5話 四(2)
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》に足が遠くなるようになった。たまに行っても、義理一遍の訪問に終る事が多いので、帰り路にはいつもつまらない気がしてならなかった。しまいには時候の挨拶を済ますと、すぐ帰りたくなる事もあった。こう云う時には三十分と坐って、世間話に時間を繋ぐのにさえ骨が折れた。向うでも何だか気が置けて窮屈だと云う風が見えた。
「まあいいじゃありませんか」と叔母が留めてくれるのが例であるが、そうすると、なおさらいにくい心持がした。それでも、たまには行かないと、心のうちで気が咎めるような不安を感ずるので、また行くようになった。折々は、
「どうも小六が御厄介になりまして」とこっちから頭を下げて礼を云う事もあった。けれども、それ以上は、弟の将来の学資についても、また自分が叔父に頼んで、留守中に売り払って貰った地所家作についても、口を切るのがつい面倒になった。しかし宗助が興味を有たない叔父の所へ、不精無精にせよ、時たま出掛けて行くのは、単に叔父甥の血属関係を、世間並に持ち堪えるための義務心からではなくって、いつか機会があったら、片をつけたい或物を胸の奥に控えていた結果に過ぎないのは明かであった。
「宗さんはどうもすっかり変っちまいましたね」と叔母が叔父に話す事があった。すると叔父は、
「そうよなあ。やっぱり、ああ云う事があると、永くまで後へ響くものだからな」と答えて、因果は恐ろしいと云う風をする。叔母は重ねて、
「本当に、怖いもんですね。元はあんな寝入った子じゃなかったが――どうもはしゃぎ過ぎるくらい活溌でしたからね。それが二三年見ないうちに、まるで別の人みたように老けちまって。今じゃあなたより御爺さん御爺さんしていますよ」と云う。
「真逆」と叔父がまた答える。
「いえ、頭や顔は別として、様子がさ」と叔母がまた弁解する。
こんな会話が老夫婦の間に取り換わされたのは、宗助が出京して以来一度や二度ではなかった。実際彼は叔父の所へ来ると、老人の眼に映る通りの人間に見えた。
御米はどう云うものか、新橋へ着いた時、老人夫婦に紹介されたぎり、かつて叔父の家の敷居を跨いだ事がない。むこうから見えれば叔父さん叔母さんと丁寧に接待するが、帰りがけに、
「どうです、ちと御出かけなすっちゃ」などと云われると、ただ、
「ありがとう」と頭を下げるだけで、ついぞ出掛けた試はなかった。さすがの宗助さえ一度は、
「叔父さんの所へ一度行って見ちゃ、どうだい」と勧めた事があるが、
「でも」と変な顔をするので、宗助はそれぎりけっしてその事を云い出さなかった。
両家族はこの状態で約一年ばかりを送った。すると宗助よりも気分は若いと許された叔父が突然死んだ。病症は脊髄脳膜炎とかいう劇症で、二三日風邪の気味で寝ていたが、便所へ行った帰りに、手を洗おうとして、柄杓を持ったまま卒倒したなり、一日経つか経たないうちに冷たくなってしまったのである。
「御米、叔父はとうとう話をしずに死んでしまったよ」と宗助が云った。
「あなたまだ、あの事を聞くつもりだったの、あなたも随分執念深いのね」と御米が云った。
それからまた一年ばかり経ったら、叔父の子の安之助が大学を卒業して、小六が高等学校の二年生になった。叔母は安之助といっしょに中六番町に引き移った。
三年目の夏休みに小六は房州の海水浴へ行った。そこに一月余りも滞在しているうちに九月になり掛けたので、保田から向うへ突切って、上総の海岸を九十九里伝いに、銚子まで来たが、そこから思い出したように東京へ帰った。宗助の所へ見えたのは、帰ってから、まだ二三日しか立たない、残暑の強い午後である。真黒に焦げた顔の中に、眼だけ光らして、見違えるように蛮色を帯びた彼は、比較的日の遠い座敷へ這入ったなり横になって、兄の帰りを待ち受けていたが、宗助の顔を見るや否や、むっくり起き上がって、
「兄さん、少し御話があって来たんですが」と開き直られたので、宗助は少し驚ろいた気味で、暑苦しい洋服さえ脱ぎ更えずに、小六の話を聞いた。
小六の云うところによると、二三日前彼が上総から帰った晩、彼の学資はこの暮限り、気の毒ながら出してやれないと叔母から申し渡されたのだそうである。小六は父が死んで、すぐと叔父に引き取られて以来、学校へも行けるし、着物も自然にできるし、小遣も適宜に貰えるので、父の存生中と同じように、何不足なく暮らせて来た惰性から、その日その晩までも、ついぞ学資と云う問題を頭に思い浮べた事がなかったため、叔母の宣告を受けた時は、茫然してとかくの挨拶さえできなかったのだと云う。
叔母は気の毒そうに、なぜ小六の世話ができなくなったかを、女だけに、一時間も掛かって委しく説明してくれたそうである。それには叔父の亡くなった事やら、継いで起る経済上の変化やら、また安之助の卒業やら、卒業後に控えている結婚問題やらが這入っていたのだと云う。
「できるならば、せめて高等学校を卒業するまでと思って、今日までいろいろ骨を折ったんだけれども」
叔母はこう云ったと小六は繰り返した。小六はその時ふと兄が、先年父の葬式の時に出京して、万事を片づけた後、広島へ帰るとき、小六に、御前の学資は叔父さんに預けてあるからと云った事があるのを思い出して、叔母に始めて聞いて見ると、叔母は案外な顔をして、
「そりゃ、あの時、宗さんが若干か置いて行きなすった事は、行きなすったが、それはもうありゃしないよ。叔父さんのまだ生きて御出の時分から、御前の学資は融通して来たんだから」と答えた。
小六は兄から自分の学資がどれほどあって、何年分の勘定で、叔父に預けられたかを、聞いておかなかったから、叔母からこう云われて見ると、一言も返しようがなかった。
「御前も一人じゃなし、兄さんもある事だからよく相談をして見たら好いだろう。その代り私も宗さんに逢って、とっくり訳を話しましょうから。どうも、宗さんも余まり近頃は御出でないし、私も御無沙汰ばかりしているのでね、つい御前の事は御話をする訳にも行かなかったんだよ」と叔母は最後につけ加えたそうである。
小六から一部始終を聞いた時、宗助はただ弟の顔を眺めて、一口、
「困ったな」と云った。昔のように赫と激して、すぐ叔母の所へ談判に押し掛ける気色もなければ、今まで自分に対して、世話にならないでも済む人のように、よそよそしく仕向けて来た弟の態度が、急に方向を転じたのを、悪いと思う様子も見えなかった。
自分の勝手に作り上げた美くしい未来が、半分壊れかかったのを、さも傍の人のせいででもあるかのごとく心を乱している小六の帰る姿を見送った宗助は、暗い玄関の敷居の上に立って、格子の外に射す夕日をしばらく眺めていた。
その晩宗助は裏から大きな芭蕉の葉を二枚剪って来て、それを座敷の縁に敷いて、その上に御米と並んで涼みながら、小六の事を話した。
「叔母さんは、こっちで、小六さんの世話をしろって云う気なんじゃなくって」と御米が聞いた。
「まあ、逢って聞いて見ないうちは、どう云う料簡か分らないがね」と宗助が云うと、御米は、
「きっとそうよ」と答えながら、暗がりで団扇をはたはた動かした。宗助は何も云わずに、頸を延ばして、庇と崖の間に細く映る空の色を眺めた。二人はそのまましばらく黙っていたが、良あって、
「だってそれじゃ無理ね」と御米がまた云った。
「人間一人大学を卒業させるなんて、おれの手際じゃ到底駄目だ」と宗助は自分の能力だけを明らかにした。
会話はそこで別の題目に移って、再び小六の上にも叔母の上にも帰って来なかった。それから二三日するとちょうど土曜が来たので、宗助は役所の帰りに、番町の叔母の所へ寄って見た。叔母は、
「おやおや、まあ御珍らしい事」と云って、いつもよりは愛想よく宗助を款待してくれた。その時宗助は厭なのを我慢して、この四五年来溜めて置いた質問を始めて叔母に掛けた。叔母は固よりできるだけは弁解しない訳に行かなかった。
叔母の云うところによると、宗助の邸宅を売払った時、叔父の手に這入った金は、たしかには覚えていないが、何でも、宗助のために、急場の間に合せた借財を返した上、なお四千五百円とか四千三百円とか余ったそうである。ところが叔父の意見によると、あの屋敷は宗助が自分に提供して行ったのだから、たといいくら余ろうと、余った分は自分の所得と見傚して差支ない。しかし宗助の邸宅を売って儲けたと云われては心持が悪いから、これは小六の名義で保管して置いて、小六の財産にしてやる。宗助はあんな事をして廃嫡にまでされかかった奴だから、一文だって取る権利はない。
「宗さん怒っちゃいけませんよ。ただ叔父さんの云った通りを話すんだから」と叔母が断った。宗助は黙ってあとを聞いていた。
小六の名義で保管されべき財産は、不幸にして、叔父の手腕で、すぐ神田の賑やかな表通りの家屋に変形した。そうして、まだ保険をつけないうちに、火事で焼けてしまった。小六には始めから話してない事だから、そのままにして、わざと知らせずにおいた。
「そう云う訳でね、まことに宗さんにも、御気の毒だけれども、何しろ取って返しのつかない事だから仕方がない。運だと思って諦らめて下さい。もっとも叔父さんさえ生きていれば、またどうともなるんでしょうさ。小六一人ぐらいそりゃ訳はありますまいよ。よしんば、叔父さんがいなさらない、今にしたって、こっちの都合さえ好ければ、焼けた家と同じだけのものを、小六に返すか、それでなくっても、当人の卒業するまでぐらいは、どうにかして世話もできるんですけれども」と云って叔母はまたほかの内幕話をして聞かせた。それは安之助の職業についてであった。
安之助は叔父の一人息子で、この夏大学を出たばかりの青年である。家庭で暖かに育った上に、同級の学生ぐらいよりほかに交際のない男だから、世の中の事にはむしろ迂濶と云ってもいいが、その迂濶なところにどこか鷹揚な趣を具えて実社会へ顔を出したのである。専門は工科の器械学だから、企業熱の下火になった今日といえども、日本中にたくさんある会社に、相応の口の一つや二つあるのは、もちろんであるが、親譲りの山気がどこかに潜んでいるものと見えて、自分で自分の仕事をして見たくてならない矢先へ、同じ科の出身で、小規模ながら専有の工場を月島辺に建てて、独立の経営をやっている先輩に出逢ったのが縁となって、その先輩と相談の上、自分も幾分かの資本を注ぎ込んで、いっしょに仕事をしてみようという考になった。叔母の内幕話と云ったのはそこである。
「でね、少しあった株をみんなその方へ廻す事にしたもんだから、今じゃ本当に一文なし同然な仕儀でいるんですよ。それは世間から見ると、人数は少なし、家邸は持っているし、楽に見えるのも無理のないところでしょうさ。この間も原の御母さんが来て、まああなたほど気楽な方はない、いつ来て見ても万年青の葉ばかり丹念に洗っているってね。真逆そうでも無いんですけれども」と叔母が云った。
宗助が叔母の説明を聞いた時は、ぼんやりしてとかくの返事が容易に出なかった。心のなかで、これは神経衰弱の結果、昔のように機敏で明快な判断を、すぐ作り上げる頭が失くなった証拠だろうと自覚した。叔母は自分の云う通りが、宗助に本当と受けられないのを気にするように、安之助から持ち出した資本の高まで話した。それは五千円ほどであった。安之助は当分の間、わずかな月給と、この五千円に対する利益配当とで暮らさなければならないのだそうである。
「その配当だって、まだどうなるか分りゃしないんでさあね。旨く行ったところで、一割か一割五分ぐらいなものでしょうし、また一つ間違えばまるで煙にならないとも限らないんですから」と叔母がつけ加えた。
宗助は叔母の仕打に、これと云う目立った阿漕なところも見えないので、心の中では少なからず困ったが、小六の将来について一口の掛合もせずに帰るのはいかにも馬鹿馬鹿しい気がした。そこで今までの問題はそこに据えっきりにして置いて、自分が当時小六の学資として叔父に預けて行った千円の所置を聞き糺して見ると、叔母は、
「宗さん、あれこそ本当に小六が使っちまったんですよ。小六が高等学校へ這入ってからでも、もうかれこれ七百円は掛かっているんですもの」と答えた。
宗助はついでだから、それと同時に、叔父に保管を頼んだ書画や骨董品の成行を確かめて見た。すると、叔母は、
「ありあとんだ馬鹿な目に逢って」と云いかけたが、宗助の様子を見て、
「宗さん、何ですか、あの事はまだ御話をしなかったんでしたかね」と聞いた。宗助がいいえと答えると、
「おやおや、それじゃ叔父さんが忘れちまったんですよ」と云いながら、その顛末を語って聞かした。
宗助が広島へ帰ると間もなく、叔父はその売捌方を真田とかいう懇意の男に依頼した。この男は書画骨董の道に明るいとかいうので、平生そんなものの売買の周旋をして諸方へ出入するそうであったが、すぐさま叔父の依頼を引き受けて、誰某が何を欲しいと云うから、ちょっと拝見とか、何々氏がこう云う物を希望だから、見せましょうとか号して、品物を持って行ったぎり、返して来ない。催促すると、まだ先方から戻って参りませんからとか何とか言訳をするだけでかつて埒の明いた試がなかったが、とうとう持ち切れなくなったと見えて、どこかへ姿を隠してしまった。
「でもね、まだ屏風が一つ残っていますよ。この間引越の時に、気がついて、こりゃ宗さんのだから、今度ついでがあったら届けて上げたらいいだろうって、安がそう云っていましたっけ」
叔母は宗助の預けて行った品物にはまるで重きを置いていないような、ものの云い方をした。宗助も今日まで放っておくくらいだから、あまりその方面には興味を有ち得なかったので、少しも良心に悩まされている気色のない叔母の様子を見ても、別に腹は立たなかった。それでも、叔母が、
「宗さん、どうせ家じゃ使っていないんだから、なんなら持っておいでなすっちゃどうです。この頃はああいうものが、大変価が出たと云う話じゃありませんか」と云ったときは、実際それを持って帰る気になった。
納戸から取り出して貰って、明るい所で眺めると、たしかに見覚のある二枚折であった。下に萩、桔梗、芒、葛、女郎花を隙間なく描いた上に、真丸な月を銀で出して、その横の空いた所へ、野路や空月の中なる女郎花、其一と題してある。宗助は膝を突いて銀の色の黒く焦げた辺から、葛の葉の風に裏を返している色の乾いた様から、大福ほどな大きな丸い朱の輪廓の中に、抱一と行書で書いた落款をつくづくと見て、父の生きている当時を憶い起さずにはいられなかった。
父は正月になると、きっとこの屏風を薄暗い蔵の中から出して、玄関の仕切りに立てて、その前へ紫檀の角な名刺入を置いて、年賀を受けたものである。その時はめでたいからと云うので、客間の床には必ず虎の双幅を懸けた。これは岸駒じゃない岸岱だと父が宗助に云って聞かせた事があるのを、宗助はいまだに記憶していた。この虎の画には墨が着いていた。虎が舌を出して谷の水を呑んでいる鼻柱が少し汚されたのを、父は苛く気にして、宗助を見るたびに、御前ここへ墨を塗った事を覚えているか、これは御前の小さい時分の悪戯だぞと云って、おかしいような恨めしいような一種の表情をした。
宗助は屏風の前に畏まって、自分が東京にいた昔の事を考えながら、
「叔母さん、じゃこの屏風はちょうだいして行きましょう」と云った。
「ああああ、御持ちなさいとも。何なら使に持たせて上げましょう」と叔母は好意から申し添えた。
宗助は然るべく叔母に頼んで、その日はそれで切り上げて帰った。晩食の後御米といっしょにまた縁側へ出て、暗い所で白地の浴衣を並べて、涼みながら、画の話をした。
「安さんには、御逢いなさらなかったの」と御米が聞いた。
「ああ、安さんは土曜でも何でも夕方まで、工場にいるんだそうだ」
「随分骨が折れるでしょうね」
御米はそう云ったなり、叔父や叔母の処置については、一言の批評も加えなかった。
「小六の事はどうしたものだろう」と宗助が聞くと、
「そうね」と云うだけであった。
「理窟を云えば、こっちにも云い分はあるが、云い出せば、とどのつまりは裁判沙汰になるばかりだから、証拠も何もなければ勝てる訳のものじゃなし」と宗助が極端を予想すると、
「裁判なんかに勝たなくたってもいいわ」と御米がすぐ云ったので、宗助は苦笑してやめた。
「つまりおれがあの時東京へ出られなかったからの事さ」
「そうして東京へ出られた時は、もうそんな事はどうでもよかったんですもの」
夫婦はこんな話をしながら、また細い空を庇の下から覗いて見て、明日の天気を語り合って蚊帳に這入った。
次の日曜に宗助は小六を呼んで、叔母の云った通りを残らず話して聞かせて、
「叔母さんが御前に詳しい説明をしなかったのは、短兵急な御前の性質を知ってるせいか、それともまだ小供だと思ってわざと略してしまったのか、そこはおれにも分らないが、何しろ事実は今云った通りなんだよ」と教えた。
小六にはいかに詳しい説明も腹の足しにはならなかった。ただ、
「そうですか」と云ってむずかしい不満な顔をして宗助を見た。
「仕方がないよ。叔母さんだって、安さんだって、そう悪い料簡はないんだから」
「そりゃ、分っています」と弟は峻しい物の云い方をした。
「じゃおれが悪いって云うんだろう。おれは無論悪いよ。昔から今日まで悪いところだらけな男だもの」
宗助は横になって煙草を吹かしながら、これより以上は何とも語らなかった。小六も黙って、座敷の隅に立ててあった二枚折の抱一の屏風を眺めていた。
「御前あの屏風を覚えているかい」とやがて兄が聞いた。
「ええ」と小六が答えた。
「一昨日佐伯から届けてくれた。御父さんの持ってたもので、おれの手に残ったのは、今じゃこれだけだ。これが御前の学資になるなら、今すぐにでもやるが、剥げた屏風一枚で大学を卒業する訳にも行かずな」と宗助が云った。そうして苦笑しながら、
「この暑いのに、こんなものを立てて置くのは、気狂じみているが、入れておく所がないから、仕方がない」と云う述懐をした。
小六はこの気楽なような、ぐずのような、自分とは余りに懸け隔たっている兄を、いつも物足りなくは思うものの、いざという場合に、けっして喧嘩はし得なかった。この時も急に癇癪の角を折られた気味で、
「屏風はどうでも好いが、これから先僕はどうしたもんでしょう」と聞き出した。
「それは問題だ。何しろことしいっぱいにきまれば好い事だから、まあよく考えるさ。おれも考えて置こう」と宗助が云った。
弟は彼の性質として、そんな中ぶらりんの姿は嫌である、学校へ出ても落ちついて稽古もできず、下調も手につかないような境遇は、とうてい自分には堪えられないと云う訴を切にやり出したが、宗助の態度は依然として変らなかった。小六があまり癇の高い不平を並べると、
「そのくらいな事でそれほど不平が並べられれば、どこへ行ったって大丈夫だ。学校をやめたって、いっこう差支ない。御前の方がおれよりよっぽどえらいよ」と兄が云ったので、話はそれぎり頓挫して、小六はとうとう本郷へ帰って行った。
宗助はそれから湯を浴びて、晩食を済まして、夜は近所の縁日へ御米といっしょに出掛けた。そうして手頃な花物を二鉢買って、夫婦して一つずつ持って帰って来た。夜露にあてた方がよかろうと云うので、崖下の雨戸を明けて、庭先にそれを二つ並べて置いた。
蚊帳の中へ這入った時、御米は、
「小六さんの事はどうなって」と夫に聞くと、
「まだどうもならないさ」と宗助は答えたが、十分ばかりの後夫婦ともすやすや寝入った。
翌日眼が覚めて役所の生活が始まると、宗助はもう小六の事を考える暇を有たなかった。家へ帰って、のっそりしている時ですら、この問題を確的眼の前に描いて明らかにそれを眺める事を憚かった。髪の毛の中に包んである彼の脳は、その煩わしさに堪えなかった。昔は数学が好きで、随分込み入った幾何の問題を、頭の中で明暸な図にして見るだけの根気があった事を憶い出すと、時日の割には非常に烈しく来たこの変化が自分にも恐ろしく映った。
それでも日に一度ぐらいは小六の姿がぼんやり頭の奥に浮いて来る事があって、その時だけは、あいつの将来も何とか考えておかなくっちゃならないと云う気も起った。しかしすぐあとから、まあ急ぐにも及ぶまいぐらいに、自分と打ち消してしまうのが常であった。そうして、胸の筋が一本鉤に引っ掛ったような心を抱いて、日を暮らしていた。
そのうち九月も末になって、毎晩天の河が濃く見えるある宵の事、空から降ったように安之助がやって来た。宗助にも御米にも思い掛けないほど稀な客なので、二人とも何か用があっての訪問だろうと推したが、はたして小六に関する件であった。
この間月島の工場へひょっくり小六がやって来て云うには、自分の学資についての詳しい話は兄から聞いたが、自分も今まで学問をやって来て、とうとう大学へ這入れずじまいになるのはいかにも残念だから、借金でも何でもして、行けるところまで行きたいが、何か好い工夫はあるまいかと相談をかけるので、安之助はよく宗さんにも話して見ようと答えると、小六はたちまちそれを遮ぎって、兄はとうてい相談になってくれる人じゃない。自分が大学を卒業しないから、他も中途でやめるのは当然だぐらいに考えている。元来今度の事も元を糺せば兄が責任者であるのに、あの通りいっこう平気なもので、他が何を云っても取り合ってくれない。だから、ただ頼りにするのは君だけだ。叔母さんに正式に断わられながら、また君に依頼するのはおかしいようだが、君の方が叔母さんより話が分るだろうと思って来たと云って、なかなか動きそうもなかったそうである。
安之助は、そんな事はない、宗さんも君の事ではだいぶ心配して、近いうちまた家へ相談に来るはずになっているんだからと慰めて、小六を帰したんだと云う。帰るときに、小六は袂から半紙を何枚も出して、欠席届が入用だからこれに判を押してくれと請求して、僕は退学か在学か片がつくまでは勉強ができないから、毎日学校へ出る必要はないんだと云ったそうである。
安之助は忙がしいとかで、一時間足らず話して帰って行ったが、小六の所置については、両人の間に具体的の案は別に出なかった。いずれ緩くりみんなで寄ってきめよう、都合がよければ小六も列席するが好かろうというのが別れる時の言葉であった。二人になったとき、御米は宗助に、
「何を考えていらっしゃるの」と聞いた。宗助は両手を兵児帯の間に挟んで、心持肩を高くしたなり、
「おれももう一返小六みたようになって見たい」と云った。「こっちじゃ、向がおれのような運命に陥るだろうと思って心配しているのに、向じゃ兄貴なんざあ眼中にないから偉いや」
御米は茶器を引いて台所へ出た。夫婦はそれぎり話を切り上げて、また床を延べて寝た。夢の上に高い銀河が涼しく懸った。
次の週間には、小六も来ず、佐伯からの音信もなく、宗助の家庭はまた平日の無事に帰った。夫婦は毎朝露に光る頃起きて、美しい日を廂の上に見た。夜は煤竹の台を着けた洋灯の両側に、長い影を描いて坐っていた。話が途切れた時はひそりとして、柱時計の振子の音だけが聞える事も稀ではなかった。
それでも夫婦はこの間に小六の事を相談した。小六がもしどうしても学問を続ける気なら無論の事、そうでなくても、今の下宿を一時引き上げなければならなくなるのは知れているが、そうすればまた佐伯へ帰るか、あるいは宗助の所へ置くよりほかに途はない。佐伯ではいったんああ云い出したようなものの、頼んで見たら、当分宅へ置くぐらいの事は、好意上してくれまいものでもない。が、その上修業をさせるとなると、月謝小遣その他は宗助の方で担任しなければ義理が悪い。ところがそれは家計上宗助の堪えるところでなかった。月々の収支を事細かに計算して見た両人は、
「とうてい駄目だね」
「どうしたって無理ですわ」と云った。
夫婦の坐っている茶の間の次が台所で、台所の右に下女部屋、左に六畳が一間ある。下女を入れて三人の小人数だから、この六畳には余り必要を感じない御米は、東向の窓側にいつも自分の鏡台を置いた。宗助も朝起きて顔を洗って、飯を済ますと、ここへ来て着物を脱ぎ更えた。
「それよりか、あの六畳を空けて、あすこへ来ちゃいけなくって」と御米が云い出した。御米の考えでは、こうして自分の方で部屋と食物だけを分担して、あとのところを月々いくらか佐伯から助て貰ったら、小六の望み通り大学卒業までやって行かれようと云うのである。
「着物は安さんの古いのや、あなたのを直して上げたら、どうかなるでしょう」と御米が云い添えた。実は宗助にもこんな考が、多少頭に浮かんでいた。ただ御米に遠慮がある上に、それほど気が進まなかったので、つい口へ出さなかったまでだから、細君からこう反対に相談を掛けられて見ると、固よりそれを拒むだけの勇気はなかった。
小六にその通りを通知して、御前さえそれで差支なければ、おれがもう一遍佐伯へ行って掛合って見るがと、手紙で問い合せると、小六は郵便の着いた晩、すぐ雨の降る中を、傘に音を立ててやって来て、もう学資ができでもしたように嬉しがった。
「何、叔母さんの方じゃ、こっちでいつまでもあなたの事を放り出したまんま、構わずにおくもんだから、それでああおっしゃるのよ。なに兄さんだって、もう少し都合が好ければ、疾うにもどうにかしたんですけれども、御存じの通りだから実際やむを得なかったんですわ。しかしこっちからこう云って行けば、叔母さんだって、安さんだって、それでも否だとは云われないわ。きっとできるから安心していらっしゃい。私受合うわ」
御米にこう受合って貰った小六は、また雨の音を頭の上に受けて本郷へ帰って行った。しかし中一日置いて、兄さんはまだ行かないんですかと聞きに来た。また三日ばかり過ぎてから、今度は叔母さんの所へ行って聞いたら、兄さんはまだ来ないそうだから、なるべく早く行くように勧めてくれと催促して行った。
宗助が行く行くと云って、日を暮らしているうちに世の中はようやく秋になった。その朗らかな或日曜の午後に、宗助はあまり佐伯へ行くのが後れるので、この要件を手紙に認めて番町へ相談したのである。すると、叔母から安之助は神戸へ行って留守だと云う返事が来たのである。