9話 九
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婦人の手が白く戸袋の端に見えた……近く、此方を差覗くよ。
「あの……實は貴方が、繪を遊ばすつて事を存じて居りましたものですから、……お恥かしうござんすわね……」
と一寸言淀む。
唯吉は浮世繪を描くのである。
「私は其の節、身重なんでございましたの……ですから、淺ましい處を、お目に掛けますのが情なくつて、つい、引籠つてばかり居ました所、何ですか、あの晩は心持が、多時庭へも出られなからうと思はれましたので、密と露の中を、花に觸つて歩行いて見たんでございます。
生暖い、風に當つて、目が、ぐら/\としましたつけ……産所へ倒れて了ひました。嬰兒は死んで生れたんです。
其も唯、苦しいので、何ですか夢中でしたが、今でも覺えて居りますのは、其時、錐を、貴方、身節へ揉込まれるやうに、手足、胸、腹へも、ぶる/\と響きましたのは、カン/\!と刻んで鳴らす鉦の音だつたんです。
丁ど後産の少し前だと、後に聞いたんでございますが、參合はせました、私ども主人が、あゝ、可厭な音をさせる……折の惡い、……産婦の私にも聞かせともなし、早く退いて貰はうと、框の障子を開けました。……
鉦を叩くものは、此の貴方、私どもの門に立つて居たんですつて、」
「其の横町の……」
「はあ、」
「何です……鉦を叩くものは?」
「肥つた坊主でござんしたつて、」
「えゝ?」
すると……其の婦人の主人と云ふのは……二階座敷の火のない中を、媚かしい人の周圍を、ふら/\とまはり繞つた影法師とは違ふらしい。
「忌々しいではありませんか。主人が見ますと、格子戸の外に、黒で、卍をおいた薄暗い提灯が一つ……尤も一方には、朱で何かかいてあつたさうですけれど、其は見えずに、卍が出て……黄色黒い、あだ汚れた、だゞつ廣い、無地の行衣見たやうなものに、鼠の腰衣で、ずんぐり横肥りに、ぶよ/\と皮がたるんで、水氣のありさうな、蒼い顏のむくんだ坊主が、……あの、居たんですつて――そして、框へ出た主人を見ますと、鉦をたゝき止めて、朦とした卍の影に立つて居ました。
(何だ?……)
主人も、容體の惡い病人で、氣が上ずつて居て突掛るやうに申したさうです。
(騷々しい!……急病人があるんだ、去つて下さい。)
然うしますと、坊さんが、蒼黄色に、鼠色の身體を搖つて、唾を一杯溜めたやうな、ねば/\とした聲で、
(其の病人があるので《まは》るいの……)
コンと一つ敲いて見せて、
(藥賣りぢやに買ひないな、可え所へ來たでや。)
ツて、ニヤリと茶色の齒を見せて笑つたさうです……
(可い所とは何だ無禮な、急病人があると云ふのに、)
と極めつけますとね。……
(お身樣が赫と成つたで、はて、病人の症も知れた……血が上るのでや……)
と頷いて、合點々々をするんですつて、」
唯吉は、こゝで聞くさへ堪へられぬばかりに思ふ。
「不埒な奴です……何ものです。」
「まあ、お聞きなさいまし……」