暗黒星

6話 塔上の怪

4,084字 約8分 2022年10月21日 公開

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 しかし、一郎は眠ろうとはしなかった。眠らないばかりか、一そう大きな眼を見ひらいて、向こうのガラス窓のそとを見つめていた。何か物に憑かれたように、いつまでも同じところを見つめていた。

「どうしたんだ。何をそんなに見ているの?」

 明智もその方へ眼をやった。窓のそとにはただ夜の(やみ)があるばかりであった。その闇の中に、闇よりも黒い大入道のようなものが(そび)えていた。伊志田屋敷の名物の円塔である。西洋の城郭にあるような、煉瓦(れんが)造りの円形の塔である。一郎の眼は、どうやらその円塔のあたりに注がれているらしいのだ。

「あれをごらんなさい。僕はゆうべもあれを見たのです。なんだか恐ろしいのです。僕の幻覚じゃないでしょうか」

「あれって、なに? どこを見ているの?」

「塔の頂上の窓です。じっと見ていてごらんなさい……ほら、あれです。先生、あの光です。先生には見えませんか」

 それは決して一郎の幻覚ではなかった。円塔の頂上の部屋の窓に、ボーッと蛍火(ほたるび)のような光が射している。室内の電燈がついたのではない。何かもっと小さな白っぽい光だ。もしかしたら、どこか外部からの光が、ガラスに反射しているのではないかと考えたが、そうではなくて、やはり室内からの光らしい。かすかに揺れている。

「ね、見えるでしょう。さっきから光ったり消えたりしているのです。ほら、消えてしまった。きっと今にまた光りますよ」

 見ていると、一秒もたたぬうちに又ボーッと光り出した。そして、光っては消え、消えては光り、まるで、その円塔の壁に、巨大な蛍がとまって息づいているような感じであった。

「懐中電燈のようだね」

「ええ、僕もそう思うのです」

 二人は円塔から眼を離さず、必要以上に声を低めて(ささや)きかわした。

 円塔の内部は久しく使用せず、荒れるにまかせてあった。その廃墟のような建物の中に、何者かが潜んでいるのだ。

「誰かが、ああして外部の者と秘密の通信をしているのじゃないでしょうか」

「ウン、そうかもしれない」

「このあいだ、家捜しをした時には、あの塔の中もむろん調べたのでしょうね」

「調べたのだよ。別に異状はなかった。人の隠れているようなけはいは少しもなかった」

 しかし、今は確かに人がいるのだ。あいつかもしれない。黒覆面の中から眼ばかりを光らせているあの怪物かもしれない。

「待っていたまえ、ソッと塔へ行って調べてみよう」

 明智の有本医師はあわただしく囁いて立ち上がり、壁のベルのボタンを押した。

「先生、大丈夫ですか。僕、なんだか心配です」

 一郎青年はベッドの上に半ば起き上がって、青ざめた顔で名探偵を見上げながら、引き止めたいように両手をさし出すのであった。

「心配しなくってもいい。さあ、じっと寝ていたまえ」

 有本医師は、青年の手を取って、元のように横にならせ、毛布をかけてやった。

 そこへ、ベルを聞いて、書生の一人がはいってきた。北森捜査課長が世話をした、刑事上がりの男だ。

「君、少しのあいだ、この部屋にいてくれたまえ。僕が帰ってくるまで見張りを頼む。油断をしないようにね」

 書生が(うなず)くのを見て、明智はもう廊下へすべり出ていた。そして、円塔の方へと足音も立てないで、風のように走り出していた。

 円塔へは曲がりくねった廊下つづきになっていたが、母屋(おもや)を離れると、にわかに廊下が狭くなり、電燈もついていないので、まるで穴蔵へでもはいって行くような感じであった。

 塔に近づくにしたがって、明智は速度をゆるめ、足音を忍ばせ、油断なく身構えしながら、前方の(やみ)の中を見すかすようにして進んで行った。

 塔の入口のドアはひらいたままになっていた。ほとんど手探りでそこをはいり、しばらく息を殺して様子を窺っていたが、冷たい塔の内部は墓場のように静まり返っている。

 こういう時のために、常に用意している懐中電燈を取り出して、チラッとそのあたりを照らしてみた。誰もいる様子はない。部屋の右手に、(ほこり)のつもった頑丈な木製の階段が見える。明智は懐中電燈を消して、音を立てぬように注意しながら、その階段を登って行った。

 円塔は三階造りになっていたので、同じような階段を二つ登らなければならなかった。第二の階段は、呼吸さえ殺すようにして、一寸ずつ一寸ずつ、虫の()うように這い上がって行った。そして、やっと階段の頂上にたどりつき、ソッと首を出して部屋の中を(のぞ)いてみた。

 そこはただ一面の暗闇であった。光もなく音もなく、円塔全体が深い地の底の穴蔵ででもあるように感じられた。空気は土と(かび)との廃墟(はいきょ)(にお)いに満ちて、古沼のように(よど)んでいた。

 冒険に慣れた明智探偵にも、こんな経験は珍しかった。そこには、暗さのほかに、何かえたいの知れぬ無気味なものがあった。この世のほかの幽鬼とか怨霊(おんりょう)とかいうようなものが、闇の中の空気を重苦しくし、一種異様の匂いがただよっていた。

 探偵は、背筋を虫が這うような悪寒を、じっと我慢しながら、闇の中を見つめていたが、やがて、眼が慣れるにつれて、窓の輪郭がほんのりと薄明かるく見分けられるようになった。そして、それと同時に、土と黴の匂いの中に、何かしらかすかな香気がただよっているのが感じられた。ヘリオトロープ。それは美しい女性を連想させるヘリオトロープの匂いであった。

 この部屋には、最近、身に香料をつけた女性がはいったとしか考えられなかった。いや、最近ではない、今現にその女性はここにいるのかもしれない。あの懐中電燈を点滅していた怪人物は、女性なのかもしれない。

 眼を凝らすと、窓からの、ほの明かりを受けて、その窓のそばに、幽霊のような白いものが、スーッと突っ立っていた。かすかに身動きしている。おやっ、もしかしたら、あれは洋装の女性ではないのか?

 と思ううちに、ほの白い影が、やや大きく身動きしたかと思うと、その胸のあたりから、パッと光が()いた。その光が窓のガラスに反射して、室内がにわかに明かるくなった。

 それは白衣の婦人であった。(ひだ)の多い、白っぽい絹の洋装をした若い女性であった。胸のあたりに手提げの懐中電燈をかかげて、その光線を窓のそとへ向けている。彼女が身動きするたびに、強い光がチロチロ動いて、洋装の腕や胸の辺をかすめ、影絵のように、若々しい肉体の一部が透き通って見える。

 こちらからはうしろ姿しか見えないのだが、ふと気がつくと、窓ガラスに、反射光を受けた彼女の半身が、ぼんやりと映っていた。そして、明智探偵は、そこに思わずアッと叫びそうになるほど意外なものを見たのである。

 深夜円塔の階上にたたずむ白衣の怪女性は、ほかならぬ伊志田綾子であった。一郎青年の姉に当たる、薔薇(ばら)のようにあでやかな、あのお嬢さんであった。

 もしそれが見知らぬ人物であったなら、たとえ、かよわい女性であろうと、明智は躊躇(ちゅうちょ)せず飛びかかって行ったに違いない。だが、一郎の姉さんとわかっては、迂闊(うかつ)に手出しをするわけには行かぬ。相手は伊志田家の一員なのだ。気づかれぬよう、ソッと様子を見届けるほかはない。

 それにしても、うら若い女性の身で、この無気味な場所へ、深夜ただ一人忍び込んで、いったい何をしているのであろう。さいぜんから長いあいだ、手提げ電燈を点滅しているのを見ると、誰か外部のものと、光による秘密の通信を取りかわしていたとしか考えられない。塀を越えて通信しなければならないので、邸内では一ばん高い、この塔の頂上の部屋を選んだのであろう。

 ひょっとしたら、外部でこの通信を受け取っている相手というのが、例の黒覆面の怪人物ではないのか。綾子はその怪人物にあやつられて、邸内の様子を内通しているのではあるまいか。だが、もしそうだとすると、この美しいお嬢さんは、実の弟を殺害しようとした犯人の相棒を勤めているわけではないか。そんな恐ろしいことが、いったいこの世にありうるのだろうか。

 手提げ電燈の合図は、今のが最後だったとみえて、部屋は再び明かるくならなかった。そして、その暗闇(くらやみ)の中に、網膜の残像ででもあるように、異常にクッキリと浮き上がって見える白衣の女性は、もう帰るのであろう、宙をただようように、足音もなく、こちらへ近づいてくる様子だ。

 明智は気づかれては大変と、大急ぎで階段を這い降りて、二階の部屋の片隅に身を(しず)めた。

 白衣の人は、たびたびここに出入りしているのか、闇の階段を踏みはずしもせず、静かに降りてきた。かすかな絹ずれの音、ほのかなヘリオトロープの(にお)い、そして、息を殺す明智の眼の前を、白い(もや)のようなものがスーッと通りすぎたのだが、その時、まるで胸の底から絞り出すような「ハーッ」という深い()め息が聞こえたのである。

 明智はそれを聞くと、背筋に水をあびせられたように、ゾーッとしないではいられなかった。地獄の底から響いてくる幽鬼の歎息かと疑われるばかり、引き入れられるように陰気な溜め息であった。

 想像にたがわず、この異様な西洋館には、妖気(ようき)がこもっているのだ。その妖気が一つに凝りかたまって、白衣の女性の姿となって、円塔の闇の中をさまよっているのではないかと怪しまれた。

 明智は、しかし、気を取りなおして、忍び足に、綾子の異様な姿を追った。

 白衣の人は、塔を出ると、夢遊病者のような放心状態で、暗い廊下をたどり、明かるい母屋(おもや)へと近づいて行く。

 明智は彼女がまぶしい電燈の光の中へ現われるのを見た。そして、それがやっぱり一郎の姉綾子に違いないことを確かめた。

 綾子は母屋の廊下へ一歩踏み込むと、にわかに正気づいたように、敏捷(びんしょう)になった。彼女は追われるけだもののような素早さで、キョロキョロとあたりを見まわし、廊下に人のいないことを確かめた上、サーッと白い風のように走って、向こうの曲がり角に消えてしまった。

 急いであとを追って、その曲がり角からソッと(のぞ)いて見ると、廊下にはもう人影もなくて、その中ほどのドアが、音もなく閉められているところであった。白衣の人はそのドアの中に姿を消したのに違いない。あとでわかったのだが、そこはほかならぬ綾子の寝室の入口であった。

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