暗黒星

14話 麻酔薬

4,233字 約8分 2022年10月21日 公開

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 その翌日の午後になって、ゆうべ顔見知りになっている北森捜査課長の部下の三島という古参刑事が、一人の同僚をつれて伊志田家を訪ね、もう一度あらためて邸内外の捜索をしたいと申し入れた。

 伊志田氏はむろん喜んで承諾した。妻を失い、鞠子を失い、今また一郎と綾子が行方不明となって、残るは老母と伊志田氏とただ二人、さすが強情な伊志田氏も、茫然(ぼうぜん)自失、なすところを知らぬていであった。

 三島刑事は、伊志田氏の案内によって、犯罪現場の庭から、円塔内部の各階、一郎、綾子の寝室と、順序よく調べて行ったが、ゆうべ同様、何一つ手掛りらしいものを発見することはできなかった。

「念のためにほかの部屋も一と通り見て(まわ)りたいのですが」

 刑事の言葉に、伊志田氏はまた先に立って、まず階下の部屋部屋を案内した。階下には大小八つの部屋があったが、七つ目までは別段の発見もなく、あとには母屋から円塔への通路に接した空き部屋が残っているばかりであった。

「ここは物置きになっているのです。不用の机や椅子などがほうり込んであるのです」

「そうでしたね。ゆうべも確かここは調べたのですが、何ぶん懐中電燈の光ですから、充分というわけにはいきませんでした」

 三島刑事はそんなことを言いながら、ドアをひらいてその部屋へはいって行った。

 いろいろながらくた道具がゴタゴタと並べてある一方の隅に、厚いカーテンが下がっていた。刑事はまっ先にそのカーテンに進み寄って、サッとひらいたが、ひらいたかと思うと、アッと叫んで、思わずあとじさりをした。

 そのカーテンの蔭の道具類のあいだに、一人のパジャマ姿の男が、俯伏(うつぶ)せに長々と横たわっていたからだ。

 伊志田氏も刑事の叫び声に驚いて、その場に近づいてきた。そして、一と目倒れている人の姿を見ると、

「アッ、一郎だ、一郎、どうしたんだ」

 と大声を立てて()け寄った。

「このかたが一郎さんですか」

「そうです。やられているのかもしれない。見てやってください」

 刑事も手伝って、倒れている人を仰向けにして、からだじゅうを調べてみたが、別に負傷している様子もない。

「一郎、しっかりしなさい。おい、一郎、一郎」

 伊志田氏が烈しく肩を揺り動かすと、一郎は何かわけのわからぬことを(つぶや)きながら、眼をひらいて不思議そうに父の顔を見た。

「あ、気がついたな。さあ、しっかりするんだ。一体これはどうしたというのだ」

 なおからだをゆすって力をつけると、一郎はやっと正気を取り戻したらしく、もそもそと身動きをして、父に助けられながら、上半身を起こした。

「このかたは?」

 眼で刑事たちをさし示す。

「警察のかただよ」

 それを聞くと、一郎はびっくりしたように眼を見はった。

「じゃあ、何かあったのですか……綾子姉さんはどうしました」

「なぜそんなことを聞くのだ。綾子がどうかしたのか。お前はそれを知っているのか」

 伊志田氏は一郎が綾子の行方を知っているのではないかと考えた。

「いいえ、なんでもないのです。でも、姉さんに変ったことは起こらなかったのですか。今どこにいるんですか」

「それはあとで話そう。それよりも、お前はどうして、そんな妙な所に倒れていたんだ。先ずそれを思い出してごらん」

「どうしてここにいるのか、僕にもよくわからないのです。なんだか永いあいだ(ねむ)っていたような気がしますが、きょうは何日(いつか)なんですか」

「何日といって、お前ゆうべの食事はわしと一緒にたべたじゃないか」

「そうですか。じゃあ今はあの翌日なんですね。すると僕は一と晩ここに睡っていたわけです。ゆうべの十一時少し前までのことは覚えているんだから」

「ホウ、十一時といえば、ちょうどあの事件の頃ですね」

 三島刑事は思わず(つぶや)いた。

「えっ、あの事件って? じゃ、やっぱり何か事件があったんですね。それを聞かせてください。誰がやられたのです」

「ともかくもあちらの部屋へ行こう、そして、ゆっくり話そう。お前歩けるかい」

 伊志田氏がやさしく(たず)ねると、一郎はやっとの思いでフラフラと立ち上がった。

「なんだか眼まいがするけれど、なあに大丈夫です」

 伊志田氏と三島刑事が両方から腕を支えて、応接間までたどりつき、一郎をそこの長椅子(ながいす)に掛けさせた。伊志田氏の指図で、女中が葡萄酒(ぶどうしゅ)と水とを運んできた。

 先ず伊志田氏から、ゆうべの出来事をかいつまんで話して聞かせると、一郎は驚きの眼をみはって聞いていたが、やがて、葡萄酒に唇を湿しながら、彼の記憶を語り出した。

「僕はゆうべ十一時少し前、僕の寝室の前を誰か通り過ぎる足音を聞いたのです。みんなもう寝たはずだし、手洗所へ行くのには、僕の部屋の前を通らなくてもいいんだし、変だなと思ったのです。足音の消えていった方角には、空き部屋か、そうでなければ塔の入口しかないのですからね。

 僕は、ひょっとしたら誰か塔の中へ忍んで行くのじゃないかと思いました。綾子姉さんが、塔の三階から懐中電燈の信号をするらしいことは、明智さんに聞いていたのです。そして、それとなく姉さんの挙動を注意するように言われていたんです。

 むろん、姉さんが今度の事件の犯人だなんて考えられません。そんなことはあり得ないと思うのです。誰かほかのやつが姉さんに化けていたのかもしれません。ええ、きっとそうです。でなけりゃ、あんなことができるはずはありません。姉さんがあんなことするなんて、想像できないのです」

 一郎は何事か思い出したらしく、急に興奮の色を見せた。

「あんなことというのは?」

 伊志田氏が不安な面持ちで聞き返した。

「それはこうなんです、その足音を不審に思ったので、僕は明智さんから言われていたことを思い出し、ベッドを降りて、音を立てないように、ソッと廊下を出てみたのです。

 足音をやりすごしておいてから、廊下へ出たので、もう人の姿は見えなかったけれど、誰かが塔の方へ行ったことは確かなんです。ですから、僕も壁を伝うようにして、足音を忍ばせながら、その方へ歩いて行きました。

 塔の通路には、電燈がついていないので、僕の部屋から一つ角を曲がると、突然廊下が暗くなります。僕はその暗い廊下へはいって行きました。

 そして今考えてみると、あの僕の倒れていた物置き部屋の前あたりにさしかかった時に、僕は背中の方で、スーッと空気の動くのを感じたのです。誰かうしろに人がいるのです。

 僕は前の方ばかり注意していたので、うしろから人が近づいてくるけはいを感じて、ギョッとしました。それで、思わず立ち止まって、うしろを振り向こうとしたのですが、それよりも先方がすばやかったのです。

 僕は誰かわからないやつに、うしろからグッと抱きしめられました。それと同時に、僕の鼻と口が何か濡れた布のようなもので、ピッタリ(ふさ)がれてしまったのです。

 なんともいえぬいやな(にお)いでした。僕はその烈しい匂いを腹一ぱい吸い込んでしまったのです。すると、なんだか、からだが深い海の底へでも沈んで行くような気持がしました、今考えてみれば、麻酔剤だったのです。

 それから僕は怖いような美しいような、わけのわからない夢を見つづけていたのですが、正気を失った僕は、そいつのために、あの物置き部屋のカーテンの(かげ)へ連れ込まれたのに違いありません。

 これが僕の知っている全部です。綾子姉さんが僕に麻酔剤を()がせるなんて考えられないことです。第一、姉さんはそんな薬を持っているはずもないのですからね」

 一郎は語り終って、グッタリと長椅子に身を沈めた。

「フーン、そうでしたか。すると、犯人はあなたが邪魔をしないように、麻酔させておいて、それから塔にのぼって信号をはじめたわけですね。その信号に応じて、荒川という青年が塔の下まで忍んでくる。それを犯人が何かの理由で射殺したという順序ですね。しかし、それにしても、どうもわからないところがある。あなたもおっしゃるように、お嬢さんが、あなたを麻酔させたり、荒川を撃ったりなさるというのは、まったく想像できないことですからね」

 三島刑事が(まゆ)(しわ)をよせて、小首をかしげながら考え深い調子で言う。

「そうです。わたしも綾子がそんなまねをするとは、どうにも考えられない。明智さんは、綾子が塔にのぼって信号しているのを見たというのだが、何かそこに間違いがあるのじゃないかと思うのです。

 その時も、綾子を呼んで、明智さんの前で、充分問いただしたのですが、綾子はまったく覚えがないというのです。自分の娘を(かば)うわけじゃありませんが、どうも綾子が(うそ)を言っているようには思われぬ。それに、第一、あの子が、母や妹を殺すなんて、そんなばかばかしいことがあるわけはないのですからね」

 伊志田氏は、ゆうべそのことが小林少年の口から漏れて以来、綾子がまるで犯人のようにあつかわれているのが、忿懣(ふんまん)に耐えないのであった。

「いずれにしても、お嬢さんの行方を探さなければなりません。犯人がお嬢さんをどこかへ連れ去ったとすれば、一刻もぐずぐずしてはいられないわけですし、もしそうでないとしても、お嬢さんさえ探し出せば、おそらくあの荒川という不思議な青年のことも、何かわかるかもしれません。この際なにはおいても、お嬢さんの行方を突きとめるのが、第一の急務です」

「しかし、綾子がどこへ連れ去られたのか、まったく手掛りもないのですからねえ」

 伊志田氏が憮然(ぶぜん)として言うと、三島刑事は気の毒な父親を力づけるように、それを打ち消した。

「いや、まだ失望なさることはありません。われわれは捜査らしい捜査はしていないのです。これからですよ。それには又いろいろ手段もあるのです。

 例えばですね、犯人がお嬢さんを誘拐したとすれば、いくら夜ふけでも、まさか担いで行くわけにはいきませんから、必ず乗り物を利用しているに違いありません。おそらく自動車でしょう。ですから、先ず自動車のガレージなり運転手なりを調べてみるという手段があるわけです。

 それから、この付近の通行人を調べる方法もあります。夜ふけのことですから、町内の夜番とか、シナソバ屋とかですね。また付近の住宅を(しらみ)つぶしに調べて行けば、まだ十二時前だったのですから、この辺を歩いていた人がないとも限りません。その中にお嬢さんをつれた怪しい人物を見かけたものでもあれば、それが出発点になって、だんだん捜索の歩を進めて行くことができるのです。

 われわれはこれからすぐ、その方面の調査をはじめてみようと思うのですよ」

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