2話 海神別荘(2)
読み方を変える
公子 博士、お呼立をしました。
博士 (敬礼す。)
公子 これを御覧なさい。(姿見の面を示す。)
千仭の崕を累ねた、漆のような波の間を、幽に蒼い灯に照らされて、白馬の背に手綱したは、この度迎え取るおもいものなんです。陸に獅子、虎の狙うと同一に、入道鰐、坊主鮫の一類が、美女と見れば、途中に襲撃って、黒髪を吸い、白き乳を裂き、美しい血を呑もうとするから、守備のために旅行さきで、手にあり合せただけ、少数の黒潮騎士を附添わせた。渠等は白刃を揃えている。
博士 至極のお計いに心得まするが。
公子 ところが、敵に備うるここの守備を出払わしたから不用心じゃ、危険であろう、と僧都が言われる。……それは恐れん、私が居れば仔細ない。けれども、また、僧都の言われるには、白衣に緋の襲した女子を馬に乗せて、黒髪を槍尖で縫ったのは、かの国で引廻しとか称えた罪人の姿に似ている、私の手許に迎入るるものを、不祥じゃ、忌わしいと言うのです。
事実不祥なれば、途中の保護は他にいくらも手段があります。それは構わないが、私はいささかも不祥と思わん、忌わしいと思わない。
これを見ないか。私の領分に入った女の顔は、白い玉が月の光に包まれたと同一に、いよいよ清い。眉は美しく、瞳は澄み、唇の紅は冴えて、いささかも窶れない。憂えておらん。清らかな衣を着、新に梳って、花に露の点滴る装して、馬に騎した姿は、かの国の花野の丈を、錦の山の懐に抽く……歩行より、車より、駕籠に乗ったより、一層鮮麗なものだと思う。その上、選抜した慓悍な黒潮騎士の精鋭等に、長槍をもって四辺を払わせて通るのです。得意思うべしではないのですか。
僧都 (頻に頭を傾く。)
公子 引廻しと聞けば、恥を見せるのでしょう、苦痛を与えるのであろう。槍で囲み、旗を立て、淡く清く装った得意の人を馬に乗せて市を練って、やがて刑場に送って殺した処で、――殺されるものは平凡に疾病で死するより愉快でしょう。――それが何の刑罰になるのですか。陸と海と、国が違い、人情が違っても、まさか、そんな刑罰はあるまいと想う。僧都は、うろ覚えながら確に記憶に残ると言われる。……貴下をお呼立した次第です。ちょっとお験べを願いましょうか。
博士 仰聞けの記憶は私にもありますで。しかし、念のために験べまするで。ええ、陸上一切の刑法の記録でありましょうか、それとも。
公子 面倒です、あとはどうでも可い。ただ女子を馬に乗せ、槍を立てて引廻したという、そんな事があったかという、それだけです。
博士 正史でなく、小説、浄瑠璃の中を見ましょうで。時の人情と風俗とは、史書よりもむしろこの方が適当でありますので。(金光燦爛たる洋綴の書を展く。)
公子 (卓子に腰を掛く)たいそう気の利いた書物ですね。
博士 これは、仏国の大帝奈翁が、西暦千八百八年、西班牙遠征の途に上りました時、かねて世界有数の読書家。必要によって当時の図書館長バルビールに命じて製らせました、函入新装の、一千巻、一架の内容は、宗教四十巻、叙事詩四十巻、戯曲四十巻、その他の詩篇六十巻。歴史六十巻、小説百巻、と申しまするデュオデシモ形と申す有名な版本の事を……お聞及びなさいまして、御姉君、乙姫様が御工夫を遊ばしました。蓮の糸、一筋を、およそ枚数千頁に薄く織拡げて、一万枚が一折、一百二十折を合せて一冊に綴じましたものでありまして、この国の微妙なる光に展きますると、森羅万象、人類をはじめ、動植物、鉱物、一切の元素が、一々ずつ微細なる活字となって、しかも、各々五色の輝を放ち、名詞、代名詞、動詞、助動詞、主客、句読、いずれも個々別々、七彩に照って、かく開きました真白な枚の上へ、自然と、染め出さるるのでありまして。
公子 姉上が、それを。――さぞ、御秘蔵のものでしょう。
博士 御秘蔵ながら、若様の御書物蔵へも、整然と姫様がお備えつけでありますので。
公子 では、私の所有ですか。
博士 若様はこの冊子と同じものを、瑪瑙に青貝の蒔絵の書棚、五百架、御所有でいらせられまする次第であります。
公子 姉があって幸福です。どれ、(取って披く)これは……ただ白紙だね。
博士 は、恐れながら、それぞれの予備の知識がありませんでは、自然のその色彩ある活字は、ペエジの上には写り兼ねるのでございます。
公子 恥入るね。
博士 いやいや、若様は御勇武でいらせられます。入道鰐、黒鮫の襲いまする節は、御訓練の黒潮、赤潮騎士、御手の剣でのうては御退けになりまする次第には参らぬのでありまして。けれども、姉姫様の御心づくし、節々は御閲読の儀をお勧め申まするので。
僧都 もろともに、お勧め申上げますでござります。
公子 (頷く)まあ、今の引廻しの事を見て下さい。
博士 確に。(書を披く)手近に浄瑠璃にありました。ああ、これにあります。……若様、これは大日本浪華の町人、大経師以春の年若き女房、名だたる美女のおさん。手代茂右衛門と不義顕れ、すなわち引廻し礫になりまする処を、記したのでありまして。
公子 お読み。
博士 (朗読す)――紅蓮の井戸堀、焦熱の、地獄のかま塗よしなやと、急がぬ道をいつのまに、越ゆる我身の死出の山、死出の田長の田がりよし、野辺より先を見渡せば、過ぎし冬至の冬枯の、木の間木の間にちらちらと、ぬき身の槍の恐しや、――
公子 (姿見を覗きつつ、且つ聴きつつ)ああ、いくらか似ている。
博士 ――また冷返る夕嵐、雪の松原、この世から、かかる苦患におう亡日、島田乱れてはらはらはら、顔にはいつもはんげしょう、縛られし手の冷たさは、我身一つの寒の入、涙ぞ指の爪とりよし、袖に氷を結びけり。……
侍女等、傾聴す。
公子 ただ、いい姿です、美しい形です。世間はそれでその女の罪を責めたと思うのだろうか。
博士 まず、ト見えまするので。
僧都 さようでございます。
公子 馬に騎った女は、殺されても恋が叶い、思いが届いて、さぞ本望であろうがね。
僧都 ――袖に氷を結びけり。涙などと、歎き悲しんだようにござります。
公子 それは、その引廻しを見る、見物の心ではないのか。私には分らん。(頭を掉る。)博士――まだ他に例があるのですか。
博士 (朗読す)……世の哀とぞなりにける。今日は神田のくずれ橋に恥をさらし、または四谷、芝、浅草、日本橋に人こぞりて、見るに惜まぬはなし。これを思うに、かりにも人は悪き事をせまじきものなり。天これを許したまわぬなり。……
公子 (眉を顰む。――侍女等斉しく不審の面色す。)
博士 ……この女思込みし事なれば、身の窶るる事なくて、毎日ありし昔のごとく、黒髪を結わせて美わしき風情。……
公子 (色解く。侍女等、眉をひらく。)
博士 中略をいたします。……聞く人一しおいたわしく、その姿を見おくりけるに、限ある命のうち、入相の鐘つくころ、品かわりたる道芝の辺にして、その身は憂き煙となりぬ。人皆いずれの道にも煙はのがれず、殊に不便はこれにぞありける。――これで、鈴ヶ森で火刑に処せられまするまでを、確か江戸中棄札に槍を立てて引廻した筈と心得まするので。
公子 分りました。それはお七という娘でしょう。私は大すきな女なんです。御覧なさい。どこに当人が歎き悲みなぞしたのですか。人に惜まれ可哀がられて、女それ自身は大満足で、自若として火に焼かれた。得意想うべしではないのですか。なぜそれが刑罰なんだね。もし刑罰とすれば、恵の杖、情の鞭だ。実際その罪を罰しようとするには、そのまま無事に置いて、平凡に愚図愚図に生存らえさせて、皺だらけの婆にして、その娘を終らせるが可いと、私は思う。……分けて、現在、殊にそのお七のごときは、姉上が海へお引取りになった。刑場の鈴ヶ森は自然海に近かった。姉上は御覧になった。鉄の鎖は手足を繋いだ、燃草は夕霜を置残してその肩を包んだ。煙は雪の振袖をふすべた。炎は緋鹿子を燃え抜いた。緋の牡丹が崩れるより、虹が燃えるより美しかった。恋の火の白熱は、凝って白玉となる、その膚を、氷った雛芥子の花に包んだ。姉の手の甘露が沖を曇らして注いだのだった。そのまま海の底へお引取りになって、現に、姉上の宮殿に、今も十七で、紅の珊瑚の中に、結綿の花を咲かせているのではないか。
男は死ななかった。存命えて坊主になって老い朽ちた。娘のために、姉上はそれさえお引取りになった。けれども、その魂は、途中で牡の海月になった。――時々未練に娘を覗いて、赤潮に追払われて、醜く、ふらふらと生白く漾うて失する。あわれなものだ。
娘は幸福ではないのですか。火も水も、火は虹となり、水は滝となって、彼の生命を飾ったのです。抜身の槍の刑罰が馬の左右に、その誉を輝かすと同一に。――博士いかがですか、僧都。
博士 しかし、しかし若様、私は慎重にお答えをいたしまする。身はこの職にありながら、事実、人間界の心も情も、まだいささかも分らぬのでありまして。若様、唯今の仰せは、それは、すべて海の中にのみ留まりまするが。
公子 (穏和に頷く)姉上も、以前お分りにならぬと言われた。その上、貴下がお分りにならなければこれは誰にも分らないのです。私にも分らない。しかし事情も違う。彼を迎える、道中のこの(また姿見を指す)馬上の姿は、別に不祥ではあるまいと思う。
僧都 唯今、仰せ聞けられ承りまする内に、条理は弁えず、僧都にも分らぬことのみではござりますが、ただ、黒潮の抜身で囲みました段は、別に忌わしい事ではござりませんように、老人にも、その合点参りましてござります。
公子 可、しかし僧都、ここに蓮華燈籠の意味も分った。が、一つ見馴れないものが見えるぞ。女が、黒髪と、あの雪の襟との間に――胸に珠を掛けた、あれは何かね。
僧都 はあ。(卓子に伸上る)はは、いかさま、いや、若様。あれは水晶の数珠にございます。海に沈みまする覚悟につき、冥土に参る心得のため、檀那寺の和尚が授けましたのでござります。
公子 冥土とは?……それこそ不埒だ。そして仇光りがする、あれは……水晶か。
博士 水晶とは申す条、近頃は専ら硝子を用いますので。
公子 (一笑す)私の恋人ともあろうものが、無ければ可い。が、硝子とは何事ですか。金剛石、また真珠の揃うたのが可い。……博士、贈ってしかるべき頸飾をお検べ下さい。
博士 畏りました。
公子 そして指環の珠の色も怪しい、お前たちどう見たか。
侍女一 近頃は、かんてらの灯の露店に、紅宝玉、緑宝玉と申して、貝を鬻ぐと承ります。
公子 お前たちの化粧の泡が、波に流れて渚に散った、あの貝が宝石か。
侍女二 錦襴の服を着けて、青い頭巾を被りました、立派な玉商人の売りますものも、擬が多いそうにございます。
公子 博士、ついでに指環を贈ろう。僧都、すぐに出向うて、遠路であるが、途中、早速、硝子とその擬い珠を取棄てさして下さい。お老寄に、御苦労ながら。
僧都 (苦笑す)若様には、新夫人の、まだ、海にお馴れなさらず、御到着の遅いばかり気になされて、老人が、ここに形を消せば、瞬く間ものう、お姿見の中の御馬の前に映りまする神通を、お忘れなされて、老寄に苦労などと、心外な御意を蒙りまするわ。
公子 ははは、(無邪気に笑う)失礼をしました。
博士、僧都、一揖して廻廊より退場す。侍女等慇懃に見送る。
少し窮屈であったげな。
侍女等親しげに皆その前後に斉眉き寄る。
性急な私だ。――女を待つ間の心遣にしたい。誰か、あの国の歌を知っておらんか。
侍女三 存じております。浪花津に咲くやこの花冬籠、今を春へと咲くやこの花。
侍女四 若様、私も存じております。浅香山を。
公子 いや、そんなのではない。(博士がおきたる書を披きつつ)女の国の東海道、道中の唄だ。何とか云うのだった。この書はいくらか覚えがないと、文字が見えないのだそうだ。(呟く)姉上は貴重な、しかし、少しあてっこすりの書をお拵えになったよ。ああ、何とか云った、東海道の。
侍女五 五十三次のでございましょう、私が少し存じております。
公子 歌うてみないか。
侍女五 はい。(朗かに優しくあわれに唄う。)
都路は五十路あまりの三つの宿、……
公子 おお、それだ、字書のように、江戸紫で、都路と標目が出た。(展く)あとを。
侍女五 ……時得て咲くや江戸の花、浪静なる品川や、やがて越来る川崎の、軒端ならぶる神奈川は、早や程ヶ谷に程もなく、暮れて戸塚に宿るらむ。紫匂う藤沢の、野面に続く平塚も、もとのあわれは大磯か。蛙鳴くなる小田原は。……(極悪げに)……もうあとは忘れました。
公子 可、ここに緑の活字が、白い雲の枚に出た。――箱根を越えて伊豆の海、三島の里の神垣や――さあ、忘れた所は教えてやろう。この歌で、五十三次の宿を覚えて、お前たち、あの道中双六というものを遊んでみないか。上りは京都だ。姉の御殿に近い。誰か一人上って、双六の済む時分、ちょうど、この女は(姿見を見つつ)着くであろう。一番上りのものには、瑪瑙の莢に、紅宝玉の実を装った、あの造りものの吉祥果を遣る。絵は直ぐに間に合ぬ。この室を五十三に割って双六の目に合せて、一人ずつ身体を進めるが可かろう。……賽が要る、持って来い。
(侍女六七、うつむいてともに微笑す)――どうした。
侍女六 姿見をお取寄せ遊ばしました時。
侍女七 二人して盤の双六をしておりましたので、賽は持っておりますのでございます。
公子 おもしろい。向うの廻廊の端へ集まれ。そして順になって始めるが可い。
侍女七 床へ振りましょうでございますか。
公子 心あって招かないのに来た、賽にも魂がある、寄越せ。(受取る)卓子の上へ私が投げよう。お前たち一から七まで、目に従うて順に動くが可い。さあ、集れ。
(侍女七人、いそいそと、続いて廻廊のはずれに集り、貴女は一。私は二。こう口々に楽しげに取定め、勇みて賽を待つ。)
可いか、(片手に書を持ち、片手に賽を投ぐ)――一は三、かな川へ。(侍女一人進む)二は一、品川まで。(侍女一人また進む)三は五だ、戸塚へ行け。
(かくして順々に繰返し次第に進む。第五の侍女、年最も少きが一人衆を離れて賽の目に乗り、正面突当りなる窓際に進み、他と、間隔る。公子。これより前、姿見を見詰めて、賽の目と宿の数を算え淀む。……この時、うかとしたる体に書を落す。)
まだ、誰も上らないか。
侍女一 やっと一人天竜川まで参りました。
公子 ああ、まだるっこい。賽を二つ一所に振ろうか。(手にしながら姿見に見入る。侍女等、等く其方を凝視す。)
侍女五 きゃっ。(叫ぶ。隙なし。その姿、窓の外へ裳を引いて颯と消ゆ)ああれえ。
侍女等、口々に、あれ、あれ、鮫が、鮫が、入道鮫が、と立乱れ騒ぎ狂う。
公子 入道鮫が、何、(窓に衝と寄る。)
侍女一 ああ、黒鮫が三百ばかり。
侍女二 取巻いて、群りかかって。
侍女三 あれ、入道が口に銜えた。
公子 外道、外道、その女を返せ、外道。(叱しつつ、窓より出でんとす。)
侍女等縋り留む。
侍女四 軽々しい、若様。
公子 放せ。あれ見い。外道の口の間から、女の髪が溢れて落ちる。やあ、胸へ、乳へ、牙が喰入る。ええ、油断した。……骨も筋も断れような。ああ、手を悶える、裳を煽る。
侍女六 いいえ、若様、私たち御殿の女は、身は綿よりも柔かです。
侍女七 蓮の糸を束ねましたようですから、鰐の牙が、脊筋と鳩尾へ噛合いましても、薄紙一重透きます内は、血にも肉にも障りません。
侍女三 入道も、一類も、色を漁るのでございます。生命はしばらく助りましょう。
侍女四 その中に、その中に。まあ、お静まり遊ばして。
公子 いや、俺の力は弱いもののためだ。生命に掛けて取返す。――鎧を寄越せ。
侍女二人衝と出で、引返して、二人して、一領の鎧を捧げ、背後より颯と肩に投掛く。
公子、上へ引いて、頸よりつらなりたる兜を頂く。角ある毒竜、凄じき頭となる。その頭を頂く時に、侍女等、鎧の裾を捌く。外套のごとく背より垂れて、紫の鱗、金色の斑点連り輝く。
公子、また袖を取って肩よりして自ら喉に結ぶ、この結びめ、左右一双の毒竜の爪なり。迅速に一縮す。立直るや否や、剣を抜いて、頭上に翳し、ハタと窓外を睨む。
侍女六人、斉しくその左右に折敷き、手に手に匕首を抜連れて晃々と敵に構う。
外道、退くな。(凝と視て、剣の刃を下に引く)虜を離した。受取れ。
侍女一 鎧をめしたばっかりで、御威徳を恐れて引きました。
侍女二 長う太く、数百の鮫のかさなって、蜈蚣のように見えたのが、ああ、ちりぢりに、ちりぢりに。
侍女三 めだかのように遁げて行きます。
公子 おお、ちょうど黒潮等が帰って来た、帰った。
侍女四 ほんに、おつかい帰りの姉さんが、とりこを抱取って下すった。
公子 介抱してやれ。お前たちは出迎え。
侍女三人ずつ、一方は闥のうちへ。一方は廻廊に退場。
公子、真中に、すっくと立ち、静かに剣を納めて、右手なる白珊瑚の椅子に凭る。騎士五人廻廊まで登場。
騎士一同 (槍を伏せて、裾り、同音に呼ぶ)若様。
公子 おお、帰ったか。
騎士一 もっての外な、今ほどは。
公子 何でもない、私は無事だ、皆御苦労だったな。
騎士一同 はッ。
公子 途中まで出向ったろう、僧都はどうしたか。
騎士一 あとの我ら夥間を率いて、入道鮫を追掛けて参りました。
公子 よい相手だ、戦闘は観ものであろう。――皆は休むが可い。
騎士 槍は鞘に納めますまい、このまま御門を堅めまするわ。
公子 さまでにせずとも大事ない、休め。
騎士等、礼拝して退場。侍女一、登場。
侍女一 御安心遊ばしまし、疵を受けましたほどでもございません。ただ、酷く驚きまして。
公子 可愛相に、よく介抱してやれ。
侍女一 二人が附添っております、(廻廊を見込む)ああ、もう御廊下まで。(公子のさしずにより、姿見に錦の蔽を掛け、闥に入る。)
美女。先達の女房に、片手、手を曳かれて登場。姿を粛に、深く差俯向き、面影やややつれたれども、さまで悪怯れざる態度、徐に廻廊を進みて、床を上段に昇る。昇る時も、裾捌き静なり。
侍女三人、燈籠二個ずつ二人、一つを一人、五個を提げて附添い出で、一人々々、廻廊の廂に架け、そのまま引返す。燈籠を侍女等の差置き果つるまでに、女房は、美女をその上段、紅き枝珊瑚の椅子まで導く順にてありたし。女房、謹んで公子に礼して、美女に椅子を教う。
女房 お掛け遊ばしまし。
美女、据置かるる状に椅子に掛く。女房はその裳に跪居る。
美女、うつむきたるまましばし、皆無言。やがて顔を上げて、正しく公子と見向ふ。瞳を据えて瞬きせず。――間。