2話 二
読み方を変える
「私は見舞に行つた歸途です。」
と男は口早に言ひ續けて、
「往には、何にも、そんな奴は居なかつたんです。尤も大勢人通りがありましたから氣が附かなかつたかも知れません。還は最う病院の彼方かどを、此方へ曲ると、其奴の姿がぽつねんとして一ツ。其が、此の上の、ずんどに、だゞつ廣い昔の大手前と云つた通へ、赫と日が當つて、恁うやつて蔭もない。」
と雲を仰ぐと、鳥を見るやうに婦も見上げた。
「泥濘を捏返したのが、其のまゝ乾び着いて、火の海の荒磯と云つた處に、硫黄に腰を掛けて、暑苦しい黒い形で踞んで居るんですが。
何心なく、眩がつて、すツとぼ/\、御覽の通り高足駄で歩行いて來ると、ばらり/\、カチリてツちや砂利を投げてるのが、離れた所からも分りましたよ。
中途で落ちるのは、屆かないので。其の砂利が、病院の裏門の、あの日中も陰氣な、枯野へ日が沈むと云つた、寂しい赤い土塀へ、トン……と……間を措いては、トーンと當るんです。
何ですかね、島流しにでも逢つて、心の遣場のなさに、砂利を掴んで海へ投込んででも居るやうな、心細い、可哀な風に見えて、其が病院の土塀を狙つてるんですから、あゝ、氣の毒だ。……
年紀は少し……許嫁か、何か、身に替へて思ふ人でも、入院して居て、療治が屆かなかつた所から、無理とは知つても、世間には愚癡から起る、人怨み。よくある習で――醫師の手ぬかり、看護婦の不深切。何でも病院の越度と思つて、其が口惜しさに、もの狂はしく大な建ものを呪詛つて居るんだらう。……
と私は然う思ひました。最うね、一目見て、其の男のいくらか氣が變だ、と云ふ事は、顏色で分りましたつけ。……目の縁が蒼くつて、色は赤ツ茶けたのに、厚い唇が乾いて、だらりと開いて、舌を出しさうに喘ぎ/\――下司な人相ですよ――髮の長いのが、帽子の下から眉の上へ、ばさ/\に被さつて、そして目が血走つて居るんですから。……」
「矢張り、病院を怨んで居るんですかねえ、誰かが亡く成つてさ、貴方。」
と見舞の途中で氣に成つてか、婦は恁う聞いて俯向いた。
「まあ、然うらしく思ふんです。」
「氣の毒ですわね。」
と顏を上げる。
「雖然、驚くぢやありませんか。突然、ばら/\と擲附つたんですからね。何をする……も何にもありはしない。狂人だつて事は初手から知れて居るんですから。
――頬邊は、可い鹽梅に掠つたばかりなんですけれども、ぴしり/\酷いのが來ましたよ。又うまいんだ、貴女、其の石を投げる手際が。面啖つて、へどもどしながら、そんな中でも其でも、何の拍子だか、髮の長い工合と云ひ、股の締らないだらけた風が、朝鮮か支那の留學生か知ら。……おや、と思ふと、ばら/\と又投附けながら、……
――畜生、畜生――と口惜しさうに喚く調子が、立派に同一先祖らしい、お互の。」
とフト苦笑した。
「それから本音を吐きました。
――畜生、婦、畜生――
大變だ。色情狂。いや、婦に怨恨のある奴だ……
と……何しろ酷い目に逢つて遁げたんです。唯た今の事なんです。
漸と此處まで來て、別に追掛けては來ませんでした――袖なんか拂つて、飛んだ目に逢ふものだ、と然う思ひましてね、汗を拭いて、此の何です、坂を下りようとすると、下から、ぞろ/\と十四五人、いろの袴と、リボンで、一組總出と云つたらしい女學生、十五六から二十ぐらゐなのが揃つて來ました。……」