11話 名探偵の盲点
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「ああ、君はそこまで考えていたのか」
明智は驚いたように美しい青年の顔を見つめた。
「むろん、そういう場合も考えられないではない。しかし僕はそういうことを考える前に、まだ一つ、この謎を解くいとぐちが残っていると思うのだよ。それはね、この犯罪には共犯者がなかったかということだ。いや、共犯者というよりも、一人のうら若い女性を人形として、心にもない行動を取らせた、恐るべき蔭の人物が存在するのではないかということだ。
綾子さんは塔の頂上から、屋敷のそとの誰かに、懐中電燈の合図をした。あれはただ一と晩のことではなくて、その前にも、その後にも、人知れず同じ合図を繰り返していたかもしれない。その合図を受けていたのはいったい何者だろう。
僕は犯人の断定をくだす前に、先ずこの秘密を探らなければならないと思うのだよ」
「ああ、そうでした。僕は塔の出来事を知らなかったので、そこまで気がつきませんでしたが、先ずそれを確かめてみなければなりませんね」
一郎は、少しでも姉の罪の軽くなることを願うかのように、やや明かるい表情になっていうのであった。
「むろん僕は塔の出来事があってから、君のうちに泊っていた三日のあいだ、毎晩それに注意していたが、三日間は何事もなかった。
それからここへ入院して、二日ほど何を考える力もなかったが、おととい、そのことを思い出して、助手のものに、毎晩君のうちをそとから見張らせてあるのだよ。もし塔の窓に合図の光を見たら、その受信者を探し出すようにね」
「そうでしたか。こんなおからだで、そこまで気を配っていてくださるとは思いもよりませんでした」
一郎は驚きの色さえ見せて、名探偵の周到な用意を感謝するのであった。
「あいつがなぜ僕を撃ったか。むろん追いつめられた苦しまぎれでもあったのだが、一つは、僕が君のうちに泊り込んでいては、思うように行動できないので、しばらく僕を遠ざけるためではないかと思うのだよ。
あいつは決してヘマをやらないやつだ。僕を殺そうと思えば充分殺せたのだ。それをわざと急所をさけて、ここを撃ったのは、僕はあいつの殺人予定表にはいっていなかったからだと思うよ。
そうして僕を遠ざけておいて、そのあいだに、あいつはすっかり予定の行動を終るつもりかもしれない。だから、僕はこうしていても気が気ではないのだよ。
君も充分身辺に注意していてくれたまえ。あいつは決して君を殺すことを諦めたわけじゃないのだからね。
お父さんやおばあさんにも気をつけて上げなけりゃいけない。夜の見張りは大丈夫だろうね」
「ええ、鞠子のことがあったので、北森さんのお計らいで又うちの警戒が厳重になったようです。
僕はあんな無気味なうちにいるよりも、いっそ転宅した方がよくはないかと、父に勧めたのですけれど、父は母の敵を捉えるまで、意地にもこのうちに頑張っているんだといって、聞かないのです」
「ウン、転宅するのも一案だが、あいつにかかっては、たとえ住まいを変えてみたって同じことかもしれない。何よりも警戒が大事だよ。そして、さし当たっては、綾子さんの行動によく注意することだ。また塔の中へはいるようなことがあったら、決して見逃がさないようにしてくれたまえ」
明智はまだ傷口が癒えていなかったし、食慾も進まず、体力も衰えていたので、これ以上の会話は苦痛らしく見えた。それに、ちょうどその時、遠ざけてあった看護婦がはいってきたので、一郎はそれをしおに暇をつげることにした。
「それじゃお大事に」
「ウン、君もよく気をつけてね」
一郎はベッドの明智の顔の上にかがみ込むようにして、親しげに挨拶した。その様子には事件の依頼者と探偵との関係ではなくて、何かしら父と子、或いは兄と弟のようにうちとけたものが感じられた。
一郎が立ち去ると、明智は楽な姿勢に寝返りをして、一とこと二たこと看護婦に口をきいたが、そのまま眼をふさいでしまった。眠ったのではなくて、何か深い考えに沈んでいる様子である。
若い看護婦は所在なく椅子にかけ、雑誌を読み、明智は仰臥して瞑目したまま、春の日の三十分ほどが、深い沈黙のうちに流れていった。
「あっ、そうだ。あれがおれの盲点にかかっていたんだ」
突如として、ベッドの明智の口から、譫言のような叫び声が漏れた。
「まあ、どうなすったのです。夢をごらんになったの?」
看護婦がびっくりして椅子を立ち、ベッドのそばへ寄って来た。
「ヤ、失敬失敬、なあに、夢じゃないのだよ。考えごとをしていたのさ。そしてね、大発見をしたものだから、つい口に出してしまったのさ」
「あら、そうでしたの? でも、あまり考えごとなすっちゃ、おからだにさわりますわ。少しお寝りになっては……」
看護婦はむろん明智の盛名を聞き知っていた。
「フフフフフ、とても寝られないよ。考えごとは僕の恋人なんだからね。今すばらしい恋人を発見したというわけなんだよ。
君はいろいろな人の家庭を見ているんだから、この世の裏に通じているはずだね。裏ってもの、面白いとは思わないかい。殊に僕の仕事ではね、その裏にまた裏があるんだよ。そのもう一つ奥の裏だってあるんだよ。ハハハハハ」
明智はモジャモジャ頭を、無事な方の手で、乱暴に引っかきまわしながら、有頂天の有様であった。青白い顔が桃色に紅潮して、眼がキラキラとかがやいていた。
明智ほどの人物をこんなに興奮させる発見とは、そもそも何事であったのか。むろん伊志田家の犯罪についてであろうが、いま一郎と論じつくしたばかりのその事件に、いったいどんな新解釈が可能であったのか。
「君、すぐ電話をかけてくれないか。いや、僕のうちじゃないよ。麻布のね、二七一〇番、有明荘というアパートだ。そこの越野という人を呼び出してね、僕からだといって、すぐここへくるように頼んでくれたまえ。わかったかい。越野というのは、僕の仕事の手伝いをしてくれる男なんだよ」
看護婦ははしゃぎきっている明智の様子に面喰いながら、電話番号を暗記して、部屋を出て行った。
「ああ、おれはなぜそこへ気がつかなかったのだろう。外形にまどわされていたんだ。非常な失策だ。殺さなくてもいい人を殺してしまった。
だが、越野にうまくやれるかしら。おれが動けるといいんだが、このからだではとても外出は許されないし」
明智はさももどかしげに、一そう乱暴に髪の毛をかきまわしながら、声に出して独り言をいうのであった。