死神

1話 死神

1,870字 約4分 2008年10月19日 公開

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 往来で放歌(ほうか)をすることは、近頃大分(だいぶ)(やか)ましくなったが、(ある)意味からいうと許してもよさそうなものだ、というのは、淋しい所などを夜遅く一人などで通る時には、黙って行くと、自然(くだ)らぬ考事(かんがえごと)などが(おこ)って、(つい)には何かに襲われるといったような事がある、もしこの場合に、謡曲(うたい)の好きな人なら、それを(うな)るとか、詩吟(しぎん)口吟(くちずさ)むとか、清元(きよもと)をやるとか、何か気を(まぎ)らして、そんな(つま)らぬ(かんがえ)打消(うちけ)すと、結局(けっく)夢中にそんな所も過ぎるので、これ()(まこと)によいことだと自分は思う。

 明治十一年のこと、当時私は()廿五(にじゅうご)歳の青年であったが、東京(とうきょう)へ上京して四年後で、(しば)花園橋(はなぞのばし)()ぐ近所の鈴木(すずき)某氏の門弟であった頃だ。私は一日と十五日との休日には、仮令(たとえ)雨がふっても雪がふっても、必ず自分の宿になってくれた、谷中清水町(やなかしみずちょう)高橋(たかはし)某氏の家へ遊びに行ったものだ。それは(あだか)も旧暦八月の一日の夜で、(すなわ)ち名月の晩だったが、私は例の通り、師匠の(うち)をその朝早く出て、谷中に行って、終日遊んでとうとう夜食を馳走になって、彼処(あちら)を出たのが、九時少し前、てくてく歩きながら帰途に就いたが、まだその時分のことで、あれから芝まで来る道には、随分(ずいぶん)淋しい所もあった。しかし何しろ秋の夜の空は(ぬぐ)った様に晴れ渡って、月は天心(てんしん)皎々(こうこう)と冴えているので、四隣(あたり)はまるで昼間のように明るい。人の心というものは奇妙で、月を見たり花を見たりすると一種の(かんがえ)(おこ)るものだから、自分も今宵(こよい)露に湿(うるお)った地に映る我影(わがかげ)を見ながら、黙って歩いて来ると偶然故郷のことなどが、頭脳(あたま)に浮んだ、漸々(だんだん)自分の行末(いくすえ)までが気にかかり、こうして東京に出て来たものの、何日(いつ)我が(のぞみ)成就(じょうじゅ)して国へ芽出度(めでたく)帰れるかなどと、つまらなく悲観に陥って、月を(あお)ぎながら、片門前(かたもんぜん)(とおり)を通って、(ようや)将監橋(しょうげんばし)(たもと)まで来た。その頃其処(そこ)にあった蕎麦屋の暖簾(のれん)越しに、時計を見ると、まだ十時五分前なので、此処(ここ)から三分もかかれば(うち)へ帰れるのだから、(たしか)平時(いつ)もの通り十時前には帰れると安心して、橋を渡って行った。その時にはまだ私も気が附いていたのだが、さて将監橋を渡り切る頃には、如何(どう)したものか、それから()きは、(いま)だに考えてみても解らない。何しろ十時から十一時、十二時という、二時間の間というものは、何処(どこ)(なに)して歩いたものか、それともじっと()(ところ)立止(たちどま)っていたものか、道にしたら(わず)かに三四(ちょう)のところだが、そこを徘徊(はいかい)していたものらしい。やがて師匠の(うち)に曲る横町も通過(とおりす)ぎて、花園橋の上に茫然(ぼうぜん)と立っていたのだ。すると山内(さんない)の方から、二人曳(ににんびき)で威勢よく()けて来た車が、(いず)れ注意をしたものだろうが、私はそれが耳にも入らず中央(まんなか)に、ぽつりと立っていたので、「危険(あぶ)ない」と車夫(くるまや)が叫んだ拍子にどんと橋詰(はしづめ)砂利道(ざりみち)の上に、私を突倒(つきたお)して行ってしまった。ハッと思った途端に、私はこの時初めて、()れと我心(わがこころ)に帰って、気が付いてみると、そんな砂利(じゃり)の上に、横ざまに倒されている。乱暴な事をする奴だと、その車の行った方を見送りながら、四隣(あたり)を見ると、自分は何時(いつ)しか、こんな花園橋の(とこ)まで来ているので、おかしいとは思ったが、私はその時にもまだよくは気が付かない。(さいわい)怪我(けが)もなかったので早速(さっそく)投出(なげだ)された下駄(げた)を履いて、師匠の(うち)の前に来ると、雨戸が少しばかり()いていて、店ではまだ(あかり)()いている。貞吉(ていきち)という小僧が、こくりこくりと居寐(いねむ)りをしていたので、急いで内へ飛込(とびこ)んで、只今(ただいま)と奥へ挨拶をすると主人は「大分(だいぶ)今夜は遅かったね」と云うから、不思議と時計を見ると成程(なるほど)最早(もう)十二時二十分(ばかり)過ぎていたのだ。奇妙な事もあればあるものだと、その晩はそれなりに()てしまった。翌朝私が眼を(さま)すと、例の小僧が(うち)馳込(かけこ)んで来て、また河岸(かし)のあの(かしわ)首縊(くびくくり)がある」というので、私も好奇心につられて、(すぐ)に行ってみると、それは花園橋(わき)の材木置場のすぐ(そば)にある、一寸(ちょっと)太い(かしわ)の木なので、蔓下(つるさが)ってるのは五十ばかりの老人であった。不思議なのは、それが昨夜(ゆうべ)私が立っていたところと、ものの半町(はんちょう)(へだ)っていない所なので、これを見た時には、私は実に一種物凄い(かんじ)(もよお)したのであった。それから、帰って主人に昨夜の出来事を(はな)すと、主人のいうには「それは屹度(きっと)お前も矢張(やっぱり)昨夜死神につかれたのだが、その倒された途端に、(さいわい)と離れたものだろう、この河岸(かし)というのは、元からよくない所なので、あの(かしわ)の木も、此度(こんど)丁度(ちょうど)三人目の首縊(くびくく)りだ、初め(さが)った時、一の枝を切ると、また二の枝に下ったので、それも切ると、此度(こんど)は実に三の枝でやったのだ」、との(はなし)、その時は(つい)に根元から切ってしまったが、如何(どう)考えてみても、この時のことばかりは今でも私自身にも解らぬのである。

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