泡鳴五部作 01 発展

6話

3,899字 約8分 2016年5月9日 公開

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 某新聞の文藝欄に出す原稿を頼みがてら、その新聞の社員になつてゐる小石川の小説家田島秋夢がやつて來た時、義雄は既にお鳥の話をしてあつた。

「どうせ、まごついてゐりやア、目かけか地獄になるのが落ちだらうが、本人はまだそこまでは自覺してゐないやうだ。」義雄は秋夢の樣子を窺ひななら、「うぶでないとしても、男とは普通の結婚であつたのだらうし――一つ、どうだ、高等下女を雇ふつもりなら、話が出來ないこともないだらうぜ。」

「ふむ」と秋夢はむツつりした笑ひを見せただけで、その話は途切れてしまつたが、義雄は今一度女の爲めに話して見ようかとも考へてゐたのである。

 渠が机に向つて、こないだ、梅の枝葉に關して起した感想を「庭木の刈り込み」と云ふ散文詩に引き纒めてゐるところへ、繼母が珍しくも這入つてきて、

「義雄さん。」わざとだとは思はれるが、にこ/\した顏をして、机の端に左りの手の指さきを二三本掛け、品やかにしやがみながら、「どこか世話をしてやつて下さいな、清水さんを――いつまでゐたツて、お金はないやうだから、長くゐればゐるだけ、ねえ、うちの損にもなるだらうと思はれて――手頼つてこられたわたしが、お千代さんになり、またお前さんになり、氣の毒な思ひをしなけりやアならないから。」

「別に口もないのか?」義雄は筆を持つたままで、むツちりした返事だ。

「えい――神田の方とかも、ただいいところがある、あると云ふだけで、そんなことを云つては向ふの男がただ女を面白半分に引き寄せてゐるばかりのやうだし――」

「それがあの女に分らないのか?」

「さあ、そこまでは――」

「女の方が却つてそんな男からなにかおびき出さうとしてゐるのぢやアないか?」

「まさか――」繼母はにツと笑つて、「そんなことアどうでもいいぢやアありませんか? うちさへ早く出て呉れりやア――」

「だから」と、義雄は頬をふくらし、繼母に突ツかかるやうな口調で、「おれが下女にでも行けと云つたのに、乘り氣にならないぢやアないか?」

「下女ぢやア、氣が進まないらしいのです、わ――でも、お前さんに強く云はれたから、その日から自分で方々の口入れ屋を尋ねてまはつたさうだが――よささうだと思つて目見えに行つて見れば、朝鮮人のうちの小間使ひであつたり――十圓にもなるからと聽いて見れば、お目かけの口であつたり――若いものはまだ迷ふばかりです、わ。」

「なま意氣に、下女と云やア飯炊きばかりだと思つて、人の云ふことを氣に止めないから仕やうがない、さ。」

「下女でも、何んでもいいから」と、繼母はここ切りだがと云ふ風に聲をひそめ、「押しつけておしまひなさいよ、わたしが今本人をここへよこしますから。」

「そりやアよこしてもいいが――」義雄は言葉に冷淡をよそほつても、心には一種の恥かしみをおぼえて、繼母がいそ/\と出て行つたあとで紺がすりの襟を正したり、博多の帶の結びを眞ツ直ぐに直したりした。

 そして、机の位置がこのままでは、女が遠く坐わるにきまつてゐると思ひ、成るべく奧の方へかの女を取り入れる爲め、机を床の間と相ひ對する縁がはの前で、半間の壁のそばへ据ゑ換へた。

 午前のことだが、日は既に南の方へまはつてゐて、餘り暑苦しいやうなことはない。東の縁がはから見える八幡山の樹木から漏れる光りが、隣りの庭から突き出た二三葉の芭蕉のひろ葉に當つて、その葉の青い色が明るいつやを帶びてゐる。

 義雄はそれが一番好きだ。如何に暑く乾燥した日でも、その葉だけは青々したしめり氣を帶びて、勢ひよくすら/\延びて行く。たとへ、雨風に破れよごれて切り取られてしまつても、直ぐまた跡へすら/\と延びて來るのである。

 それを見て瞑想しながら、あツちへ行つたり、こツちへ行つたりすることもある縁がはだか、今はその方の障子を締め切つて、渠は左りの壁ぎはに移した机に向つてゐる。

「入らツしやいましたよ。」繼母はお鳥の先きへ立つてやつて來て、持つて來た(ござ)の座蒲團を床の間の前に置き、「さあ、あなたもぢかによくお頼みなさいよ」と、お鳥を置いて去つてしまつた。

「さあ、お這入んなさい。」義雄はどきつく胸をこと更らに押し鎭めて、麻の座蒲團に坐わつたまま、机を脊にしてかしこまつた。

 お鳥も亦取り澄ました物々しい態度でまだ一言も云はず、下向き勝ちに、義雄の方へ明いた障子の敷居を越えたが、しやがんでその障子を人に見られまいと云ふ風で締めた。それから、目をじろりと擧げてこちらを見ると同時に、ちやんと坐つてお辭儀をした。

「まア、もツとお進みなさい。」義雄は座蒲團を取つて洋書棚近くへあげると、

「はア――」お鳥はおとなしくその方へ少し膝をにじり寄せた。

「どうです、まだいい口は見附かりませんか?」

「はア、まだ――どこぞよろしいところを、どうぞ――」

「いいところツて、僕の心當りと云ふのは、こないだもちよツとお話した下女の口ですがね。」

「そこでもよろしう御座ります。」

「いいですか」と渠が念を押すと、女はまたたやすくいいと答へたので、これは物になるわいと思つた。獨り者のところへ若い女――それを平氣で承知するやうなら、渠自身にも占領することが出來ないものでもなからうと。

 たとへ田舍じみてゐても、たとへ拙い顏でも、このふツくりと肥えた色の白い女をむざ/\と友人の秋夢に渡してしまうのが急に惜しくなつた。

「どうです、東京の方が紀州などよりやアいいでしよう」などと云ふ問題外の話しを暫らくやつてゐると、いつのまにか渠は自分のからだを書棚の方へ横たへてゐた。

 女は右の手を疊に突いて、少しにじり出した膝の當たりの褄を左りの手の指さきでむしり取るやうな眞似――これは此の間もしほらしいと見たことで、かの女の癖だと義雄は思つた――をして、多少締まりがないと思はれる笑ひ方をしてゐた。

「それで然し本統にいいですか?」義雄はまた本問題に歸つて、今度は疊の上から目をまぶしさうに女の方に向けた。

「へい、かうなつては、もう、氣儘も云ふてをられません。」

「獨り者だから」と、云ひにくいのを、さりげなく見せながら、「口説くかも知れませんよ。」

「そんなことは構ひません。」女はまた眞面目な顏になつたが、決心の色は顏に顯はれた。

「實は、僕も」と、義雄は、もう大丈夫だと勘定したが、口をよどませながら一層低い聲になり、「今、誰れかひとり世話して呉れるものを探してゐるのです。――僕はあの妻子は大嫌ひで、――この家にゐてもゐないでもおんなじことなのだから、――どこか別に家を持たうと思つてるのです。」

「はア」と、お鳥はなほ眞面目だが、どちらでもいいと云ふ心は、相變らず褄をむしつてゐる樣子に見えた。

「いツそのこと、どうです」と、義雄は女の顏を矢張りさりげなく見つめながら、然し口はよどみながら、「僕の――方へ――來て――下さつたら?」

「それでも結構です。」女も外に氣を置きながら、目を横に左りの締つた障子を見て低い聲だ。

「もう占めた」と、義雄は自分に云つてから、「矢ツ張り、口説くかも知れませんよ。」

「‥‥」女は無言で、また左りの障子の方を氣にした。

「ぢやア、ね、かうしましよう――」義雄が別なことを云ひかけた時、千代子の草履の音がばたばたとして來て、

「あなた、諭鶴(ゆづる)が行けませんから、叱つて下さい」とおめきながら、障子をばたりと明けた。お鳥のゐるのを見て俄かに荒々しい調子をやはらげて、「清水さんがゐたんですか?」

「おりやア子供のことなど知つたものか? やかましいからあツちイ行け――」義雄は横になつて左りの肱を突いてゐるまま、顏をあげただけだ。

「ぢやア、行きますとも――」千代子はかう云つてお鳥が疊から手を放して眞ツ直ぐにかしこまつたのをじろりと一瞥し、ぴたりと障子を烈しく締めると、障子はその勢ひで一二寸あともどりした。

「靜かに締めろ!」義雄は起きあがつて、そのあとを締め直し、また元の通り横になつて、「あれだから、駄目なのです。」

「ふむ」と、お鳥もかしこまつたまま鼻であざ笑つた。

「然し、僕のおツ母さんにでもしやべつたら行けませんよ。」

「こんなことが云へますものですか?」

「ぢやア、ね、かうしましよう――僕は直ぐ晝飯を濟ませて、新橋ステーションの二等待合室に行つてるから、あなたも成るべく早く入らツしやい。鎌倉へでも行つて、ゆツくりあとの相談は致しましよう。」

「では、さう致します。」

「間違つちやア困りますよ。」義雄は微笑して見せた。

「大丈夫です。」お鳥も笑ひを漏らしながら骨格のいい胸を延ばして、わざとらしい延びをしたが、義雄の燃えるやうに向けた目を見て、横を向いてそれを避けた。

 勝手の方からは千代子がまた尖つた聲で子供を叱つてゐるのが聽えて來る。

「ああ、いやだ/\。」妻や子のことを思ふにつけても、義雄はまだ親しみのない女に、餘りだらしない風を見せたくないので、起きあがつて坐わり直し、きのふ丸善から買つて來た外國雜誌、ロンドンのザレウオヴレウズを机の上から取つて、その中の挿し畫をかの女に見せたりした。

「あれは何です」、「これは何」と、二三の質問が畫に關してあつた切り、話の種が切れてしまつた。

「では、ね」と、義雄は紙入れを取り、或雜誌社から受け取つて、千代子には隱してゐる原稿料のうちから、五十錢銀貨を出し、「これは車賃に渡して置きます。」

「‥‥」お鳥は默つてそれを受取り、周圍に氣兼しながら急いでよれかかつたメリンス友禪の帶に挾んだ。そして膝に返したその手を、義雄は、

「約束のしるしに」と云つて握つたが、かの女もそれをこちらの握るがままに任せた。

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