雨月物語 03 校注 雨月物語

6話 雨月物語 03 校注 雨月物語(6)

6,517字 約13分 2024年6月12日 公開

読み方を変える
字の大きさ
行の間隔
1行の長さ
書体
配色
組み方

一 夢の中で感応してえがいた鯉。

二 九二三―九三一。

三 滋賀県大津市にある天台宗寺門派総本山、長等山園城寺の別称。由緒ふかい寺で、眼下に琵琶湖をのぞむ。

四 古今著聞集に名が見えているが、伝未詳。

五 世間から名人という評判をたてられていた。

六 専らとしない。仕事としない。

七 琵琶湖。

八 網をひいたり釣をしたりする漁師。

九 精細巧妙の域に達した。

一〇 絵に心を集中して。

一一 大小種々の魚。

一二 われ先にとあらそいもとめた。

一三 どこまでも惜しんで。

一四 生物を殺したり、鮮魚を食ったりする世間一般の人。

一五 けっして、きっと。

一六 冗談。戯言。「生を殺し鮮を喰ふ云々」の言葉をさす。

一七 弟子の僧と友人たち。

一八 本篇の典拠、魚服記に「心頭微暖」とある。

一九 もしかしたら蘇生するかもしれない。

二〇 まわりをとりまいてみまもりながら。

二一 人事不省になって。失神して。

二二 殿方。かたがた。

二三 葬らなくてよかったことだ。

二四 寺に属する信徒。

二五 生の魚肉を細く切ったもの。魚服記「為我群官方食鱠否」。

二六 世にもまれなめずらしいはなしをおはなししましょう。

二七 どんな様子をしているか。

二八 家臣。

二九 わざわざきてくれた足労の礼をのべると。

三〇 表座敷。

三一 囲碁の勝負。

三二 食物を盛る足高の器。

三三 酒を杯に三ばい。十分に飲ませたこと。

三四 調理人。

三五 得意顔に。誇り顔に。

三六 ちがわないでしょう。

三七 こんなにくわしくはっきりと事実を指摘できた理由。

三八 ねつっぽい苦しい心地。魚服記「悪熱求涼」。

三九 杖をたよりに。魚服記「策杖而行」。

四〇 大空。

四一 夢心地に。原文「うつ」

四二 飛びこんで。

四三 人間が水に浮いて泳ぐのは、それがどんなにうまくても、魚が自由自在に泳ぎまわるのにはおよばない。魚服記「人浮不如魚快也」。

四四 魚族。魚類。

四五 海神。湖の神。原文「わたづみ」

四六 ひとの捕えた鳥や魚を放してやること。

四七 水中のたのしみ。水府はもと海底にある水神の居処、竜宮をいった。

四八 三井寺の背後にある長等山から吹きおろす風。

四九 琵琶湖の南西岸、昔の志賀の都付近の海岸。

五〇 徒歩で行く人が着物の裾を濡らすほど水際近くを往来するのにおどろかされ。続古今集六「かち人の汀の氷ふみならしわたれどぬれぬ志賀の大わた」。

五一 琵琶湖の西にある比良山。

五二 もぐろうとするが。

五三 琵琶湖西岸にある。「かくれ難し」の懸詞。

五四 「夜」と「寄る」の懸詞。

五五 「夜」の枕詞。

五六 滋賀県蒲生郡竜王町にある山。歌枕。

五七 多くの港のあらゆるすみずみまで照らし出している情景はおもしろい。

五八 琵琶湖の南岸近く東寄りの沖の島。

五九 琵琶湖の北岸近くにある島。弁財天で名高い。

六〇 うつる。

六一 竹生島弁財天の朱塗りの玉垣。

六二 滋賀県と岐阜県の境にある伊吹山。さしもは、そうとはの意とさしも草(艾草)の掛詞。後拾遺集一一「かくとだにえやは伊吹のさしも草さしもしらじなもゆるおもひを」。

六三 琵琶湖東岸、米原市朝妻筑摩の入江にあった渡船。朝が来ての意を懸ける。

六四 琵琶湖南東岸、草津市矢橋から大津へ渡る舟の船頭の、さばきもあざやかな棹。

六五 琵琶湖南部、瀬田川にかかる唐橋。

六六 もとめたが手に入れることができないで。

六七 河神。湖の神。

六八 おめおめと。うかつに。

六九 文四をさす。

七〇 素早く釣糸をひきあげて。

七一 いっこう。ちっとも。

七二 魚のえら。あご。

七三 平の助をさす。

七四 くだもの。前出の桃。

七五 皆様。あなた方。

七六 「みぎり」と訓ませている。

七七 庖丁。

七八 すんでのことに切ろうとしたとき。

七九 仏に仕える僧を殺すということがあるか。

八〇 興義が魚になって口をきくたびに。

八一 ちっとも。いっこうに。

八二 めしつかい。下僕。

八三 天寿をまっとうして。

八四 画料の紙や絹からぬけ出して。「紙繭」の左右に振り仮名がある。

八五 古今著聞集に名が見えているが、伝未詳。

八六 入神の妙技をうけついで。

八七 その時代に名声をあげた。

八八 京都市上京区二条の南、西洞院の西にあった閑院内裏。もと藤原冬嗣の邸で、名園の誇高かったが、一二五九年焼失した。

八九 唐紙。ふすま。

九〇 古今著聞集をさす。同書巻一一、画図一六に「成光閑院の障子に鶏を書きたりけるを、実の鶏見て蹴けるとなん。この成光は三井寺の僧興義が弟子になん侍りける」とある。

雨月物語 巻之三

一仏法僧(ぶつぽふそう)

 二うらやすの国ひさしく、(たみ)作業(なりはひ)をたのしむあまりに、春は花の(もと)(やすら)ひ、秋は三錦の林を(たづ)ね、四しらぬ火の五筑紫路(つくしぢ)もしらではと六械(かぢ)まくらする人の、富士七筑波の嶺々(みねみね)を心にしむるぞそぞろなるかな。

 伊勢の八相可(あふか)といふ(さと)に、拝志氏(はやしうぢ)の人、世をはやく(つぎ)(ゆづ)り、九忌()むこともなく(かしら)おろして、名を夢然(むぜん)とあらため、従来(もとより)身に病さへなくて、彼此(をちこち)の旅寝を老のたのしみとする。季子(すゑのこ)作之治なるものが一〇生長(ひととなり)(かたくな)なるをうれひて、京の人見するとて、一一一月あまり二条の別業(べつげふ)(とど)まりて、三月(やよひ)(すゑ)一二吉野の奥の花を見て、知れる寺院に七日ばかりかたらひ、此のついでに、いまだ一三高野山を見ず、いざとて、夏のはじめ青葉の(しげ)みをわけつつ、一四天(てん)の川といふより()えて、一五摩尼(まに)の御山にいたる。道のゆくての(さか)しきに一六なづみて、おもはずも日かたぶきぬ。

 一七壇場(だんぢやう)諸堂一八霊廟(みたまや)、残りなく拝みめぐりて、ここに宿からんといへど、一九ふつに答ふるものなし。そこを行く人に二〇所の(おきて)をきけば、寺院僧坊に二一便(たより)なき人は、(ふもと)にくだりて明すべし。此の山すべて旅人に一夜をかす事なしとかたる。いかがはせん。さすがにも老の身の(さか)しき山路を()しがうへに、事のよしを聞きて大きに心二二倦()みつかれぬ。作之治がいふ。日もくれ、足も痛みて、いかがして二三あまたのみちをくだらん。二四弱(わか)き身は草に臥すとも(いと)ひなし。只二五病()み給はん事の悲しさよ。夢然云ふ。旅はかかるをこそ哀れともいふなれ。今夜(こよひ)二六脚(あし)をやぶり、()みつかれて山をくだるとも、おのが古郷(ふるさと)にもあらず。(あす)のみち又はかりがたし。此の山は二七扶桑(ふさう)第一の霊場、二八大師の広徳(くわうとく)かたるに尽きず。二九殊(こと)にも来りて通夜(つや)し奉り、三〇後世の事たのみ聞ゆべきに、(さいはひ)(をり)なれば、霊廟(みたまや)に夜もすがら三一法施(ほふせ)したてまつるべしとて、杉の下道のをぐらきを行く行く、霊廟(みたまや)の前なる三二灯籠堂(とうろうだう)簀子(すのこ)(のぼ)りて、雨具(あまぐ)うち敷き座をまうけて、(しづか)念仏(ねぶつ)しつつも、夜の()けゆくをわびてぞある。

 三三方五十町に開きて、三四あやしげなる林も見えず。小石だも(はら)ひし三五福田(ふくでん)ながら、さすがにここは寺院遠く、三六陀羅尼(だらに)三七鈴錫(れいしやく)(こゑ)も聞えず。()立は三八雲をしのぎて()みさび、三九道に(さか)ふ水の音ほそぼそと()みわたりて物がなしき。寝られぬままに夢然かたりていふ。そもそも大師の四〇神化(じんくわ)()(さう)木も四一霊(れい)(ひら)きて、四二八百(やほ)とせあまりの今にいたりて、四三いよよあらたに、いよよたふとし。四四遺芳(ゐはう)四五歴踪(れきそう)多きが中に、此の山なん第一の四六道場(だうぢやう)なり。大師四七いまぞかりけるむかし、遠く四八唐土(もろこし)にわたり給ひ、あの国にて四九感()でさせ給ふ事おはして、此の五〇三()のとどまる所、我が道を()ぐる霊地(れいち)なりとて、杳冥(そら)にむかひて()げさせ給ふが、五一はた此の山にとどまりぬる。五二壇場(だんぢやう)の御前なる三()の松こそ此の物の落ちとどまりし(ところ)なりと聞く。すべて此の山の草木泉石(せんせき)(れい)ならざるはあらずとなん。こよひ五三不思議にもここに一夜をかりたてまつる事、五四一世ならぬ善縁(ぜんえん)なり。《なんぢ》(わか)きとて(ゆめ)信心(しんじん)おこたるべからずと、五五小(ささ)やかにかたるも()みて心ぼそし。

 御廟(みべう)のうしろの林にと覚えて、五六仏法(ぶつぱん)々々となく鳥の音、山彦にこたへてちかく聞ゆ。夢然目さむる心ちして、あなめづらし、あの()く鳥こそ仏法僧といふならめ。かねて此の山に()みつるとは聞きしかど、まさに其の音を聞きしといふ人もなきに、こよひのやどりまことに五七滅罪生善(めつざいしやうぜん)(しるし)なるや。かの鳥は清浄(しやうじやう)()をえらみてすめるよしなり。上野(かんづけ)国五八迦葉山(かせうざん)下野(しもづけ)国五九二荒(ふたら)山、山城の六〇醍醐(だいご)(みね)、河内の六一杵長(しなが)山、就中(なかんづく)此の山にすむ事、大師の六二詩偈(しげ)ありて世の人よくしれり。

六三寒林独坐草堂暁(かんりんどくざさうだうのあかつき)   三宝之声聞一鳥(さんぼうのこゑをいつてうにきく)

一鳥有声人有心(いつてうこゑありひとこころあり)   性心雲水倶了々(せいしんうんすゐともにれうれう)

又ふるき歌に、

六四松の尾の峯(しづか)なる(あけぼの)

あふぎて聞けば仏法僧啼く

むかし六五最福寺(さいふくじ)六六延朗法師(えんらうほふし)は世にならびなき六七法華者(ほつけしや)なりしほどに、六八松の尾の御神此の鳥をして常に延朗につかへしめ給ふよしをいひ伝ふれば、かの神垣にも()むよしは聞えぬ。六九こよひの奇妙(きめう)既に一鳥声あり。我ここにありて七〇心なからんやとて、平生(つね)のたのしみとする俳諧風(はいかいぶり)の十七(こと)を、しばし七一うちかたぶいていひ出でける。

七二鳥の()秘密(ひみつ)の山の(しげ)みかな

 旅硯(たびすずり)とり出でて、御灯(みあかし)の光に書きつけ、今一声もがなと耳を(かたぶ)くるに、思ひがけずも遠く寺院の方より、七三前(さき)()ふ声の(いかめ)しく聞えて、やや近づき来たり。何人の夜()けて(まう)で給ふやと、(あや)しくも恐ろしく、親子顔を見あはせて(いき)をつめ、そなたをのみまもり居るに、はや前駆(ぜんぐ)若侍(わかさむらひ)七四橋板(はしいた)をあららかに踏みてここに来る。

 おどろきて堂の右に(ひそ)みかくるるを、武士(ぶし)はやく見つけて、何者なるぞ、七五殿下(でんか)のわたらせ給ふ。()()りよといふに、あわただしく簀子(すのこ)をくだり、土に()して七六跪(うずすま)る。程なく多くの足音聞ゆる中に、沓音(くつおと)高く(ひび)きて、烏帽子(ゑぼし)七七直衣(なほし)めしたる貴人、堂に上り給へば、従者(みとも)武士(もののべ)四五人ばかり右左(みぎひだり)に座をまうく。かの貴人、人々に向ひて、(たれ)々はなど来らざると(おほ)せらるるに、やがてぞ参りつらめと(まう)す。又一(むれ)の足音して、威儀ある武士、(かしら)まろげたる入道等(にふだうら)うち(まじ)りて、七八礼(ゐや)たてまつりて堂に(のぼ)る。貴人、只今来りし武士にむかひて、七九常陸(ひたち)は何とておそく参りたるぞとあれば、かの武士いふ。八〇白江(しらえ)熊谷(くまがへ)の両士、(きみ)八一大御酒(おほみき)すすめたてまつるとて八二実(まめ)やかなるに、臣も八三鮮(あざら(け))き物一(しゆ)調(てう)じまゐらせんため、御従(みとも)(おく)れたてまつりぬと(まう)す。はやく(さかな)をつらねてすすめまゐらすれば、八四万作(しやく)まゐれとぞ(おほ)せらる。(かしこま)りて、美相(びさう)若士(わかさぶらひ)膝行(ゐざ)りよりて八五瓶子(へいじ)(ささ)ぐ。かなたこなたに(さかづき)をめぐらしていと興ありげなり。

高野山奥の院、灯籠堂の前で、深夜、夢然・作之治父子が、関白秀次とその家臣たちの亡霊にあう図。先駆の武士が父子を叱っているところ。(原本三丁裏、四丁表の挿絵)

 貴人又(のたま)はく、絶えて八六紹巴(ぜうは)説話(ものがたり)を聞かず、召せと、八七の給ふに、呼びつぐやうなりしが、八八我が(うずすま)りし(うしろ)の方より、八九大いなる法師の、(おもて)九〇うちひらめきて、九一目鼻(めはな)あざやかなる人の、僧衣(そうえ)かいつくろひて座の(すゑ)にまゐれり。貴人九二古語(ふること)かれこれ()(わきま)へ給ふに、(つばら)に答へたてまつるを、いといと()でさせ給うて、九三他(かれ)(ろく)とらせよとの給ふ。

 一人の武士かの法師に問ひていふ。此の山は九四大徳((だいとこ))(ひら)き給うて、土石草木(どせきさうもく)九五霊(れい)なきはあらずと聞く。さるに九六玉川の(なが)れには毒あり。人飲む時は(たふ)るが故に、大師のよませ給ふ歌とて、

九七わすれても汲みやしつらん(たび)人の

    高野(たかの)の奥の玉川の水

といふことを聞き伝へたり。大徳のさすがに、此の毒ある流をば、九八など()せては果し給はぬや。いぶかしき事を九九足下(そこ)にはいかに(わきま)へ給ふ。

 法師(ゑみ)をふくみていふは、此の歌は一〇〇風雅集(ふうがしふ)(えら)み入れ給ふ。其の一〇一端詞(はしことば)に、高野(たかの)の奥の院へまゐる道に、玉川といふ河の水上(みなかみ)(どく)虫おほかりければ、此の流を飲むまじきよしをしめしおきて後よみ(はべ)りける、とことわらせ給へば、足下(そこ)のおぼえ給ふ如くなり。されど今の御疑ひ一〇二僻言(ひがごと)ならぬは、大師は神通自在(じんつうじざい)にして一〇三隠神(かくれがみ)(えき)して道なきをひらき、(いはほ)()るには土を穿(うが)つよりも(やす)く、大蛇(をろち)を一〇四禁(いまし)め、化鳥(けてう)を一〇五奉仕(まつろ)へしめ給ふ事、(あめ)が下の人の仰ぎたてまつる(いさをし)なるを思ふには、此の歌の(はし)(ことば)ぞ一〇六まことしからね。もとより此の一〇七玉河てふ川は国々にありて、いづれをよめる歌も、其の流れのきよきを()げしなるを思へば、ここの玉川も毒ある流れにはあらで、歌の(こころ)も、一〇八かばかり名に()ふ河の此の山にあるを、ここに(まう)づる人は一〇九忘る忘るも、流れの清きに()でて手に(むす)びつらんとよませ給ふにやあらんを、後の人の毒ありといふ一一〇狂言(まがこと)より、此の端詞(はしことば)はつくりなせしものかとも思はるるなり。又深く疑ふときには、此の歌の調(しらべ)、一一一今の(みやこ)(はじめ)の口(ぶり)にもあらず。おほよそ此の国の古語(ふること)に、一一二玉(かづら)一一三玉(だれ)一一四珠衣(たまぎぬ)(たぐひ)は、(かたち)をほめ清きを()むる(ことば)なるから、清水(しみづ)をも玉水玉の井玉河ともほむるなり。毒ある流れをなど一一五玉てふ(ことば)(かうむ)らしめん。一一六強(あながち)(ほとけ)をたふとむ人の、歌の(こころ)細妙(くはし)からぬは、これほどの(あやまり)は幾らをもしいづるなり。足下(そこ)は歌よむ人にもおはせで、此の歌の(こころ)(あや)しみ給ふは一一七用意(ようい)ある事こそと、(あつ)()でにける。貴人をはじめ人々も此のことわりを(しきり)()でさせ給ふ。

 ()堂のうしろの方に、仏法(ぶつぱん)々々と()(こゑ)ちかく聞ゆるに、貴人(さかづき)をあげ給ひて、(れい)の鳥絶えて鳴かざりしに、今夜(こよひ)酒宴(しゆえん)一一八栄(はえ)あるぞ。紹巴(ぜうは)一一九いかにと(おほ)せ給ふ。法師かしこまりて、(それがし)が一二〇短句(たんく)(きみ)にも一二一御耳すすびましまさん。ここに旅人の通夜(つや)しけるが、今の世の俳諧風(はいかいぶり)をまうして侍る。(きみ)にはめづらしくおはさんに召して聞かせ給へといふ。一二二それ召せと(おほ)せらるるに、若きさむらひ夢然が方へむかひ、召し給ふぞ、ちかうまゐれと云ふ。一二三夢現(ゆめうつつ)ともわかで、おそろしさのままに御まのあたりへはひ出づる。法師夢然にむかひ、(さき)によみつる詞を(きみ)に申し上げよといふ。夢然恐る恐る、何をか申しつる、(さら)に覚え侍らず。只(ゆる)し給はれと云ふ。法師かさねて、秘密の山とは申さざるや。殿下(でんか)の問はせ給ふ。いそぎ申し上げよといふ。夢然いよいよ恐れて、殿下と(おほ)せ出され侍るは一二四誰にてわたらせ給ひ、かかる深山(みやま)夜宴(やえん)をもよほし給ふや。一二五更にいぶかしき事に侍るといふ。法師答へて、殿下と申し奉るは、一二六関白秀次公(くわんぱくひでつぐこう)にてわたらせ給ふ。人々は一二七木村常陸介((きむらひたちのすけ))雀部(ささべ)淡路、白江備後、熊谷(くまがへ)大膳、粟野杢(あはのもく)日比野下野(ひびの(しもつけ))、山口少雲(せううん)丸毛不心(まるもふしん)隆西(りうさい)入道、山本主殿(とのも)、山田三十郎、不破(ふは)万作、かく云ふは紹巴(ぜうは)一二八法橋(ほつけう)なり。汝等(なんぢら)一二九不思議の御目見えつかまつりたるは。(さき)のことばいそぎ申し上げよといふ。(かしら)(かみ)あらば一三〇ふとるべきばかりに(すざま)しく一三一肝(きも)(たましひ)(そら)にかへるここちして、(ふる)ふ振ふ、一三二頭陀嚢(づだぶくろ)より清き紙取り()でて、筆も一三三しどろに書きつけてさし出すを、主殿(とのも)取りてたかく吟じ上ぐる。

鳥の音も秘密の山の茂みかな

 貴人聞かせ給ひて、一三四口がしこくもつかまつりしな。()そ此の一三五末句(すゑく)をまうせとのたまふに、山田三十郎座をすすみて、(それがし)つかうまつらんとて、しばしうちかたぶきてかくなん。

一三六芥子(けし)たき(あか)すみじか夜の(ゆか)

一三七いかがあるべきと、紹巴に見する。よろしくまうされたりと、(きみ)の前に出すを見給ひて、一三八片羽(かたは)にもあらぬはと興じ給ひて、又一三九杯(さかづき)()げてめぐらし給ふ。

 一四〇淡路と聞えし人、にはかに色を(たが)へて、はや一四一修羅(しゆら)の時にや。阿修羅(あしゆら)ども御迎ひに来ると聞え侍る。立たせ給へといへば、一座の人々((たちま))(おもて)に血を(そそ)ぎし如く、いざ一四二石田増田が(ともがら)今夜(こよひ)一四三泡(あわ)()かせんと勇みて立ち(さわ)ぐ。秀次(ひでつぐ)木村に向はせ給ひ、一四四よしなき(やつ)に我が姿(すがた)を見せつるぞ。(かれ)二人(ふたり)修羅(しゆら)につれ来れと(おほ)せある。老臣の人々一四五かけ(へだ)たりて声をそろへ、いまだ(めい)つきざる者なり。一四六例(れい)悪業(あくげふ)なせさせ給ひそといふ詞も、人々の(かたち)も、遠く雲井に行くがごとし。

 親子は()()えて、しばしがうち一四七死(しに)入りけるが、一四八しののめの明けゆく空に、ふる露の(ひや)やかなるに(いき)出でしかど、いまだ明けきらぬ恐ろしさに、一四九大師の御名(みな)をせはしく(とな)へつつ、一五〇(やや)日出づると見て、いそぎ山をくだり、(みやこ)にかへりて一五一薬鍼(やくしん)保養(ほやう)をなしける。一日(あるひ)夢然、三条の橋を過ぐる時、一五二悪(あく)ぎやく(づか)の事思ひ出づるより、かの寺(なが)められて、白昼(ひる)ながら物(すざま)しくありけると、(みやこ)人にかたりしを、そがままにしるしぬ。

目次に戻る

目次