海神別荘

2話 海神別荘(2)

7,507字 約15分 2006年11月18日 公開

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公子 博士、お呼立(よびたて)をしました。

博士 (敬礼す。)

公子 これを御覧なさい。(姿見の(おもて)を示す。)

 千仭(せんじん)(がけ)(かさ)ねた、漆のような波の間を、(かすか)(あお)(ともしび)に照らされて、白馬の背に手綱(たづな)したは、この度迎え取るおもいものなんです。陸に獅子(しし)、虎の狙うと同一(おなじ)に、入道鰐(にゅうどうわに)坊主鮫(ぼうずざめ)の一類が、美女と見れば、途中に襲撃(おそいう)って、黒髪を吸い、白き乳を裂き、美しい血を()もうとするから、守備のために旅行さきで、手にあり合せただけ、少数の黒潮騎士を附添わせた。渠等(かれら)白刃(しらは)を揃えている。

博士 至極(しごく)のお(はから)いに心得まするが。

公子 ところが、敵に備うるここの守備を出払わしたから不用心じゃ、危険であろう、と僧都が言われる。……それは恐れん、私が居れば仔細(しさい)ない。けれども、また、僧都の言われるには、白衣(びゃくえ)()(かさね)した女子(おなご)を馬に乗せて、黒髪を槍尖(やりさき)で縫ったのは、かの国で引廻しとか(とな)えた罪人の姿に似ている、私の手許(てもと)に迎入るるものを、不祥(ふしょう)じゃ、(いま)わしいと言うのです。

 事実不祥なれば、途中の保護は他にいくらも手段があります。それは構わないが、私はいささかも不祥と思わん、忌わしいと思わない。

 これを見ないか。私の領分に入った女の顔は、白い玉が月の光に包まれたと同一(おなじ)に、いよいよ清い。眉は美しく、瞳は澄み、唇の紅は()えて、いささかも(やつ)れない。憂えておらん。清らかな(きもの)を着、(あらた)(くしけず)って、花に露の点滴(したた)(よそおい)して、馬に騎した姿は、かの国の花野の(たけ)を、錦の山の懐に()く……歩行(あるく)より、車より、駕籠(かご)に乗ったより、一層鮮麗(あざやか)なものだと思う。その上、選抜した慓悍(ひょうかん)な黒潮騎士の精鋭(ども)に、長槍をもって四辺(あたり)を払わせて通るのです。得意思うべしではないのですか。

僧都 ((しきり)(つむり)を傾く。)

公子 引廻しと聞けば、恥を見せるのでしょう、苦痛を与えるのであろう。槍で囲み、旗を立て、淡く清く装った得意の人を馬に乗せて(いち)を練って、やがて刑場に送って殺した処で、――殺されるものは平凡に疾病(やまい)で死するより愉快でしょう。――それが何の刑罰になるのですか。陸と海と、国が違い、人情が違っても、まさか、そんな刑罰はあるまいと想う。僧都は、うろ覚えながら(たしか)に記憶に残ると言われる。……貴下(あなた)をお呼立した次第です。ちょっとお(しら)べを願いましょうか。

博士 仰聞(おおせき)けの記憶は(わたくし)にもありますで。しかし、念のために験べまするで。ええ、陸上一切の刑法の記録でありましょうか、それとも。

公子 面倒です、あとはどうでも()い。ただ女子(おなご)を馬に乗せ、槍を立てて引廻したという、そんな事があったかという、それだけです。

博士 正史でなく、小説、浄瑠璃(じょうるり)の中を見ましょうで。時の人情と風俗とは、史書よりもむしろこの方が適当でありますので。(金光燦爛(さんらん)たる洋綴(ようとじ)の書を(ひら)く。)

公子 (卓子(テエブル)に腰を掛く)たいそう気の利いた書物ですね。

博士 これは、仏国の大帝奈翁(ナポレオン)が、西暦千八百八年、西班牙(スペイン)遠征の途に上りました時、かねて世界有数の読書家。必要によって当時の図書館長バルビールに命じて(つく)らせました、函入(はこいり)新装の、一千巻、一架(ひとたな)の内容は、宗教四十巻、叙事詩四十巻、戯曲四十巻、その他の詩篇六十巻。歴史六十巻、小説百巻、と申しまするデュオデシモ(がた)と申す有名な版本の事を……お聞及びなさいまして、御姉君(おあねぎみ)、乙姫様が御工夫を遊ばしました。(はす)の糸、一筋を、およそ枚数千頁に薄く織拡げて、一万枚が一折(ひとおり)、一百二十折を合せて一冊に()じましたものでありまして、この国の微妙なる光に(ひら)きますると、森羅万象(しんらばんしょう)、人類をはじめ、動植物、鉱物、一切の元素が、一々(ひとつ)ずつ微細なる活字となって、しかも、各々(おのおの)五色の(かがやき)を放ち、名詞、代名詞、動詞、助動詞、主客、句読(くとう)、いずれも個々別々、七彩に照って、かく開きました真白(まっしろ)(ペエジ)の上へ、自然と、染め出さるるのでありまして。

公子 姉上(あねうえ)が、それを。――さぞ、御秘蔵のものでしょう。

博士 御秘蔵ながら、若様の御書物蔵へも、整然(ちゃん)と姫様がお備えつけでありますので。

公子 では、私の所有ですか。

博士 若様はこの冊子と同じものを、瑪瑙(めのう)に青貝の蒔絵(まきえ)の書棚、五百(たな)、御所有でいらせられまする次第であります。

公子 姉があって幸福(しあわせ)です。どれ、(取って(ひら)く)これは……ただ白紙だね。

博士 は、恐れながら、それぞれの予備の知識がありませんでは、自然のその色彩ある活字は、ペエジの上には写り兼ねるのでございます。

公子 恥入るね。

博士 いやいや、若様は御勇武でいらせられます。入道鰐(にゅうどうわに)黒鮫(くろざめ)の襲いまする節は、御訓練の黒潮、赤潮騎士、御手の(つるぎ)でのうては御退けになりまする次第には参らぬのでありまして。けれども、姉姫様の御心づくし、節々は御閲読(ごえつどく)の儀をお勧め申まするので。

僧都 もろともに、お勧め申上げますでござります。

公子 ((うなず)く)まあ、今の引廻しの事を見て下さい。

博士 (たしか)に。(書を披く)手近に浄瑠璃にありました。ああ、これにあります。……若様、これは大日本浪華(なにわ)の町人、大経師以春(だいきょうじいしゅん)の年若き女房、名だたる美女のおさん。手代(てだい)茂右衛門(もえもん)と不義(あらわ)れ、すなわち引廻し(はりつけ)になりまする処を、記したのでありまして。

公子 お読み。

博士 (朗読す)――紅蓮(ぐれん)の井戸堀、焦熱(しょうねつ)の、地獄のかま(ぬり)よしなやと、急がぬ道をいつのまに、越ゆる我身の死出の山、死出の田長(たおさ)の田がりよし、野辺(のべ)より先を見渡せば、過ぎし冬至(とうじ)の冬枯の、()()木の間にちらちらと、ぬき身の(やり)の恐しや、――

公子 (姿見を(のぞ)きつつ、且つ聴きつつ)ああ、いくらか似ている。

博士 ――また冷返(ひえかえ)る夕嵐、雪の松原、この世から、かかる苦患(くげん)におう亡日(もうにち)、島田乱れてはらはらはら、顔にはいつもはんげしょう、縛られし手の冷たさは、我身一つの寒の(いり)、涙ぞ指の爪とりよし、袖に氷を結びけり。……

侍女等、傾聴す。

公子 ただ、いい姿です、美しい形です。世間はそれでその女の罪を責めたと思うのだろうか。

博士 まず、ト見えまするので。

僧都 さようでございます。

公子 馬に()った女は、殺されても恋が(かな)い、思いが届いて、さぞ本望であろうがね。

僧都 ――袖に氷を結びけり。涙などと、歎き悲しんだようにござります。

公子 それは、その引廻しを見る、見物の心ではないのか。私には分らん。((かぶり)()る。)博士――まだ他に例があるのですか。

博士 (朗読す)……世の(あわれ)とぞなりにける。今日は神田のくずれ橋に恥をさらし、または四谷、芝、浅草、日本橋に人こぞりて、見るに(おし)まぬはなし。これを思うに、かりにも人は(あし)き事をせまじきものなり。天これを許したまわぬなり。……

公子 (眉を(ひそ)む。――侍女等(ひと)しく不審の面色(おももち)す。)

博士 ……この女思込みし事なれば、身の(やつ)るる事なくて、毎日ありし昔のごとく、黒髪を結わせて(うる)わしき風情。……

公子 (色解く。侍女等、眉をひらく。)

博士 中略をいたします。……聞く人一しおいたわしく、その姿を見おくりけるに、(かぎり)ある命のうち、入相(いりあい)の鐘つくころ、(しな)かわりたる道芝の(ほとり)にして、その身は憂き煙となりぬ。人皆いずれの道にも煙はのがれず、殊に不便はこれにぞありける。――これで、鈴ヶ森で火刑(ひあぶり)に処せられまするまでを、確か江戸中棄札(すてふだ)(やり)を立てて引廻した(はず)と心得まするので。

公子 分りました。それはお七という娘でしょう。私は大すきな女なんです。御覧なさい。どこに当人が歎き(かなし)みなぞしたのですか。人に(おし)まれ可哀(あわれ)がられて、女それ自身は大満足で、自若(じじゃく)として火に焼かれた。得意想うべしではないのですか。なぜそれが刑罰なんだね。もし刑罰とすれば、(めぐみ)(しもと)(なさけ)(むち)だ。実際その罪を罰しようとするには、そのまま無事に置いて、平凡に愚図愚図(ぐずぐず)生存(いきなが)らえさせて、(しわ)だらけの(ばば)にして、その娘を終らせるが()いと、私は思う。……分けて、現在、殊にそのお七のごときは、姉上が海へお引取りになった。刑場の鈴ヶ森は自然海に近かった。姉上は御覧になった。鉄の鎖は手足を(つな)いだ、燃草(もえぐさ)は夕霜を置残してその肩を包んだ。煙は雪の振袖をふすべた。炎は緋鹿子(ひがのこ)を燃え抜いた。緋の牡丹(ぼたん)が崩れるより、(にじ)が燃えるより美しかった。恋の火の白熱は、()って白玉(はくぎょく)となる、その(はだえ)を、氷った雛芥子(ひなげし)の花に包んだ。姉の手の甘露が沖を曇らして注いだのだった。そのまま海の底へお引取りになって、現に、姉上の宮殿に、今も十七で、(くれない)の珊瑚の中に、結綿(ゆいわた)の花を咲かせているのではないか。

 男は死ななかった。存命(ながら)えて坊主になって老い朽ちた。娘のために、姉上はそれさえお引取りになった。けれども、その魂は、途中で(おす)海月(くらげ)になった。――時々未練に娘を(のぞ)いて、赤潮に追払われて、醜く、ふらふらと生白(なまじろ)(ただよ)うて()する。あわれなものだ。

 娘は幸福(しあわせ)ではないのですか。火も水も、火は虹となり、水は滝となって、彼の生命を飾ったのです。抜身(ぬきみ)の槍の刑罰が馬の左右に、その(ほまれ)を輝かすと同一(おんなじ)に。――博士いかがですか、僧都。

博士 しかし、しかし若様、(わたくし)は慎重にお答えをいたしまする。身はこの職にありながら、事実、人間界の心も情も、まだいささかも分らぬのでありまして。若様、唯今(ただいま)(おお)せは、それは、すべて海の中にのみ(とど)まりまするが。

公子 (穏和に(うなず)く)姉上も、以前お分りにならぬと言われた。その上、貴下(あなた)がお分りにならなければこれは誰にも分らないのです。私にも分らない。しかし事情も違う。彼を迎える、道中のこの(また姿見を(ゆびさ)す)馬上の姿は、別に不祥ではあるまいと思う。

僧都 唯今、(おお)せ聞けられ承りまする内に、条理(すじみち)(わきま)えず、僧都にも分らぬことのみではござりますが、ただ、黒潮の抜身(ぬきみ)で囲みました段は、別に忌わしい事ではござりませんように、老人にも、その合点参りましてござります。

公子 (よし)、しかし僧都、ここに蓮華燈籠の意味も分った。が、一つ見馴(みな)れないものが見えるぞ。女が、黒髪と、あの雪の襟との間に――胸に珠を掛けた、あれは何かね。

僧都 はあ。(卓子(テエブル)に伸上る)はは、いかさま、いや、若様。あれは水晶の数珠(じゆず)にございます。海に沈みまする覚悟につき、冥土(めいど)に参る心得のため、檀那寺(だんなでら)和尚(おしょう)が授けましたのでござります。

公子 冥土とは?……それこそ不埒(ふらち)だ。そして仇光(あだびか)りがする、あれは……水晶か。

博士 水晶とは申す条、近頃は専ら硝子(ビイドロ)を用いますので。

公子 (一笑す)私の恋人ともあろうものが、無ければ()い。が、硝子(ビイドロ)とは何事ですか。金剛石、また真珠の揃うたのが可い。……博士、贈ってしかるべき頸飾(えりかざり)をお(しら)べ下さい。

博士 (かしこま)りました。

公子 そして指環(ゆびわ)の珠の色も怪しい、お前たちどう見たか。

侍女一 近頃は、かんてらの灯の露店(ほしみせ)に、紅宝玉(ルビイ)緑宝玉(エメラルド)と申して、貝を(ひさ)ぐと承ります。

公子 お前たちの化粧の泡が、波に流れて(なぎさ)に散った、あの貝が宝石か。

侍女二 錦襴(きんらん)の服を着けて、青い頭巾(ずきん)(かぶ)りました、立派な玉商人(たまあきんど)の売りますものも、(にせ)が多いそうにございます。

公子 博士、ついでに指環を贈ろう。僧都、すぐに出向うて、遠路であるが、途中、早速、硝子(ビイドロ)とその(まが)(たま)を取棄てさして下さい。お老寄(としより)に、御苦労ながら。

僧都 (苦笑す)若様には、新夫人(にいおくさま)の、まだ、海にお()れなさらず、御到着の遅いばかり気になされて、老人が、ここに形を消せば、瞬く間ものう、お姿見の中の御馬の前に映りまする神通(じんずう)を、お忘れなされて、老寄に苦労などと、心外な御意を蒙りまするわ。

公子 ははは、(無邪気に笑う)失礼をしました。

博士、僧都、一揖(いちゆう)して廻廊より退場す。侍女等慇懃(いんぎん)に見送る。

少し窮屈であったげな。

侍女等親しげに皆その前後に斉眉(かしず)き寄る。

性急な私だ。――女を待つ()心遣(こころやり)にしたい。誰か、あの国の歌を知っておらんか。

侍女三 存じております。浪花津(なにわづ)に咲くやこの花冬籠(ふゆごもり)、今を春へと咲くやこの花。

侍女四 若様、(わたくし)も存じております。浅香山を。

公子 いや、そんなのではない。(博士がおきたる書を(ひら)きつつ)女の国の東海道、道中の唄だ。何とか云うのだった。この書はいくらか覚えがないと、文字が見えないのだそうだ。((つぶや)く)姉上は貴重な、しかし、少しあてっこすりの書をお(こしら)えになったよ。ああ、何とか云った、東海道の。

侍女五 五十三次のでございましょう、(わたくし)が少し存じております。

公子 歌うてみないか。

侍女五 はい。(朗かに優しくあわれに唄う。)

都路は五十路(いそじ)あまりの三つの宿、……

公子 おお、それだ、字書のように、江戸紫で、都路と標目(みだし)が出た。((ひら)く)あとを。

侍女五 ……時得て咲くや江戸の花、浪(しずか)なる品川や、やがて越来(こえく)る川崎の、軒端(のきば)ならぶる神奈川は、早や程ヶ谷に程もなく、暮れて戸塚に宿るらむ。紫(にお)う藤沢の、野面(のおも)に続く平塚も、もとのあわれは大磯(おおいそ)か。(かわず)鳴くなる小田原は。……(極悪(きまりわる)げに)……もうあとは忘れました。

公子 (よし)、ここに緑の活字が、白い雲の(ペエジ)に出た。――箱根を越えて伊豆の海、三島の里の神垣や――さあ、忘れた所は教えてやろう。この歌で、五十三次の宿を覚えて、お前たち、あの道中双六(どうちゅうすごろく)というものを遊んでみないか。(あが)りは京都だ。姉の御殿に近い。誰か一人上って、双六の済む時分、ちょうど、この女は(姿見を見つつ)着くであろう。一番上りのものには、瑪瑙(めのう)(さや)に、紅宝玉の実を(かざ)った、あの造りものの吉祥果(きっしょうか)()る。絵は直ぐに間に合ぬ。この(へや)を五十三に割って双六の目に合せて、一人ずつ身体(からだ)を進めるが()かろう。……(さい)が要る、持って来い。

(侍女六七、うつむいてともに微笑す)――どうした。

侍女六 姿見をお取寄せ遊ばしました時。

侍女七 二人して盤の双六をしておりましたので、賽は持っておりますのでございます。

公子 おもしろい。向うの廻廊の端へ集まれ。そして順になって始めるが()い。

侍女七 床へ振りましょうでございますか。

公子 心あって招かないのに来た、賽にも魂がある、寄越(よこ)せ。(受取る)卓子(テエブル)の上へ私が投げよう。お前たち一から七まで、目に従うて順に動くが()い。さあ、(あつま)れ。

(侍女七人、いそいそと、続いて廻廊のはずれに集り、貴女(あなた)は一。私は二。こう口々に楽しげに取定(とりき)め、勇みて賽を待つ。)

()いか、(片手に書を持ち、片手に賽を投ぐ)――一は三、かな川へ。(侍女一人進む)二は一、品川まで。(侍女一人また進む)三は五だ、戸塚へ()け。

(かくして順々に繰返し次第に進む。第五の侍女、年最も少きが一人衆を離れて賽の目に乗り、正面突当りなる窓際に進み、他と、(あわい)隔る。公子。これより(さき)、姿見を見詰めて、賽の目と宿の数を(かぞ)(よど)む。……この時、うかとしたる(てい)に書を落す。)

まだ、誰も上らないか。

侍女一 やっと一人天竜川まで参りました。

公子 ああ、まだるっこい。賽を二つ一所に振ろうか。(手にしながら姿見に見入る。侍女等、(ひとし)其方(そなた)を凝視す。)

侍女五 きゃっ。(叫ぶ。(ひま)なし。その姿、窓の外へ(もすそ)を引いて(さっ)と消ゆ)ああれえ。

侍女等、口々に、あれ、あれ、(さめ)が、鮫が、入道鮫が、と立乱れ騒ぎ狂う。

公子 入道鮫が、何、(窓に()と寄る。)

侍女一 ああ、黒鮫が三百ばかり。

侍女二 取巻いて、群りかかって。

侍女三 あれ、入道が口に(くわ)えた。

公子 外道(げどう)、外道、その女を返せ、外道。((しった)しつつ、窓より出でんとす。)

侍女等(すが)(とど)む。

侍女四 軽々しい、若様。

公子 放せ。あれ見い。外道の口の間から、女の髪が(こぼ)れて落ちる。やあ、胸へ、乳へ、(きば)が喰入る。ええ、油断した。……骨も筋も()れような。ああ、手を(もだ)える、(もすそ)(あお)る。

侍女六 いいえ、若様、私たち御殿の女は、(からだ)は綿よりも柔かです。

侍女七 (はす)の糸を(つか)ねましたようですから、(わに)の牙が、脊筋と鳩尾(みずおち)噛合(かみあ)いましても、薄紙一重(ひとえ)透きます内は、血にも肉にも障りません。

侍女三 入道も、一類も、色を(あさ)るのでございます。生命(いのち)はしばらく助りましょう。

侍女四 その(うち)に、その中に。まあ、お静まり遊ばして。

公子 いや、俺の力は弱いもののためだ。生命(いのち)に掛けて取返す。――(よろい)を寄越せ。

侍女二人()と出で、引返して、二人して、一領の鎧を捧げ、背後(うしろ)より(さっ)と肩に投掛く。

公子、上へ引いて、(うなじ)よりつらなりたる(かぶと)を頂く。(つの)ある毒竜、(すさま)じき(かしら)となる。その頭を頂く時に、侍女等、鎧の(すそ)(さば)く。外套(がいとう)のごとく背より垂れて、紫の(うろこ)金色(こんじき)の斑点連り輝く。

公子、また袖を取って肩よりして自ら(のど)に結ぶ、この結びめ、左右一双の毒竜の爪なり。迅速に一縮す。立直るや否や、(つるぎ)を抜いて、頭上に(かざ)し、ハタと窓外を(にら)む。

侍女六人、(ひと)しくその左右に折敷き、手に手に匕首(あいくち)を抜連れて晃々(きらきら)と敵に構う。

外道、退()くな。((じつ)()て、剣の刃を下に引く)(とりこ)を離した。受取れ。

侍女一 鎧をめしたばっかりで、御威徳を恐れて引きました。

侍女二 長う太く、数百(すひゃく)の鮫のかさなって、蜈蚣(むかで)のように見えたのが、ああ、ちりぢりに、ちりぢりに。

侍女三 めだかのように()げて()きます。

公子 おお、ちょうど黒潮等が帰って来た、帰った。

侍女四 ほんに、おつかい帰りの姉さんが、とりこを抱取って下すった。

公子 介抱してやれ。お前たちは出迎え。

侍女三人ずつ、一方は(とびら)のうちへ。一方は廻廊に退場。

公子、真中(まんなか)に、すっくと立ち、静かに(つるぎ)を納めて、右手(めて)なる白珊瑚(しろさんご)の椅子に()る。騎士五人廻廊まで登場。

騎士一同 ((やり)を伏せて、(うずくま)り、同音に呼ぶ)若様。

公子 おお、帰ったか。

騎士一 もっての外な、今ほどは。

公子 何でもない、私は無事だ、皆御苦労だったな。

騎士一同 はッ。

公子 途中まで出向ったろう、僧都はどうしたか。

騎士一 あとの我ら夥間(なかま)を率いて、入道鮫を追掛けて参りました。

公子 よい相手だ、戦闘は()ものであろう。――皆は休むが()い。

騎士 槍は(さや)に納めますまい、このまま御門を堅めまするわ。

公子 さまでにせずとも大事ない、休め。

騎士等、礼拝して退場。侍女一、登場。

侍女一 御安心遊ばしまし、(きず)を受けましたほどでもございません。ただ、(ひど)く驚きまして。

公子 可愛相(かわいそう)に、よく介抱してやれ。

侍女一 二人が附添っております、(廻廊を見込む)ああ、もう御廊下まで。(公子のさしずにより、姿見に錦の(おおい)を掛け、(とびら)()る。)

美女。先達(せんだつ)の女房に、片手、手を()かれて登場。姿を(しずか)に、深く差俯向(さしうつむ)き、面影やややつれたれども、さまで悪怯(わるび)れざる態度、(おもむろ)に廻廊を進みて、床を上段に昇る。昇る時も、裾捌(すそさば)(しずか)なり。

侍女三人、燈籠二個(ふたつ)ずつ二人、一つを一人、五個(いつつ)を提げて附添い出で、一人々々、廻廊の(ひさし)()け、そのまま引返す。燈籠を侍女等の差置き果つるまでに、女房は、美女をその上段、(あか)き枝珊瑚の椅子まで導く順にてありたし。女房、謹んで公子に礼して、美女に椅子を教う。

女房 お掛け遊ばしまし。

美女、据置かるる(さま)に椅子に掛く。女房はその(もすそ)跪居(ついい)る。

美女、うつむきたるまましばし、皆無言。やがて顔を上げて、正しく公子と見向ふ。瞳を据えて(まばた)きせず。――()

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