1話 木菟俗見(1)
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苗賣の聲は、なつかしい。
……垣の卯の花、さみだれの、ふる屋の軒におとづれて、朝顏の苗や、夕顏の苗……
またうたに、
……田舍づくりの、かご花活に、づツぷりぬれし水色の、たつたを活けし樂しさは、心の憂さもどこへやら……
小うたの寄せ本で讀んだだけでも一寸意氣だ、どうして惡くない。が、四疊半でも六疊でも、琵琶棚つきの廣間でも、そこは仁體相應として、これに調子がついて、別嬪の聲で聞かうとすると、三味線の損料だけでもお安くない。白い手の指環の税がかゝる。それに、われら式が、一念發起に及んだほどお小遣を拂いて、羅の褄に、すツと長じゆばんの模樣が透く、……水色の、色氣は(たつた)で……斜に座らせたとした所で、歌澤が何とかで、あのはにあるの、このはにないのと、淺間の灰でも降つたやうに、その取引たるや、なか/\むづかしいさうである。
先哲いはく……君子はあやふきに近よらず、いや頬杖で讀むに限る。……垣の卯の花、さみだれの、ふる屋の軒におとづれて……か。
惡いことは申さぬ。これに御同感の方々は、三味線でお聞きになるより、字でお讀みになる方が無事である。――
下町の方は知らない。江戸のむかしよりして、これを東京の晝の時鳥ともいひたい、その苗賣の聲は、近頃聞くことが少くなつた。偶にはくるが、もう以前のやうに山の手の邸町、土べい、黒べい、幾曲りを一聲にめぐつて、透つて、山王樣の森に響くやうなのは聞かれない。
久しい以前だけれども、今も覺えて居る。一度は本郷龍岡町の、あの入組んだ、深い小路の眞中であつた。一度は芝の、あれは三田四國町か、慶應大學の裏と思ふ高臺であつた。いづれも小笠のひさしをすゑ、脚半を輕く、しつとりと、拍子をふむやうにしつゝ聲にあやを打つてうたつたが……うたつたといひたい。私は上手の名曲を聞いたと同じに、十年、十五年の今も忘れないからである。
この朝顏、夕顏に續いて、藤豆、隱元、なす、さゝげ、唐もろこしの苗、また胡瓜、糸瓜――令孃方へ愛相に(お)の字をつけて――お南瓜の苗、……と、砂村で勢ぞろひに及んだ、一騎當千、前栽の強物の、花を頂き、蔓手綱、威毛をさばき、裝ひに濃い紫を染などしたのが、夏の陽炎に幻影を顯はすばかり、聲で活かして、大路小路を縫つたのも中頃で、やがて月見草、待よひ草、くじやく草などから、ヒヤシンス、アネモネ、チウリツプ、シクラメン、スヰートピイ。笛を吹いたら踊れ、何でも舶來ものの苗を並べること、尖端新語辭典のやうになつたのは最近で、いつか雜曲に亂れて來た。
決して惡くいふのではない、聲はどうでも、商賣は道によつて賢くなつたので、この初夏も、二人づれ、苗賣の一組が、下六番町を通つて、角の有馬家の黒塀に、雁が歸るやうに小笠を浮かして顯はれた。
――紅花の苗や、おしろいの苗――特に註するに及ぶまい、苗賣の聲だけは、草、花の名がそのまゝでうたになること、波の鼓、松の調べに相ひとしい。床の間ものの、ぼたん、ばらよりして、缺摺鉢、たどんの空箱の割長屋、松葉ぼたん、唐辛子に至るまで聲を出せば節になる。むかし、下の句に(それにつけても金の欲しさよ)と吟ずれば、前句はどんなでもぴつたりつく。(ほとゝぎすなきつるかたをながむれば)――(それにつけてもかねのほしさよ、)――一寸見本がこんなところ。古池や、でも何でも構はぬ、といつた話がある。もつともだ。うら盆で餘計身にしみて聞こえるのと、卑しいけれども、同じであらう。
その……
――紅花の苗や、おしろいの苗――
小うたなるかな。ふる屋の軒におとづれた。何、座つて居ても、苗屋の笠は見えるのだが、そこは凡夫だ、おしろいと聞いたばかりで、破すだれ越に乘だして見たのであるが、續いて、
――紅鷄頭、黄鷄頭、雁來紅の苗。……とさか鷄頭、やり鷄頭の苗――
と呼んだ。繪で見せないと、手つきや口の説明では、なか/\形が見せられないのに、この、とさか鷄頭、やり鷄頭は、いひ得てうまい。……學者の術語ばなれがして、商賣によつて賢しである、と思つたばかりは二人組かけ合の呼聲も、實は玄米パンと、ちんどん屋、また一所になつた……どぢやう、どぢやう、どぢやう――に紛れたのであつた。
こちらで氣をつけて、聞迎へるのでなくつては、苗賣は、雜音のために、どなたも、一寸氣がつかないかも知れぬと思ふ。
まして深夜の鳥の聲。
俳諧には、冬の季になつて居たはずだが、みゝづくは、春の末から、眞夏、秋も鳴く。……ともすると梅雨うちの今頃が、あの、忍術つかひ得意の時であらうも知れぬ。魔法、妖術、五月暗にふさはしい。……よひの間のホウ、ホウは、あれは、夜鷹だと思はれよ。のツホウホー、人魂が息吹をするとかいふ聲に、藍暗、紫色を帶して、のりすれ、のりほせのないのは木菟で。……大抵眞夜中の二時過ぎから、一時ほどの間を遠く、近く、一羽だか、二羽だか、毎夜のやうに鳴くのを聞く。寢ねがての夜の慰みにならないでもない。
陽氣の加減か、よひまどひをして、直き町内の大銀杏、ポプラの古樹などで鳴く事があると、梟だよ、あゝ可恐い。……私の身邊には、生にくそんな新造は居ないが、とに角、ふくろにして不氣味がる。がふくろの聲は、そんな生優しいものではない。――相州逗子に住つた時、秋もややたけた頃、雨はなかつたが、あれじみた風の夜中に、破屋の二階のすぐその欄干と思ふ所で、化けた禪坊主のやうに、喝をくはしたが、思はず、引き息で身震ひした。唐突に犬がほえたやうな凄まじいものであつた。
だから、ふくろの聲は、話に聞く狼がうなるのに紛れよう。……みゝづくの方は、木精が戀をする調子だと思へば可い。が、いづれ魔ものに近いのであるから、又ばける、といはれるのを慮つて、内々遠慮がちに話したけれども、實は、みゝづくは好きである。第一形が意氣だ。――閨、いや、寢床の友の、――源語でも、勢語でもない、道中膝栗毛を枕に伏せて、どたりとなつて、もう鳴きさうなものだと思ふのに、どこかの樹の茂りへ顯はれない時は、出來るものなら、内懷に隻手の印を結んで、屋の棟に呼びたい、と思ふくらゐである。
旅行をしても、この里、この森、この祠――どうも、みゝづくがゐさうだ、と直感すると、果して深更に及んで、ぽツと、顯はれ出づるから則ち話せる。――のツほーほう、ほツほウ。
「おいでなさい、今晩は。……」
つい先月の中旬である。はじめて外房州の方へ、まことに緊縮な旅行をした、その時――
待て、旅といへば、内にゐて、哲理と岡ぼれの事にばかり凝つてゐないで、偶には外へ出て見たがよい。よしきり(よし原すゞめ、行々子)は、麥の蒼空の雲雀より、野趣横溢して親しみがある。前にいつたその逗子の時分は、裏の農家のやぶを出ると、すぐ田越川の流れの續きで、一本橋を渡る所は、たゞ一面の蘆原。滿潮の時は、さつと潮してくる浪がしらに、虎斑の海月が乘つて、あしの葉の上を泳いだほどの水場だつたが、三年あまり一度もよしきりを聞いた事……無論見た事もない。
後に、奧州の平泉中尊寺へ詣でたかへりに、松島へ行く途中、海の底を見るやうな岩の根を拔ける道々、傍の小沼の蘆に、くわらくわいち、くわらくわいち、ぎやう、ぎやう、ぎやう、ちよツ、ちよツ、ちよツ……を初音に聞いた。
まあ、そんなに念いりにいはないでも、凡烏の勘左衞門、雀の忠三郎などより、鳥でこのくらゐ、名と聲の合致したものは少からう、一度もまだ見聞きした覺えのないものも、聲を聞けば、すぐ分る……
ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし。
もし/\、久保田さん、と呼んで、こゝで傘雨さんにお目にかゝりたい。これでは句になりますまいか。
ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし、ぎやうぎやうし。