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死と話した人

小川 未明 全1話 2,469字 2022年5月11日

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1. 死と話した人

 A《エー》は、秋(あき)の圃(たんぼ)へやってきました。夏(なつ)の時分(じぶん)には、小道(こみち)をふさいで、脊(せ)高(たか)く伸(の)びていた、きびや、もろこしの葉(は)は、褐色(かっしょく)に枯(か)れて、茎(くき)だけが、白(しろ)さびの出(で)たと思(おも)われるほど、かさかさにひからびて、気味悪(きみわる)く光(ひか)っていました。そして、ところどころに、赤(あか)い実(み)のとうがらしが、頭(あたま)を上(あ)げて、すきとおるような、青(あお)い空(そら)をながめていたのです。

 もう、北(きた)の方(ほう)から吹(ふ)いてくる風(かぜ)は、なんとなく冷(ひ)ややかでした。あたりは、しんとして、これらの景色(けしき)は、ガラスに描(か)かれた絵(え)のように、音(おと)もなかったのでした。

 彼(かれ)は、なんの気(き)なしに、圃(たんぼ)の中(なか)へはいってゆきますと、見知(みし)らぬ大(おお)きな男(おとこ)が、すぐ前(まえ)に突(つ)っ立(た)っていました。

「見(み)なれない百姓(しょう)だな。」と思(おも)って、彼(かれ)も、立(た)ち止(ど)まって、その顔(かお)を見上(みあ)げますと、赤銅色(しゃくどういろ)に日(ひ)に焼(や)けて、角張(かくば)った顔(かお)は、なんとなく、残忍(ざんにん)な相(そう)をあらわして、あちらをにらんで、身動(みうご)きすらしなかった。鼻(はな)の先(さき)がとがって、両眼(りょうがん)が落(お)ちくぼんで、手(て)ぬぐいで向(む)こうはち巻(ま)きをして、きっと口(くち)をむすんでいます。

 彼(かれ)は、多少(たしょう)、無気味(ぶきみ)になりました。

「それにしても、鋳物(いもの)のように動(うご)かないのはおかしいな。まさか、かかしではあるまい……。」

 こんなことを考(かんが)えているうちに、それが、普通(ふつう)の人間(にんげん)としては、ばかに大(おお)きいということに気(き)がついた。このとき、A《エー》の胸(むね)はどきどきしました。幻(まぼろし)を見(み)ているわけではあるまいと、自分(じぶん)の心(こころ)に問(と)うてみたのです。

「あ!」と、彼(かれ)は、思(おも)わず叫(さけ)びをあげた。

「かま……?」

 そのかまは、大(おお)きく、鋭(するど)く、そして、三日月(みかづき)のように細(ほそ)いのを、大男(おおおとこ)は、右手(みぎて)に握(にぎ)っていたからです。

「死(し)だ! 死(し)だ!」A《エー》は、口(くち)のうちでささやきながら、急(いそ)いで、きた道(みち)をもどると、中途(ちゅうと)から、人家(じんか)の見(み)える村(むら)をさして、駆(か)け出(だ)したのであります。

       *   *   *   *   *

 沿海線(えんかいせん)に沿(そ)うて、レールが走(はし)っていました。小高(こだか)い丘(おか)の上(うえ)に、停車場(ていしゃじょう)があって、待合室(まちあいしつ)は風(かぜ)に吹(ふ)きさらしになっています。

 A《エー》は、段(だん)を上(あ)がって、待合室(まちあいしつ)にはいると、がらんとして、人影(ひとかげ)はなく、ただ一人(ひとり)、黒(くろ)い服装(ふくそう)をした外国(がいこく)のおばあさんが、ベンチに腰(こし)をおろして、下(した)を向(む)いて、なにかしていました。

「どこの国(くに)のおばあさんだろう。故国(ここく)は、遠(とお)いにちがいないが、いま、どんな気持(きも)ちで、ここにきて、なにをしているのだろうか?」と、そんなことを思(おも)いながら、彼女(かのじょ)を驚(おどろ)かさないように近(ちか)づいたのでした。

 雲(くも)をもれて、おりおり、見渡(みわた)すかぎりの自然(しぜん)の上(うえ)へ、太陽(たいよう)の光線(こうせん)は、虎斑(こはん)のようなしまめを描(えが)いています。そして、どこともなくあちらの方(ほう)から、鈍(にぶ)い波(なみ)の音(おと)がきこえてきました。砂原(すなはら)の上(うえ)を、その音(おと)は、ころげてきたのでした。

 ド、ド――

 ド、ド、ド。

「おばあさんは、なにをしているのだろう?」

 彼(かれ)は、近(ちか)づいてみると、無数(むすう)の小(ちい)さなビーズを、ひざのあたり、黒(くろ)い衣服(いふく)の上(うえ)にまいて、その一つ一つに針(はり)を通(とお)しながら、それらの赤(あか)・白(しろ)・青(あお)・黄(き)・紫(むらさき)のビーズを糸(いと)につないでいました。

「なるほど、きれいなビーズだが、これも外国(がいこく)から持(も)ってきたのかもしれん。なんという、あの青(あお)い色(いろ)は、ペルシアのつぼのように、あくどく、冴(さ)えた色(いろ)をしていることだろう……。」

 彼(かれ)は、しばらく立(た)って、ぴかぴか光(ひか)る針(はり)と糸(いと)につながれてゆくビーズの色(いろ)にひきつけられていました。

 電線(でんせん)を吹(ふ)く、風(かぜ)の音(おと)。

 波(なみ)の音(おと)。

 ド、ド――

 ド、ド、ド。

 いつまでたっても、ほかに、だれも上(あ)がってこなかった。また、耳(みみ)を傾(かたむ)けても、汽笛(きてき)の音(おと)さえきこえなかったのでした。

「いまにも、汽車(きしゃ)がきたら、ビーズがひざにあって、おばあさんは、どうして立(た)ち上(あ)がるだろう?」

 そう考(かんが)えると、いぶかしくなりました。紙(かみ)にもつつんでないから、みんな地(ち)にこぼれてしまうだろう……。ちょうど、そのとき、おばあさんが、顔(かお)を上(あ)げました。あっと、彼(かれ)は、驚(おどろ)いた。なぜなら、二つの目(め)は、魚(さかな)のうろこを張(は)ったように、白(しろ)く、瞳(ひとみ)がなく、まったくの盲目(めくら)であったのです。

「死(し)だ! 死(し)だ!」

 こう叫(さけ)んで、彼(かれ)は、丘(おか)を駆(か)け下(くだ)りました。

       *   *   *   *   *

 寒(さむ)い夜(よる)のことです。

 明(あか)るい燈火(ともしび)の下(した)で、A《エー》は、細君(さいくん)と話(はなし)をしていました。二人(ふたり)の家庭(かてい)は、むつまじく、そして、平和(へいわ)でありました。それにつけて、A《エー》の友(とも)だちの死(し)は、いっそう、考(かんが)えさせられたのです。

「ほんとうに、あの方(かた)は、快活(かいかつ)な、陰気(いんき)なことの大(だい)きらいのお方(かた)でしたわ。それに、日(ひ)ごろあんなに健康(けんこう)そうに見(み)えましたのに……人間(にんげん)の命(いのち)というものは、わからんものですわね。」と、細君(さいくん)はいいました。

「ほんとうに、あの男(おとこ)が、急(きゅう)に死(し)のうなどとだれも思(おも)うまいよ。彼自身(かれじしん)だって思(おも)わなかったにちがいない。これをみても、こうして、無事(ぶじ)に、一日(にち)が送(おく)られるということは、幸福(こうふく)なことだよ。」と、A《エー》は答(こた)えました。

「もし、死(し)ということがなかったら、人生(じんせい)は、どんなに幸福(こうふく)でしょう?」

「それは、そうでない。死(し)があってこそ生(せい)ということがあるのだ。生(い)きているという意識(いしき)は、死(し)の恐(おそ)れを深(ふか)く知(し)るものにだけ、それだけありがたいのだ。夜(よる)がなかったら、太陽(たいよう)の輝(かがや)きはわかるまい。この二つは、自然(しぜん)の大(おお)きな力(ちから)なんだ。」と、A《エー》はいいました。

「あの男(おとこ)は、この自然(しぜん)の力(ちから)について考(かんが)えただろうか。」

 彼(かれ)は、そんなことも思(おも)いました。

 だれか、外(そと)の戸(と)にさわったようなけはいがします。A《エー》は立(た)ち上(あ)がって、出口(でぐち)の戸(と)を開(あ)けてみました。すると、そこに、頭(あたま)から、黒(くろ)い着物(きもの)をかぶった脊(せ)の高(たか)いものが立(た)っているので、びっくりしました。

「おまえは、だれだ?」

「死(し)だ! この家(うち)へはいろうかとのぞいていたのだ。俺(おれ)のことを話(はな)したのも、みんな聞(き)いた。」

 A《エー》の心臓(しんぞう)は、氷(こおり)の手(て)で、ぐっと握(にぎ)られたように、ぞっとして、ものがいえなく、ふるえていました。

「しかし、おまえたちは、俺(おれ)の存在(そんざい)を忘(わす)れないだけ感心(かんしん)だ。こんどだけは、はいるまい。」

 こう、死(し)は、冷(ひ)ややかにいい放(はな)って、大(おお)またで歩(ある)いて去(さ)りました。

 空(そら)には、こぼれ落(お)ちそうに、星(ほし)がきらきらとして、低(ひく)くささやきながら、風(かぜ)が吹(ふ)いていました。

――一九二八・一〇作――

死と話した人 — 小川 未明 — https://noveliz.cc/n/8b19fk4p50

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