雨月物語 03 校注 雨月物語

1話 雨月物語 03 校注 雨月物語(1)

6,293字 約13分 2024年6月12日 公開

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校注 雨月物語

雨月物語序

一羅子撰水滸。而三世生唖児。二紫媛著源語。而一旦堕悪趣者。三蓋為業所耳。然而観其文。各奮奇態。四哢逼真。五低昂宛転。令読者心気六洞越也。可見鑑事実于千古焉。余適有七鼓腹之閑話。衝口吐出。八雉竜戦。九自以為杜撰。則一〇摘読之者。一一固当不謂信也。一二豈可求醜脣平鼻之報哉。一三明和戊子晩春。雨霽月朦朧之夜。窓下編成。一四以梓氏。題曰雨月物語。云。一五剪枝畸人書

一六 一七

羅子(らし)水滸(すいこ)(せん)して、三世唖児(あじ)()み、紫媛(しゑん)源語(げんご)(あらは)して、一旦悪趣に()つるは、(けだ)(ごふ)のために《せま》らるるところのみ。然り而して其の文を()るに、各々奇態(きたい)(ふる)ひ、(あんろう)(しん)(せま)り、低昂宛転(ていかうゑんてん)、読者の心気をして洞越(どうゑつ)たらしむるなり。事実を千古に(かんが)みらるべし。()(たまたま)鼓腹(こふく)の閑話あり、口を()きて吐き()だす。(きじ)《な》き竜戦ふ、(みづか)らおもへらく杜撰なりと。則ち之を摘読(てきどく)する者は、(もと)より(まさ)に信と謂はざるべきなり。(あに)醜脣平鼻(しうしんへいび)(むくい)を求むべけんや。明和(めいわ)戊子(ぼし)晩春、雨()れ月朦朧(もうろう)の夜、窓下(さうか)に編成し、以て梓氏(しし)に《あた》ふ。題して雨月物語(うげつものがたり)()ふと云ふ。剪枝畸人(せんしきじん)書す。

一 羅貫中。中国一三、四世紀の人。水滸伝を著わしたために子孫三代唖児が生まれたという俗説がある(西湖遊覧志余。続文献通考等)「羅氏が三代まで唖子をうみしなども云ふ」(秋山記・秋成)。

二 紫式部。源氏物語を著わしたために地獄におちたという俗説がある(今物語、宝物集等)。秋成も秋山記でそのことを書いている。

三 思うに悪業の為にこんな報いにせまられたというべきであろう。

四 鳥の黙したりさえずったりする声の形容。ここでは文章の調子、勢い。

五 文章の調子が或は低く或は高く、あたかもころがるようになめらかで流暢である。

六 つよく感銘する。

七 泰平の世を謳歌するようなのんきな無駄ばなし。鼓腹は、飽食して腹鼓をうち、泰平を楽しむ。

八 雉が鳴き竜が戦うような奇怪千万な怪奇談。

九 自分でもこれは杜撰であると思う。杜撰はよりどころなく疎漏なこと。

一〇 ひろい読む。

一一 もとよりこれが信ずるに足るものだというはずがない。

一二 どうして子孫に口唇裂や平たい鼻の変わり者が生まれるという業の報いをうけるはずがあろうか。

一三 明和五年(一七六八)三月。秋成三五歳。

一四 出版業者に与えた。版行にふした。

一五 上田秋成の戯号。秋成は五歳の折、重い痘を病み、その結果、右手の中指と左手の人さし指が短くなり、不自由になった。そのことから一時的につけた号である。枝は肢と同じで、指に通ず。剪枝は木をきるはさみの意味もある。畸人は変人、変わり者。

一六 「子虚後人」とあって、秋成の一時的な戯号。いたずらに妄言を吐く人物の子孫という意味。

一七 「遊戯三昧」とある。遊びたわむれることにむちゅうになること。五雑組、巻十五に「凡為小説及雑劇戯文、須是虚実相半、方為游戯三昧之筆」とある。

雨月物語 巻之一

一白峯(しらみね)

 二あふ坂の関守(せきもり)にゆるされてより、三秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる四鳴海(なるみ)がた、不尽(ふじ)高嶺(たかね)(けぶり)、五浮嶋がはら、六清見が関、七大(いそ)小いその浦々、八むらさき(にほ)ふ武蔵野の原、九塩竈(しほがま)()ぎたる朝げしき、一〇象潟(きさがた)(あま)(とま)や、一一佐野の舟梁(ふなばし)、一二木曾の桟橋(かけはし)、心のとどまらぬかたぞなきに、((なほ))西の国の歌枕見まほしとて、一三仁安三年の秋は、一四葭(あし)がちる難波(なには)()て、一五須磨明石の浦ふく風を身に一六しめつも、行々一七讃岐((さぬき))真尾坂(みをざか)(はやし)といふにしばらく一八(つゑ)(とど)む。草枕はるけき旅路の(いたはり)にもあらで、一九観念修行(くわんねんしゆぎやう)便(たより)せし(いほり)なりけり。

 この里ちかき白峯といふ所にこそ、二〇新院の(みささぎ)ありと聞きて、拝みたてまつらばやと、十月(かみなづき)はじめつかた、かの山に(のぼ)る。(まつ)(かしは)は奥ふかく(しげ)りあひて、二一青雲(あをぐも)軽靡(たなび)く日すら小雨(こさめ)そぼふるがごとし。二二児(ちご)(だけ)といふ(けは)しき(みね)(うしろ)(そばだ)ちて、千(じん)谷底(たにそこ)より雲霧(くもきり)おひのぼれば、咫尺(まのあたり)をも鬱悒(おぼつかな)きここちせらる。木立(こだち)わづかに()きたる所に、(つち)《たか》く()みたるが上に、石を三かさねに(たた)みなしたるが、二三荊蕀(うばら)薜蘿(かづら)にうづもれてうらがなしきを、これならん御墓(みはか)にやと心もかきくらまされて、さらに夢現(ゆめうつつ)をもわきがたし。

 ()にまのあたりに見奉りしは、二四紫宸(ししん)清涼(せいりやう)御座(みくら)朝政(おほまつりごと)きこしめさせ給ふを、(もも)官人(つかさ)は、かく(さか)しき君ぞとて、(みこと)(かしこ)みてつかへまつりし。二五近衛院(このゑのゐん)(ゆづ)りましても、二六藐姑射(はこや)(やま)(たま)(はやし)()めさせ給ふを、思ひきや、二七麋鹿(びろく)のかよふ跡のみ見えて、(まう)でつかふる人もなき深山(みやま)二八荊(おどろ)の下に神がくれ給はんとは。二九万乗(ばんじよう)の君にてわたらせ給ふさへ、三〇宿世(すくせ)(ごふ)といふもののおそろしくもそひたてまつりて、罪をのがれさせ給はざりしよと、世のはかなきに思ひつづけて涙わき出づるがごとし。

 終夜(よもすがら)供養(くやう)したてまつらばやと、御墓の前のたひらなる石の上に座をしめて、経文(きやうもん)(しづ)かに()しつつも、かつ歌よみてたてまつる。

三一松山の浪のけしきはかはらじを

    かたなく君はなりまさりけり

((なほ))(おこた)らず供養(きようやう)す。露いかばかり(そで)にふかかりけん。日は()りしほどに、山深き夜のさま三二常(ただ)ならね、石の(ゆか)木の葉の(ふすま)いと寒く、(しん)()(ほね)()えて、三三物とはなしに(すざま)じきここちせらる。月は出でしかど、三四茂(しげ)きが(もと)は影をもらさねば、三五あやなき(やみ)にうらぶれて、(ねぶ)るともなきに、まさしく三六円位(ゑんゐ)々々とよぶ声す。

 ()をひらきてすかし見れば、其の(さま)(こと)なる人の、()高く()せおとろへたるが、顔のかたち、着たる衣の(いろ)(あや)も見えで、こなたにむかひて立てるを、西行もとより三七道心(だうしん)法師(ほふし)なれば、恐ろしともなくて、ここに来たるは()そと答ふ。かの人いふ。(さき)によみつること葉のかへりごと聞えんとて見えつるなりとて、

三八松山の浪にながれてこし船の

    やがてむなしくなりにけるかな

(うれ)しくもまうでつるよ、と聞ゆるに、新院の(れい)なることをしりて、地にぬかづき涙を流していふ。さりとていかに迷はせ給ふや。三九濁世(ぢよくせ)厭離(えんり)し給ひつることのうらやましく侍りてこそ、今夜(こよひ)の四〇法施(ほふせ)随縁(ずゐえん)したてまつるを、四一現形(げぎやう)し給ふはありがたくも悲しき御こころにし侍り。ひたぶるに四二隔生即忘(きやくしやうそくまう)して、四三仏果円満(ぶつくわゑんまん)(くらゐ)に昇らせ給へと、(こころ)をつくして(いさ)め奉る。

 新院(から)々と笑はせ給ひ、(なんぢ)しらず、近(ごろ)の世の(みだれ)()がなす(わざ)なり。生きてありし日より魔道にこころざしをかたぶけて、四四平治(へいぢ)(みだれ)(おこ)さしめ、死して((なほ))四五朝家(てうか)(たたり)をなす。見よ見よ、やがて(あめ)(した)に大(らん)を生ぜしめん、といふ。西行此の(みことのり)に涙をとどめて、こは浅ましき四六御こころばへをうけたまはるものかな。君はもとよりも四七聡明(そうめい)の聞えましませば、四八王道(わうだう)のことわりはあきらめさせ給ふ。こころみに(たづ)(まう)すべし。そも四九保元(ほうげん)御謀叛(ごむほん)は五〇(あめ)(かみ)の教へ給ふことわりにも(たが)はじとておぼし立たせ給ふか。又みづからの人慾(にんよく)より計策(たばか)り給ふか。(つばら)()らせ給へと(まう)す。其の時院の()けしきかはらせ給ひ、汝聞け、帝位は人の(きはみ)なり。()人道(にんだう)(かみ)より乱す(とき)は、天の(めい)に応じ、(たみ)(のぞみ)(したが)うて是を()つ。(そもそも)五一永治(えいぢ)の昔、(をか)せる(つみ)もなきに、五二父(みかど)(みこと)(かしこ)みて、三歳の五三体仁(としひと)()(ゆづ)りし心、人慾深きといふべからず。体仁早世(さうせい)ましては、()皇子(みこ)五四重仁(しげひと)こそ国しらすべきものをと、(われ)も人も思ひをりしに、五五美福門院(びふくもんゐん)(ねたみ)に五六さへられて、四の宮の五七雅仁(まさひと)()(うば)はれしは深き(うらみ)にあらずや。重仁五八国しらすべき才あり。雅仁何らのうつは物ぞ。人の徳をえらばずも、(あめ)(した)の事を五九後宮(こうきゆう)にかたらひ給ふは父帝(ちちみかど)の罪なりし。されど世にあらせ給ふほどは孝信(かうしん)をまもりて、六〇(ゆめ)(いろ)にも出さざりしを、(かく)れさせ給ひてはいつまでありなんと、(たけ)きこころざしを(おこ)せしなり。六一臣として君を()つすら、天に応じ民の(のぞみ)にしたがへば、六二周(しう)八百年の創業(さうげふ)となるものを、まして六三しるべき(くらゐ)ある身にて、六四牝鶏(ひんけい)(あした)する()を取つて(かは)らんに、道を失ふといふべからず。汝、六五家を出でて(ほとけ)(いん)し、六六未来(みらい)解脱(げだつ)の利慾を願ふ心より、六七人道(にんだう)をもて因果(いんぐわ)に引き入れ、六八堯舜(げうしゆん)のをしへを釈門(しやくもん)(こん)じて(われ)に説くやと、御声あららかに()らせ給ふ。

 西行いよよ恐るる色もなく座をすすみて、君が()らせ給ふ所は、人道のことわりをかりて六九慾塵(よくぢん)をのがれ給はず。遠く辰旦(もろこし)をいふまでもあらず。皇朝(くわうてう)の昔、七〇誉田(ほんだ)の天皇、兄の皇子(みこ)七一大鷦鷯(おほさざき)(きみ)をおきて、(すゑ)皇子(みこ)七二菟道(うぢ)(きみ)七三日嗣(ひつぎ)太子(みこ)となし給ふ。天皇崩御(かみがく)れ給ひては、兄弟(はらから)(ゆづ)りて位に(のぼ)り給はず。三とせをわたりても((なほ))果つべくもあらぬを、菟道(うぢ)(きみ)深く(うれ)ひ給ひて、(あに)久しく()きて天が(した)(わづら)はしめんやとて、七四みづから宝算(よはひ)()たせ給ふものから、罷事(やんごと)なくて兄の皇子(みこ)御位(みくらゐ)()かせ給ふ。是れ七五天(げふ)を重んじ孝悌(かうてい)をまもり、(まこと)をつくして人慾(にんよく)なし。堯舜(げうしゆん)の道といふなるべし。本朝に儒教を(たふと)みて(もは)王道(わうだう)(たすけ)とするは、(うぢ)(きみ)百済(くだら)七六王仁(わに)を召して学ばせ給ふをはじめなれば、此の兄弟(はらから)(きみ)()心ぞ、(やが)漢土(もろこし)(ひじり)の御心ともいふべし。又、周の(はじめ)七七武王(ぶわう)一たび(いか)りて天下の民を安くす。臣として君を(しい)すといふべからず。(じん)(ぬす)み義を賊む、一()(ちう)(ちゆう)するなりといふ事、七八孟子(まうじ)といふ書にありと人の伝へに聞き(はべ)る。されば漢土(もろこし)の書は、経典(けいてん)七九史策(しさく)詩文(しぶん)にいたるまで渡さざるはなきに、かの孟子の書ばかりいまだ日本に来らず。八〇此の書を積みて来る船は、八一必ずしも(あらき)風にあひて沈没(しづ)むよしをいへり。それをいかなる故ぞととふに、我が国は天照すおほん神の開闢(はつぐに)しろしめししより、日嗣(ひつぎ)大王(きみ)()ゆる事なきを、かく口(さか)しきをしへを伝へなば、末の世に八二神孫(しんそん)を奪うて(つみ)なしといふ(あた)も出づべしと、八百(やほ)よろづの神の(にく)ませ給うて、神風を起して船を(くつがへ)し給ふと聞く。されば他国(かのくに)(ひじり)の教も、ここの国土(くにつち)にふさはしからぬことすくなからず。(かつ)八三詩()にもいはざるや。八四兄弟(うち)(せめ)ぐとも(よそ)(あなどり)(ふせ)げよと。さるを骨肉(こつにく)の愛をわすれ給ひ、八五あまさへ八六一院崩御(かみがく)れ給ひて、八七殯(もがり)の宮に肌膚(みはだへ)もいまだ()えさせたまはぬに、御旗(みはた)なびかせ弓末(ゆずゑ)ふり立て宝祚(みくらゐ)をあらそひ給ふは、不孝の罪これより(はなはだ)しきはあらじ。八八天下は神器(じんき)なり。人のわたくしをもて奪ふとも()べからぬことわりなるを、たとへ重仁王(しげひとぎみ)即位(みくらゐ)は民の仰ぎ望む所なりとも、徳を()(くわ)(ほどこ)し給はで、道ならぬみわざをもて()を乱し給ふ(とき)は、きのふまで君を(した)ひしも、けふは(たちま)怨敵(あた)となりて、本意(ほい)をも()げたまはで、いにしへより八九例(あと)なき(つみ)を得給ひて、かかる(ひな)の国の土とならせ給ふなり。ただただ九〇(ふる)(あた)をわすれ給うて、浄土(じやうど)にかへらせ給はんこそ、(ねが)はまほしき叡慮(みこころ)なれと、はばかることなく(まを)しける。

 院、長嘘(ながきいき)をつがせ給ひ、今事を(ただ)して罪をとふ、ことわりなきにあらず。されどいかにせん。この嶋に(はぶ)られて、九一高遠(たかとほ)が松山の家に(くるし)められ、日に三たびの九二御膳(おもの)すすむるよりは、まゐりつかふる者もなし。只(あま)とぶ(かり)小夜(さよ)の枕におとづるるを聞けば、都にや行くらんとなつかしく、(あかつき)の千鳥の洲崎(すさき)にさわぐも、心をくだく(たね)となる。九三烏(からす)(かしら)は白くなるとも、都には(かへ)るべき(とき)もあらねば、定めて九四海畔(あまべ)(おに)とならんずらん。ひたすら後世(ごせ)のためにとて、九五五部の大乗経(だいじようぎやう)をうつしてけるが、九六貝鐘(かひがね)()も聞えぬ荒礒(ありそ)にとどめんもかなし。せめては筆の跡ばかりを(みやこ)(うち)に入れさせ給へと、九七仁和寺(にんわじ)御室(みむろ)(もと)へ、経にそへてよみておくりける。

九八浜千鳥跡はみやこにかよへども

    身は松山に()をのみぞ()

 しかるに九九少納言信西(せうなごんしんぜい)がはからひとして、()呪咀(じゆそ)の心にやと(そう)しけるより、そがままにかへされしぞうらみなれ。いにしへより(やまと)漢土(もろこし)ともに、国をあらそひて兄弟(あた)となりし(ためし)は珍しからねど、(つみ)深き事かなと思ふより、悪心(あくしん)懺悔(さんげ)の為にとて(うつ)しぬる御(きやう)なるを、いかにささふる者ありとも、一〇〇(した)しきを(はか)るべき(のり)にもたがひて、筆の跡だも()れ給はぬ叡慮(みこころ)こそ、今は(ひさ)しき(あた)なるかな。所詮(しよせん)此の経を一〇一魔道に回向(ゑかう)して、恨をはるかさんと、一すぢにおもひ定めて、(ゆび)(やぶ)り血をもて願文(ぐわんもん)をうつし、経とともに一〇二志戸(しと)の海に(しづ)めてし後は、人にも(まみ)えず深く()ぢこもりて、ひとへに魔王となるべき大願をちかひしが、一〇三はた平治の(みだれ)ぞ出できぬる。まづ一〇四信頼(のぶより)が高き(くらゐ)を望む驕慢(おごり)の心をさそうて一〇五義朝(よしとも)をかたらはしむ。かの義朝こそ(にく)(あた)なれ。父の一〇六為義(ためよし)をはじめ、同胞(はらから)武士(もののべ)は皆()がために(いのち)を捨てしに、他一人(かれひとり)(われ)に弓を()く。一〇七為朝(ためとも)が勇猛、為義一〇八忠政(ただまさ)軍配(たばかり)に一〇九贏目(かついろ)を見つるに、西南の風に焼討(やきうち)せられ、一一〇白川の宮を出でしより、一一一如意(によい)(みね)(けは)しきに足を破られ、(ある)ひは一一二山(がつ)椎柴(しひしば)をおほひて雨露を(しの)ぎ、(つひ)(とら)はれて此の嶋に(はぶ)られしまで、皆義朝(よしとも)(かだま)しき計策(たばかり)(くるし)められしなり。これが(むくい)一一三虎狼(こらう)の心に障化(しやうげ)して、信頼(のぶより)隠謀(いんぼう)にかたらはせしかば、一一四地祇(くにつがみ)(さか)ふ罪、()(さと)からぬ清盛(きよもり)()()たる。(かつ)父の為義を(しい)せし(むくい)《せま》りて、一一五家の子に(はか)られしは、天神(あまつがみ)(たたり)(かふむ)りしものよ。又少納言信西は、常に(おのれ)博士(はかせ)ぶりて、人を(こば)む心の(なほ)からぬ、これをさそうて信頼義朝が(あた)となせしかば、(つひ)に家をすてて一一六宇治山の(あな)(かく)れしを、一一七はた(さが)()られて一一八六条河原に梟首(かけ)らる。これ経をかへせし諛言(おもねり)の罪を治めしなり。それがあまり、一一九応保(おうほう)の夏は美福門院(びふくもんゐん)(いのち)(せま)り、長寛(ちやうくわん)の春は一二〇忠通(ただみち)(たた)りて、(われ)も其の秋世をさりしかど、((なほ))一二一嗔火(しんくわ)(さかん)にして()きざるままに、(つひ)に大魔王となりて、三百余類の巨魁(かみ)となる。()が一二二けんぞくのなすところ、人の(さいはひ)を見ては(うつ)して(わざはひ)とし、世の(をさま)るを見ては(みだれ)(おこ)さしむ。只清盛が一二三人果(にんくわ)大にして、親族氏族(うからやから)ことごとく高き官位につらなり、おのがままなる国政(まつりごと)執行(とりおこな)ふといへども、一二四重盛忠義をもて(たす)くる故、いまだ(とき)いたらず。汝見よ、平氏も又久しからじ。雅仁(まさひと)(われ)に一二五つらかりしほどは(つひ)(むく)ふべきぞと、御声いやましに恐ろしく聞えけり。西行いふ。君かくまで魔界(まかい)悪業(あくごふ)につながれて、一二六仏土(ぶつど)に億万里を隔て給へば、ふたたびいはじとて、只(もく)してむかひ居たりける。

 時に(みね)(たに)ゆすり動きて、風叢林(はやし)(たふ)すがごとく、沙石(まさご)(そら)巻上(まきあ)ぐる。見る見る一二七一段の陰火(いんくわ)、君が(ひざ)(もと)より燃上(もえあが)りて、山も谷も昼のごとくあきらかなり。(ひかり)の中につらつら御気色(みけしき)を見たてまつるに、(あけ)をそそぎたる竜顔(みおもて)に、一二八荊(おどろ)(かみ)(ひざ)にかかるまで乱れ、白眼(しろきまなこ)()りあげ、(あつ)(いき)をくるしげにつがせ給ふ。御衣は柿色(かきいろ)のいたうすすびたるに、手足の(つめ)(けもの)のごとく()ひのびて、さながら魔王の(かたち)、あさましくもおそろし。(そら)にむかひて、一二九相模(さがみ)々々と、()ばせ給ふ。あと答へて、(とび)のごとくの一三〇化鳥(けてう)(かけ)来り、(まへ)()して(みことのり)をまつ。院、かの化鳥にむかひ給ひ、何ぞはやく重盛が(いのち)()りて、雅仁(まさひと)清盛(きよもり)をくるしめざる。化鳥こたへていふ。一三一上皇(じやうくわう)幸福(さいはひ)いまだ()きず。重盛が忠信ちかづきがたし。今より一三二支干(えと)(めぐり)を待たば、重盛が命数(よはひ)既に尽きなん。(かれ)()せば一族の幸福(さいはひ)此の時に亡ぶべし。院、手を()つて(よろこ)ばせ給ひ、かの讐敵(あたども)ことごとく一三三此の前の海に尽すべしと、御声谷峯に(ひび)きて、(すざま)しさいふべくもあらず。魔道の浅ましきありさまを見て涙しのぶに()へず。(ふたた)び一首の歌に随縁(ずゐえん)のこころをすすめたてまつる。

一三四よしや君昔の玉の(とこ)とても

    かからんのちは何にかはせん

一三五刹利(せつり)須陀(しゆだ)もかはらぬものをと、心あまりて高らかに(うた)ひける。

白峯陵の前の「たひらなる石の上に座をしめ」た西行が、崇徳院の怨霊と対決する図。「一段の陰火、君が膝の下より燃上がりて」という情景である。(原本三丁裏、四丁表の挿絵)

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