2話 前篇 猟奇の果 はしがき(2)
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拝復
御尋ねの場面は、京都四条通りです。撮影日附は八月二十三日です。これは撮影日記によって御答えするのですから、万々間違いはありません。
右御返事のみ。
齋藤久良夫
品川四郎様
「齋藤久良夫というのは、確か日活の監督だね。知っているのかい」愛之助は手紙を品川に返して、云った。
「そうだよ。『怪紳士』を作った監督だよ。知っている訳じゃない。突然手紙で尋ねてやったのだ。感心にすぐ返事をくれたよ。ところで、この手紙が証拠第二号だ。つまりこの手紙によって、『怪紳士』のある場面が、八月二十三日に、京都四条通りで撮影されたことが、確実になった訳だ」
品川はまるで裁判官か探偵の様な言い方をした。八月二十三日というものを、あらゆる方面から研究して、動きの取れぬ様にしようとかかっている。だが、それは一体全体何の為にだ。
「オヤ、こいつは面白くなって来たぞ」
愛之助は薄々事情を悟ることが出来た。なる程、これは品川の云う通り、一大椿事に相違ないと思った。彼の好奇心はハチ切れそうにふくれ上った。
「ところで、八月二十三日に君とホテルへ出かけたのは、おひる少し過ぎだったね。二時頃だと思うのだが」
品川はまだ八月二十三日にこだわっている。
「そう、その時分だった」
「それから夕食を一緒にやったんだから、君と別れたのは日暮れだった」
「ウン、日が暮れていただろう」
「これ丈けの事実をよく記憶して置いてくれ給え。この時間の関係が非常に重大なんだ。アア、それから念の為に云って置くが、京都東京間を一番早く走る汽車は特急だね、それが十時間以上かかるということだ」事の仔細を悟ってしまった青木には、品川のこのくだくだしい説明が、うるさかった。それよりも、早く問題の「怪紳士」の写真が見たくてたまらなかった。
「アア、ここだここだ」品川が車を止めた。降りると、広くガランとした大通りに、誠に田舎びた、粗末な活動小屋が建っていた。
二人は一等の切符を買って、二階席の畳の上に、ジメジメした座蒲団を敷いて貰って坐った。幸なことに、丁度これから問題の「怪紳士」が始まる所であった。
写真が映り始めた。浅草の本場へは、二週間も前に出た、時期おくれの写真である。
探偵劇にろくなものはない。主人公の所謂怪紳士は、つまりルパンなのだが、燕尾服を着た学生みたいな男であった。それと刑事とがお極りの活劇を演じるのだ。
無論愛之助は、写真の筋なんか見ようともしなかった。筋を見ないで画面を見た。京都四条通りの風景が現われるのを、今か今かとかたずを呑んだ。
「サア、よく見ていてくれ給え」隣の品川が愛之助の膝をついて合図をした。
ルパン追撃の場面である。二台の自動車が京都の町を疾駆した。ルパンが自動車を飛降りて刑事をまこうとした。燕尾服のルパンがステッキ片手に、白昼の町を走る。背後に、現われて来たのは、見覚えのある南座だ。四条通りだ。
自動車が走る。小僧さんの自転車が走る。舗道を常の様に市民が通行している。その間を縫って異形の怪漢が走って行く。
と、突然画面の右の隅へ、うしろ向きの大入道が現われた。活劇を見物している市民の一人が、うっかりカメラの前へ首を出したのであろう。
愛之助はある予感に胸がドキドキした。果して、その大入道が、振返ってカメラを見た。スクリーンの四分一位の大きさで、一人の男の顔ばかりが、ギョロリとこちらを見た。
ほんの一瞬間であった。邪魔になると注意でもされたのか、その顔は、こちらを見たかと思うと、忽ち画面から消えてしまった。
その刹那、愛之助はギョッとして息が止まった。大抵は予期していたのだけれど、彼の隣の見物席に坐っている、品川四郎の顔が、畳一畳程の大きさになって、前のスクリーンへ現われた感じは実以て異様なものであった。
偶然「怪紳士」の画面に顔を出した、見物人というのは、品川四郎その人であったのだ。
この世に二人の品川四郎が存在せること
その場面は八月二十三日京都四条通で撮影されたことが分っている。と同時に、その同じ日に、品川と愛之助とは、東京の帝国ホテルで一緒に昼飯を食った。両方とも間違いはない。すると品川四郎は、同日に東京と京都と両方にいたことになる。だが両都の間には特急十時間の距離がある。京都市街の撮影を見物して、同じ日の昼飯を東京で食うなんて、全然不可能な事だ。
そこで、この日本に、品川四郎とソックリの男が、もう一人別に存在するという結論になる。九段でスリを働いたのも、そのもう一人の方の品川四郎に相違ないのだ。
「君はどう考えるね。僕はあれを見てから、この世がひどく変てこなものに思われて来たのだよ」
活動小屋を出て、名も知らぬ場末の町を歩きながら、品川四郎が途方に暮れた体で、愛之助に話しかけた。
「それについて、僕は思当ることがあるのだが、君はこの秋の九段のお祭を見に行きやしまいね」
愛之助は念の為に確めて見た。
「イイヤ、僕はああ云うものには、大して興味がないのでね」
案の定、先日の九段の男は品川ではなかったのだ。そこで、愛之助は例のスリの一件を詳しく話して聞かせ、最後にこう附け加えた。
「どうしても君としか見えなかったものだから、実を云うと、僕は君を疑っていたのだよ。内々スリを働いているんじゃないかとね。ハハハハハ滑稽だね、それで遠慮をして、その後逢った時にも、態とそのことを話さなんだのさ」
「ヘエ、そんなことがあったのかい。すると愈々、もう一人の僕がいる訳だね」
品川は少々怖くなった様子である。
「双生児かも知れないぜ。君は知らなくても、君には赤ん坊の時分に分れた双生児があるのじゃないかい」
「イヤ、そんなことはあり得ないよ。僕の家庭はそんな秘密的なんじゃない。双生児があればとっくに分っている筈だ。それに双生児だって、あんなソックリのがあるだろうか」
「双生児でないとすると、全くの他人で、双生児以上によく似た二人の人間が、この世に存在し得るかどうかという問題になるね」
「だが、僕にはそんなことは信じられん。同じ指紋が二つないと同様、同じ人間が二人ある筈がない」
品川四郎はあくまで実際家である。
「だって君、いくら信じられんと云っても、動かし難い証拠があるんだから仕方がないよ。スリの一件と今の活動写真だ。それに僕はそういうことが全然あり得ないとは思わない。夢みたいな話だがね、僕の書生時代にこんな経験があるんだよ」
渇望していた怪奇に今こそありついた青木愛之助は、もう有頂天であった。
「大学の近くの若竹亭ね(寄席の)学生時代僕はあすこへちょいちょい行ったものだが、行く度に必ず見かける一人の紳士があった。いつも極った隅っこの方にキチンと坐って聴いている。連れはなく独りぽっちだ。その紳士の顔なり姿なりが、…………、………………………………写真にソックリなんだ。髪の刈り方から、口髭の具合、いくらか頬のこけたところまで、全く生写しなんだ。で、僕はよく思ったことだがね、…………生活なんて、まるで我々の窺い知ることの出来ないものだが、案外日本でもスチブンソンの『自殺倶楽部』やマークトウエンの『乞食王子』みたいなことがないとも限らぬ。あの紳士はひょっとしたら真実その……忍び姿じゃあるまいかとね。そして、僕は高座よりは、その紳士の動作にばかり目をつけていたものだ。これは無論僕の妄想で、よく似た別人に極っているが、そんな……に生写しの人さえいるんだから、世の中に全く同じ顔の人間がいないとは、断言出来ぬと思うよ」
「そう云えばね、僕も実は経験がないでもないのだよ」
品川四郎は、少し青ざめた頬を、ピリピリと痙攣させながら、内密話の様な低い声で云うのだ。
「もう三年にもなるかな、大阪の道頓堀でね、人にもまれて歩いていると、うしろから肩を叩く奴があるんだ。そして、ヤア何々さんじゃありませんか、暫くでしたね、というんだ。無論僕の名前じゃないのだよ。で、人違いでしょうと云っても中々承知しない。そして、ホラ、何々会社で机を並べていたじゃありませんかなんて、僕に思い出させようとするんだが、僕はその何々会社なんて、名も知らないのだ。結局不得要領で分れたが、それがやっぱりこの世のどこかにいる、もう一人の僕のことだったかも知れないね」
「ホウ、そんなことがあったの。若しそうだとすれば、その男はきっと僕が九段で味ったと同じ、変てこな気持がしたに相違ないね」
当人の品川はしょげているのに反して、青木愛之助はひどく嬉しそうである。
「君は呑気なことを云っているが、僕にして見れば、随分不愉快なことだよ。考えて見給え、この俺とソックリそのままの奴が、この世のどこかに、もう一人いるんだ。実にいやな気持だよ。若しそいつに出会ったら、いきなりなぐり殺してやり度い位だよ。そればかりじゃない、もっと恐ろしいことがある。君の話によると、奴はどうも悪人らしい。スリを働く位ならいいが、もっとひどい犯罪、例えば人を殺すという様なことが起ったら、僕はそいつと生写しなんだから、どんな拍子で、嫌疑をかけられないとも限らん。僕はそいつの犯罪を止めだてすることは勿論、予知さえ出来ないのだ。随って僕の方にアリバイの成立たぬ場合もあるだろう。考えて見ると、非常に恐ろしいことだよ。相手がどこの何者だか分らぬだけに恐ろしいのだよ。
それから、こういう場合も考えて見なければならない。つまり、僕の方ではその男を知らないけれど、その男の方では僕を知っているという場合だ。僕は雑誌に写真が出るから、先方は僕よりも、ずっと気づき易い立場だからね。しかも、そいつが悪人なんだ。悪人が自分と寸分違わぬ男を発見した時、どんなことを、どんな恐ろしいことを考えるか。君、これが分るかね。そいつは、若し僕に妻があれば、その妻をだって、盗むことが出来るんだよ」
二人は車を呼ぶことも忘れて、夢中に喋りながら、場末の町を行先も定めず歩き続けた。
品川四郎はそうして次から次へと、不気味な場合を考え出しては喋っている内に、「二人の品川四郎」という不可説なる怪奇が、徐々に、非常に恐ろしい事に思われ出したらしく、彼の目が怪談を聞いている人の様に、不思議な光を放って来るのであった。
愛之助不思議なポン引紳士にめぐり合うこと
青木も品川も、この奇妙な事件にすっかり惹きつけられてしまった。前にも云った通り、猟奇者青木は、猟奇倶楽部なんかでは経験の出来ない生々しい怪奇であったが故に。又実際家品川は、それが現実の不可思議であり、しかも直接彼自身の問題であったが故に。
彼等は出来るならば、そのもう一人の品川四郎を探し出したいと思った。だがそれは迚も不可能な事だ。新聞に懸賞尋人広告でも出して見たらと考えたけれど、先方がスリを働く様な犯罪者なんだから、広告を見たら却って警戒するばかりだ。
「君、今度若しそいつに出っくわす様なことがあったら、尾行して住所をつきとめてくれ給えね。僕も無論心掛る積りだけれど」
「いいとも、君の為でなくて、僕自身の好奇心丈けでもそれはきっとやるよ」
で、結局、彼等両人が盛り場を歩いたりする時、行違う人に注意を怠らず、気長にその男を尋ね出すしか方法はないのであった。
まるで雲を掴む様な話である。併し読者諸君、「世間は広い様で狭い」とはよく云った。それから二ヶ月程たったある日のこと、彼等は遂にそのもう一人の品川四郎を見つけ出したばかりか、いとも不思議な場面に於て、両品川が一種異様の対面(アア、それが如何に奇怪千万な対面であったか)をする様なことになったのである。
だが、それを語る前に、余談に亙るけれど、順序として、青木愛之助のある変てこな経験について、(それが決して興味のないことではないのだから)少々紙面を費やすのをお許し願わねばなりません。
事の起りは彼等が宝来館で「怪紳士」の映画を見物した翌十二月、青木愛之助が、ふと銀座裏のある陰気なカフェに立寄ったことから始まる。
もうボツボツ避寒の季節だから、上京でもあるまいと二の足を踏んだけれど、虫が知らすというのか、何となく東京の空が恋しくて、つい上京してしまった。その滞京中の出来事である。
歳末の飾り美々しい銀座街の夜を一巡歩いて、
「こんな、つまらない町へ、毎晩散歩に出掛けてくる青年少女諸君もあるんだなあ」と今更ら不思議に感じながら、併し、猟奇者青木愛之助は、その裏の方の小暗い隅には何かしら隠されている様な気もして、未練らしく横町を暗い方へ暗い方へとさまよって行った。
とある裏町を歩いていると、ふと目についたのは一軒の小さなカフェである。目についたと云っても、決してその家が立派であったり、賑かであったり、その外の目立つ特徴があった為ではない。表通りの名あるカフェに引きかえて、余りにも淋しく、陰気で、影が薄かったからだ。
ひどくしょんぼりしている有様を可哀想に思ったので、愛之助は何という事もなく、ツカツカとその家へ這入って行った。十坪程の土間に、離れ離れに三四脚のテーブルが置かれ、常緑樹の大きな鉢植えが、その間々に、八幡の藪不知の竹藪の感じで並んでいる。キザな流行の赤や紫にしている訳ではないが、電燈は蝋燭の様に、というよりも寧ろ行燈の様に薄暗く、シーンと静まり返って、一人の客もなければカウンターに給仕の姿も見えぬ。墓場みたいなカフェである。その癖、暖房の装置はあるのか、ホンノリと暖か味が通って不愉快な程寒くはない。
青木は、大声に給仕を呼ぶのも野暮だと思ったので、先ず椅子につく為に、片隅の鉢植の葉蔭へ這入って行った。そしてドッカリ腰をおろした時、彼は意外にも、その同じテーブルに一人の先客がいることを発見した。薄暗い中でも薄暗い、部屋の隅っこだったのと、その客が非常に静かにしていたので、つい気附かなんだのである。
「失礼」と云って席を換えようとすると、その客は「イヤ、どうかその儘。僕も丁度相手がほしくっていた所ですから」と手でとめるのだ。見ると、中年の洋服紳士で、どことなく人懐っこい男である。それに中々凝った仕立ての、安くない服を着ている。青木はブルジョアの癖として、そんなもので相手の身分を想像し、安心して彼のお相手をする気になった。
やがて、いないと思った給仕が、どこからか影の様に現れて、注文の品々を運んで来た。決してまずい料理ではない。酒も上等のものが揃っている。そこへ持って来て、人懐っこい話相手。愛之助はすっかり上機嫌になってしまった。
「居心地の悪くない家ですね」
「でしょう、僕はここが非常に気に入っているんですよ」
という様なことから、二人の間に段々話がはずんで行った。愛之助は酒に強くないので、チビチビ嘗めた二杯のウィスキイで、もう酔ってしまって、ボンヤリと、いい気持になっていた。そこで、彼は例によって「退屈」について語り始めたものである。
相手の紳士は、同感と見えて、成程成程と肯きながら聞いていたが、暫くすると、非常に婉曲な云い廻しで、愛之助の身分を尋ねるのだ。青木は酔っていたものだから、知らず識らず相手の調子に乗せられて、彼の身の上を語っていたが、流石にふと気づいて、変な顔をして尋ねた。
「オヤオヤ僕は自分のことばかり喋っていましたね。ところで今度はあなたの番だ。ハハハハハハ御商売は」
すると相手の紳士は、一寸とりすまして見せて、意外なことを云うのである。
「私はね、これで一種のサンドイッチマンですよ。これからあなたにビラを配ろうという訳なんです」
何とまあ立派なサンドイッチマンであろう。
「イヤ決して冗談ではありません」と紳士は続けるのだ。「私は実は、あなたの様な猟奇……者ですかね、つまり好奇心に富んだお方を、こうしてカフェなどを歩き廻って探すのが役目でしてね。それ丈けでちゃんと月給を頂いているのですよ。体のいいサンドイッチマン、も一つ言葉を変えて云えば」と内しょ声になり「つまる所妓夫太郎なんです」
青木は紳士の云うことが余り変なので、面喰った形で、マジマジと相手の顔を眺めていた。
「ある秘密な家がありましてね」と紳士が説明する。「そこへは上流社会の方々、富豪とか大官とか、……………さえも、(殿方も御婦人もですよ)ひそかに御出入なさるのです。と云えば大抵お分りでしょう。こういうことは、普通なれば金壺眼のお婆さんか、辻待の人力車夫が、紹介の労を取るのですが、ホラ、相手方が職業者ではない、身分のある御婦人です。随ってポン引の風采が斯くの次第。ハハハハハその秘密な家はただ場所を提供して謝礼を頂くに過ぎませんが、絶対安全を保証する代りには、謝礼金もお安くありません。そこでお客様を選ぶのにこんな手数がかかるという訳です。お分りになりましたか。失礼ですがあなたなれば、充分資格がおありです。御風采といい、御身分といい、それから珍らしい猟奇者でいらっしゃるのだから」
聞くに従って、愛之助は酒の酔が醒めてしまった。この世の裏側の恐しさではない、世にも不思議なポン引紳士にめぐり合った嬉しさにだ。そこで彼は真面目になって、一膝のり出して細々とした談判にとりかかるのであった。
平家建の家に二階座敷のあること