人間失格

2話 第三の手記 一(2)

5,355字 約11分 1999年1月1日 公開

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してその翌日(あくるひ)も同じ事を繰返して、

昨日(きのう)に異(かわ)らぬ慣例(しきたり)に従えばよい。

即ち荒っぽい大きな歓楽(よろこび)を避(よ)けてさえいれば、

自然また大きな悲哀(かなしみ)もやって来(こ)ないのだ。

ゆくてを塞(ふさ)ぐ邪魔な石を

蟾蜍(ひきがえる)は廻って通る。

 上田敏訳のギイ・シャルル・クロオとかいうひとの、こんな詩句を見つけた時、自分はひとりで顔を燃えるくらいに赤くしました。

 蟾蜍。

(それが、自分だ。世間がゆるすも、ゆるさぬもない。葬むるも、葬むらぬもない。自分は、犬よりも猫よりも劣等な動物なのだ。蟾蜍。のそのそ動いているだけだ)

 自分の飲酒は、次第に量がふえて来ました。高円寺駅附近だけでなく、新宿、銀座のほうにまで出かけて飲み、外泊する事さえあり、ただもう「慣例(しきたり)」に従わぬよう、バアで無頼漢の振りをしたり、片端からキスしたり、つまり、また、あの情死以前の、いや、あの頃よりさらに荒(すさ)んで野卑な酒飲みになり、金に窮して、シヅ子の衣類を持ち出すほどになりました。

 ここへ来て、あの破れた奴凧に苦笑してから一年以上経って、葉桜の頃、自分は、またもシヅ子の帯やら襦袢(じゅばん)やらをこっそり持ち出して質屋に行き、お金を作って銀座で飲み、二晩つづけて外泊して、三日目の晩、さすがに具合い悪い思いで、無意識に足音をしのばせて、アパートのシヅ子の部屋の前まで来ると、中から、シヅ子とシゲ子の会話が聞えます。

「なぜ、お酒を飲むの?」

「お父ちゃんはね、お酒を好きで飲んでいるのでは、ないんですよ。あんまりいいひとだから、だから、……」

「いいひとは、お酒を飲むの?」

「そうでもないけど、……」

「お父ちゃんは、きっと、びっくりするわね」

「おきらいかも知れない。ほら、ほら、箱から飛び出した」

「セッカチピンチャンみたいね」

「そうねえ」

 シヅ子の、しんから幸福そうな低い笑い声が聞えました。

 自分が、ドアを細くあけて中をのぞいて見ますと、白兎の子でした。ぴょんぴょん部屋中を、はね廻り、親子はそれを追っていました。

(幸福なんだ、この人たちは。自分という馬鹿者が、この二人のあいだにはいって、いまに二人を滅茶苦茶にするのだ。つつましい幸福。いい親子。幸福を、ああ、もし神様が、自分のような者の祈りでも聞いてくれるなら、いちどだけ、生涯にいちどだけでいい、祈る)

 自分は、そこにうずくまって合掌したい気持でした。そっと、ドアを閉め、自分は、また銀座に行き、それっきり、そのアパートには帰りませんでした。

 そうして、京橋のすぐ近くのスタンド・バアの二階に自分は、またも男めかけの形で、寝そべる事になりました。

 世間。どうやら自分にも、それがぼんやりわかりかけて来たような気がしていました。個人と個人の争いで、しかも、その場の争いで、しかも、その場で勝てばいいのだ、人間は決して人間に服従しない、奴隷でさえ奴隷らしい卑屈なシッペがえしをするものだ、だから、人間にはその場の一本勝負にたよる他、生き伸びる工夫がつかぬのだ、大義名分らしいものを称(とな)えていながら、努力の目標は必ず個人、個人を乗り越えてまた個人、世間の難解は、個人の難解、大洋(オーシャン)は世間でなくて、個人なのだ、と世の中という大海の幻影におびえる事から、多少解放せられて、以前ほど、あれこれと際限の無い心遣いする事なく、謂わば差し当っての必要に応じて、いくぶん図々しく振舞う事を覚えて来たのです。

 高円寺のアパートを捨て、京橋のスタンド・バアのマダムに、

「わかれて来た」

 それだけ言って、それで充分、つまり一本勝負はきまって、その夜から、自分は乱暴にもそこの二階に泊り込む事になったのですが、しかし、おそろしい筈の「世間」は、自分に何の危害も加えませんでしたし、また自分も「世間」に対して何の弁明もしませんでした。マダムが、その気だったら、それですべてがいいのでした。

 自分は、その店のお客のようでもあり、亭主のようでもあり、走り使いのようでもあり、親戚の者のようでもあり、はたから見て甚(はなは)だ得態(えたい)の知れない存在だった筈なのに、「世間」は少しもあやしまず、そうしてその店の常連たちも、自分を、葉ちゃん、葉ちゃんと呼んで、ひどく優しく扱い、そうしてお酒を飲ませてくれるのでした。

 自分は世の中に対して、次第に用心しなくなりました。世の中というところは、そんなに、おそろしいところでは無い、と思うようになりました。つまり、これまでの自分の恐怖感は、春の風には百日咳(ひゃくにちぜき)の黴菌(ばいきん)が何十万、銭湯には、目のつぶれる黴菌が何十万、床屋には禿頭(とくとう)病の黴菌が何十万、省線の吊皮(つりかわ)には疥癬(かいせん)の虫がうようよ、または、おさしみ、牛豚肉の生焼けには、さなだ虫の幼虫やら、ジストマやら、何やらの卵などが必ずひそんでいて、また、はだしで歩くと足の裏からガラスの小さい破片がはいって、その破片が体内を駈けめぐり眼玉を突いて失明させる事もあるとかいう謂わば「科学の迷信」におびやかされていたようなものなのでした。それは、たしかに何十万もの黴菌の浮び泳ぎうごめいているのは、「科学的」にも、正確な事でしょう。と同時に、その存在を完全に黙殺さえすれば、それは自分とみじんのつながりも無くなってたちまち消え失せる「科学の幽霊」に過ぎないのだという事をも、自分は知るようになったのです。お弁当箱に食べ残しのごはん三粒、千万人が一日に三粒ずつ食べ残しても既にそれは、米何俵をむだに捨てた事になる、とか、或いは、一日に鼻紙一枚の節約を千万人が行うならば、どれだけのパルプが浮くか、などという「科学的統計」に、自分は、どれだけおびやかされ、ごはんを一粒でも食べ残す度毎に、また鼻をかむ度毎に、山ほどの米、山ほどのパルプを空費するような錯覚に悩み、自分がいま重大な罪を犯しているみたいな暗い気持になったものですが、しかし、それこそ「科学の嘘」「統計の嘘」「数学の嘘」で、三粒のごはんは集められるものでなく、掛算割算の応用問題としても、まことに原始的で低能なテーマで、電気のついてない暗いお便所の、あの穴に人は何度にいちど片脚を踏みはずして落下させるか、または、省線電車の出入口と、プラットホームの縁(へり)とのあの隙間に、乗客の何人中の何人が足を落とし込むか、そんなプロバビリティを計算するのと同じ程度にばからしく、それは如何(いか)にも有り得る事のようでもありながら、お便所の穴をまたぎそこねて怪我をしたという例は、少しも聞かないし、そんな仮説を「科学的事実」として教え込まれ、それを全く現実として受取り、恐怖していた昨日までの自分をいとおしく思い、笑いたく思ったくらいに、自分は、世の中というものの実体を少しずつ知って来たというわけなのでした。

 そうは言っても、やはり人間というものが、まだまだ、自分にはおそろしく、店のお客と逢うのにも、お酒をコップで一杯ぐいと飲んでからでなければいけませんでした。こわいもの見たさ。自分は、毎晩、それでもお店に出て、子供が、実は少しこわがっている小動物などを、かえって強くぎゅっと握ってしまうみたいに、店のお客に向って酔ってつたない芸術論を吹きかけるようにさえなりました。

 漫画家。ああ、しかし、自分は、大きな歓楽(よろこび)も、また、大きな悲哀(かなしみ)もない無名の漫画家。いかに大きな悲哀(かなしみ)があとでやって来てもいい、荒っぽい大きな歓楽(よろこび)が欲しいと内心あせってはいても、自分の現在のよろこびたるや、お客とむだ事を言い合い、お客の酒を飲む事だけでした。

 京橋へ来て、こういうくだらない生活を既に一年ちかく続け、自分の漫画も、子供相手の雑誌だけでなく、駅売りの粗悪で卑猥(ひわい)な雑誌などにも載るようになり、自分は、上司幾太(情死、生きた)という、ふざけ切った匿名で、汚いはだかの絵など画き、それにたいていルバイヤットの詩句を插入(そうにゅう)しました。

無駄な御祈りなんか止(よ)せったら

涙を誘うものなんか かなぐりすてろ

まア一杯いこう 好いことばかり思出して

よけいな心づかいなんか忘れっちまいな

不安や恐怖もて人を脅やかす奴輩(やから)は

自(みずから)の作りし大それた罪に怯(おび)え

死にしものの復讐(ふくしゅう)に備えんと

自(みずから)の頭にたえず計いを為(な)す

よべ 酒充ちて我ハートは喜びに充ち

けさ さめて只(ただ)に荒涼

いぶかし 一夜(ひとよ)さの中

様変りたる此(この)気分よ

祟(たた)りなんて思うこと止(や)めてくれ

遠くから響く太鼓のように

何がなしそいつは不安だ

屁(へ)ひったこと迄(まで)一々罪に勘定されたら助からんわい

正義は人生の指針たりとや?

さらば血に塗られたる戦場に

暗殺者の切尖(きっさき)に

何の正義か宿れるや?

いずこに指導原理ありや?

いかなる叡智(えいち)の光ありや?

美(うる)わしくも怖(おそろ)しきは浮世なれ

かよわき人の子は背負切れぬ荷をば負わされ

どうにもできない情慾の種子を植えつけられた許(ばか)りに

善だ悪だ罪だ罰だと呪(のろ)わるるばかり

どうにもできない只まごつくばかり

抑え摧(くだ)く力も意志も授けられぬ許りに

どこをどう彷徨(うろつき)まわってたんだい

ナニ批判 検討 再認識?

ヘッ 空(むな)しき夢を ありもしない幻を

エヘッ 酒を忘れたんで みんな虚仮(こけ)の思案さ

どうだ 此涯(はて)もない大空を御覧よ

此中にポッチリ浮んだ点じゃい

此地球が何んで自転するのか分るもんか

自転 公転 反転も勝手ですわい

至る処(ところ)に 至高の力を感じ

あらゆる国にあらゆる民族に

同一の人間性を発見する

我は異端者なりとかや

みんな聖経をよみ違えてんのよ

でなきゃ常識も智慧(ちえ)もないのよ

生身(いきみ)の喜びを禁じたり 酒を止めたり

いいわ ムスタッファ わたしそんなの 大嫌い

 けれども、その頃、自分に酒を止めよ、とすすめる処女がいました。

「いけないわ、毎日、お昼から、酔っていらっしゃる」

 バアの向いの、小さい煙草屋の十七、八の娘でした。ヨシちゃんと言い、色の白い、八重歯のある子でした。自分が、煙草を買いに行くたびに、笑って忠告するのでした。

「なぜ、いけないんだ。どうして悪いんだ。あるだけの酒をのんで、人の子よ、憎悪を消せ消せ消せ、ってね、むかしペルシャのね、まあよそう、悲しみ疲れたるハートに希望を持ち来すは、ただ微醺(びくん)をもたらす玉杯なれ、ってね。わかるかい」

「わからない」

「この野郎。キスしてやるぞ」

「してよ」

 ちっとも悪びれず下唇を突き出すのです。

「馬鹿野郎。貞操観念、……」

 しかし、ヨシちゃんの表情には、あきらかに誰にも汚されていない処女のにおいがしていました。

 としが明けて厳寒の夜、自分は酔って煙草を買いに出て、その煙草屋の前のマンホールに落ちて、ヨシちゃん、たすけてくれえ、と叫び、ヨシちゃんに引き上げられ、右腕の傷の手当を、ヨシちゃんにしてもらい、その時ヨシちゃんは、しみじみ、

「飲みすぎますわよ」

 と笑わずに言いました。

 自分は死ぬのは平気なんだけど、怪我をして出血してそうして不具者などになるのは、まっぴらごめんのほうですので、ヨシちゃんに腕の傷の手当をしてもらいながら、酒も、もういい加減によそうかしら、と思ったのです。

「やめる。あしたから、一滴も飲まない」

「ほんとう?」

「きっと、やめる。やめたら、ヨシちゃん、僕のお嫁になってくれるかい?」

 しかし、お嫁の件は冗談でした。

「モチよ」

 モチとは、「勿論」の略語でした。モボだの、モガだの、その頃いろんな略語がはやっていました。

「ようし。ゲンマンしよう。きっとやめる」

 そうして翌(あく)る日、自分は、やはり昼から飲みました。

 夕方、ふらふら外へ出て、ヨシちゃんの店の前に立ち、

「ヨシちゃん、ごめんね。飲んじゃった」

「あら、いやだ。酔った振りなんかして」

 ハッとしました。酔いもさめた気持でした。

「いや、本当なんだ。本当に飲んだのだよ。酔った振りなんかしてるんじゃない」

「からかわないでよ。ひとがわるい」

 てんで疑おうとしないのです。

「見ればわかりそうなものだ。きょうも、お昼から飲んだのだ。ゆるしてね」

「お芝居が、うまいのねえ」

「芝居じゃあないよ、馬鹿野郎。キスしてやるぞ」

「してよ」

「いや、僕には資格が無い。お嫁にもらうのもあきらめなくちゃならん。顔を見なさい、赤いだろう? 飲んだのだよ」

「それあ、夕陽が当っているからよ。かつごうたって、だめよ。きのう約束したんですもの。飲む筈が無いじゃないの。ゲンマンしたんですもの。飲んだなんて、ウソ、ウソ、ウソ」

 薄暗い店の中に坐って微笑しているヨシちゃんの白い顔、ああ、よごれを知らぬヴァジニティは尊いものだ、自分は今まで、自分よりも若い処女と寝た事がない、結婚しよう、どんな大きな悲哀(かなしみ)がそのために後からやって来てもよい、荒っぽいほどの大きな歓楽(よろこび)を、生涯にいちどでいい、処女性の美しさとは、それは馬鹿な詩人の甘い感傷の幻に過ぎぬと思っていたけれども、やはりこの世の中に生きて在るものだ、結婚して春になったら二人で自転車で青葉の滝を見に行こう、と、その場で決意し、所謂「一本勝負」で、その花を盗むのにためらう事をしませんでした。

 そうして自分たちは、やがて結婚して、それに依って得た歓楽(よろこび)は、必ずしも大きくはありませんでしたが、その後に来た悲哀(かなしみ)は、凄惨(せいさん)と言っても足りないくらい、実に想像を絶して、大きくやって来ました。自分にとって、「世の中」は、やはり底知れず、おそろしいところでした。決して、そんな一本勝負などで、何から何まできまってしまうような、なまやさしいところでも無かったのでした。

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