木の子説法

3話 木の子説法(3)

3,163字 約6分 2001年9月17日 公開

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 天地震動、(かわら)落ち、石崩れ、壁落つる、血煙の(うち)に、一樹が我に返った時は、もう屋根の中へ屋根がめり込んだ、目の下に、その物干が(ひしゃ)げた三徳のごとくになって――あの辺も火は(はや)かった――燃え上っていたそうである。

 これ――十二年九月一日の大地震であった。

「それがし、九識(くしき)の窓の前、妙乗の床のほとりに、瑜伽(ゆが)の法水を(たた)え――」

 時に、舞台においては、シテなにがし。――山の草、朽樹(くちき)などにこそ、あるべき茸が、人の(すま)う屋敷に、所嫌わず生出(はえい)づるを忌み悩み、ここに、法力の(げん)なる山伏に、祈祷(きとう)を頼もうと、橋がかりに向って呼掛けた。これに応じて、山伏が、まず揚幕の(うち)にて謡ったのである。が、鷺玄庵と聞いただけでも、思いも寄らない、若く(つや)のある、しかも取沈めた声であった。

 幕――揚る。――

「――三密の月を澄ます所に、案内(あない)申さんとは、()そ。」

 すらすらと歩を移し、露を払った篠懸(すずかけ)や、兜巾(ときん)(よそおい)は、弁慶よりも、判官(ほうがん)に、むしろ新中納言が山伏に出立(いでた)った凄味(すごみ)があって、且つ色白に美しい。一二の松も影を()めて、(はかま)は霧に乗るように、三密の声は朗らかに且つ陰々として、月清く、風白し。化鳥(けちょう)の調の()えがある。

「ああ、婦人だ。……鷺流(さぎりゅう)ですか。」

 私がひそかに聞いたのに、

「さあ。」

 一言いったきり、一樹が(じっ)凝視(みつ)めて、見る見る顔の色がかわるとともに、二度ばかり続け様に、胸を()でて目をおさえた。

 先を急ぐ。……狂言はただあら筋を言おう。舞台には茸の数が十三出る。が、実はこの怪異を祈伏(いのりふ)せようと、三山の法力を用い、秘密の(いん)を結んで、いら高の数珠を()めば揉むほど、夥多(おびただ)しく一面に生えて、次第に数を増すのである。

 茸は立衆(たてしゅう)、いずれも、見徳、嘯吹(うそのふき)上髭(うわひげ)、思い思いの面を(かぶ)り、括袴(くくりばかま)脚絆(きゃはん)、腰帯、水衣(みずぎぬ)に包まれ、揃って、笠を被る。塗笠、檜笠(ひのきがさ)、竹子笠、(すげ)の笠。松茸、椎茸、とび茸、おぼろ編笠、名の知れぬ、(きのこ)ども。笠の形を、見物は、心のままに(なぞ)らえ候え。

「――あれあれ、」

 女山伏の、優しい声して、

「思いなしか、茸の軸に、目、鼻、手、足のようなものが見ゆる。」

 と言う。(ことば)につれて、如法の茸どもの、目を()き、舌を吐いて(あざ)けるのが、憎く毒々しいまで、山伏は(りん)とした(うち)にもかよわく見えた。

 いくち、しめじ、合羽(かっぱ)、坊主、熊茸、猪茸(ししたけ)虚無僧茸(こむそうたけ)、のんべろ茸、生える、()える。蒸上り、抽出(ぬきいで)る。……地蔵が化けて月のむら雨に托鉢(たくはつ)をめさるるごとく、影(おぼろ)に、のほのほと並んだ時は、陰気が、()毛氈(もうせん)の座を圧して、金銀のひらめく扇子(おうぎ)の、秋草の、露も砂子も暗かった。

 女性の山伏は、いやが上に美しい。

 ああ、窓に稲妻がさす。胸がとどろく。

 たちまち、この時、鬼頭巾に武悪の面して、極めて毒悪にして、邪相なる大茸が、傘を半開きに(かざ)し、みしと(つら)をかくして(あら)われた。しばらくして、この傘を大開きに開く、鼻を(うそぶ)き、息吹(いぶ)きを放ち、毒を嘯いて、「取て()もう、取て噛もう。」と躍りかかる。取着き引着(ひッつ)き、十三の茸は、アドを、なやまし、(なぶ)り嬲り、山伏もともに追込むのが(じょう)であるのに。――

「あれへ、毒々しい半びらきの(きのこ)が出た、あれが開いたらばさぞ夥多(おびただ)しい事であろう。」

 山伏の(ことば)につれ、(くだん)毒茸(どくたけ)が、二の松を押す時である。

 幕の(すそ)から、ひょろりと出たものがある。切禿(きりかむろ)で、白い袖を着た、色白の、丸顔の、あれは、いくつぐらいだろう、()うのだから二つ三つと思う弱々しい女の子で、かさかさと()ものの膝ずれがする。(きのこ)の領した山家(やまが)である。舞台は、山伏の気が(こも)って、(しん)としている。ト、今まで、誰一人ほとんど跫音(あしおと)を立てなかった処へ、屋根は熱し、天井は蒸して、吹込む風もないのに、かさかさと聞こえるので、九十九折(つづらおり)の山路へ、一人、(しの)、熊笹を分けて、嬰子(あかご)這出(はいだ)したほど、思いも掛けねば無気味である。

 ああ、山伏を見て、口で、ニヤリと笑う。

 悚然(ぞっ)とした。

「鷺流?」

 這う子は早い。谿河(たにがわ)の水に枕なぞ流るるように、ちょろちょろと出て、山伏の(もすそ)(まつ)わると、あたかも毒茸が傘の轆轤(ろくろ)(はじ)いて、驚破す、取て()もう、とあるべき処を、――

「焼き食おう!」

 と、山伏の、いうと(ひと)しく、手のしないで、数珠を(ふる)って、ぴしりと打って、不意に魂消(たまげ)て、傘なりに、毒茸は膝をついた。

 返す手で、

「焼きくおう。焼きくおう。」

 鼻筋鋭く、頬は白澄(しろず)む、黒髪は兜巾(ときん)に乱れて、生競(はえきそ)った茸の、のほのほと並んだのに、打振(うちふる)うその数珠は、空に赤棟蛇(やまかがし)の飛ぶがごとく(ひらめ)いた。が、いきなり居すくまった茸の一つを、山伏は諸手(もろて)に掛けて、すとんと、笠を下に、(さかさ)に立てた。二つ、三つ、四つ。――

 多くは子方だったらしい。恐れて、()せられたのであろう。

 長上下(なががみしも)は、脇座にとぼんとして、ただ首の横ざまに傾きまさるのみである。

「一樹さん。」

 真蒼(まっさお)になって、身体(からだ)のぶるぶると震う一樹の袖を取った、私の手を、その帷子(かたびら)が、落葉、いや、茸のような触感で()いた。

 あの世話方の顔と(かさな)って、五六人、揚幕から。切戸口にも、楽屋の(かしら)(のぞ)いたが、ただ目鼻のある茸になって、いかんともなし得ない。その二三秒時よ。稲妻の瞬く間よ。

 見物席の少年が二三人、足袋を空に、(さかさ)になると、膝までの(すそ)(ひるがえ)して仰向(あおむけ)にされた少女がある。マッシュルームの類であろう。大人は、立構えをし、遁身(にげみ)になって、声を詰めた。

 私も立とうとした。あの舞台の下は火になりはしないか。地震、と欄干につかまって、目を返す、森を隔てて、煉瓦(れんが)(たて)もの、教会らしい尖塔(せんとう)の雲端に、稲妻が蛇のように縦にはしる。

 静寂、深山に似たる時、這う子が火のつくように、山伏の(すそ)を取って泣出した。

 トウン――と、足拍子を踏むと、膝を敷き、落した肩を左から片膚(かたはだ)脱いだ、淡紅の薄い肌襦袢(はだじゅばん)に膚が透く。眉をひらき、瞳を澄まして、向直って、

「幹次郎さん。」

「覚悟があります。」

 つれに対すると、客に会釈と、一度に、左右へ(ことば)を切って、一樹、幹次郎は、すっと出て、一尺ばかり舞台の端に、女の(つま)に片膝を乗掛けた。そうして、一度押戴(おしいただ)くがごとくにして、ハタと両手をついた。

「かなしいな。……あれから、今もひもじいわ。」

 寂しく微笑(ほほえ)むと、()いはだけて、雪なす胸に、ほとんど玲瓏(れいろう)たる乳が玉を(あざむ)く。

「御覧なさい――不義の子の罰で、五つになっても足腰が立ちません。」

「うむ、()て。……お起ち、私が起たせる。」

 と、かッきと、腕にその泣く子を取って、一樹が腰を引立てたのを、添抱(そえだ)きに胸へ抱いた。

「この豆府娘。」

 と(あざけ)りながら、さもいとしさに堪えざるごとく言う下に、

「若いお父さんに骨をお貰い。母さんが血をあげる。」

 俯向(うつむ)いて、我と我が口にその乳首を含むと、ぎんと白妙(しろたえ)生命(いのち)を絞った。ことこと、ひちゃひちゃ、骨なし子の血を吸う音が、舞台から響いた。が、子の口と、母の胸は、見る見る紅玉の柘榴(ざくろ)がこぼれた。

 (さっ)と色が薄く澄むと――横に倒れよう――とする、反らした指に――茸は残らず這込んで消えた――塗笠を拾ったが、

「お客さん――これは人間ではありません。――紅茸(べにたけ)です。」

 といって、顔をかくして、倒れた。顔はかくれて、両手は十ウの爪紅(つまべに)は、世に散る(まんじ)の白い痙攣(けいれん)を起した、お雪は乳首を噛切(かみき)ったのである。

 一昨年(おととし)の事である。この子は、母の乳が、肉と血を与えた。いま一樹の手に、ふっくりと、且つ健かに育っている。

 不思議に、一人だけ生命(いのち)を助かった女が、震災の、あの劫火(ごうか)に追われ追われ、縁あって、玄庵というのに助けられた。その(めかけ)であるか、娘分であるかはどうでもいい。老人だから、楽屋で急病が起って、踊の手練(てだれ)が、見真似の舞台を勤めたというので、よくおわかりになろうと思う。何、何、なぜ、それほどの容色(きりょう)で、酒場へ出なかった。とおっしゃるか? それは困る、どうも弱ったな。一樹でも分るまい。なくなった、みどり屋のお雪さんに……お聞き下さい。

昭和五(一九三○)年九月

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