4話 正直者安達君
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さて、日曜の朝だった。安達君が大谷夫人に縁談を勧められて膝を乗り出した時、女中が上って来て、吉川君と村上君を取次いだ。
「おい/\、珍客だよ」
と吉川君は否も応も言わせない。もう村上君を案内して現われて、
「やあ、奥さんがいたのか? いや、いらっしゃったんですか? この間は失礼」
「何う致しまして」
「お小言最中お邪魔申上げます」
「まあ」
「何を仕出来しましたか?」
「迚も敵いませんわ。何うぞ御ゆっくり」
と奥さんは逃げ出した。
「さあ。村上君、何うぞ」
と安達君は稍改まって請じた。
「一昨日は失敬」
「僕こそ」
「早速やって来た。先刻、一寸寄ったんだよ」
「然う/\。失敬した。一寸出ていたものだから」
「保険屋になると居留守は食いつけているから一向驚かない」
「本当だよ。厭に僻むんだね」
「ハッハヽヽ」
「散髪屋へ行っていたんだよ」
「成程。頭が証明している」
「或は吉川君ところへ廻ったんだろうと思って、心待ちに待っていたんだ」
「すると、もう覚悟しているんだね。有難い。幾ら入ってくれる?」
「しかし勧誘員の資格でやって来たのなら撃退だ」
「おや/\」
「今日は日曜だから実務は語らない」
「平日なら宜いのかい?」
「よせよ、もう」
「失敬々々。時に、好いところだね、こゝは」
と村上君は漸く個人の資格に戻った。
話題は同級生の身の上だった。矢っ張り時期だ。皆それ/″\形がついていた。
「似たり寄ったりだね。余裕がないんだから、皆頑強に抵抗するだろう?」
と安達君はつい村上君の実務に触れてしまった。
「安達君、僕は陥落しちゃったよ」
と吉川君が言った。
「早いんだね」
「何だい? 手引きをして置いて、早いんだねもないものだ」
「ハッハヽヽ」
「そうして自分丈けは逃げようってんだから性が悪い」
「幾ら入る?」
「二千円で勘弁して貰った」
「ふうむ」
「君も入れよ。何うせ早晩誰かの槍玉に上がるんだから、同期生の手にかゝってやれ」
「驚いたな。君まで勧誘か?」
「人を呪えば穴二つってことがある」
「呪った次第でもないんだけれど」
「二千円入れよ。年に七十円足らず、月に割ると五円と少しだ。それで、妻子が浮べるんだから」
「縁起の悪いことを言うなよ」
「兎に角、考えてやれよ。僕も他の奴なら撃退するけれど村上君だから直ぐに観念してしまった。村上君は応援団長として学校の功労者だ。ビリ一になって就職の方が巧く行かなかったのも犠牲の精神に富んでいるからだ。これは皆入ってやる責任がある」
「よし。考えて置く」
と安達君は急に折れた。妙な責め手があるものだ。
「今日はもう実務は語らない。吉川君が二千円、君が二千円、合計四千円出来たんだから、もう沢山だ」
「僕は千円だよ」
「二千円奮発してくれ」
「駄目だよ。実はこゝの奥さんの兄さんが◎◎生命へ出ていて、その方からも勧められているんだから」
「それじゃ千円なら入ってくれるね?」
「うむ。都合をつける」
「◎◎の方の手が動いても、後へは引くまいね?」
「引かない」
「何んなことがあっても?」
「安心し給え。一旦口から出したからには責任を尽す」
「有難う。千円出来た」
と村上君は応援の時にやる手拍子を打った。
「君」
と吉川君はお茶を薦め終った女中に声をかけた。
「はあ」
「千円だの二千円だのって、僕達も豪いものになったろう」
「はあ」
「月給の話をしているんだよ」
「まさか。オホヽヽヽ」
と女中は笑って下りて行った。安達君が五十五円、吉川君が六十円ということをチャンと知っている。
「ところで吉川君、今度は君だ」
と村上君が向き直った。
「僕は駄目だよ」
「千円でも宜いんだから」
「おや/\? 吉川君は未だかい?」
と安達君は案外だった。顔が長くなった。
「ナカ/\頑強なんだよ」
「何だ? 僕にペテンをかけたのか?」
「一寸こんなものさ」
と吉川君は威張った。
「そんなインチキはないぜ」
「ハッハヽヽ」
「人を呪えば穴二つだ。入らなければ、僕が承知しない」
「まあ/\、ゆっくり考えさせてくれ」
「今更何だい?」
「冗談が本当になってしまったんだよ。君は矢っ張り正直だな」
「この上褒めて貰えば世話はない」
「憤ったのかい?」
「宜いよ。もう君の言うことは、信用しないから」
「入らないとは言わない」
「入り給え」
「然う右から左へは定められない。君と違って、僕は月給六十円、まだ駈け出しのサラリーマンで親がかりの身分だからね」
「皮肉を言うなよ」
「単に保険へ入るといえば、実務取引のようだけれど、内容は死ぬ生きるの問題だから、一応両親に相談しなければならない」
「保険って何をするものですかってかい?」
「先ずその辺だ」
「訊きさえすれば信用がつくと思っている。村上君、吉川君は実に要領が好いんだよ」
と安達君は村上君の注意を呼んだ。
「悪い方じゃないようだね」
「カフェーってものを知らないことになっているんだから驚く。お父さんと一緒に銀座を散歩して、ネオン・サインを指さしながら、『お父さん、こゝは一体何をするところでしょう?』と訊いたんだそうだ」
「ふうむ」
「訊く方も訊く方だが、それを真に受けて、家の息子は堅いと思っている方も思っている方だろう?」
「何方も何方だ。しかし閑話休題、君は吉川君に瞞されて入ったんだから、吉川君を入れる責任がある」
「未だ入りはしないよ」
「しかし後へは引かないと言っているから、もう入ったのも同じことだ」
「要領の好い連中には敵わない。僕は君の手伝いをするのかい?」
「自然そんなことになってしまったんだよ。吉川君、安達君の立場に同情してやり給え」
「僕は父親に相談する」
「それっきりかい?」
「うむ」
「要領が好いんだね? 本当に」
「迚も敵わない」
と安達君は諦めた。入りたくもない保険へ入れられた上に勧誘の手伝をしていると気がついたら、馬鹿々々しくなった。
そのまゝ少時沈黙が続いた後、吉川君が口を切った。
「好い天気だね、今日は」
「何うだい? 何処かへ出掛けようか?」
「おい。本当に駄目かい?」
と村上君は天候よりも商売だった。
「父親に相談する」
「宜いだろう? 君の考えで」
「分らないんだね、君は」
「何故?」
「余計入ってやりたければこそ、家へ相談するんだ。慌てないで待ってい給え」
「これは有難い。当てにして待っているよ。しかし慌てるんじゃないけれど、早い方が宜い」
「然う手間は取らせない。僕のところは厳重だから、友達が遊びに来れば、母親が直ぐ後から素性を訊く。『今日お出になった怖い顔の人は学校のお友達?』って」
「僕のことかい?」
「うむ。僕は取り繕って答える。『あれは同級の秀才で保険会社へ勤めている孝子です。実に感心な男です』って」
「評判が好いんだね」
「君の為めよりも僕の為めだ。良友と交際しなければ信用がつかない」
「然ういう利用の仕方なら幾らでも材料になってやる。孝子結構、決して親不孝じゃないんだから」
「次に君の用向きが問題になる。『勧誘に来たんですけれど、今の俸給じゃ入っても保険料が払えませんから断りました。しかし考えて見ると保険は必要です。僕は大丈夫の積りですけれど、万一の場合の用心に、お父さんお母さんの為めに少しでも入って置きたいんです』とやる」
「成程」
「母親は一々父親へ報告するのが役目だ。俊彦は好い心掛けの子ですって。感心なものでございますって。僕の声価は頓に高まる。そこへ又君がやって来るんだ」
「成程」
「三千円ぐらいは大丈夫だよ」
「有難い。多いのは幾らでも構わないが、三千円となると、年百円を越すから、月給との釣合を考えて見てくれ給え」
「いや、保険料は家で払って貰う。元来それが目的で相談するんだから」
「成程、矢っ張り要領が好い」
「三千円と見ていてくれ給え。父親は感激家だから、場合によっては、もっと奮発するかも知れないけれど」
「出来た」
と村上君は又応援の手拍子を打った。
「何うだい? 安達君、これで苦情はあるまい?」
「感心した。矢っ張り君は親を瞞す名人だ」
「人聞きの悪いことを言うなよ。瞞すんじゃない。安心させるんだ。親孝行ってものは出来る中にして置かなければいけない」
「変な親孝行だね」
「見給え。これで君の顔も立てば、村上君の顔も立つ。君のように事後承諾で払わせるんじゃないから、親の顔も立派に立っている。すべて事に当っては四方八方の顔を立てる上に自分が一番徳をしなければいけない。これが僕の処世術だ」
と吉川君は又威張り出した。
「村上君、察してくれ給え。僕は斯ういう人間と始終一緒だから、ひどい目にばかり会っている」
「学校時代もこんな風だったのかい?」
「今考えて見ると、この方針だったんだね。僕は教室で吉川君の返事をしてやって、先生に取っ捉まったことがある」
「しかしあれはお互に、便宜を計るんだから」
「いや、僕は滅多に休まなかったんだ。それでいて出席は吉川君の方が好いことになっているんだから詰まらない」
「ハッハヽヽ」
「ノートだって僕が主に稼いだんだけれども、席次は吉川君の方がグッと好いんだ。一つは試験運もあるだろうけれど、一緒にやるなら自分が徳をしようと思っているんだから敵わない」
「それは偶然だろう。成績なんてものは初めから予定で行けるものじゃない」
「いや、現に然う宣言しているんだもの。悉皆分った。これじゃ僕よりは余計飲むくせに、一滴も飲まないことになっている筈だ」
「ハッハヽヽ」
「カフェーへ行っても吉川君丈け持てゝ、チップは割勘ってことに定っている」
「ハッハヽヽ」
「稀に口止めの為めにおごれば条件つきだ。この間は吉川君が貴公子で僕はお供って心得だったぜ」
「君、僕はもう失敬するよ」
「宜いじゃないか? 未だ」
「いや、もうソロ/\お昼だ。それにもう一軒当てがある」
「昼からだろう?」
「約束じゃないんだけれど、日曜の朝は皆家にいるから書き入れだ。早く行かないと出てしまう」
「勉強だね」
「ところで君の方は、いつ医者をつれて来ようか?」
「仕方がない。今度の日曜の朝のうちに来てくれ給え」
「宜しい。それじゃ吉川君、その時又君のところへ寄る」
と村上君は折鞄を抱えた。
「僕も帰る」
「君は近いから、もう少し宜いだろう?」
と安達君が吉川君を止めた。
「いや、形勢が不穏だから。ハッハヽヽ」
「言って聞かせる丈けだ」
「又来るよ」
「御意の変らない中にってことがある」
と村上君は急いだ。吉川君も後に従った。二人を送り出した安達君は何だかペテンにかゝったような心持がした。一寸の間に保険へ入ることになってしまった。保険そのものに異存はないが、自分の意志が一向働いていない。吉川君に乗せられたのだ。村上君も話し合せて来たのらしい。何んな事があっても後へ引くまいねと念を押した。性が悪い。二人で謀ったのだ。忌々しい。取消してやろうか? 然うだ。先方が元来瞞してかゝったのだから、此方も信義を守る責任がない。今からでも手紙で断れば間に合う。と考えたが、村上君が喜び勇んで帰って行ったと思うと、それも可哀そうだ。吉川君も入る。友達は扶け合わなければいけない。まして村上君は応援団長として手柄がある。まあ仕方がない。保険には何うせ入るんだ。早晩槍玉に上るのだから、友達に功名をさせてやる。と安達君は改めて自分自身を勧誘していた。
間もなくお昼だった。食卓はいつも主人夫婦と一緒だが、大谷さんは姿を見せなかった。
「御主人は?」
と安達君が訊いた。
「本店の重役さんのところへ伺いましたの」
「はゝあ」
「ゴルフを勧められて、今日は見学の為めお供ですって」
と奥さんは、大谷さんの信用を誇りとしている。何とか言うと、直ぐに本店の重役さんだ。
「ゴルフは面白いそうですね」
「安達さんもお始めになっちゃ如何?」
「迚も/\、五十五円じゃ」
と安達君は箸を取りながら首を縮めた。
「あなた、それがいけませんのよ。主人も申していました」
「何ですか?」
「直ぐに月給のことを仰有るから」
「成程、余り品が好くありませんね」
「吉川さんのように黙って澄ましていらっしゃれば、百円だか二百円だか分りませんわ」
「気をつけましょう。考えて見ると、お世話して下すったあなた方にも失礼に当ります」
「そんな意味で申上げたんじゃありませんけれど、あなたは少し正直過ぎますわ」
「僕も然う思っていたところです。人の言うことを直ぐ本気にするからいけません。保険へ入れられてしまいました」
「あらまあ!」
と奥さんは驚いた。
「二人で来て計略を使ったものですから」
「お入りになるなら、◎◎の方へって、先刻お願い申上げて置いたじゃございませんか?」
「然う言って断ったんですけど、つい乗ってしまったんです」
と安達君は経緯を物語った。
「私、矢っ張り予感があったんですわ。それですから、それとなく御注意申上げたんですわ」
「済みません。全く」
「いゝえ、これが二万三万とかいうのなら、お断りして戴くんですけれど、千円で男が立つなら結構よ。今更仕方ありませんから、快く友情を尽して上げることですわ」
「千円でも五十五円の月給じゃ……」
「あら、又」
「口が辷りました。千円でも掛けるのにナカ/\骨が折れます」
「そこへ行くと、吉川さんはお悧巧ね」
「要領の好い奴です。迚も敵いません」
「吉川さんや瀬戸さん、それに小宮さんは長年の御交際ですから安心ですけれど、性の分らない人は学校のお友達でも油断がなりませんよ。幾らお頼まれになっても、借用証書の連署丈けはお断り下さい」
「大丈夫です」
「いゝえ、あなたは正直過ぎますから」
とこれが奥さんの見積りらしかった。
食事が終っても、安達君は立たなかった。先刻縁談を勧められたところへ、吉川君と村上君が訪れたのだった。中断された話の続きがあるのだろうと思って期待していたが、奥さんは知らぬ顔でラジオにスイッチを入れた。丁度お昼のニュースだった。安達君はそれを聴き終っても立たなかった。
「奥さん」
「何あに?」
「先刻のお話の続きを伺いましょう」
「何でございましたか知ら?」
「もう忘れていらっしゃるんですか? 前途遼遠の問題ですよ」
「まあ。オホヽヽヽ」
「僕は矢っ張り人が好いんですね。彼方此方で担がれます」
「でも前途遼遠じゃ仕方がないでしょう」
「いや、相手次第で然う遼遠でもないんです」
「その辺が本音でございましょうね、先刻からナカ/\お立ちになりませんから」
「悉皆足許を見られてしまいました」
「お言葉序に、橋本さんのお嬢さんをお頼み申上げますと仰有いません?」
「…………」
「何う? 安達さん」
「恐れ入りました。見込があるんですか?」
「ないこともありませんわ。私、お母さまとお親しく願っているんですから」
「あの人なら申分ないんですけれど、先方は閣下の令嬢、此方は……」
「五十五円」
「ハッハヽヽ」
「あなたは矢っ張り引っ込み思案ね。お人柄が好い丈けに」
「斯ういう性分だから仕方ありません」
「それじゃ御棄権なさいますの?」
「さあ。しかし立候補をして勝つ見込があるんですか?」
「勝つ見込って、あなた、相手を御存知?」
「相手があるんですか?」
「吉川さんよ」
「え?」
と安達君は、飛び立つように両方の膝を叩いた。