うたかたの記

2話 中

4,111字 約8分 2000年7月18日 公開

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 あやしき少女(おとめ)の去りてより、ほどなく人々あらけぬ。帰(かえ)り路(じ)にエキステルに問へば、「美術学校にて雛形(モデル)となる少女の一人にて、『フロイライン』ハンスルといふものなり。見たまひし如く奇怪なる振舞(ふるまい)するゆゑ、狂女なりともいひ、また外の雛形娘と違ひて、人に肌見せねば、かたはにやといふもあり。その履歴知るものなけれど、教(おしえ)ありて気象よの常ならず、《けが》れたる行(おこない)なければ、美術諸生の仲間には、喜びて友とするもの多し。善(よ)き首(こうべ)なることは見たまふ如し。」と答へぬ。巨勢(こせ)、「我画かくにもようあるべきものなり。『アトリエ』ととのはむ日には、来(こ)よと伝へたまへ。」エキステル、「心得たり。されど十三の花売娘にはあらず、裸体の研究、危(あやう)しとはおもはずや。」巨勢、「裸体の雛形せぬ人と君もいひしが。」エキステル、「現(げ)にいはれたり。されど男と接吻したるも、けふ始めて見き。」エキステルがこの言葉に、巨勢は赤うなりしが、街燈暗き「シルレル・モヌメント」のあたりなりしかば、友は見ざりけり。巨勢が「ホテル」の前にて、二人は袂(たもと)を分ちぬ。

 一週ほど後(のち)の事なりき。エキステルが周旋にて、美術学校の「アトリエ」一間(ひとま)を巨勢に借されぬ。南に廊下ありて、北面の壁は硝子(ガラス)の大窓(おおまど)に半(なかば)を占められ、隣の間とのへだてには唯帆木綿(ほもめん)の幌(とばり)あるのみ。頃はみな月半ばなれど、旅立ちし諸生多く、隣に人もあらず、業(わざ)妨ぐべき憂(うれい)なきを喜びぬ。巨勢は画額の架(だい)の前に立ちて、今入りし少女に「ロオレライ」の画を指さし示して、「君に聞かれしはこれなり。面白げに笑ひたはぶれ玉ふときは、さしもおもはれねど、をりをり君がおも影の、ここなる未成の人物にいとふさはしきときあり。」

 少女は高く笑ひて。「物忘(ものわすれ)したまふな。おん身が『ロオレライ』の本(もと)の雛形、すみれ売の子は我なりとは、先の夜も告げしものを。」かくいひしが俄(にわか)に色を正して。「おん身は我を信じたまはず、げにそれも無理ならず。世の人は皆我を狂女なりといへば、さおもひたまふならむ。」この声戯(たわぶれ)とは聞えず。

 巨勢は半信半疑したりしが、忍びかねて少女にいふ、「余りに久しくさいなみ玉ふな。今も我が額(ぬか)に燃ゆるは君が唇なり。はかなき戯とおもへば、しひて忘れむとせしこと、幾度(いくたび)か知らねど、迷(まよい)は遂に晴れず。あはれ君がまことの身の上、苦しからずは聞かせ玉へ。」

 窓(まど)の下(もと)なる小机に、いま行李(こり)より出したる旧(ふる)き絵入新聞、遣(つか)ひさしたる油(あぶら)ゑの具(ぐ)の錫筒(すずづつ)、粗末なる烟管(キセル)にまだ巻烟草(まきタバコ)の端(はし)の残れるなど載せたるその片端に、巨勢はつら杖(づえ)つきたり。少女は前なる籐(とう)の椅子(いす)に腰かけて、語りいでぬ。

「まづ何事よりか申さむ。この学校にて雛形の鑑札受くるときも、ハンスルといふ名にて通したれど、そは我真(まこと)の名にあらず。父はスタインバハとて、今の国王に愛(め)でられて、ひと時栄(さか)えし画工なりき。わが十二の時、王宮の冬園(ふゆその)に夜会ありて、二親みな招かれぬ。宴(うたげ)闌(たけなわ)なる頃、国王見えざりければ、人々驚きて、移植(うつしう)ゑし熱帯草木(そうもく)いやが上に茂れる、硝子(ガラス)屋根の下、そこかここかと捜しもとめつ。園(その)の片隅にはタンダルヂニスが刻(きざ)める、ファウストと少女との名高き石像あり。わが父のそのあたりに来たりし時、胸裂(さ)くるやうなる声して、『助けて、助けて』と叫ぶものあり。声をしるべに、黄金(こがね)の穹窿(まるてんじょう)おほひたる、『キオスク』(四阿屋(あずまや))の戸口に立寄れば、周囲に茂れる椶櫚(しゅろ)の葉に、瓦斯燈(ガスとう)の光支へられたるが、濃き五色にて画きし、窓硝子を洩(も)りてさしこみ、薄暗くあやしげなる影をなしたる裡(うち)に、一人の女の逃げむとすまふを、ひかへたるは王なり。その女のおもて見し時の、父が心はいかなりけむ。かれは我母なりき。父はあまりの事に、しばしたゆたひしが、『許したまへ、陛下(へいか)』と叫びて、王を推倒(おしたお)しつ。そのひまに母は走りのきしが、不意を打たれて倒れし王は、起き上りて父に組付きぬ。肥(こ)えふとりて多力なる国王に、父はいかでか敵し得べき、組敷かれて、側(かたわら)なりし如露(じょろ)にてしたたか打たれぬ。この事知りて諌(いさ)めし、内閣の秘書官チイグレルは、ノイシュワンスタインなる塔に押籠(おしこ)めらるるはずなりしが、救ふ人ありて助けられき。われはその夜家にありて、二親の帰るを待ちしに、下女(はしため)来て父母帰り玉ひぬといふ。喜びて出迎ふれば、父舁(か)かれて帰り、母は我を抱きて泣きぬ。」

 少女は暫(しば)らく黙しつ。けさより曇りたる空は、雨になりて、をりをり窓を打つ雫(しずく)、はらはらと音す。巨勢いふ。「王の狂人となりて、スタルンベルヒの湖に近き、ベルヒといふ城に遷(うつ)され玉ひしことは、きのふ新聞にて読みしが、さてはその頃よりかかる事ありしか。」

 少女は語を継(つ)ぎて。「王の繁華の地を嫌ひて、鄙(ひな)に住まひ、昼寝ねて夜起きたまふは、久しきほどの事なり。独逸(ドイツ)、仏蘭西(フランス)の戦(いくさ)ありし時、加特力(カトリック)派の国会に打勝ちて、普魯西(プロシヤ)方につきし、王が中年のいさをは、次第に暴政の噂(うわさ)に掩(おお)はれて、公けにこそ言ふものなけれ、陸軍大臣メルリンゲル、大蔵大臣リイデルなど、故なくして死刑に行はれむとしたるを、その筋にて秘めたるは、誰知らぬものなし。王の昼寝し玉ふときは、近衆(きんじゅう)みな却(しりぞ)けられしが、囈語(うわこと)にマリイといふこと、あまたたびいひたまふを聞きしもありといふ。我母の名もマリイといひき。望なき恋は、王の病を長ぜしにあらずや。母はかほばせ我に似たる処ありて、その美しさは宮の内にて類(たぐい)なかりきと聞きつ。」

「父は間もなく病みて死にき。交(まじわり)広く、もの惜(おし)みせず、世事には極めて疎(うと)かりければ、家に遺財つゆばかりもなし。それよりダハハウエル街の北のはてに、裏屋の二階明きたりしを借りて住みしが、そこに遷りてより、母も病みぬ。かかる時にうつろふものは、人の心の花なり。数知らぬ苦しき事は、わが穉(おさな)き心に、早く世の人を憎ましめき。明(あく)る年の一月、謝肉祭の頃なりき、家財衣類なども売尽して、日々の烟(けぶり)も立てかぬるやうになりしかば、貧しき子供の群に入りてわれも菫花(すみれ)売ることを覚えつ。母のみまかる前、三日四日のほどを安く送りしは、おん身の賜(たまもの)なりき。」

「母のなきがら片付けなどするとき、世話せしは、一階高くすまひたる裁縫師なり。あはれなる孤(みなしご)ひとり置くべきにあらずとて、迎取られしを喜びしこと、今おもひ出しても口惜(くや)しきほどなり。裁縫師には、娘二人ありて、いたく物ごのみして、みづから衒(てら)ふさまなるを見しが、迎取られてより伺(うかが)へば、夜に入りてしばしば客あり。酒など飲みて、はては笑ひ罵(ののし)り、また歌ひなどす。客は外国(とつくに)の人多く、おん国の学生なども見えしやうなりき。或る日主人(あるじ)われにも新しき衣(きぬ)着よといひしが、そのをりその男の我を見て笑ひし顔、何となく怖(おそ)ろしく、子供心にもうれしとはおもはざりき。午(ひる)すぎし頃、四十ばかりなる知らぬ人来て、スタルンベルヒの湖水へ往(ゆ)かむといふを、主人も倶(とも)に勧(すす)めき。父の世にありしきとき、伴はれてゆきし嬉しさ、なほ忘れざりしかば、しぶしぶ諾(うべな)ひつるを、「かくてこそ善(よ)き子なれ」とみな誉(ほ)めつ。連れなる男は、途(みち)にてやさしくのみ扱ひて、かしこにては『バワリア』といふ座敷船(ザロンダムフェル)に乗り、食堂にゆきて物食はせつ。酒もすすめぬれど、そは慣れぬものなれば、辞(いな)みて飲まざりき。ゼエスハウプトに船はてしとき、その人はまた小舟を借り、これに乗りて遊ばむといふ。暮れゆくそらに心細くなりしわれは、はやかへらむといへど、聴かずして漕出(こぎい)で、岸辺に添ひてゆくほどに、人げ遠き葦間(あしま)に来(きた)りしが、男は舟をそこに停(と)めつ。わが年はまだ十三にて、初(はじめ)は何事ともわきまへざりしが、後(のち)には男の顔色もかはりておそろしく、われにでもあらで、水に躍入(おどりい)りぬ。暫しありて我にかへりしときは、湖水の畔(ほとり)なる漁師(りょうし)の家にて、貧しげなる夫婦のものに、介抱せられてゐたりき。帰るべき家なしと言張りて、一日(ひとひ)二日(ふたひ)と過(すぐ)す中(うち)に、漁師夫婦の質朴なるに馴染(なじ)みて、不幸なる我身の上を打明けしに、あはれがりて娘として養ひぬ。ハンスルといふは、この漁師の名なり。」

「かくて漁師の娘とはなりぬれど、弱き身には舟の櫂(かじ)取ることもかなはず、レオニのあたりに、富める英吉利人(イギリスびと)の住めるに雇(やと)はれて、小間使(こまづかい)になりぬ。加特力教(カトリックきょう)信ずる養父母は、英吉利人に使はるるを嫌ひぬれど、わが物読むことなど覚えしは、彼(かの)家なりし雇女教師(やといじょきょうし)の恵(めぐみ)なり。女教師は四十余の処女(しょじょ)なりしが、家の娘のたかぶりたるよりは、我を愛すること深く、三年(みとせ)がほどに多くもあらぬ教師の蔵書、悉(ことごと)く読みき。ひがよみはさこそ多かりけめ。またふみの種類もまちまちなりき。クニッゲが交際法あれば、フムボルトが長生術あり。ギョオテ、シルレルの詩抄半ばじゆしてキョオニヒが通俗の文学史を繙(ひもと)き、あるはルウヴル、ドレスデンの画堂の写真絵、繰りひろげて、テエヌが美術論の訳書をあさりぬ。」

「去年(こぞ)英吉利人一族を率ゐて国に帰りし後は、然(しか)るべき家に奉公せばやとおもひしが、身元善(よ)からねば、ところの貴族などには使はれず。この学校の或る教師に、端(はし)なくも見出されて、雛形(モデル)勤めしが縁(えにし)になりて、遂に鑑札受くることとなりしが、われを名高きスタインバハが娘なりとは知る人なし。今は美術家の間に立ちまじりて、唯(ただ)面白くのみ日を暮せり。されどグスタアフ・フライタハはさすがそら言(ごと)いひしにあらず。美術家ほど世に行儀悪(あ)しきものなければ、独立(ひとりた)ちて交(まじわ)るには、しばしも油断すべからず。寄らず、障(さわ)らぬやうにせばやとおもひて、計(はか)らず見玉(みたま)ふ如き不思議の癖者(くせもの)になりぬ。をりをりは我身、みづからも狂人にはあらずやと疑ふばかりなり。これにはレオニにて読みしふみも、少(すこ)し祟(たたり)をなすかとおもへど、もし然(さ)らば世に博士と呼ばるる人は、そもそもいかなる狂人ならむ。われを狂人と罵る美術家ら、おのれらが狂人ならぬを憂へこそすべきなれ。英雄豪傑、名匠大家となるには、多少の狂気なくて《かな》はぬことは、ゼネカが論をも、シエエクスピアが言(げん)をも待(ま)たず。見玉へ、我学問の博(ひろ)きを。狂人にして見まほしき人の、狂人ならぬを見る、その悲しさ。狂人にならでもよき国王は、狂人になりぬと聞く、それも悲し。悲しきことのみ多ければ、昼は蝉(せみ)と共に泣き、夜は蛙(かわず)と共に泣けど、あはれといふ人もなし。おん身のみは情(つれ)なくあざみ笑ひ玉はじとおもへば、心のゆくままに語るを咎(とが)め玉ふな。ああ、かういふも狂気か。」

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