2話 二
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毎月五日は右田家の祝い日になっていた。それは藤六が二十歳のとき足軽小頭を命ぜられた日で、以来ずっと欠かさずに続けている。すでに父母は亡く、兄妹ふたり暮しの寂しい家に、その日ばかりは仲のよい横井鉄之助が客に来る、……殊にこの頃では、鉄之助と汀のあいだに親しさが濃くなり、
「嫁に欲しい」
「差上げましょう」
と云い交わす折の近いことを、殆ど互いに諒解し合っていたから、この日は兄妹にとって心から待たれるものだったのである。
大試合の忙しさで自分も忘れていたくらいだから、鉄之助も気づかずにいるかも知れない、そう思って横井の屋敷を訪ねると、――まだ下城していない、ということだった。
「試合のあと槇山正左衛門どので祝宴があると申していた、おそらくまだ、そこにおるのであろう」
そういう返辞なので、すぐ近所にある槇山邸へまわってみた。槇山正左衛門は番頭を勤める老人で、つねづね若い者を好み、槍術が達者だということから藤六もしばしば会ったことがある。……取次ぎを頼むと、
「いま広間で無礼講をやっている、庭からまわってじかに呼ぶがよい」
と云われた。時どき来て馴れてもいたし、云われるままに内庭のほうへまわってゆくと、中の木戸をはいったところで、ばかげた高笑いと、酔に乗じた罵り声がかれの耳をうった。
「たかが足軽ではないか、刀を差しているというばかりで、かたちは武士でも中間小者と選ぶところはない、いわば道傍にわけもなく生え伸びている雑草も同様だぞ」
「そうだ、その点を明確にすべきだ」
続けて別の者がどなった。
「……その区別を明確にしないからのさばる、第一かれらが槍術をやるのからして僭上だ、ちょっと槍の持方でも覚えると、もういっぱしの武士にでもなり兼ねない面つきで、肩を怒らしてのしまわる、雑草は端から刈るべきだ、おのれの身分を知らしめなくてはいけないぞ」
ここまで聞くと、藤六は全身を震わした。おのれらはさむらいの本分をさえ忘れているのに、ただ武士であるからというだけで、人を貶める、それも程度こそあれ、中間小者に等しいとか、わけもなく生え伸びる路傍の雑草とは過言も甚だしい、藤六は歯がみをしながらひき返そうとした、するとなお無遠慮に、
「いちどかれらを懲りるほど叩きのめしてやるがいいのだ」
というのが聞えた。
「……なに主なやつ二三人やれば、あとは縮みあがってぐうの音も出はせぬよ」
藤六は我慢の緒を切った。かれは大股に庭へ踏み込むと、広間の縁先へぐっぐと近寄り、声いっぱいに、
「よろしい叩きのめして頂こう」
と絶叫した。
「足軽は雑草も同様だという言葉たしかに聞いたぞ、何百石という相恩の食禄を頂いて、無為徒食する貴公たちの眼から見たら、足軽などは人間の数にはいらぬかもしれぬ、しかし泰平なればこそさような痴言も吐けるのだ、いざ合戦となった場合どちらが御馬前の役にたつか、叩きのめすという言葉こそ幸い、心得のほどを此処で拝見つかまつろう」
広間には十五六人いた、もともと酒興から出た無責任な暴言だったので、眼の前に藤六があらわれると共にみんなぴたりと口を噤んだ、それがさらに藤六の怒りを煽った。
「どうした、偉そうに蔭口はきいても、いざとなると出る者はないのか、雑草を刈る者は一人もないのか」
「……拙者が相手をしよう」
そう云いながら、一座の中から立って来た者があった、横井鉄之助である、……藤六はあっと息をのんだ。鉄之助、――そうだ鉄之助がいたんだ、しまった。思わず呻いたが、それと同時に、
「いや鉄之助もこの座にいた、かれも足軽を誹謗する者のなかまだった」
そういう忿懣がこみあげてきた。
「何誰でもこちらに選り好みはない」
「だれか稽古槍を二筋たのむ」
鉄之助はそう云って庭へとびおりて来た。
「……場所はここでよいか」
「何処でも結構」
藤六はそう云ってひたと相手を見た。稽古槍が二本そこへ差出された、二人はひと筋ずつを取り、左右へわかれた。