記(かんさいひっき)』に見えておる。多分その当時、民間にて評判されし出来事であろう。また、高等の『修身書』に出でたる徳川家康が西方に向かって出陣せし話は、『草茅危言(そうぼうきげん)』に書いてある。藤井懶斎(ふじいらんさい)凶宅(きょうたく)に住せし話は『先哲叢談(せんてつそうだん)』にあるも、その源は『閑際筆記』より引用したるものである。いずれも迷信を人に諭すに、最も分かりやすく、かつ興味ある話である。

 尋常の『修身書』の注意のもとに、「迷信は地方によりて種々雑多にて、四国地方の犬神のごとき、出雲地方の人狐(にんこ)のごとき、信濃地方のオサキのごときは、特にその著しきものなり」とあるが、実にそのとおり、地方の異なるに従い、おのおの特殊の妖怪を持っておる。しかして、その弊害は最もはなはだしい。まず、四国の名物ともいうべきは犬神にして、出雲の名物は人狐であるが、その名は異なれども、その実は同じようなものじゃ。この人狐のことを、あるいは狐持(きつねも)ちとも申す。また、芸州(げいしゅう)辺りにてトウビョウというものがある。あるいはこれは蛇持ちともいう。石見(いわみ)にては土瓶(どがめ)とも申すということじゃ。備前(びぜん)備後(びんご)にては、猫神、猿神と名づくるものがあるそうだ。これらはみな類似のものに違いない。民間に伝われる書物に『人狐弁惑談(じんこべんわくだん)』と申すものがある。その中には、「雲州(うんしゅう)にて人狐のことを、あるいは山ミサキ、(やぶ)イタチまたは小イタチと呼ぶものあり。九州には河太郎(かわたろう)というものあり。四国には猿神というものあり。備前には犬神というものあり。また備前、備中(びっちゅう)には日御崎(ひのみさき)というものあり。備中、備後にトウビョウというものあり。いずれも人について人を悩ますことをいえり。その人をなやますというところを考うるに、その名異なりといえども、その実は一なり。人を悩ますといえども、いずれもその形見えざれば、人狐といえば人狐なり、河太郎といえば河太郎なり、猿神といえば猿神なり。犬神、日御崎、トウビョウもみなしかり」と説いてあるが、これみな、ある一種の精神病に与えたる名称に相違ない。信州、上州辺りの管狐(くだぎつね)、オサキもこれと同じことじゃ。『夜譚随録(やたんずいろく)』と申す書物には、「管狐は駿州(すんしゅう)、遠州、三州の北部に多く、関東にては上野(こうずけ)下野(しもつけ)に最も多し。上野の尾崎村のごときは、一村中この狐をかわざる家なし。ゆえに尾崎狐(おさきぎつね)ともいう。また武州にては大崎という」と記してある。そのくわしきことは後に述べようと思う。

 また、尋常の『修身書』の注意のもとに、左の八項を掲げてこれを諭すべしと書いてある。

(一)狐狸(こり)などの人をたぶらかし、または人につくということのなきこと。

(二)天狗(てんぐ)というもののなきこと。

(三)(たたり)ということのなきこと。

(四)怪しげなる加持祈祷(かじきとう)をなすものを信ぜぬこと。

(五)まじない、神水(じんずい)等の(しるし)の信頼すべからざること。

(六)卜筮(ぼくぜい)御鬮(みくじ)、人相、家相、鬼門、方位、九星(きゅうせい)墨色(すみいろ)等を信ぜぬこと。

(七)縁起、日がら等にかかわることのあしきこと。

(八)その他、すべてこれらに類するものを信ぜぬこと。

 つぎに高等の方には、本文中に、

 世には種々の迷信あり、幽霊ありといい、天狗ありといい、狐狸(こり)の人をたぶらかし、または人につくことありというがごとき、いずれも信ずるに足らず。また、怪しげなる加持祈祷をなし、卜筮、御鬮の判断をなすものあれども、たのむに足らず。およそ人は知識をみがき、道理を究め、これによりて事をなすべく、決して迷信に陥るべからず。疾病にかかりしとき、医薬によらずして加持祈祷、神水等に依頼するがごとき、難儀の起こりしとき、道理をわきまえずしてみだりに卜筮、御鬮等によるがごときは、いずれも極めて愚かなることというべし。

と説いてある。この道理を諭すにつきては、これらの迷信の由来、およびその原因、事情を説明することが必要であろうと思う。よって余は左の項目を設けて、学校および家庭における児童に、分かりやすく知れやすいように説明するつもりである。

第一、狐狸のこと 付人狐(にんこ)犬神(いぬがみ)のこと。

第二、狐惑(こわく)狐憑(きつねつ)きのこと。

第三、天狗のこと。

第四、幽霊および(たたり)のこと 付死霊(しりょう)生霊(いきりょう)のこと。

第五、加持祈祷のこと。

第六、マジナイ、神水(じんずい)および守り札のこと。

第七、卜筮(ぼくぜい)御鬮(みくじ)のこと。

第八、人相、家相および墨色(すみいろ)のこと。

第九、鬼門、方位のこと。

第十、日柄、縁起のこと。

第十一、怪火(かいか)、怪音および異物のこと。等

 右の説明を試むる前に、妖怪の種類に四とおりあることを述べねばならぬ。その第一は、人為的妖怪すなわち偽怪(ぎかい)にして、人の偽造したるものをいい、第二は、偶然的妖怪すなわち誤怪(ごかい)にして、偶然誤りて、妖怪にあらざるものを妖怪と認めたるものをいうのである。この二者は古今の妖怪談中に最も多く加わりおるに相違なきも、その実、妖怪にあらざるものなれば、これを合して虚怪(きょかい)と名づく。つぎに第三は、自然的妖怪すなわち仮怪(かかい)にして、妖怪はすなわち妖怪なるも、天地自然の道理によりて起こりたるものなれば、物理学あるいは心理学の道理に照らして説明し得るものである。すでに説明しおわれば、妖怪にあらざることが分かる。ゆえに、これを仮怪と名づく。これに物理的妖怪、心理的妖怪の二種がある。狐火(きつねび)のごときは物理的妖怪にして、幽霊のごときは心理的妖怪というべきものである。第四の妖怪は、天地自然の道理をもって説明し得べからざるものにして、真の不思議と称すべきものなれば、これを超理的妖怪すなわち真怪(しんかい)と名づく。この真怪は世間の人の妖怪とせざるものにして、学術上の研究によりてはじめて妖怪なることを知るものなれば、ここに迷信の一種として説明する必要はない。それはともあれ、この仮怪と真怪とは真実の妖怪とすることができるから、これを合して実怪(じっかい)と名づくる次第である。これらの名目が後にたびたび出でてくるゆえに、あらかじめその意味を弁解しておくは無用ではない。

 この四とおりの種類のうちにて偽怪、誤怪が最も多いから、この二種につきて今少しく述べておきたいと思う。偽怪には人の談話の癖として、虚言、大言を吐きて人の耳目を引かんとする風ありて、ために針よりも小なることが、相伝えて棒のごとく大きくなり、あるいは一犬虚を()えて万犬実を伝うるに至る場合は、決して珍しからぬことである。あるいは政略、方便より妖怪を作ることも起こる。例えば、英雄もしくは高僧の出生には、必ず霊夢の感応等ありと伝うるがごときはその一例である。また、利欲心より愚民を瞞着(まんちゃく)して、金銭を得んとて偽造せることもたくさんある。またはなんらの利益なきも、一種の好奇心もしくは悪戯より妖怪を製造する人もある。これらはみな偽怪の原因と見てよろしい。誤怪に至りては偶然の出来事より起こりて、明らかにその原因、事情を究めたださざるために妖怪となるのであるが、この方は仮怪と判然分かつことの難い場合もある。ただ、大体の上につきて二者の区別を立てておく。世間にて卜筮、人相等の事実と合する場合のあるがごときは、もとより偶然の暗合というべきものなれば、余はこれを誤怪の一種に加うるつもりである。その他は、これより述ぶるところの各段のもとにおいて弁明しようと思う。

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