鳥影

43話 (九)の五

1,280字 約3分 2008年11月11日 公開

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 川底の石は滑かに、流は(はや)い。岸の智恵子が(には)かの驚きに女児(こども)らの泣騒ぐも構はずハラ/\してる(うち)に、吉野は危き足を踏しめて十二三間も夜川の瀬を追駆(おつか)けた。波がザブ/\と腰を洗つた。

 螢の光と星の影、処々に波頭の蒼白く翻へる間を、新坊はヅブ/\と流れて行く。

 グイと手を延ばすと、小い足が(つかま)つた。

『大丈夫!』と吉野は声高く呼んだ。

『捉りましたか?』と智恵子の声。

『捉つた!』

 吉野は、濡れに濡れて呼吸(いき)も絶えたらしい新坊の体を、無造作に抱擁(だきかか)へて川原に引返した。其処へ、騒ぎを聞いて通行(とほりすがり)農夫(ひやくしやう)が一人、提灯を携げて下りて来た。

『何したべ? 誰が死んだがナ?』

何有(なあに)、大丈夫!』

と、吉野は水から上つた。恰度(ちやうど)橋の下である。

『新坊さん、新坊さん!』と智恵子は慌てて小供に手を添へて、『まア真箇(ほんと)に! ()うしませう!』と(ふる)へてゐる。

『大丈夫ですよ。』

と吉野は落着いた声で言つて、小供の両足を持つて逆様に、小い体を手荒く二三度()ると、吐出(はきだ)した水が吉野の足に掛つた。

 女児等(こどもら)恐怖(おそれ)に口を(つぐ)んで、ブル/\顫へて立つてゐる。小いのはシク/\泣いてゐた。

『瀬が(はや)えだでなア! これやハア先生(どこ)小供(わらし)だナ。』

と、農夫(ひやくしやう)は提灯を(かざ)した。

 と、吉野は手早く新坊の濡れた着衣(きもの)を脱がせて、砂の上に仰向に()せた。そして、それに跨る様にして、徐々(そろそろ)と人工呼吸を遣り出す。

 可憐(いたいけ)な小い体を、提灯の火が薄く照らした。

 智恵子は、シツカリと吉野の脱ぎ捨てた下駄を持つた手を、胸の上に組んで、口の中で何か祈祷(いのり)をしながら、熱心に男のする(さま)を見てゐた。

 大きい螢が一匹、スイと小供の顔を掠めて飛んだ。

『畜生!』

 ()う言つて農夫(ひやくしやう)がそれを払つた。

『ワア――』

と、眠から覚めた様な鈍い泣声が新坊の口から洩れた。

『新坊さん!』と、智恵子は驚喜(よろこび)の声を揚げて、矢庭に砂の上の小供に抱着いた。

『生きた! 生きた!』と女児等(こどもら)も急に騒ぐ。

 新坊の泣き声も高くなつた。眼も()いた。

『死んだんぢやないんだよ、初めツから。』と、吉野もホツと安心した様な顔を上げて、笑ひながら女児等を見巡(みま)はした。

『ハア、大丈夫だ。』と農夫(ひやくしやう)も安心顔。

『何とハア、此処ア瀬が(はや)えだで、小供等(わらしやど)にや危ねえもんせえ。去年もハア……』と、暢気に喋り立てる。

『ワア――』と新坊はまだ泣く。

『その着物を絞つて下さい、日向(さん)、イヤ、それより(あつた)めてやらなくちや。』と、吉野は裾やら袖やら濡れた己が着物の帯を解いて、肌と肌、泣く児をピツタリと抱いて前を合せる。

『私抱きませう。』と智恵子。

『構ひません。冷くて気持が好いですよ。サ、モウ泣かなくて可い、好い()だ! 好い児だ!……イヤ、恁うしてるよりや(うち)へ帰つて寝かした方が好い。然う為ませう日向様! 此儘(このまんま)お送りしますから。温めなくちや、悪い!』

『そンだ、(その)(はう)が好うがンす。』と農夫(ひやくしやう)も口を添へる。

『済みません、貴方!』と、智恵子は心を籠めて言つて、『私がウツカリしてゐて(こんな)事になつて……。』

『然うぢやない、僕が悪いんです。僕が先に川に入つて見せたんだから!』

(いいえ)、私……夢見る様な気持になつてゐて、つい……。』

 その顔を、吉野はチラリと見た。

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