2話 鉄の人魚
読み方を変える
やはり、そのころ、潜水作業のおこなわれていた近くの海岸にある大戸村に、ふしぎなことがおこっていました。
大戸村は漁師ばかりのすんでいる、さびしい村でしたが、その村の漁師の子に、真田一郎という少年がおりました。
おとうさんは、発動機のついた漁船をもっていて、村いちばんの漁の名人でした。一郎君は近くの町の中学校の一年生で、ゆくすえは、おとうさんよりも、りっぱな漁師になって、遠洋漁業をやりたい希望でした。そのために、専門の学校へ入れてもらうやくそくが、ちゃんとできているのです。
そういう少年ですから、海が、なによりもすきでした。泳ぎもじょうずで、四キロぐらいは、へいきで泳げましたし、やすみには、おとうさんの船にのって、漁のおてつだいに出るのが、いちばんのたのしみでした。船にものれないし、泳ぎもできないときには、学校から帰ると、村はずれの高い岩山の上から、太平洋をながめるのが、日課のようになっていました。
たったひとりで、岩山のてっぺんに腰をおろして、ひざの上にほおづえをついて、じっと、いつまでも、海をながめているのです。はるかむこうのアメリカ大陸まで、無限にひろがっている広大な海、なんとのびのびとした、美しいけしきでしょう。同じ海でも、その美しさは、時によって、びっくりするほど、ちがって見えるのです。まるでかがみのような静かななぎのとき、海一面があわだち、にえたぎるような、あらしのとき、朝日、夕日にまっかにいろどられた海、満月の光で銀色にかがやく海、そのひとつひとつが、みんな、たましいもとろけるように、美しいのです。
その夕方も、一郎君は、学校から帰ると、いそぎの宿題をすませてから、うちをかけだして、岩山の上にのぼり、そのてっぺんに腰をおろして、なつかしい巨大なおかあさんのような海に、じっと見いっていました。
しばらくすると、大空にたなびいている長い雲が、黄色くなり、やがて、だんだん赤くなって、まるで色ガラスのようなまっかな色になり、それがひろい海にまでそまって、見わたすかぎりの水が、えのぐをとかしたように、美しくかがやくのでした。ふりむくとたらいのように大きなまっかな太陽が、いま、うしろの山にかくれようとしているのです。
そのときでした。一郎君はふと岩山の下の波うちぎわを、見おろしましたが、そこの岩の上に、なんだか黒いみょうなものが、うごめいているのを発見し、はっとして、目をこらしました。
二十メートルも下の海岸ですから、こまかいことはわかりませんが、いままで、一度も見たことのない、ふしぎなものが、そこの岩の上にうずくまっているのです。
「あっ、黒い人魚だ!」
一郎君は、おもわず声をたてました。そのものは、さかなのしっぽの上に人間のからだがついているような形をしていました。からだはまっ黒で、ゴツゴツしていますけれど、その形は、なにかの絵で見た人魚とよくにていました。
絵の人魚はウロコのあるさかなのしっぽの上に、美しいはだかの女の人が、長い黒髪を、うしろにたらしているのですが、いま目の下にいる人魚は、まっ黒で、なんだか鉄ででもできているように、四角ばって、がんじょうに見えるのです。また、さかなのようなしっぽも、ウロコが銀色にひかっているのではなくて、ワニのように、かたいいかめしいしっぽのようです。
一郎君は、人魚なんて、じっさいにあるものではないと信じていました。その、この世にいないはずの人魚が、しかも鉄のようにいかめしい人魚が、いま、目の下の岩の上に動いているのを見たのですから、じぶんの目を、うたがわないでいられません。頭がどうかしたのではないかと、おそろしくなってきました。
しかし、一郎君は勇気のある少年でした。おそろしいものを見たからといって、びっくりして、にげかえるような弱虫ではありません。にげるどころか、はんたいに、もっと近くから、あの怪物の姿をはっきり見きわめてやろうと決心したのです。
うらみちづたいに、岩山をかけおりて、海岸にあるトンネルのような岩のかげから、そっと怪物をのぞきました。怪物のこしかけている岩は、つい目のさき十メートルほどのところにあるのです。
もう太陽がすっかりしずんで、空はネズミ色に、海はどす黒くなっていました。岩のならんだ波うちぎわに、白い波がはげしくうちよせています。そこのひとつの岩の上に、黒い鉄のような生きものが、むこうをむいて、じっとしていました。十メートルのちかさで見る怪物は、ぞっとするほど、おそろしい姿でした。背中のトサカみたいなものは、まるで剣をならべたように、するどくとがっています。大きなしっぽは鉄のワニのようで、動くとガチャガチャと音がしそうです。
一郎君のいきづかいが、はげしくなってきました。いったい、こんなおそろしい怪物が、太平洋にすんでいたのでしょうか。ふかいふかい海の中の谷ぞこには、動物学者も知らないような怪物がいると、きいていましたが、それがひょっこり、この日本の海岸へ、姿をあらわしたのでしょうか。
ドキドキする胸をおさえて、そんなことをかんがえていたとき、怪物が身動きをしました。そして、とつぜんぐるっとこちらをふりむいたのです。
一郎君は、心臓がのどまでとびあがるような気がしました。ああ、その怪物の顔! 一郎君は一生がい、わすれることはできないでしょう。背中の、するどいトサカが、頭の上までつづいていました。ほら穴みたいに、くぼんだ、大きなふたつの目が、リンのように青く光っていました。口は耳までさけてそのくちびるのあいだから、ニューッと牙がつきだしていました。
一郎君は、それを見たしゅんかんに、岩かげに身をかくしましたが、怪物の方ではもうちゃんと気づいていました。
「ジャ、ジャ、ジャ、ジャ……。」という、鉄と鉄がすれあうような、気味のわるい大きな音がひびいてきました。あとでわかったのですが、それは怪物の笑い声だったのです。
「カクレテモ、ダメダ。オレハ、シッテイルゾ。デテコイ、ソシテ、オレノイウコトヲキケ。」
怪物の声でした。この海底のばけものは、日本語をしゃべるのです。しかし、発音はひどくあいまいで、やっぱり鉄のすれあうような音で、よほど注意しないとききとれないのです。
一郎君はもうだめだとおもいました。この怪物につかまえられて海の底につれていかれるのだと、決死のかくごをきめました。そして、勇敢にも岩かげから顔を出して、怪物とにらみあったのです。
「キミハ、ツヨイネ、エライコドモダ。キミナラ、オレノイウコトヲ、ミンナニ、ツタエテクレルダロ。イイカ、ヨクキケ。オレハ、ウミノソコノ、マモノダ。コノムラニハ、モウコナイ。シカシ、マモナク、ニッポンジュウガ、オオサワギニナルダロ、オレガ、シゴトヲ、ハジメルカラダ。ミンナニ、ソウイッテオケ、ウミノソコノ、マモノガ、イヨイヨ、ニッポンニ、ジョウリクシタト、ソウイッテオケ。ワカッタカ。」
そして、また、「ジャ、ジャ、ジャ、……。」と鉄のすれあう笑い声をたてたかとおもうと、ドブンという音がして、たちまち、怪物の姿は見えなくなってしまいました。白波さかまく海の中へ、とびこんだのです。