富士

4話 富士(4)

7,852字 約16分 1999年10月14日 公開

読み方を変える
字の大きさ
行の間隔
1行の長さ
書体
配色
組み方

 その山は全山が森林で掩われて鬱蒼としていた。麓の方は(かし)の林であり、中腹へかかるとそれが(もみ)の林に代る。頂に近いところは山毛欅(ぶな)となった。山の祖神(おやのかみ)の翁はまだ山に近付かないさきから山の林種はこれ等で装われていることを、()()ゆる山緑の色調で見て取った。この様子の山なら草木の種類はまだ他にたくさん宿っている筈だ。

「豊な山だな」

 翁は手を翳してほほ笑んだ。

 山の頂は二つに岐れていた。尋常な円錐形の峯に対し、やや繊細(かぼそ)く鋭い峯が配置よく並び立っている。この方は背丈けは他より抽んでているが翁には女性的に感じられる。翁はこの山には人身の岳神が住み守ると聞いたが、それにしたら、その岳神は結婚していて、恐らくその妻は良人より年長のいわゆる姉女房であるであろうと山占いをした。

 東国の北部の平野は広かった。茅草(ちがや)・尾花の布き(なび)く草の海の上に、(なら)(はり)の雑木林が長濤のようにうち冠さっていた。榛の木は房玉のような青い実をつけかけ、風が吹くと触れ合ってかすかな音を立てた。丸く見渡せる晴れ空をしら雲が一日じゅうゆるく(わた)って過ぎた。

 その山は北の方から南へ向けて走る大きな山脈の、脈端には違いないのだが、繋がる脈絡の山系はあまりに低いので、広い野に突禿(とつとく)として(もた)げ出された独立の山塊にしか見えない。母体の山脈は、あとに退き、うすれ日に透け、またはむれ雲の間から薔薇色に山襞(やまひだ)を刻んで展望図の背景を護っていた。

 平野のどこからも眺められるその山は、朝は藍に、昼はよもぎ色に、夕は紫に色を変えた。山の祖神の翁は、夕の紫の山をいちばん愛した。

 翁が、草の(しとね)に座って、しずかにその暮山を眺めやるとき、山のむらさきから、事実、ほのかで甘く、人に懐き寄る菫の花の匂いを翁の嗅覚は感じた。

 翁は眼を細めて

「山近し、山近し」

 と呟いた。

 その言葉は、翁が福慈神に近付くとき胸に叫んだと同じ言葉ではあるが、翁はただ呟いただけで山に急ぐこころは無かった。その山は急いで近寄らなければ様子が判らないというような山容ではなかった。離れて眺めているだけでも懐しみは通う山の姿、色合いだった。むしろ近付いたら却って興醒めのしそうな懸念もある遠見のよさそうな媚態(びたい)がこの山には少しあった。

 広野の中に刀禰(とね)の大河が流れていた。(こも)水葱(なぎ)に根を護られながら、昼は咲き夜は恋宿(こいする)という合歓(ねむ)の花の木が岸に並んで生えている。翁はこの茂みの下にしばらく憩って、疲れを癒やして行こうと思った。何に疲れたのか。もちろん旅の疲れもある。しかしもっと大きいのは娘に対する疲れであった。

 福慈岳で女神の娘と訣れてから旅の中にすでに半歳以上は過ぎた。訣れは憤りと呪いを置土産にいで立ったものの、渡海の夜船の雨泊中に娘の家の庭から拾って来た福慈岳の火山弾を取出してみて、それが涙痕の形をしており、魚の形をしており、また血の色をしているところから福慈岳神としての娘の苦労を察し、決意のほどもほぼ(うかが)えた。それにつれて一時それなりに()し去れたと思えた娘の主張が再び心情を襲うて来て、手脚の患い以上に翁を疲らすのであった。

 娘のいったことは自然の意志としたならあまりに生きて情熱に過ぎている。もちろん人間の考えだけであれだけの超越の霜は帯ばれない。娘はいのちということをいったがそれは自然と人間を合せて中から核心を取出したそのものをいうのであろうか。翁は今までの生涯に生きとし生けるものの逃れず考えることは生活と幸福と生死ということであると思っていた。そしてこれ等のことは人間が山に冥通する力を得て二つの山の岳神となり得たとき総ては解決されるとまた思っていた。山の生活、山の幸福、そこに何一つ充ち足らわぬものがあろうか。命終せんとして雲に化し(いわお)に化す。そこに生死を解脱(げだつ)して永世に存在を完うしようとする人間根本の欲望さえ遂げ得られるのではないか。

 それに引代え娘はいくたたびの生死を語り、その生死毎に苦悩と美への成長を語り、生活とも幸福ともいわない。()いてそれらしいものを娘の言葉の中から捕捉するなら娘がいったいくたたびか迎える辛くも新鮮な青春、かくて(つい)に老ゆることを知らずして苦しくも無限に華やぎ光るいのち。娘にしたらこれをこう生活とも幸福ともいうのだろうか。おう!

 山と人間を冥通するところの力に座して世に経るを岳神という。岳神も神には神である。だがこの程の生き方を望もうとも経られようとも思わぬ。

 それは人界の理想というものに似ている。現実に遠く距るほど理想である。しかもあの娘はその遠く距るものを現実に()け生かそうとするものではなかろうか。

 娘は祭の儀を説いて神の中なる神に相逢うといった。

 思えば思うほどひとり壁立万仭(ばんじん)の高さに挺身(ていしん)して行こうとする娘の健気(けなげ)な姿が空中でまぼろしと浮び、娘の足掻(あが)く裳からはうら哀しい(しずく)が翁の胸に(したた)って翁を苦しめた。

 取り付きようもない娘の心にせめて親子の肉情を繋ぎ置き度い非情手段から、翁は(のろ)いという逆手(ぎゃくて)で娘の感情に自分を烙印(らくいん)したのだったが、必要以上に娘を傷けねばよいが。

「どうしたらいいだろうなあ」

 山の祖神の翁は螺の如き腹と、えび蔓のように曲がった身体を岸の(くさむら)(もた)せて、ぼんやりしていた。道々も至るところで富士の嶺は望まれたが見れば眼が刺されるようなので顧ってみなかった。

 岸の叢の中には、それを着ものの(ひも)につけると物を忘れることができるという萱草(わすれぐさ)も生えていたが、翁はそれも摘まなかった。せめて悩んでいてやることが娘に対する理解の端くれになりそうに思えた。

 前には刀禰(とね)の大河が溶漾(ようよう)と流れていた。上つ瀬には桜皮(かにわ)の舟に(おがい)を操り、藻臥(もふじ)束鮒(つかふな)を漁ろうと、狭手(さで)網さしわたしている。下つ瀬には網代(あじろ)人が州の小屋に(こも)って網代に(すずき)のかかるのを待っている。

 翁はときどき、ひょんなところで、ひょんな憩い方をしていると、苦笑して悩みつつある一人ぼっちの自分を見出すのであったが、なかなか腰は上げ(にく)かった。

 東国のこのわたりの人は言葉や気は荒かったが、根は親切だった。餓えて憩っている老翁のために魚鳥の獲ものの剰ったのを持って来て呉れたり、菱の実や、黒慈姑(えぐ)を持って来て呉れたりした。雨露を凌ぐ(こも)の小屋さえ建てて呉れた。

 昼は咲き夜は恋宿(こいする)という合歓の木の花も散ってしまった。翁は寂しくなった。翁がこの木の下にしばし疲れを安めるために憩うたのは、一つは、葉の茂みの軟かさにもあるのだろうが一つは微紅(とき)色をした房花に、少女として自分の膝元に育て上げていた時分の福慈の女神の可憐な瞳の面かげを見出していたのではあるまいか。ぱっと開いてしかも煙れるような女神の少女時代の瞳を、翁は娘の成長に伴う親の悩みに悩まされるほど想い懐しまれて来るのだった。

 刀禰(とね)の流れは銀色を帯び、渡って来た、秋鳥も瀬の()に浮ぶようになった。筑波山の夕紫はあかあかとした落日に謫落(たくらく)の紅を増して来た。稲の花の匂いがする。

「山近し、山近し」

 山の祖神の翁は今は使い古るしになっているこの言葉を呟いた。そしてやおら立上った。その山は確に葉守(はもり)の神もいそしみ護る豊饒な山に違いない。そしてまた、そこに鎮まる岳神も、(かつ)て姉の福慈の女神と共に、東国へ思い捨てたわが末の息子が成長したものであろうという予感は沁々(しみじみ)とある。それでいてなお急ぐこころは湧き出でない。

 河口に湖のようになっている入江の秋水に影を(ひた)すその山の紫をもう一度眺め澄してから翁は山に近付いて行った。

 山(ふもと)の端山の千木(ちぎ)たかしる家へ山の祖神の翁は岳神を訪ねた。

 一年は過ぎたが不思議とその日は翁が福慈岳の女神を訪ねたと同じ頃で、この辺の新粟を嘗むる祭の日であった。岳神の家は幄舎(あくしゃ)に宛てられていた。神楽(かぐら)の音が聞えて来る。

 山の祖神の予感に違わず、この筑波の岳神は、自分の息子の末の弟だった。

 しかし息子は、父親の神の遥々の訪れをそれと知るや、直ちに翁を家の中へ導き入れ、紹介(ひきあわ)せたその妻もろとも下へも置かない歓待に取りかかった。そうしながら祭の儀も如才(じょさい)なく勤めた。

 その妻は翁の山占い通り、いささか良人より年長で良人の岳神を引廻し気味だった。彼女はいった。

「ふだん、どんなにか、お父上のことを二人して語り暮らしておりましたことでしょう。有難いことですわ。これで親孝行をさして頂けますわ」

 家の中のいちばんよい部屋を翁のために設けて呉れた。この山に()るものの肥えて豊なさまは部屋の中を見廻しただけでも翁にはすぐそれと知れた。

 黒木の柱、梁、また壁板の美事さ、結んでいる葛蔓の逞しさ、簀子(すのこ)の竹材の肉の厚さ、翁は見ただけでも目を悦ばした。敷ものの獣の皮の毛は厚く柔かだった。

 壁の一側に(しもとづくえ)を置き、皿や高坏(たかつき)に、果ものや、乾肉がくさぐさに盛れてある。一甕の酒も備えてある。

 狩の慰みにもと長押(なげし)に丸木弓と(やなぐい)が用意されてあった。

 息子の夫妻は朝夕の間候を怠らず、食事どきの食事はいつも饗宴のような手厚さであった。

 息子夫妻のそつの無い歓待振りはまことに十二分の親孝行に違いなかった。普通にいえばこれで満足すべきであろう。だが父の祖神の翁には物足りないものがあった。

 息子夫妻が父の祖神の翁に顔を合すとき、大体話は山の生産の模様、山民の生活の状況、それ等を(たば)ねて行く岳神としての支配の有様、そのようなものであった。それは誰が聴いても円満で見上げたものであった。山民間に起った面白そうな出来事を噂話のように喋っても呉れた。だが、それだけだった。

 親子関係を離れて誰に向っても話せる筋合いの事柄ばかりである。折角、親子がたまにめぐり合うのは、もっと心情に食い込んだ、親子でなければできないという気持の話はないものか。人知れない苦労というものが息子の岳神にはないのか、囁いて力付けて貰ったり、慰めて貰ったりしたい秘密性の話はないのか。

 気を付けてみるのに、息子の岳神のこの公的な円満性は、妻に対してでもそうであった。

 夫妻は(むつまじ)くて仲が良い。良人を引廻し気味に見える才女の姉女房も、良人を立てるところには立派に立てた。岳神の家としての事務の経営は少しの渋滞もなく夫妻共に呼吸は合っている。それでいて何となく夫妻の間に味がない、お人良しでしかも根がしっかり者の良人の岳神が少しにやにやしながら、

「働けそうな女なので、共稼ぎにはいいと思いましてね、この奥地の八溝(やみぞ)山の岳神の妹だったのを(もら)って来ましたのです。これでも求婚の競争者が相当ございましてね」

 という意味のようなことを話しかけると、妻は

「まあまあ、そんなお話、どうでもいいじゃございませんか」

「それよりかまだ山の中でおとうさまがお見残しのとこもございましょう。幸いよい天気でございますから、あなたご案内して差上げたら」

 と、とかくに事物の歓待の方へ気を利かして行くのであった。

 翁の方からは何もいい出せなかった。いい出せる義理合いではないと翁は思っていた。すでに東国へ思い捨てた子である。それが自力でかかる豊饒な山の岳神ともなっていて呉れてるのだから何もいうことはない。山の祖神としては、この分身によって自分にも豊かさという性格を附け加え得られ、眷属(けんぞく)の繁栄を眼に見ることである。感謝すべきだ。

 姉娘に対してはとかく恋々たる山の祖神の翁も弟の岳神に対してはどういうものかこの点は諦めがよかった。

 ただ一言この弟の岳神の口から聞かして貰い度いのは姉娘の福慈岳の女神の批評だった。翁はそれを聞いて、もし悪罵(あくば)の声でも放って呉れるなら不思議に牽かれる娘の女神への恋々の情を薄めてでも貰えるようにさえ感ずるのだった。

 翁はここに於てはじめて姉娘に就いての口を切った。

「来る道で、実は福慈岳へも寄ってみたよ」

 弟の岳神は顔の色も動かさず

「それは何よりでございました。姉さんもお歓びでございましたでしょう」

「ところが生憎(あいにく)と祭の日だったのでね。泊めて貰うこともできなかったよ」

 翁はこういって弟の岳神の顔を見た。弟は(うなず)いたが声はあっさりしていた。

「そりゃお気の毒なことでございました。あちらはこちらと違って諸事、厳しいところもございましょう」

 翁は(いらだ)つように訊いた。

「おまえ等は、福慈とは交際(つきあ)っていないのかい」

 すると弟の岳神は言訳らしく

「なにしろ自分の持山のことで忙しく、ついついご無沙汰をしております」

 そのとき岳神の妻が傍から、ちょっと口を入れた。

「前にはお姉さまのところへも、ときどき伺ってみましたのですが、ああいうお偉い方のことですから、すぐこっちに話の接穂(つぎほ)が無くなってしまう場合も多く、それにああいうご勉強家のことですから、お邪魔しましても、何かお妨げするような気もいたしますので、ついついご無沙汰勝ちになってしまったのでございますわ」

 それからちょっと間を置き、

「ずいぶん、普通の女の子とは変っていらっしゃいますわね」

 その言葉につれて良人の岳神も

「どういうものか、あの人の前へ出ると、威圧される気がするところから、つい心にもない肩肘の張り方をしてしまう。どうも姉弟ながらうち解けにくい」

 と(こぼ)した。

 山の祖神が息子夫妻から衷情を披瀝したらしい言葉を聴いたのは、この姉娘に対する非難めく口振りを通してだけだった。

 山の祖神はこれを聴くと、息子夫妻と一しょになって姉娘を非難したい気持なぞは微塵(みじん)もなくなった。腹の中で、「この平凡な若夫婦に、何であの福慈の女神のことなぞが判るものか」と想いながら、こういう言葉で姉娘に関る話は打切りにした。

「なに、あれで、なかなか女らしいところもあるんだよ」と。

 この山は人間が(なじ)み易い山だった。水無(みなの)川を越えて山腹にかけ山民の部落があった。石も多いがしかしそれに生え越して瑞々(みずみず)と茂った、赤松、(もみ)山毛欅(ぶな)の林間を抜けて峯と峯との間の鞍部に出られた。そこはのびのびとしていて展望も利いた。

 二つに分れている峯にはどちらにも登れた。岳神の息子夫妻の象徴のように一方は普通の峯かたちで、一方はいくらか繊細(きゃしゃ)で鋭く()けも高かった。山の祖神の老いの足でも登れた。

 東の国の平野が目の下に望まれた。その岸に寝た刀禰の川水がうねうねと白く光って通っている。河口の湖のような入江。それから外海の波が青く光っている。

 西北の方には山群が望まれて、翁の心を沸き立たした。も少し自分の齢が若かったらこどもをあれ等の岳神に送るのにと思わしめた。山郡のところどころに高い山が見えた。煙りを噴いてる山も望まれる。遠く福慈岳が翁の眼に悲しく附き(まと)う。

 奇妙な形をしたいろいろの巨きな岩、滝――女体の峯から戻って来る道には、そういう目の慰みになるものもあった。虫を捉えて食べるという苔、実の頭から四つの羽の(つと)が出ている寄生木(やどりぎ)の草、こういうものも翁には珍らしかった。

 息子の岳神は暇な暇な、父の祖神を山中に案内して見せて廻るうち、ある日、山ふところの日当りの小竹(ささ)原を通りかかり、そこに二坪近くの丸さに、小竹之葉(ささがは)が剥げ、赤土が()き出ているのを見付けると、息子の岳神は指して笑いながらいった。

「猪が仔猪をつれて来て相撲(すま)って遊ぶところです」

 赤土は何度か猪の(ひづめ)に蹴鋤かれたらしく、綿のように柔かに、ほかほか暖そうであった。

「なるほど、この辺は人里離れて、猪の遊ぶのに持って来いだ」

 翁はそういって、傍の保与(ほよ)(寄生木)のついている山松を見上げた。その日は何心なくそれで過ぎた。

 岳神の父親が滞在すると聞き付けて、配下の土民たちはところところの産物を父の祖神に差上げて呉れと持って来た。

 加波山で猟れた鹿らしく鹿島の猟で採れた(あわび)新治(にいばり)の野で猟れた、(しぎ)、那珂の川でとれたという、蜆貝(しじみがい)。中にははるばる西北の山奥でとれたのをまた貰いに貰って来たといって、牟射佐妣(むささび)という鳥だか、獣だか判らないものをお珍らしかろうと贈りに来た。老衰を防ぐにはこれが第一だといって武奈岐(むなき)を持って来て呉れるものもある。

 夜の奥の綾むしろは暖く、結燈台の油(つき)に油はなみなみとしている。

 翁は衣食住の幸福ということも考えないではいられなかった。

 それで常陸風土記(ひたちふどき)によると一応はこうも事祝(ことほ)いでやった、

「人民集賀、飲食富豊、代々無絶、日々弥栄、千秋万歳、遊楽不窮」と。

 しぐれ降る頃には、裳羽服(もはき)の津の上で少女男が往き集う歌垣が催された。

 男列も、女列も、青褶(あおひだ)の衣をつけ、紅の長紐を垂れて歌いつ舞った。歌の終り目毎に袖を挙げて振った。それは翁の心に僅かに残っている若やぐものに触れた。

 岳神の妻は、笑って冗談のようにして、

「この中に、もし、お気に入りの娘でも見当りましたら、お身のまわりのお世話に侍かせましょう」

 といって呉れた。

 しかし翁は寂しかった。

 ある日、土民の一人が(うり)わらべを拾って持って来て呉れた。それは猪の仔で、生れて六七月になる。筒形をしていて柔かい生毛の背筋に瓜のような竪縞が入っていた。それで瓜わらべと呼び慣わされていた。

「これはよいものを貰った。肉は親の猪より軟かでうまいものです」

 息子の岳神はそういって、父の祖神に食べさすように妻に命じた。

 翁は、ういういしく不器用な形の獣の仔を見ると、何か心の喘ぎが止まるような気がした。とても殺して食べさせて貰う気なぞ出なかった。

「ちょっと待って呉れ。これはそのままでわしが貰おう」

 翁は、瓜わらべを抱えて戸外へ出た。瓜わらべはくねくね可憐な鳴声を立てて鼻面を翁の胸にこすりつけた。翁は何となく涙ぐんだ。

 翁は螺の腹にえび蔓の背をした形で、瓜わらべを抱え、いつの間にか、いつぞや、息子の岳神に教えられた山ふところの猪の相撲場に来ていた。蹄で蹴鋤いた赤土はほかほかしている。

 山の祖神は、あたりを見廻した。見ているものは保与(ほよ)のついた山松ばかりだった。翁は相撲場の中へ入り瓜わらべを土の上へ抱き下した。

 螺の腹にえび蔓の背の形をした老翁と、筒形の瓜わらべとは、猫が(まり)を弄ぶように、また、老牛が狼に()まれるように、転びつ、倒れつ千態万状を尽して、戯れ狂った。初冬の風が吹いて満山の木が鳴った。翁は疲れ切って満足した。瓜わらべにちょっと頬ずりして土に置いた。瓜わらべの和毛(にこげ)から放つらしい松脂の匂いが翁の鼻に残った。

 翁はしばらく息を入れていた。瓜わらべは小竹の中へ逃げ込みそうなので片手で押えた。

 膝がしらがちくちく痛痒い。翁が検めみると獣の(だに)が五六ぴき(はかま)の上から取り付いていた。猪の相撲場の土には親猪が蝨を落して行ったのだった。

「こいつ」

 といって翁は、膝頭の蝨を、宝玉を拾うように大事に、一粒ずつ摘み取る。老いの残れる歯で噛み潰した。獣の血臭いにおいがして翁の唇の端から血の色がうっすりにじんだ。満山の風がまた亙る。

 翁にはもう何の心もなくなった。手を滑った瓜わらべは逃れて小竹の茂みに走り込んだ。代りに親猪の怒れる顔面を翁は保与(ほよ)のついた山松の根方に見出した。

 山の祖神の事である、山に棲めるほどのものを自由に操縦できないいわれはない。けれども、翁は、

「命終のとき」

 といって、従容とその親猪の牙にかけられて果てた。

 初夏五月の頃、富士の嶺の雪が溶け始めるのに人間の形に穴があく部分がある。「富士の人型」といって駿南、駿西の農民は、ここに田園の営みを初める印とする。その人型は螺の腹をしえび蔓の背をした山の祖神の翁の姿に、似ている。いやそれにやや獣の形を加えたようでもある。

 ここにまた筑波の山中に、涙明神という社がある。本体には富士の火山弾が祭ってある。

目次に戻る

目次