6話 雨月物語 03 校注 雨月物語(6)
読み方を変える
一 夢の中で感応してえがいた鯉。
二 九二三―九三一。
三 滋賀県大津市にある天台宗寺門派総本山、長等山園城寺の別称。由緒ふかい寺で、眼下に琵琶湖をのぞむ。
四 古今著聞集に名が見えているが、伝未詳。
五 世間から名人という評判をたてられていた。
六 専らとしない。仕事としない。
七 琵琶湖。
八 網をひいたり釣をしたりする漁師。
九 精細巧妙の域に達した。
一〇 絵に心を集中して。
一一 大小種々の魚。
一二 われ先にとあらそいもとめた。
一三 どこまでも惜しんで。
一四 生物を殺したり、鮮魚を食ったりする世間一般の人。
一五 けっして、きっと。
一六 冗談。戯言。「生を殺し鮮を喰ふ云々」の言葉をさす。
一七 弟子の僧と友人たち。
一八 本篇の典拠、魚服記に「心頭微暖」とある。
一九 もしかしたら蘇生するかもしれない。
二〇 まわりをとりまいてみまもりながら。
二一 人事不省になって。失神して。
二二 殿方。かたがた。
二三 葬らなくてよかったことだ。
二四 寺に属する信徒。
二五 生の魚肉を細く切ったもの。魚服記「為我群官方食鱠否」。
二六 世にもまれなめずらしいはなしをおはなししましょう。
二七 どんな様子をしているか。
二八 家臣。
二九 わざわざきてくれた足労の礼をのべると。
三〇 表座敷。
三一 囲碁の勝負。
三二 食物を盛る足高の器。
三三 酒を杯に三ばい。十分に飲ませたこと。
三四 調理人。
三五 得意顔に。誇り顔に。
三六 ちがわないでしょう。
三七 こんなにくわしくはっきりと事実を指摘できた理由。
三八 ねつっぽい苦しい心地。魚服記「悪熱求涼」。
三九 杖をたよりに。魚服記「策杖而行」。
四〇 大空。
四一 夢心地に。原文「うつ」
四二 飛びこんで。
四三 人間が水に浮いて泳ぐのは、それがどんなにうまくても、魚が自由自在に泳ぎまわるのにはおよばない。魚服記「人浮不如魚快也」。
四四 魚族。魚類。
四五 海神。湖の神。原文「わたづみ」
四六 ひとの捕えた鳥や魚を放してやること。
四七 水中のたのしみ。水府はもと海底にある水神の居処、竜宮をいった。
四八 三井寺の背後にある長等山から吹きおろす風。
四九 琵琶湖の南西岸、昔の志賀の都付近の海岸。
五〇 徒歩で行く人が着物の裾を濡らすほど水際近くを往来するのにおどろかされ。続古今集六「かち人の汀の氷ふみならしわたれどぬれぬ志賀の大わた」。
五一 琵琶湖の西にある比良山。
五二 もぐろうとするが。
五三 琵琶湖西岸にある。「かくれ難し」の懸詞。
五四 「夜」と「寄る」の懸詞。
五五 「夜」の枕詞。
五六 滋賀県蒲生郡竜王町にある山。歌枕。
五七 多くの港のあらゆるすみずみまで照らし出している情景はおもしろい。
五八 琵琶湖の南岸近く東寄りの沖の島。
五九 琵琶湖の北岸近くにある島。弁財天で名高い。
六〇 うつる。
六一 竹生島弁財天の朱塗りの玉垣。
六二 滋賀県と岐阜県の境にある伊吹山。さしもは、そうとはの意とさしも草(艾草)の掛詞。後拾遺集一一「かくとだにえやは伊吹のさしも草さしもしらじなもゆるおもひを」。
六三 琵琶湖東岸、米原市朝妻筑摩の入江にあった渡船。朝が来ての意を懸ける。
六四 琵琶湖南東岸、草津市矢橋から大津へ渡る舟の船頭の、さばきもあざやかな棹。
六五 琵琶湖南部、瀬田川にかかる唐橋。
六六 もとめたが手に入れることができないで。
六七 河神。湖の神。
六八 おめおめと。うかつに。
六九 文四をさす。
七〇 素早く釣糸をひきあげて。
七一 いっこう。ちっとも。
七二 魚のえら。あご。
七三 平の助をさす。
七四 くだもの。前出の桃。
七五 皆様。あなた方。
七六 「みぎり」と訓ませている。
七七 庖丁。
七八 すんでのことに切ろうとしたとき。
七九 仏に仕える僧を殺すということがあるか。
八〇 興義が魚になって口をきくたびに。
八一 ちっとも。いっこうに。
八二 めしつかい。下僕。
八三 天寿をまっとうして。
八四 画料の紙や絹からぬけ出して。「紙繭」の左右に振り仮名がある。
八五 古今著聞集に名が見えているが、伝未詳。
八六 入神の妙技をうけついで。
八七 その時代に名声をあげた。
八八 京都市上京区二条の南、西洞院の西にあった閑院内裏。もと藤原冬嗣の邸で、名園の誇高かったが、一二五九年焼失した。
八九 唐紙。ふすま。
九〇 古今著聞集をさす。同書巻一一、画図一六に「成光閑院の障子に鶏を書きたりけるを、実の鶏見て蹴けるとなん。この成光は三井寺の僧興義が弟子になん侍りける」とある。
雨月物語 巻之三
一仏法僧
二うらやすの国ひさしく、民作業をたのしむあまりに、春は花の下に息ひ、秋は三錦の林を尋ね、四しらぬ火の五筑紫路もしらではと六械まくらする人の、富士七筑波の嶺々を心にしむるぞそぞろなるかな。
伊勢の八相可といふ郷に、拝志氏の人、世をはやく嗣に譲り、九忌むこともなく頭おろして、名を夢然とあらため、従来身に病さへなくて、彼此の旅寝を老のたのしみとする。季子作之治なるものが一〇生長の頑なるをうれひて、京の人見するとて、一一一月あまり二条の別業に逗まりて、三月の末一二吉野の奥の花を見て、知れる寺院に七日ばかりかたらひ、此のついでに、いまだ一三高野山を見ず、いざとて、夏のはじめ青葉の茂みをわけつつ、一四天の川といふより踰えて、一五摩尼の御山にいたる。道のゆくての嶮しきに一六なづみて、おもはずも日かたぶきぬ。
一七壇場、諸堂一八霊廟、残りなく拝みめぐりて、ここに宿からんといへど、一九ふつに答ふるものなし。そこを行く人に二〇所の掟をきけば、寺院僧坊に二一便なき人は、麓にくだりて明すべし。此の山すべて旅人に一夜をかす事なしとかたる。いかがはせん。さすがにも老の身の嶮しき山路を来しがうへに、事のよしを聞きて大きに心二二倦みつかれぬ。作之治がいふ。日もくれ、足も痛みて、いかがして二三あまたのみちをくだらん。二四弱き身は草に臥すとも厭ひなし。只二五病み給はん事の悲しさよ。夢然云ふ。旅はかかるをこそ哀れともいふなれ。今夜二六脚をやぶり、倦みつかれて山をくだるとも、おのが古郷にもあらず。翌のみち又はかりがたし。此の山は二七扶桑第一の霊場、二八大師の広徳かたるに尽きず。二九殊にも来りて通夜し奉り、三〇後世の事たのみ聞ゆべきに、幸の時なれば、霊廟に夜もすがら三一法施したてまつるべしとて、杉の下道のをぐらきを行く行く、霊廟の前なる三二灯籠堂の簀子に上りて、雨具うち敷き座をまうけて、閑に念仏しつつも、夜の更けゆくをわびてぞある。
三三方五十町に開きて、三四あやしげなる林も見えず。小石だも掃ひし三五福田ながら、さすがにここは寺院遠く、三六陀羅尼三七鈴錫の音も聞えず。木立は三八雲をしのぎて茂みさび、三九道に界ふ水の音ほそぼそと清みわたりて物がなしき。寝られぬままに夢然かたりていふ。そもそも大師の四〇神化、土石草木も四一霊を啓きて、四二八百とせあまりの今にいたりて、四三いよよあらたに、いよよたふとし。四四遺芳四五歴踪多きが中に、此の山なん第一の四六道場なり。大師四七いまぞかりけるむかし、遠く四八唐土にわたり給ひ、あの国にて四九感でさせ給ふ事おはして、此の五〇三鈷のとどまる所、我が道を揚ぐる霊地なりとて、杳冥にむかひて抛げさせ給ふが、五一はた此の山にとどまりぬる。五二壇場の御前なる三鈷の松こそ此の物の落ちとどまりし地なりと聞く。すべて此の山の草木泉石霊ならざるはあらずとなん。こよひ五三不思議にもここに一夜をかりたてまつる事、五四一世ならぬ善縁なり。《なんぢ》弱きとて努々信心おこたるべからずと、五五小やかにかたるも清みて心ぼそし。
御廟のうしろの林にと覚えて、五六仏法々々となく鳥の音、山彦にこたへてちかく聞ゆ。夢然目さむる心ちして、あなめづらし、あの啼く鳥こそ仏法僧といふならめ。かねて此の山に栖みつるとは聞きしかど、まさに其の音を聞きしといふ人もなきに、こよひのやどりまことに五七滅罪生善の祥なるや。かの鳥は清浄の地をえらみてすめるよしなり。上野の国五八迦葉山、下野の国五九二荒山、山城の六〇醍醐の峯、河内の六一杵長山、就中此の山にすむ事、大師の六二詩偈ありて世の人よくしれり。
六三寒林独坐草堂暁 三宝之声聞一鳥
一鳥有声人有心 性心雲水倶了々
又ふるき歌に、
六四松の尾の峯静なる曙に
あふぎて聞けば仏法僧啼く
むかし六五最福寺の六六延朗法師は世にならびなき六七法華者なりしほどに、六八松の尾の御神此の鳥をして常に延朗につかへしめ給ふよしをいひ伝ふれば、かの神垣にも巣むよしは聞えぬ。六九こよひの奇妙既に一鳥声あり。我ここにありて七〇心なからんやとて、平生のたのしみとする俳諧風の十七言を、しばし七一うちかたぶいていひ出でける。
七二鳥の音も秘密の山の茂みかな
旅硯とり出でて、御灯の光に書きつけ、今一声もがなと耳を倚くるに、思ひがけずも遠く寺院の方より、七三前を追ふ声の厳しく聞えて、やや近づき来たり。何人の夜深けて詣で給ふやと、異しくも恐ろしく、親子顔を見あはせて息をつめ、そなたをのみまもり居るに、はや前駆の若侍、七四橋板をあららかに踏みてここに来る。
おどろきて堂の右に潜みかくるるを、武士はやく見つけて、何者なるぞ、七五殿下のわたらせ給ふ。疾く下りよといふに、あわただしく簀子をくだり、土に俯して七六跪る。程なく多くの足音聞ゆる中に、沓音高く響きて、烏帽子七七直衣めしたる貴人、堂に上り給へば、従者の武士四五人ばかり右左に座をまうく。かの貴人、人々に向ひて、誰々はなど来らざると課せらるるに、やがてぞ参りつらめと奏す。又一群の足音して、威儀ある武士、頭まろげたる入道等うち交りて、七八礼たてまつりて堂に昇る。貴人、只今来りし武士にむかひて、七九常陸は何とておそく参りたるぞとあれば、かの武士いふ。八〇白江熊谷の両士、公に八一大御酒すすめたてまつるとて八二実やかなるに、臣も八三鮮き物一種調じまゐらせんため、御従に後れたてまつりぬと奏す。はやく酒をつらねてすすめまゐらすれば、八四万作酌まゐれとぞ課せらる。恐りて、美相の若士膝行りよりて八五瓶子を捧ぐ。かなたこなたに杯をめぐらしていと興ありげなり。
高野山奥の院、灯籠堂の前で、深夜、夢然・作之治父子が、関白秀次とその家臣たちの亡霊にあう図。先駆の武士が父子を叱っているところ。(原本三丁裏、四丁表の挿絵)
貴人又曰はく、絶えて八六紹巴が説話を聞かず、召せと、八七の給ふに、呼びつぐやうなりしが、八八我が跪りし背の方より、八九大いなる法師の、面九〇うちひらめきて、九一目鼻あざやかなる人の、僧衣かいつくろひて座の末にまゐれり。貴人九二古語かれこれ問ひ弁へ給ふに、詳に答へたてまつるを、いといと感でさせ給うて、九三他に禄とらせよとの給ふ。
一人の武士かの法師に問ひていふ。此の山は九四大徳の啓き給うて、土石草木も九五霊なきはあらずと聞く。さるに九六玉川の流れには毒あり。人飲む時は斃るが故に、大師のよませ給ふ歌とて、
九七わすれても汲みやしつらん旅人の
高野の奥の玉川の水
といふことを聞き伝へたり。大徳のさすがに、此の毒ある流をば、九八など涸せては果し給はぬや。いぶかしき事を九九足下にはいかに弁へ給ふ。
法師笑をふくみていふは、此の歌は一〇〇風雅集に撰み入れ給ふ。其の一〇一端詞に、高野の奥の院へまゐる道に、玉川といふ河の水上に毒虫おほかりければ、此の流を飲むまじきよしをしめしおきて後よみ侍りける、とことわらせ給へば、足下のおぼえ給ふ如くなり。されど今の御疑ひ一〇二僻言ならぬは、大師は神通自在にして一〇三隠神を役して道なきをひらき、巌を鐫るには土を穿つよりも易く、大蛇を一〇四禁め、化鳥を一〇五奉仕へしめ給ふ事、天が下の人の仰ぎたてまつる功なるを思ふには、此の歌の端の詞ぞ一〇六まことしからね。もとより此の一〇七玉河てふ川は国々にありて、いづれをよめる歌も、其の流れのきよきを誉げしなるを思へば、ここの玉川も毒ある流れにはあらで、歌の意も、一〇八かばかり名に負ふ河の此の山にあるを、ここに詣づる人は一〇九忘る忘るも、流れの清きに愛でて手に掬びつらんとよませ給ふにやあらんを、後の人の毒ありといふ一一〇狂言より、此の端詞はつくりなせしものかとも思はるるなり。又深く疑ふときには、此の歌の調、一一一今の京の初の口風にもあらず。おほよそ此の国の古語に、一一二玉蘰一一三玉簾一一四珠衣の類は、形をほめ清きを賞むる語なるから、清水をも玉水玉の井玉河ともほむるなり。毒ある流れをなど一一五玉てふ語は冠らしめん。一一六強に仏をたふとむ人の、歌の意に細妙からぬは、これほどの訛は幾らをもしいづるなり。足下は歌よむ人にもおはせで、此の歌の意異しみ給ふは一一七用意ある事こそと、篤く感でにける。貴人をはじめ人々も此のことわりを頻に感でさせ給ふ。
御堂のうしろの方に、仏法々々と啼く音ちかく聞ゆるに、貴人杯をあげ給ひて、例の鳥絶えて鳴かざりしに、今夜の酒宴に一一八栄あるぞ。紹巴一一九いかにと課せ給ふ。法師かしこまりて、某が一二〇短句、公にも一二一御耳すすびましまさん。ここに旅人の通夜しけるが、今の世の俳諧風をまうして侍る。公にはめづらしくおはさんに召して聞かせ給へといふ。一二二それ召せと課せらるるに、若きさむらひ夢然が方へむかひ、召し給ふぞ、ちかうまゐれと云ふ。一二三夢現ともわかで、おそろしさのままに御まのあたりへはひ出づる。法師夢然にむかひ、前によみつる詞を公に申し上げよといふ。夢然恐る恐る、何をか申しつる、更に覚え侍らず。只赦し給はれと云ふ。法師かさねて、秘密の山とは申さざるや。殿下の問はせ給ふ。いそぎ申し上げよといふ。夢然いよいよ恐れて、殿下と課せ出され侍るは一二四誰にてわたらせ給ひ、かかる深山に夜宴をもよほし給ふや。一二五更にいぶかしき事に侍るといふ。法師答へて、殿下と申し奉るは、一二六関白秀次公にてわたらせ給ふ。人々は一二七木村常陸介、雀部淡路、白江備後、熊谷大膳、粟野杢、日比野下野、山口少雲、丸毛不心、隆西入道、山本主殿、山田三十郎、不破万作、かく云ふは紹巴一二八法橋なり。汝等一二九不思議の御目見えつかまつりたるは。前のことばいそぎ申し上げよといふ。頭に髪あらば一三〇ふとるべきばかりに凄しく一三一肝魂も虚にかへるここちして、振ふ振ふ、一三二頭陀嚢より清き紙取り出でて、筆も一三三しどろに書きつけてさし出すを、主殿取りてたかく吟じ上ぐる。
鳥の音も秘密の山の茂みかな
貴人聞かせ給ひて、一三四口がしこくもつかまつりしな。誰そ此の一三五末句をまうせとのたまふに、山田三十郎座をすすみて、某つかうまつらんとて、しばしうちかたぶきてかくなん。
一三六芥子たき明すみじか夜の牀
一三七いかがあるべきと、紹巴に見する。よろしくまうされたりと、公の前に出すを見給ひて、一三八片羽にもあらぬはと興じ給ひて、又一三九杯を揚げてめぐらし給ふ。
一四〇淡路と聞えし人、にはかに色を違へて、はや一四一修羅の時にや。阿修羅ども御迎ひに来ると聞え侍る。立たせ給へといへば、一座の人々忽ち面に血を灌ぎし如く、いざ一四二石田増田が徒に今夜も一四三泡吹かせんと勇みて立ち躁ぐ。秀次木村に向はせ給ひ、一四四よしなき奴に我が姿を見せつるぞ。他二人も修羅につれ来れと課せある。老臣の人々一四五かけ隔たりて声をそろへ、いまだ命つきざる者なり。一四六例の悪業なせさせ給ひそといふ詞も、人々の形も、遠く雲井に行くがごとし。
親子は気絶えて、しばしがうち一四七死入りけるが、一四八しののめの明けゆく空に、ふる露の冷やかなるに生出でしかど、いまだ明けきらぬ恐ろしさに、一四九大師の御名をせはしく唱へつつ、一五〇漸日出づると見て、いそぎ山をくだり、京にかへりて一五一薬鍼の保養をなしける。一日夢然、三条の橋を過ぐる時、一五二悪ぎやく塚の事思ひ出づるより、かの寺眺められて、白昼ながら物凄しくありけると、京人にかたりしを、そがままにしるしぬ。