笛を吹く……と皆思つた。笛もある限り悲哀を籠めて、呼吸の續くだけ長く、且つ細く叫ぶらしい。
雷鳴に、殆ど聾ひなむとした人々の耳に、驚破や、天地一つの聲。
誰も其の聲の長さだけ、氣を閉ぢて呼吸を詰めたが、引く呼吸は其の聲の一度止むまでは續かなかつた。
皆戰いた。
ヒイと尾を微かに、其の聲が切れた、と思ふと、雨がひたりと止んで、又二度めの聲が聞えた。
「鳥か。」
「否。」
「何だらうの。」
祖母と、父と、其の客と言を交はしたが、其の言葉も、晃々と、震へて動いて、目を遮る電光は隙間を射た。
「近い。」
「直き其處だ。」
と云ふ。叫ぶ聲は、確かに筋向ひの二階家の、軒下のあたりと覺えた。
其が三聲めに成ると、泣くやうな、怨むやうな、呻吟くやうな、苦み《もが》くかと思ふ意味が明かに籠つて來て、新らしく又耳を劈く……
「見よう、」
年少くて屈竟な其の客は、身震ひして、すつくと立つて、内中で止めるのも肯かないで、タン、ド、ドン!と其の、其處の蔀を開けた。――
「何、」
と此處まで話した時、常さんは堅くなつて火鉢を掴んだ。
「其の時の事を思出すもの、外に何が居ようも知れない時、其の蔀を開けるのは。」
と民也は言ふ。
却説、大雷の後の希有なる悲鳴を聞いた夜、客が蔀を開けようとした時の人々の顏は……年月を長く經ても眼前見るやうな、いづれも石を以て刻みなした如きものであつた。
蔀を上げると、格子戸を上へ切つた……其も鳴るか、簫の笛の如き形した窓のやうな隙間があつて、衝と電光に照される。
と思ふと、引緊めるやうな、柔かな母の兩の手が強く民也の背に掛つた。既に膝に乘つて、噛り着いて居た小兒は、其なり、薄青い襟を分けて、眞白な胸の中へ、頬も口も揉込むと、恍惚と成つて、最う一度、ひよいと母親の腹の内へ安置され終んぬで、トもんどりを打つて手足を一つに縮めた處は、瀧を分けて、すとんと別の國へ出た趣がある、……そして、透通る胸の、暖かな、鮮血の美しさ。眞紅の花の咲滿ちた、雲の白い花園に、朗らかな月の映るよ、と其の浴衣の色を見たのであつた。
が、其の時までの可恐しさ。――
「常さん、今君が蔀を開けて、何かが覗いたつて、僕は潛込む懷中がないんだもの……」
簫の窓から覗いた客は、何も見えなかつた、と云ひながら、眞蒼に成つて居た。
其の夜から、筋向うの其の土藏附の二階家に、一人氣が違つた婦があつたのである。
寂寞と霰が止む。
民也は、ふと我に返つたやうに成つて、
「去年、母さんがなくなつたからね……」
火桶の面を背けると、机に降込んだ霰があつた。
ぢゆうと火の中にも溶けた音。
「勉強しようね、僕は父さんがないんだよ。さあ、」
鮒が兜を着ると云ふ。……
「八田潟の處を讀まう。」
と常さんは机の向うに居直つた。
洋燈が、じい/\と鳴る。
其の時であつた。