2話 二
読み方を変える
K先生。
それは大正八年の十一月でありました。私は先生が『是非一度は下りて歩いて見たい』といふ言葉に誘はれて、玉野川をつたつて下つて見る気になりました。で、多治見駅で下りて、駅前の下街道を西に行き、十四号トンネルのある池田の稲荷山に先づ登つて見ました。この山から見ますと、多治見平野は稍開けて一目に入つて来ました。この平野は東も南も西も山巒に囲まれてゐて、言はゞまあ猫の額と言つたやうなところで御座います。その東の山間から土岐川は流れ出して来てゐる。そしてこの平野に出て、多治見町を貫いて、暫く平野を流れてゐますが、この稲荷山に突当るのが初めで、また山と山との間を西に流れて行つてゐるので御座います。つまり玉野川の勝は、そこを起点と致して居るので御座います。その時、私はこの玉野川の峡谷がなかつたら、多治見平野は大きな池であつたらうなどと思ひました。
で、先づ下街道を歩き出しました。これは名古屋から木曾への昔から交通路で、そこに、美濃と尾張との境に、境杉と申す峠が御座います。かなりの難場で、杉が深く繁つて居ります。昔は、これからずつと山の方を名古屋へと出て行きましたので、川には添ひませんので、今汽車の窓から見るあの眺めは、昔の旅客は全く知らなかつたので御座います。否、あの美しい眺めは、全く榛莽の中に埋れてあつたので御座います。
ところが、明治になつて、その路が余りに不便なため、玉野川に添つて新道が出来ることになりました。その頃、人々は『道がこんなところに出来るとはえらいこつちや。これぢや今に、岡蒸汽(汽車)もやつて来らア』と申したさうで御座います。実際、この工事は難工事だつたさうです。渓の西岸は半は絶壁、半は榛莽で、獣なんか沢山ゐたさうで御座います。しかし、兎に角その新道は出来たので御座います。そして昔の境杉の方が衰へて、その街道のある村の如きは、全く潰れて了つたのに引かへて、この渓谷の西岸の玉野といふ部落は、忽ち賑かな宿駅となつたので御座います。しかし何うでせう? K先生。矢張、因果は廻る小車です。新道のために、一時栄華に誇つた玉野村も、三年の後にやつて来た岡蒸気のために、すつかり駄目になつて了つたので御座います。一時は鉄道工事や何かで、人が大勢入込んで賑やかであつたけれども、その出来上つた後は、高蔵寺(玉野)と多治見との間に十四ヶ所のトンネルが穿たれて残されたばかり、またその間に明滅する山水が汽車中の旅客の目をなぐさめるばかり、玉野の村落は、再び元の寂寞に帰つて了つたので御座います。先生が『再び草の野に』に書かれた通りになつて了つたので御座います。