22話 暗黒星
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「えっ、犯人がここにいる? それに、君はどうしてそんなに落ちついているのです。一体そいつは何者です?」
北森捜査課長は、もどかしげに、明智の顔を見つめた。
「しばらくお待ちください。その犯人を指摘する前に、少し説明しなければならない点があるのです。今すぐ犯人の名を言っても、皆さんはおそらく信じられないだろうと思うからです」
名探偵は例の落ちつき払った調子で語りはじめた。
「犯人が伊志田一家の全滅を企てていたことは、これまでの事件の経過によって明らかです。しかし、よく考えてみると、犯人はまだその計画の半分もなしとげていない。ご主人の伊志田氏と綾子さんとは、今一歩という危うい場合を救い出すことができたのですし、一郎君は、度々危害を加えられたけれど、幸いにその都度命拾いをしている。ですから、犯人が完全にその目的を果たしたのは、夫人の君代さんと、小さい鞠子さんと、ただ二人であったということになります。
しかし、二人にもせよ犠牲者を出したことは、最初からこの事件に関係している僕としては、実に申しわけないことで、この点は依頼者の一郎君にも、深くお詫びしなければなりません。君代さんの場合は、まったく僕の手落ちといってもいい。僕がここに泊まり込んでいて、あんなことが起こったのですからね。その時、僕自身も犯人のピストルによって重傷を負ったというくらいでは、申しわけにならないことはよく知っています。
また鞠子さんの場合も、たとえ僕の入院中の出来事であったとはいえ、適当な手配をしておけば、未然に防ぎ得たかもしれないのです。これについても、僕は充分責任を感じています。
そういう手落ちがあったのですから、僕としては、その申しわけのためにも、是が非でも犯人を捕えなければならない。そうして二人の犠牲者の霊にお詫びをしなければならないと、病院にいても、ただそればかりを考えていた。そして、とうとうこの地獄の謎を解く鍵を発見したのです」
聞き手は、この長い前置きをもどかしく思った。犯人は誰か。今どこにいるのか。それを早く聞きたいと思った。だが、明智は、犯人はもう監視を受けているという安心のためか、それとも何かほかに事情があったのか、結論はあと廻しにして、先ず彼の推理の経過を語るのであった。
「今度の事件をよく考えてみると、同じ伊志田家の家族中でも、犯人の襲撃のしかたがまちまちであったことに気づきます。もっとも際立っているのは、一郎君のお祖母さんだ。あの方はまったく一度も害をこうむっていない。非常なお年よりだから、犯人が問題にしなかったのかもしれないが、まるであの方だけ家族の一員でないかのような取扱いを受けている。
一方、これとは逆に、もっともしばしば犯人に狙われたのは一郎君、君だ。まっ先に短刀で刺されたのも君だし、その後も、麻酔剤を嗅がされて一と晩じゅう物置き部屋にころがっていたり、そうかと思うと、ゆうべは古井戸の底に投げ込まれていた。そのほか、君の写真の眼から血が流れたり、犯人から電話がかかってきたり、犯人はいつも君をもっとも憎んでいるように見えた。綾子さんは、恐ろしい嫌疑をかけられ、この事件では重要な役目を勤めているのだけれど、ほんとうに殺人鬼に襲われたのは、今度がはじめてなんだからね。
だが、君は幸運にも、死をまぬがれることができた。いや、君は幸運だったというよりも、犯人の方が不手際だった。例えば君に麻酔薬を嗅がせて、一晩空き部屋へほうり込んでおくというようなやり方は、僕にはまったく理解できないことだ。そのひまに、君の命を奪おうと思えば、いつだって目的をとげることができたはずだからね。
犯人は君をおもちゃにしていたのだろうか。一と思いに殺すのはもったいないので、何度でもひどい目にあわせてやれというつもりだったのだろうか」
明智はそこで口を切って、じっと一郎青年の顔を見つめた。一郎は無表情な顔で、別に言葉をはさもうとはしなかった。
「探偵という仕事は、どんなに不可能に見えることでも、一応疑ってみなければならない。僕はこの犯人の変なやり口に興味を感じた。それを底まで研究してみようと思った。
僕はかつて、アメリカのある非常に聡明な殺人犯人の話を読んだことがある。その犯人は嫌疑をまぬがれるために、自分自身をピストルで撃って、重傷を負ったのだ。そして、ある名探偵に、みずから進んで事件の捜査を依頼した。つまり彼は逆手を打ったのだ。危険のまっ唯中に身をさらすことが、かえって安全だという論理を知っていたのだ。そして、名探偵に対して知恵くらべを挑んだのだ。ある種の性格にとって、こういう知識的なスリルは、何にもまして魅力があるものだからね。
で、そのアメリカの犯罪事件では、さすがの名探偵も、永いあいだ犯人の捨て身の戦法に欺かれていたのだが、しかし、結局勝負はついた。犯罪者が法律に勝つなんてことはあり得ないのだ。その探偵は、幾人かの生命を犠牲にしたが、最後には真犯人を捕えたのだよ」
「ちょっと待ってください。それはどういう意味なのですか。その聡明な犯人というのは、外形上、今度の僕の立場となんだか似ているようですが……先生に最初事件をお願いしたのも僕なんだし……」
一郎青年はびっくりしたような顔をして、探偵を見つめた。
「外形ばかりじゃない。実質的にも似ているんだよ」
「えっ、それじゃ……ハハハハハ、何をおっしゃるのです。こんな際につまらない冗談はよしてください」
一郎はとうとう腹を立てたらしく、烈しい口調で言った。だが、明智は別に失言を取消すでもなく、また妙な譬え話をはじめた。
「どこかの天文学者が、暗黒星という天体を想像したことがある。星というものは必ず自分で発光するか、他の天体の光を反射するかして、明かるく光っているものだが、暗黒星というのは、まったく光のない星なんだ。宇宙にはそういう眼に見えない小さな星があって、それが或る場合に地球に接近してくるというのだ。接近するばかりじゃない、非常に小さい星なので、地球の引力に負けて、衝突することもあり得るというのだ。
これは怖い話だ。すぐそばまで近づいていても、まったく眼に見えない星、夜、空を見ていて、そういう星を考えるとゾーッとすることがある。小さいと言っても、やはり独立の星なんだから、地球に接近すれば、空全体を蔽ってしまうほどの体積を持っているに違いない。
僕は今度の事件を考えていて、ふとその暗黒星の話を思い出した。今度の犯人は、つい眼の前にいるようで、正体が掴めない。まったく光を持たない星、いわば邪悪の星だね。だから、僕は心のうちで、この事件の犯人を、暗黒星と名づけていたのだよ」
「で、その暗黒星は何者だとおっしゃるのですか」
明智のもどかしい話し方を、我慢ができないというように、一郎青年がどなった。美しい顔が腹立たしそうにパッと赤らんでいた。
「君が考えている通りさ」
「えっ、僕が考えている?」
「ウン、君が一ばんよく知っていると思うんだ。君自身のことだからね」
「えっ、それじゃ。やっぱり先生は、僕が犯人だと……」
「何か異議があるのかい」
明智は少しも声の調子を変えないで言った。