古狢

2話 古狢(2)

4,887字 約10分 2001年9月17日 公開

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 一体、外套氏が、この際、いまの鹿落の白い手を言出したのは、決して怪談がかりに娘を(おど)かすつもりのものではなかった。近間ではあるし、ここを出たら、それこそ、ちちろ鳴く虫が糸を繰る()に紛れる、その椎樹(しいのき)――(釣瓶(つるべ)おろし)(小豆(あずき)とぎ)などいう(ばけ)ものは伝統的につきものの――樹の下を通って見たかった。車麩(くるまぶ)の鼠に(おび)えた様子では、同行を否定されそうな形勢だった処から、「お町さん、念仏を唱えるばかり吃驚(びっくり)した、(かわや)の戸の白い手も、先へ入っていた女が、人影に急いで()を閉めただけの事で、何でもないのだ。」と、おくれ()せながら、正体見たり枯尾花流に――続いて説明に及ぶと、澄んで沈んだ真顔になって、鹿落の旅館の、その三つ並んだ真中(まんなか)の厠は、取壊して今はない(はず)だ、と言って、先手に、もう知っている。……

 はてな、そういえば、朝また、ようをたした時は、ここへ白い手が、と思う真中のは、壁が抜けて、不状(ぶざま)に壊れて、向うが薮畳(やぶだた)みになっていたのを思出す。……何、昨夜(ゆうべ)は暗がりで見損(みそこな)ったにして、一向気にも留めなかったのに。……

 ふと、おじさんの方が少し寒気立って、

「――そういえば真中(まんなか)のはなかったよ、……朝になると。……じゃあ何か仔細(わけ)があるのかい。」

「おじさん――それじゃ、おじさんは、幽霊を、見たんですね。」

「幽霊を。」

「もう私……気味が悪いの、可厭(いや)だなぞって、そんな押退(おしの)けるようなこと言えませんわ。あんまり可哀想な方ですもの。それはね、あの、うぐい()亭――ずッと河上の、川魚料理……ご存じでしょう。」

「知ってるとも。――現在、昨日(きのう)午餉(ひる)はあすこで食べたよ。閑静で、落着いて、しんみりして()(うち)だが、そんな幽霊じみた事はいささかもなかったぜ。」

「いいえ、あすこの、女中(なかい)さんが、鹿落の温泉でなくなったんです。お藻代(もよ)さんという、しとやかな、優しい人でした。……おじさん、その白い、細いのは、そのお藻代さんの手なんですよ。」

「おどかしなさんない。おじさんを。」と外套氏は笑ったが。

 ――今年余寒の頃、雪の中を、里見、志賀の両氏が旅して、新潟の鍋茶屋(なべぢゃや)などと(なら)び称せらるる、この土地、第一流の割烹(かっぽう)で一酌し、場所をかえて、美人に接した。その美人たちが、河上の、うぐい亭へお立寄り遊ばしたか、と聞いて、その方が、なお、お土産になりますのに、と言ったそうである。うぐい亭の存在を云爾(しかいう)ために、両()の名を煩わしたに過ぎない。両家はこの篇には、勿論、外套氏と寸毫(すんごう)のかかわりもない。続いて、仙女香、江戸の水のひそみに(なら)って、私が広告を頼まれたのでない事も断っておきたい。

 近頃は風説(うわさ)に立つほど繁昌(はんじょう)らしい。この外套氏が、故郷に育つ幼い時分(ころ)には、一度ほとんど人気(ひとけ)の絶えるほど寂れていた。町の場末から、橋を一つ渡って、山の(ふもと)を、五町ばかり川添(かわぞい)に、途中、家のない処を()くので、雪にはいうまでもなく(うず)もれる。平家づくりで、数奇(すき)亭構(ちんがま)えで、(かけひ)の流れ、吹上げの清水、藤棚などを景色に、四つ五つ構えてあって、通いは庭下駄で、おも屋から、その方は、山の根に。座敷は川に向っているが、すぐ(かわら)で、水は向う岸を、(あい)に、(あお)に流れるのが、もの静かで、一層床しい。(まがき)ほどもない低い石垣を根に、一株、大きな柳があって、幹を(ななめ)に磧へ伸びつつ、枝は八方へ、座敷の、どの窓も、(ひさし)も、(おお)うばかり見事に(なび)いている。月には翡翠(ひすい)の滝の糸、雪には玉の(すだれ)(つら)ねよう。

 それと、戸前(かどさき)が松原で、(ぬきん)でた古木もないが、ほどよく、暗くなく、あからさまならず、しっとりと、松葉を敷いて、松毬(まつかさ)まじりに()き分けた路も、根を(うね)って、奥が深い。いつも松露の香がたつようで、実際、初茸(はつたけ)、しめじ茸は、この落葉に生えるのである。入口に萩の枝折戸(しおりど)、屋根なしに網代(あじろ)()がついている。また松の樹を(いつ)株、()株。すぐに石ころ道が白く続いて、飛地のような町屋の石を置いた板屋根が、山裾に沈んで見えると、そこにその橋がある。

 蝙蝠(こうもり)に浮かれたり、(ほたる)を追ったり、その昔子供等は、橋まで来るが、夜は、うぐい亭の川岸は通り得なかった。外套氏のいう処では、道の途中ぐらい、(ふもと)の出張った低い(かわら)の岸に、むしろがこいの掘立小屋(ほったてごや)が三つばかり(やな)の崩れたようなのがあって、古俳句の――短夜(みじかよ)や(何とかして)川手水(かわちょうず)――がそっくり想出された。そこが、野三昧(のざんまい)の跡とも、山窩(さんか)が甘い水を慕って出て来るともいう。人の灰やら、犬の骨やら、いずれ不気味なその部落を隔てた処に、(かすか)にその松原が黒く乱れて(ふくろ)が鳴いているお茶屋だった。――《うぐい》、(はや)(ごり)の類は格別、亭で名物にする一尺の岩魚(いわな)は、娘だか、妻女だか、艶色(えんしょく)懸相(けそう)して、(かわおそ)(くだん)の柳の根に、(ひれ)ある錦木(にしきぎ)にするのだと風説(うわさ)した。いささか、あやかしがついていて、一層寂れた。()(くわ)えた(あゆ)は、殺生ながら賞翫(しょうがん)しても、獺の抱えた岩魚は、色恋といえども気味が悪かったものらしい。

 今は、自動車さえ往来(ゆきき)をするようになって、松蔭の枝折戸まで、つきの女中が、柳なんぞの(しま)お召、人懐(ひとなつっこ)く送って出て、しとやかな、情のある見送りをする。ちょうど、容子(ようす)のいい中年増が給仕に当って、(たしか)に外套氏がこれは体験した処である。ついでに岩魚の事を言おう。瀬波に(ひるが)える(さま)に、背尾を()ねた、皿に余る尺ばかりな塩焼は、まったく美味である。そこで、讃歎すると、上流、五里七里の山奥から(いき)のまま徒歩で運んで来る、山爺(やまじじい)の一人なぞは、七十を越した、もう五十年余りの馴染(なじみ)だ、と女中が言った。してみると、おなじ(おそ)でも山獺が持参するので、伝説は嘘でない。しかし、お町の――一説では、上流五里七里の山奥から山爺は、――どの客にも言うのだそうである。

 水と、柳のせいだろう。女中は皆美しく見えた。もし、妻女、娘などがあったら、さぞ妍艶(けんえん)であろうと察しらるる。

 さて、「いらして、また、おいで遊ばして」と枝折戸でいう一種綿々たる余韻の松風に伝う挨拶は、不思議に嫋々(じょうじょう)として、客は青柳に引戻さるる(おもい)がする。なお一段と余情のあるのは、日が暮れると、竹の柄の小提灯(こぢょうちん)で、松の中の(こみち)を送出すのだそうである。小褄(こづま)の色が露に(すべ)って、こぼれ松葉へ映るのは、どんなにか(なまめ)かしかろうと思う。

「――お藻代さんの時が、やっぱりそうだったんですってさ。それに、もう十時すぎだったというんです。」

 五年(ぜん)、六月六日の()であった。明直にいえば、それが、うぐい亭のお藻代が、白い手の幻影(まぼろし)になる首途(かどで)であった。

 その夜、松の中を小提灯で送り出た、中京、名古屋の一客――畜生め色男――は、枝折戸口で別れるのに、恋々としてお藻代を強いて、東の新地――(くるわ)の待合、明保野(あけぼの)という、すなわちお町の(うち)まで送って来させた。お藻代は、はじめから、お町の内に馴染(なじみ)ではあったが、それが(あらた)めて深い因縁になったのである。

「あの提灯が寂しいんですわ……考えてみますと……雑で、白張(しらはり)のようなんですもの。」――

「うぐい。」――と一面――「亭」が、まわしがきの裏にある。ところが、振向け方で、「うぐい」だけ黒く浮いて出ると、お経ではない、あの何とか、梵字(ぼんじ)とかのようで、卵塔場の新墓に(とも)れていそうに見えるから、だと解く。――この、お町の形象学は、どうも三世相(さんぜそう)鼇頭(ごうとう)にありそうで、承服しにくい。

 それを、しかも松の枝に引掛(ひっか)けて、――名古屋の客が待っていた。冥途(めいど)首途(かどで)を導くようじゃありませんか、五月闇(さつきやみ)に、その白提灯を、ぼっと松林の中に、という。……成程、もの寂しさは、もの寂しい……

 話はちょっと前後した――うぐい亭では、座つきに月雪花。また少々慾張(よくば)って、米俵だの、丁字(ちょうじ)だの、そうした形の落雁(らくがん)を出す。一枚(ひとつ)ずつ、女の名が書いてある。場所として最も近い東の(くるわ)のおもだった芸妓(げいしゃ)連が引札(ひきふだ)がわりに寄進につくのだそうで。勿論、かけ離れてはいるが、呼べば、どの(おんな)三味線(さみせん)に応ずると言う。その五年前、六月六日の夜――名古屋の客は――註しておくが、その晩以来、顔馴染にもなり、音信(おとずれ)もするけれども、その姓名だけは……とお町が堅く言わないのだそうであるから、ただ名古屋の客として。……あとを続けよう。

「――みんな、いい女らしいね。見た処。中でも、俵のなぞは嬉しいよ。ここに雪形に、もよ、というのは。」

「飛んだ、おそまつでございます。」

 と白い手と一所に、銚子(ちょうし)がしなうように見えて、水色の手絡(てがら)円髷(まるまげ)が重そうに俯向(うつむ)いた。――(なよや)かな女だというから、その容子(ようす)は想像に難くない。欄干に青柳の枝垂(しだ)るる(なか)に、例の一尺の岩魚(いわな)。《うぐい》と蓴菜(じゅんさい)の酢味噌。胡桃(くるみ)と、飴煮(あめに)(ごり)の鉢、鮴とせん牛蒡(ごぼう)の椀なんど、膳を前にした光景が目前(めさき)にある。……

「これだけは、(そっ)と取りのけて、お客様には、お目に掛けませんのに、どうして交っていたのでございましょうね。」――

「いや、どうもその時の容子(ようす)といったら。」――

 名古屋の客は、あとで、廓の明保野で――落雁で馴染の芸妓を二三人一座に――そう云って、(はしゃ)ぎもしたのだそうで。

 落雁を寄進の芸妓連が、……女中頭ではあるし、披露(ひろ)めのためなんだから、美しく婀娜(あだ)なお藻代の名だけは、なか間の先頭にかき込んでおくのであった。

 ――断るまでもないが、昨日(きのう)の外套氏の時の落雁には、もはやお藻代の名だけはなかった。――

 さて、至極古風な、字のよく読めない勘定がきの受取が済んで、そのうぐい提灯で送って出ると、折戸を前にして、名古屋の客が動かなくなった。落雁の芸妓を呼びに廓へ行く。是非送れ、お藻代さん。……一見は利かずとも、電話で言込めば、と云っても、威勢よく酒の機嫌で承知をしない。そうして、袖たけの松の樹のように動かない。そんな事で、誘われるような(おんな)ではなかったのに、どういう縁か、それでは、おかみさんに聞いて許しを得て。……で、おも屋に引返したあとを、お町がいう処の、墓所(はかしょ)の白張のような提灯を枝にかけて、しばらく待った。その薄い(あかり)で、今度は、(きのこ)が化けた(さま)で、帽子を仰向(あおむ)けに(しゃが)んでいて待つ。

 やがて、出て来た時、お藻代は薄化粧をして、長襦袢(ながじゅばん)を着換えていた。

 その長襦袢で……明保野で寝たのであるが、朱鷺色(ときいろ)の薄いのに雪輪を白く抜いた友染である。(みち)に、ちらちらと、この友染が、小提灯で、川風が水に添い、野茨(のばら)()の花。且つちり乱るる、山裾の草にほのめいた時は、向瀬(むこうせ)の流れも、低い(かわら)撫子(なでしこ)を越して、駒下駄に寄ったろう。……

 風が、どっと吹いて、蓮根市の土間は廂下(ひさしさが)りに五月闇(さつきやみ)のように暗くなった。一雨来よう。組合わせた五百羅漢の腕が動いて、二人を抱込(かかえこ)みそうである。

 どうも話が及腰(およびごし)になる。二人でその形に、並んで立ってもらいたい。その形、……その姿で。……お町さんとかも、褄端折をおろさずに。――お藻代も、道芝の露に(もすそ)を引揚げたというのであるから。

 一体黒い外套氏が、いい年をした癖に、悪く色気があって、今しがた明保野の娘が、お藻代の白い手に(おび)えて取縋った時は、内々で、一抱き(やわら)かな胸を抱込(だきこ)んだろう。……ばかりでない。はじめ、連立って、ここへ庭樹の多い士族町を通る間に――その昔、江戸護持院ヶ原の野仏(のぼとけ)だった地蔵様が、(おぶ)われて行こう……と朧夜(おぼろよ)にニコリと笑って申されたを、通りがかった当藩三百石、究竟(くっきょう)の勇士が、そのまま中仙道北陸道を(おぶ)い通いて帰国した、と言伝えて、その負さりたもうた腹部の中窪(なかくぼ)みな、御丈(みたけ)丈余(じょうよ)の地蔵尊を、古邸(ふるやしき)の門内に安置して、花筒に花、手水鉢に柄杓(ひしゃく)を備えたのを、お町が手つぎに案内すると、外套氏が懐しそうに拝んだのを、嬉しがって、感心して、こん度は切殺された、城のお(めかけ)さん――のその姿で、縁切り神さんが、向うの森の(ほこら)にあるから一所に行こうと、興に乗じた時……何といった、外套氏。――「縁切り神様は、いやだよ、二人して。」は、苦々しい。

 だから、ちょっとこの子をこう借りた工合(ぐあい)に、ここで道行きの道具がわりに使われても、(うら)みはあるまい。

 そこで川通りを、次第に――そうそうそう肩を合わせて歩行(ある)いたとして――橋は渡らずに屋敷町の土塀を三曲りばかり。お山の妙見堂の下を、たちまち明るい廓へ入って、しかも小提灯のまま、客の好みの酔興な、燈籠(とうろう)の絵のように、明保野の入口へ――そこで、うぐいの灯が消えた。

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