2話 ヰタ・セクスアリス(2)
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十になった。
お父様が少しずつ英語を教えて下さることになった。
内を東京へ引き越すようになるかも知れないという話がおりおりある。そんな話のある時、聞耳を立てると、お母様が余所の人に言うなと仰ゃる。お父様は、若し東京へでも行くようになると、余計な物は持って行かれないから、物を選り分けねばならないというので、よく蔵にはいって何かしていらっしゃる。蔵は下の方には米がはいっていて、二階に長持や何かが入れてあった。お父様のこのお為事も、客でもあると、すぐに止めておしまいになる。
何故人に言っては悪いのかと思って、お母様に問うて見た。お母様は、東京へは皆行きたがっているから、人に言うのは好くないと仰ゃった。
或日お父様のお留守に蔵の二階へ上って見た。蓋を開けたままにしてある長持がある。色々な物が取り散らしてある。もっと小さい時に、いつも床の間に飾ってあった鎧櫃が、どうしたわけか、二階の真中に引き出してあった。甲冑というものは、何でも五年も前に、長州征伐があった時から、信用が地に墜ちたのであった。お父様が古かね屋にでも遣っておしまいなさるお積で、疾うから蔵にしまってあったのを、引き出してお置になったのかも知れない。
僕は何の気なしに鎧櫃の蓋を開けた。そうすると鎧の上に本が一冊載っている。開けて見ると、綺麗に彩色のしてある絵である。そしてその絵にかいてある男と女とが異様な姿勢をしている。僕は、もっと小さい時に、小原のおばさんの内で見た本と同じ種類の本だと思った。しかしもう大分それを見せられた時よりは智識が加わっているのだから、その時よりは熟く分った。Michelangelo の壁画の人物も、大胆な遠近法を使ってかいてあるとはいうが、こんな絵の人物には、それとは違って、随分無理な姿勢が取らせてあるのだから、小さい子供に、どこに手があるやら足があるやら弁えにくかったのも無理は無い。今度は手も足も好く分った。そして兼て知りたく思った秘密はこれだと思った。
僕は面白く思って、幾枚かの絵を繰り返して見た。しかしここに注意して置かなければならない事がある。それはこういう人間の振舞が、人間の欲望に関係を有しているということは、その時少しも分らなかった。Schopenhauer はこういう事を言っている。人間は容易に醒めた意識を以て子を得ようと謀るものではない。自分の胤の繁殖に手を着けるものではない。そこで自然がこれに愉快を伴わせる。これを欲望にする。この愉快、この欲望は、自然が人間に繁殖を謀らせる詭謀である、餌である。こんな餌を与えないでも、繁殖に差支のないのは、下等な生物である。醒めた意識を有せない生物であると云っている。僕には、この絵にあるような人間の振舞に、そんな餌が伴わせてあるということだけは、少しも分らなかったのである。僕の面白がって、繰り返して絵を見たのは、只まだ知らないものを知るのが面白かったに過ぎない。Neugierde に過ぎない。Wissbegierde に過ぎない。小原のおばさんに見せて貰っていた、島田髷の娘とは、全く別様な眼で見たのである。
さて繰り返して見ているうちに、疑惑を生じた。それは或る体の部分が馬鹿に大きくかいてあることである。もっと小さい時に、足でないものを足だと思ったのも、無理は無いのである。一体こういう画はどこの国にもあるが、或る体の部分をこんなに大きくかくということだけは、世界に類が無い。これは日本の浮世絵師の発明なのである。昔希臘の芸術家は、神の形を製作するのに、額を大きくして、顔の下の方を小さくした。額は霊魂の舎るところだから、それを引き立たせる為めに大きくした。顔の下の方、口のところ、咀嚼に使う上下の顎に歯なんぞは、卑しい体の部であるから小さくした。若しこっちの方を大きくすると、段々猿に似て来るのである。Camper の面角が段々小さくなって来るのである。それから腹の割合に胸を大きくした。腹が顎や歯と同じ関係を有しているということは、別段に説明することを要せない。飲食よりは呼吸の方が、上等な作用である。その上昔の人は胸に、詳しく言えば心の臓に、血の循行ではなくて、精神の作用を持たせていたのである。その額や胸を大きくしたと同じ道理で、日本の浮世絵師は、こんな画をかく時に、或る体の部分を大きくしたのである。それがどうも僕には分らなかった。
肉蒲団という、支那人の書いた、けしからん猥褻な本がある。お負に支那人の癖で、その物語の組立に善悪の応報をこじつけている。実に馬鹿げた本である。その本に未央生という主人公が、自分の或る体の部分が小さいようだというので、人の小便するのを覗いて歩くことが書いてある。僕もその頃人が往来ばたで小便をしていると、覗いて見た。まだ御城下にも辻便所などはないので、誰でも道ばたでしたのである。そして誰のも小さいので、画にうそがかいてあると判断して、天晴発見をしたような積でいたのである。
これが僕の可笑しな絵を見てから実世界の観察をした一つである。今一つの観察は、少し書きにくいが、真実の為めに強いて書く。僕は女の体の或る部分を目撃したことが無い。その頃御城下には湯屋なんぞはない。内で湯を使わせてもらっても、親類の家に泊って、余所の人に湯を使わせてもらっても、自分だけが裸にせられて、使わせてくれる人は着物を着ている。女は往来で手水もしない。これには甚だ窮した。
学校では、女の子は別な教場で教えることになっていて、一しょに遊ぶことも絶て無い。若し物でも言うと、すぐに友達仲間で嘲弄する。そこで女の友達というものはなかった。親類には娘の子もあったが、節句だとか法事だとかいうので来ることがあっても、余所行の着物を着て、お化粧をして来て、大人しく何か食べて帰るばかりであった。心安いのはない。只内の裏に、藩の時に小人と云ったものが住んでいて、その娘に同年位なのがいた。名は勝と云った。小さい蝶々髷を結っておりおり内へ遊びに来る。色の白い頬っぺたの膨らんだ子で、性質が極素直であった。この子が、気の毒にも、僕の試験の対象物にせられた。
五月雨の晴れた頃であった。お母様は相変らず機を織っていらっしゃる。蒸暑い午過で、内へ針為事に来て、台所の手伝をしている婆あさんは昼寝をしている。お母様の梭の音のみが、ひっそりしている家に響き渡っている。
僕は裏庭の蔵の前で、蜻の尻に糸を附けて飛ばせていた。花の一ぱい咲いている百日紅の木に、蝉が来て鳴き出した。覗いて見たが、高い処なので取れそうにない。そこへ勝が来た。勝も内のものが昼寝をしたので、寂しくなって出掛けて来たのである。
「遊びましょうやあ」
これが挨拶である。僕は忽ち一計を案じ出した。
「うむ。あの縁から飛んで遊ぼう」
こう云って草履を脱いで縁に上った。勝も附いて来て、赤い緒の雪踏を脱いで上った。僕は先ず跣足で庭の苔の上に飛び降りた。勝も飛び降りた。僕は又縁に上って、尻を《まく》った。
「こうして飛ばんと、着物が邪魔になって行けん」
僕は活溌に飛び降りた。見ると、勝はぐずぐずしている。
「さあ。あんたも飛びんされえ」
勝は暫く困ったらしい顔をしていたが、無邪気な素直な子であったので、とうとう尻をって飛んだ。僕は目を円くして覗いていたが、白い脚が二本白い腹に続いていて、なんにも無かった。僕は大いに失望した。Operaglass で ballet を踊る女の股の間を覗いて、羅に織り込んである金糸の光るのを見て、失望する紳士の事を思えば、罪のない話である。
その歳の秋であった。
僕の国は盆踊の盛な国であった。旧暦の盂蘭盆が近づいて来ると、今年は踊が禁ぜられるそうだという噂があった。しかし県庁で他所産の知事さんが、僕の国のものに逆うのは好くないというので、黙許するという事になった。
内から二三丁ばかり先は町である。そこに屋台が掛かっていて、夕方になると、踊の囃子をするのが内へ聞える。
踊を見に往っても好いかと、お母様に聞くと、早く戻るなら、往っても好いということであった。そこで草履を穿いて駈け出した。
これまでも度々見に往ったことがある。もっと小さい時にはお母様が連れて行って見せて下すった。踊るものは、表向は町のものばかりというのであるが、皆頭巾で顔を隠して踊るのであるから、侍の子が沢山踊りに行く。中には男で女装したのもある。女で男装したのもある。頭巾を着ないものは百眼というものを掛けている。西洋でする Carneval は一月で、季節は違うが、人間は自然に同じような事を工夫し出すものである。西洋にも、収穫の時の踊は別にあるが、その方には仮面を被ることはないようである。
大勢が輪になって踊る。覆面をして踊りに来て、立って見ているものもある。見ていて、気に入った踊手のいる処へ、いつでも割り込むことが出来るのである。
僕は踊を見ているうちに、覆面の連中の話をするのがふいと耳に入った。識りあいの男二人と見える。
「あんたあゆうべ愛宕の山へ行きんさったろうがの」
「《うそ》を言いんさんな」
「いいや。何でも行きんさったちゅう事じゃ」
こういうような問答をしていると、今一人の男が側から口を出した。
「あそこにゃあ、朝行って見ると、いろいろな物が落ちておるげな」
跡は笑声になった。僕は穢い物に障ったような心持がして、踊を見るのを止めて、内へ帰った。
*
十一になった。
お父様が東京へ連れて出て下すった。お母様は跡に残ってお出なすった。いつも手伝に来る婆あさんが越して来て、一しょにいるのである。少し立てば、跡から行くということであった。多分家屋敷が売れるまで残ってお出なすったのであろう。
旧藩の殿様のお邸が向島にある。お父様はそこのお長屋のあいているのにはいって、婆あさんを一人雇って、御飯を焚かせて暮らしてお出になる。
お父様は毎日出て、晩になってお帰になる。僕の行く学校をも捜して下さるということであった。お父様がお出掛になると、二十ばかりの上さんが勝手口へ来て、前掛を膨らませて帰って行く。これは婆あさんが米を盗んで、娘に持たせて遣るのであった。後にお母様がお出になって、この事が知れて、婆あさんは逐い出された。僕は余程ぼんやりした小僧であった。
一しょに遊んでくれる子供もない。家職のものの息子で、年が二つばかり下なのがいたが、初て逢った日に、お邸の池の鯉を釣ろうと云ったので、嫌になって一しょに遊ばない事にした。家扶の娘の十二三になるのを頭にして、娘が二三人いたが、僕を見ると遠い処から指ざしなんぞをして、《ささや》きあって笑ったり何かする。これも嫌な女どもだと思った。
御殿のお次に行って見る。家従というものが二三人控えている。大抵烟草を飲んで雑談をしている。おれがいても、別に邪魔にもしない。そこで色々な事を聞いた。
最も屡ば話の中に出て来るのは吉原という地名と奥山という地名とである。吉原は彼等の常に夢みている天国である。そしてその天国の荘厳が、幾分かお邸の力で保たれているということである。家令はお邸の金を高い利で吉原のものに貸す。その縁故で彼等が行くと、特に優待せられるそうだ。そこで手ん手に吉原へ行った話をする。聞いていても半分は分らない。又半分位分るようであるが、それがちっとも面白くない。中にはこんな事をいう男がある。
「こんだあ、あんたを連れて行って上げうかあ。綺麗な女郎が可哀がってくれるぜえ」
そういう時にはみんなが笑う。
奥山の話は榛野という男の事に連帯して出るのが常になっている。家従どもは大抵菊石であったり、獅子鼻であったり、反歯であったり、満足な顔はしていない。それと違って榛野というのは、色の白い、背の高い男で、髪を長くして、油を附けて、項まで分けていた。この男は何という役であったか知らぬが、先ず家従どもの上席位の待遇を受けて、文書の立案というような事をしていた。家従どもはこんな事を言う。
「榛野さあのように大事にして貰われれば、こっちとらも奥山へ行くけえど、銭う払うて楊弓を引いても、ろくに話もしてくれんけえ、ほんつまらんいのう」
榛野はこの仲間の Adonis であった。そして僕は程なくこの男のために Aphrodite たり、また Persephone たる女子どもを見ることを得たのである。
お庭の蝉の声の段々やかましゅうなる頃であった。お父様の留守にぼんやりしていると、麻という家従が外から声を掛けた。
「しずさあ。居りんさるかあ。今からお使に行くけえ、一しょに来んされえ。浅草の観音様に連れて行って上げう」
観音様へはお父様が一度連れて行って下すったことがある。僕は喜んで下駄を引っ掛けて出た。
吾妻橋を渡って、並木へ出て買物をした。それから引き返して、中店をぶらぶら歩いた。亀の形をしたおもちゃの糸で吊したのを、沢山持って、「器械の亀の子、選り取った選り取った」などと云っている男がある。亀の首や尾や四足がぶるぶると動いている。麻は絵草紙屋の前に立ち留まった。おれは西南戦争の錦絵を見ていると、麻は店前に出してある、帯封のしてある本を取り上げて、店番の年増にこう云うのである。
「お上さん。これを騙されて買って行く奴がまだありますか。はははは」
「それでもちょいちょい売れますよ。一向つまらない事が書いてあるのでございますが。おほほほ」
「どうでしょう。本当のを売ってくれませんかね」
「御笑談を仰ゃいます。なかなか当節は警察がやかましゅうございまして」
帯封の本には、表紙に女の顔が書いてあって、その上に「笑い本」と大字で書いてある。これはその頃絵草紙屋にあっただまし物である。中には一口噺か何かを書いて、わざと秘密らしく帯封をして、かの可笑しな画を欲しがるものに売るのである。
僕は子供ではあったが、問答の意味をおおよそ解した。しかしその問答の意味よりは、麻の自在に東京詞を使うのが、僕の注意を引いた。そして麻は何故これ程東京詞が使えるのに、お屋敷では国詞を使うだろうかということを考えて見た。国もの同志で国詞を使うのは、固より当然である。しかし麻が二枚の舌を使うのは、その為めばかりではないらしい。彼は上役の前で淳樸を装うために国詞を使うのではあるまいか。僕はその頃からもうこんな事を考えた。僕はぼんやりしているかと思うと、又余り無邪気でない処のある子であった。
観音堂に登る。僕の物を知りたがる欲は、僕の目を、只真黒な格子の奥の、蝋燭の光の覚束ない辺に注がせる。蹲んで、体を鰕のように曲げて、何かぐずぐず云って祈っている爺さん婆あさん達の背後を、堂の東側へ折れて、おりおりかちゃかちゃという賽銭の音を聞き棄てて堂を降りる。
この辺には乞食が沢山いた。その間に、五色の沙で書画をかいて見せる男がある。少し広い処に、大勢の見物が輪を作って取り巻いているのは、居合ぬきである。麻と一しょに暫く立って見ていた。刀が段々に掛けてある。下の段になるだけ長いのである。色々な事を饒舌っているが、なかなか抜かない。そのうち麻が、つと退くから、何か分からずに附いて退いた。振り返って見れば、銭を集める男が、近処へ来ていたのであった。
楊弓店のある、狭い巷に出た。どの店にもお白いを附けた女のいるのを、僕は珍らしく思って見た。お父様はここへは連れて来なかったのである。僕はこの女達の顔に就いて、不思議な観察をした。彼等の顔は当前の人間の顔ではないのである。今まで見た、普通の女とは違って、皆一種の stereotype な顔をしている。僕の今の詞を以て言えば、この女達の顔は凝結した表情を示しているのである。僕はその顔を見てこう思った。何故皆揃ってあんな顔をしているのであろう。子供に好い子をお為というと、変な顔をする。この女達は、皆その子供のように、変な顔をしている。眉はなるたけ高く、甚だしきは髪の生際まで吊るし上げてある。目をなるたけ大きく《みは》っている。物を言っても笑っても、鼻から上を動かさないようにしている。どうして言い合せたように、こんな顔をしているだろうと思った。僕には分からなかったが、これは売物の顔であった。これは prostitution の相貌であった。
女はやかましい声で客を呼ぶ「ちいと、旦那」というのが尤多い。「ちょいと」とはっきり聞えるのもあるが、多くは「ちいと」と聞える。「紺足袋の旦那」なんぞと云う奴もある。麻は紺足袋を穿いていた。
「あら、麻さん」
一際鋭い呼声がした。麻はその店にはいって腰を掛けた。僕は呆れて立って見ていると、麻が手真似で掛けさせた。円顔の女である。物を言うと、薄い唇の間から、鉄漿を剥がした歯が見える。長い烟管に烟草を吸い附けて、吸口を袖で拭いて、例の鼻から上を動かさずに、麻に出す。
「何故拭くのだ」
「だって失礼ですから」
「榛野でなくっては、拭かないのは飲まして貰えないのだね」
「あら、榛野さんにだっていつでも拭いて上げまさあ」
「そうかね。拭いて上げるかね」
こんな風な会話である。詞が二様の意義を有している。麻は僕がその第二の意義に対して、何等の想像をも画き得るものとは認めていない。女も僕をば空気の如くに取り扱っている。しかし僕には少しの不平も起らない。僕はこの女は嫌であった。それだから物なんぞを言って貰いたくはなかった。
麻が楊弓を引いて見ないかと云ったが、僕は嫌だと云った。
麻は間もなく楊弓店を出た。それから猿若町を通って、橋場の渡を渡って、向島のお邸に帰った。
同じ頃の事であった。家従達の仲間に、銀林と云う針医がいて、折々彼等の詰所に来て話していた。これはお上のお療治に来るので、お国ものではない。江戸児である。家従は大抵三十代の男であるのに、この男は四十を越していた。僕は家従等に比べると、この男が余程賢いと思っていた。
或る日銀林は銀座の方へ往くから、連れて行って遣ろうと云った。その日には用を済ませてから、銀林が京橋の側の寄席に這入った。
昼席であるから、余り客が多くはない。上品に見えるのは娘を連れた町家のお上さんなどで、その外多くは職人のような男であった。
高座には話家が出て饒舌っている。徳三郎という息子が象棋をさしに出ていた。夜が更けて帰って、閉出を食った。近所の娘が一人やはり同じように閉出を食っている。娘は息子に話し掛ける。息子がおじの内へ往って留めて貰うより外はないと云うと、娘が一しょに連れて行ってくれろと頼む。息子は聴かずにずんずん行くが、娘は附いて来る。おじは通物である。通物とは道義心の lax なる人物ということと見える。息子が情人を連れて来たものと速断する。息子が弁解するのを、恥かしいので言を左右に托しているのだと思う。息子に恋慕している娘は、物怪の幸と思っている。そこで二人はおじに二階へ追い上げられる。夜具は一人前しか無い。解いた帯を、縦に敷布団の真中に置いて、跡から書くので譬喩が anachronism になるが、樺太を両分したようにして、二人は寝る。さて一寐入して目が醒めて云々というのである。僕の耳には、まだ東京の詞は慣れていないのに、話家はぺらぺらしゃべる。僕は後に西洋人の講義を聞き始めた時と同じように、一しょう懸命に注意して聴いていると、銀林は僕の顔を見て笑っている。
「どうです。分かりますかい」
「うむ。大抵分かる」
「大抵分かりゃ沢山だ」
今までしゃべっていた話家が、起って腰を屈めて、高座の横から降りてしまうと、入り替って第二の話家が出て来る。「替りあいまして替り栄も致しません」と謙遜する。「殿方のお道楽はお女郎買でございます」と破題を置く。それから職人がうぶな男を連れて吉原へ行くという話をする。これは吉原入門ともいうべき講義である。僕は、なる程東京という処は何の知識を攫得するにも便利な土地だ、と感歎して聴いている。僕はこの時「おかんこを頂戴する」という奇妙な詞を覚えた。しかしこの詞には、僕はその後寄席以外では、どこでも遭遇しないから、これは僕の記憶に無用な負担を賦課した詞の一つである。
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