1話 佐々木高綱(1)
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登場人物
佐々木四郎高綱
その娘薄衣
佐々木小太郎定重
馬飼子之介
その姉おみの
高野の僧智山
鹿島與一
甲賀六郎
侍女小萬
佐々木の家來など。
江州佐々木の庄、佐々木高綱の屋敷。建久元年十二月の午後、晴れたる日。中央より下のかたにかけて、大いなる厩あり。但し舞臺に面せる方はその裏手と知るべし。中央よりすこしく上のかたには梅の大樹ありて、花は白く咲きみだれたり。奧の方には木立のひまに屋敷の建物みゆ。
(佐々木四郎高綱、三十七八歳。梅の樹の下に立ちて馬の洗足するを見てゐる。家來鹿島與一、四十餘歳。甲賀六郎、二十五六歳。おなじく馬の左右に立ちて見る。馬かひ子之介、二十歳前後の律義なる若者。名馬生月を厩のうしろに牽き出して洗足さしてゐる。)
高綱 けふはよい日和になつたなう。比良のいたゞきに雪はみえても時候は俄に春めいて來たやうぢや。をちこちで小鳥が樂しさうに囀るわ。
與一 鎌倉どのが初めての御上洛に、かやうな日和つゞきと申すはまことにおめでたい儀でござりまするな。
六郎 お先觸れの同勢はもはや尾州の熱田まで到着したとか申すことでござりまする。
(高綱は聞かざるものゝ如く、馬のそばに進みてその平首を輕く叩きなどする。)
高綱 子之介、よう働くな。
子之介 はあ。(無言にて洗足さしてゐる。)
高綱 そちが陰ひなたなく働いて、あさゆふ心をつけて養うてくるゝほどに……。(家來を見かへる。)これ、見い。一時はすこしく衰へた馬も、このごろは再びすこやかに生ひ立つて、毛澤もひとしほ美しうなつたわ。
子之介 (惚々と馬をみる。)よい御馬でござりまするなう。
與一 よい筈ぢや。これは鎌倉どのが御祕藏の名馬で、世にもきこえたる生月ぢや。そちも定めて存じて居らう。かの宇治川の合戰に、梶原の磨墨に乘り勝つて、殿が先陣の功名させられたも、一つはこの生月の働きぢやぞ。
六郎 あの折のありさまは思ひ出しても勇ましい。名に負ふ宇治の大河には、雪解の水が滔々とみなぎり落ちて來る。川の向ひには木曾の人數およそ五百餘騎、楯をならべて待ち受けてゐたわ。
與一 まして河の底には亂杭を打つて、大綱小綱を張りわたし、馬の足をさゝへんと巧んである。なみ/\の者ではよも渡すまじと見てあるところへ、殿は生月、梶原は磨墨、黒馬二匹が轡をならべて、平等院の坤、たちばなの小島が崎よりざんぶ/\と乘り入つた。
高綱 (遮る。)えゝ、珍らしうもない。おけ、おけ。(馬にむかひて。)なう、生月。かの宇治川を初めとして、つゞいて一の谷、八島、壇の浦、高綱と生死を共にして、そちも隨分働いたなう。が、それも今はむかしの夢で、そちも高綱も再び功名をあぐる時節はあるまい。あたら名馬も飼殺しぢや。(嘆息しつゝ子之介にむかひ。)けふは二日、そちが亡父の命日ぢやぞ。もうよいほどにして身を清め、佛前に囘向いたせ。
子之介 はあ。
高綱 もうそれでよい。厩へ牽いて繋いでおけ。
子之介 はあ。(馬をひかんとすれど動かず。)えゝ、なにが氣に入らいで拗るのぢや。さあ、行け。ゆけ。叱つ、叱つ。
(馬はなほ動かず。與一と六郎も立寄る。)
與一 えゝ、どうしたものぢや、叱つ、叱つ。
六郎 さあ、行け、行け。
(三人は無理に牽かんとすれば、馬は狂ひて蹴散らさんとす。六郎倒る。與一等はうろたへ騷ぐ。馬は狂ひて走りゆかんとするを、高綱は遮りてその轡を取る。)
高綱 えゝ、なにを狂ふぞ。そちにも氣に入らぬことがあるとみゆるな。高綱も狂ひたいは山々ぢやが、狂うたとて藻掻いたとて所詮は無駄な世のなかぢや。まあ、鎭まれ、鎭まれ。(馬にむかつて諭すやうに云ふ。)
與一 (馬にむかつて罵るやうに。)この横着ものめが……。殿樣が直々にお手をかけられたら、この通り、おとなしくなつてしまうたわ。
(高綱は馬の口をとりて、子之介に渡す。子之介うけ取りて厩のうしろへ牽いてゆく。六郎は馬盥など片附ける。高綱の娘薄衣、十六七歳。侍女小萬を連れて、下のかたより出づ。)
薄衣 父上樣、これにお出でなされましたか。
高綱 日和がよければ厩に出て、馬に洗足さするを見てゐたのぢや。
薄衣 石山寺參詣のかへり途に、ついそこで旅の御出家樣にお逢ひ申しましたれば、お連れ申してまゐりました。
小萬 お見受け申したところが、ありがたさうな御出家樣。路をいそぐと一旦はお斷りなされましたを、無理にねがうて御案内申しました。
高綱 今日はこゝろざす佛の命日。よくぞそこに心が注いた。して、その御坊は…………。
薄衣 (小萬を見かへりて。)早うこれへお通し申しや。
小萬 はい、はい。(引返して去る。)
高綱 (六郎を見かへる。)女子ばかりの出迎ひは無禮であらう。そちもまゐつて御案内申せ。
六郎 はあ。(去る。)
高綱 薄衣と與一は奧へまゐつて、齋をまゐらする用意なといたせ。
薄衣 かしこまりました。
(薄衣と與一は奧へ去る。六郎と小萬は高野の僧智山を案内して出づ。智山は四十餘歳、旅すがたにて笠と杖とを持つ。)
高綱 (會釋して。)聖にはゆく手を急がせらるゝとか承はつたに、ようぞお立寄りくだされた。毎月二日はほとけの命日でござれば、誰にかぎらず、門前をすぐる出家をよび止めて、囘向を頼みまゐらするが家例でござる。
智山 唯今御息女よりも右樣の儀をうけたまはつたが、さりとは御奇特のことに存じまする。してお身が佐々木殿でござるよな。
高綱 申しおくれたれど、それがしは佐々木四郎高綱、なにとぞ御見知り置きくだされい。
智山 拙僧は高野の山にすむ智山と申す者、諸國修行のために陸奧へ下り、歸り途には鎌倉より伊豆をめぐりて、これより歸山の道中でござる。
高綱 では、東海道を上られたか。
智山 あたかも鎌倉の將軍が上洛の道筋とて、宿々は以てのほかの混雜、われ等のやうな痩法師はこゝでもかしこでも追ひ散され、いやさん/″\の目に逢ひ申したよ。はゝゝゝゝ。
高綱 (打笑む。)それは定めて御迷惑のことゝお察し申した。(六郎を見かへりて。)床几を持て。
六郎 はあ。
(六郎と小萬は奧に入る。)
高綱 して、鎌倉の同勢にはどこらあたりでお逢ひなされた。
智山 熱田の手前で一つになりましたが、かの同勢は二三日そこに逗留とか承はつたれば、その間にわれ等は通りぬけて、一足先に發足いたした。が、その行列の華やかさ、實に眼をおどろかすばかりでござつた。(高綱は耳をかたむけて聽く。)先づその人數は四五千騎もござつたか。
(六郎と小萬は床几を持ち來る。高綱は頤にて智山にすすめよと命じ、おのれも亦床几に腰をおろす。六郎と小萬は一禮して去る。)
智山 (床几に腰をおろして語りつゞく。)將軍はいづこにおはすか存ぜぬが、先供には北條、梶原、三浦、畠山、あとおさへには土肥、安達……なほ數々の大小名が平家の殘黨に備ふる用心もござらう、諸國に威勢を示すためでもござらう、いづれも甲冑爽かに扮裝つて、家々の紋打つたる旗をたてさせ、小春日和の海道筋を長々と練りゆくありさまは、勇ましいとも美々しいとも譬へて申すべきやうはござらぬ。まことに前代未聞との取沙汰、われ等もこの年になるまでに、かやうな目ざましい上洛は初めて見申したわ。われ等は出家の身で、うき世のことを兎かう申すではなけれども、頼朝といふ御人は果報めでたくおはすよなう。
高綱 (ひとり言のやうに。)それも皆この高綱故ぢや。恩知らずめが……。(罵る。)
智山 恩知らずとは……。(聞き咎める。)
高綱 (苦笑ひして。)いや、これはお聞かせ申しても詮ないことぢや。先づそれよりも、高綱の懺悔を一過りお聞きくだされぬか。今日御囘向をたのみまゐらする佛と申すは、わが身寄りでも無し、敵でもなし、味方でも無し、罪なくして相果てたる紀之介といふ馬士でござる。
(高綱は眉を皺めて、空をあふぎつゝ起つて徘徊す。智山は珠數を爪繰りながら聽く。厩のかげより子之介忍び出でておなじく聽く。)
高綱 (しばらくして。)かぞふれば十年以前、治承四年の秋のはじめ、蛭ヶ小島に於て頼朝が旗をあぐるといふ噂、ひそかに都へもきこえたれば、われ眞先に見參に入り申さんと、忍んで伊豆へ下りしが、浪人のかなしさには馬も有たず、徒歩にておぼつかなくも辿り辿りて、八月二日のあかつきに野洲の河原にさしかゝると、まだ明けやらぬ朝霧のあひだより、雜鞍置いたる馬を追うて來る者がござつた。これ幸ひとよび止めて馬を借受け、むかうの岸までは渡りしが……これより遠き旅をゆくに、馬の足を假らでは不便なり、ぬすみて逃げんと馬をはやめて、二三町ばかり駈けぬくれば、馬士はおどろき追ひ來りて馬盜人よと罵りさわぐ。かくては是非も無し、馬をかへさば大事の間に合ふまじと……。こゝろを鬼にして……。
智山 (思はず叫ぶ。)あら、無慚……。由なき殺生をせられたよな。
高綱 馬を返さんとあざむいて、油斷を見すまし……。(突く眞似をする。しばしの沈默。)斯くしてやう/\馬を得たれば、無事に伊豆まで乘りつけて、おなじ月の十七日には八牧の屋形を攻めほろぼし、源氏再興の基をひらく。その後のことは申すまでもござらぬ。が、たゞ不憫なるは彼の馬士にて、その名を紀之介と申す由、かれの口より聞きたるを手がかりに、平家沒落の後この國中を隈なく詮議したるも容易に相分らず、このごろに至りて栗田の里に子之介といふ若者あり。(厩のかたを見る。子之介あわてゝ隱れる。)これぞ彼の紀之介の忘れがたみと知れたれば、呼び取りてあつく扶持せんと存ぜしに、彼はほかに望み無し、おのがなりはひは馬士なれば、馬飼ならば奉公せんと申すによつて、その云ふがままに厩の小者として召仕ひ、けふまで屋敷に置きまするが、これだけにて高綱の罪が消えませうか。せめては亡人の菩提を弔ふために、月の二日を命日とさだめ、供養をおこたらず營んで居ります。
智山 (うなづきて。)して、その子之介と申すは、いつの頃より當家に身を寄することゝ相成りましたな。
高綱 三月ほど以前でござらうか。
智山 恨みを捨てゝかたきに奉公し、勤めぶりに如才はござらぬか。
高綱 かげひなたなく正直に立働いて居りまする。
智山 それもまた奇特のことでござる。み佛は恩怨無二と説かせられた。
高綱 恩怨無二……。(かんがへる。)佛の教を學べばそのやうに悟られまするか。
智山 ほとけの教を學ばずとも、悟らるゝものには悟らるゝ道理ぢや。現に彼の子之介とやらも、お身をかたきと恨んでは居らぬと申すではござらぬか。
高綱 子之介が高綱を恨まぬは、心からその罪を謝するといふ人のまことに感じたのではござるまいか。至誠は神を動かすとかうけたまはる。もし我に心のまことがなくば、かれも飽まで我を恨みませうぞ。天下の人に皆まことがあらば、高綱にも不足はござるまいに……。
智山 佐々木殿ほどの勇士にも、なにかこの世に御不足がござるかな。
高綱 勇士なればこそ悶ゆる胸をおさへて、かやうに生きても居られまする。弱いものなら疾うの昔に、狂ひ死でもして居りませうわ。(衝と起つ。)御坊、なぞこの世の中にはまことなき奴儕がはびこつて、正しきものが虐げられるのでござらうな。
智山 (騷がず。)正法千年、像法千年の世はすぎて、今は末法の世でござる。それを救はんがために、われ等も努めて居るとは知られぬか。
(高綱はかんがへてゐる。奧より與一出づ。)
與一 御用意整うて居りまする。
高綱 (うなづきて。)さらば、御坊。
與一 どうぞお通りくださりませ。
智山 (起ちあがりて。)御案内おたのみ申す。
(與一は智山を案内して奧に入る。)
高綱 (厩を見かへりて。)子之介は居らぬか。子之介、子之介。
(厩のかげより子之介は着物を着かへて出づ。)
高綱 御坊を佛間へ招じたれば、やがて讀經も始まるであらう。そちも參つて囘向いたせ。
子之介 はあ。
(高綱は奧に入る。子之介もつゞいて入らんとする時、下のかたより佐々木小太郎定重、廿餘歳出づ。)
定重 こりや馬飼のもの、叔父上はお宿にござるか。
子之介 はい。唯今高野の御出家樣がお越しなされて、御佛間へ御案内なされました。
定重 おゝ、左樣であつたか、御佛事の場所へみだりに推參も如何。兎もかくも定重まゐりしと申上げてくりやれ。
子之介 かしこまりました。(奧に入る。)
定重 (ひとり言。)合點のゆかぬはこの頃の叔父上のありさまぢや。鎌倉殿上洛の人數も早や美濃路まで進まれたと聞くに、御出迎ひの用意もなく、そしらぬ顏して日を送らるゝは、抑もいかなる次第であらうか。(奧にて鉦の音きこゆ。)おゝ、讀經ももはや始まつたと見ゆるな。
(奧より薄衣出づ。)
薄衣 小太郎どの、お越しなされましたか。
定重 おゝ、薄衣どの。叔父上は佛間にござるさうな。
薄衣 はい。先づ奧へお通りなされませ。
定重 いや、けふは少しく心もせけば、こゝにて暫時相待ち申さう。
薄衣 ではそれへお掛けくださりませ。
(定重は上のかたの床几にかゝる。薄衣は梅の樹に倚りて立つ。)
定重 叔父上の御機嫌はこのごろ何うでござるな。
薄衣 別にかうといふこともござりませぬが、兎かくにお氣が暴々しくなつて……。瑣細なことにもおむづかりなされて……。そばにゐる者もはら/\するやうな。
定重 御病氣ともみえませぬか。
薄衣 御病氣のやうでもござりませぬが……。(眉をひそむ。)
定重 はてなう。(かんがへてゐる。)
高綱 (奧より出づ。)小太郎、まゐつたか。
(定重は起つて床几をゆづる。高綱は床几に腰をかける。定重は薄衣にすゝめられて、下のかたの床几にかゝる。)
定重 早速でござりまするが、將軍御上洛の同勢はもはや美濃路まで到着とうけたまはる。やがては當國へ進ませらるゝ御日取りでござれば、叔父上にも御出迎ひの御用意いかゞでござりまするな。(高綱答へず。定重はその氣色をうかゞひて。)父は昨夜すでに出發いたしてござる。(高綱はなほ答へず。)その砌、父が申しまするには、其方は叔父上のおん供して、今夕刻よりつゞいて出發いたせと……。
高綱 (不興げに。)兄上が左樣申し殘されたか。
定重 はあ。
高綱 其方は父の指圖にまかせて、ゆきたくば勝手にゆけ。叔父は忌ぢや。(定重おどろく。)高綱は行かぬぞ。
薄衣 このあひだからお勸め申して居りまするに、なぜ御出迎ひはなされませぬ。將軍の御上洛には途中までお出迎ひ申すが武家の習。なう、小太郎どの。
定重 鎌倉の將軍頼朝公がはじめての御上洛、武藏相模は申すにおよばす、海道の大小名はすべておん供に加はるなかに、叔父上ばかりが御不承知とは……。
高綱 おゝ、不承知ぢやよ。鎌倉の將軍がなんぢや。頼朝がなんぢや。あの大がたりの大嘘つきめが……。
薄衣 あ、もし、うか/\とそのやうなこと……。
定重 萬一餘人の耳に入りましたら……。
高綱 おそろしいと申すのか。(あざ笑ふ。)嘘つきなればこそ嘘つきと云うたがなぜ惡い。こりやよう聞け。石橋山のたゝかひ敗れて、頼朝めは散々の體たらく。噛合ひに負けた痩犬のやうに、尻尾をまいて這々の體で逃げまはる。暗さは暗し、雨はふる。木の根や岩角につまづいて顛つまろびつ、泥まぶれになつて這ひあるくそのざまは……。わはゝゝゝゝゝ。さりとてわれに取つては譜代の主君ぢや。命を捨てゝもその難儀を救はねばならぬと、高綱かけ付けて扶け起し、それがしおん名をたまはりて防ぎ戰ふあひだ、君には疾く/\落ちさせたまへと云へば、頼朝めは拜まぬばかりによろこんで、おゝ、わが身がはりに立つてくるゝか、佐々木は日本一の大忠臣ぢや。われもし生きて天下を取らんには、その恩賞として日本の半分をわかち取らすぞと、諸人の聞く前でたしかに誓うた。
定重 右樣の儀はかねて父よりうけたまはつて居りまする。そのをりに叔父上がおん身代りに相立たずば、頼朝公の御運も危かつたかとも存じられまする。
高綱 高綱が源頼朝と名乘つて……おもへば馬鹿な。大童となつて必死にたゝかふ間に、頼朝めは杉山まで逃げ込んだ。高綱も幸ひに命をまつたうした。つゞいては宇治川先陣の功名、それだけでも二ヶ國三ヶ國の値はあらう。さて頼朝めは思ひのまゝに世をとつて、天下の大將軍と仰がれながら、命の親の高綱にはなにほどの恩賞をくれたと思ふぞ。日本の半分は云ふもおろか、四半分の又その四半分にも足らぬ捨扶持をくれたばかりで、おのれはあつぱれ主人顏ぢや。征夷大將軍、源氏の棟梁とか勿體らしく名乘るものが、恩をわすれ、約束を破つてすむと思ふか。
定重 一應御もつともではござりまするが……。(返事に困つてゐる。)
高綱 勿論、高綱もだまつては居らぬ。石橋山の御約束はもはや御忘れなされたかと、たびたび催促に及ぶといへども、四の五の云うて埓があかぬ。それにまた土肥の、安達の、三浦のといふ腰拔どもが、かしこ振つた面をして、そのやうなことを申すは第一に不忠ぢやの、やれ君命には背くなの、長いものには卷かれろのと、理を非にまげて意見をし居る。(定重をみて。)其方の父なども同じくその腰拔け仲間ぢや。えゝ、ばか/\しい。主人は約束にそむく大嘘つき、まはりの奴儕はへつらひ武士や臆病者、右を見ても左をみても、癇に障ることばかりが疊まつて來るわ。
(高綱は立つて梅の枝をねぢ折り、落花微塵に引きちぎつて地に投げ付ける。)
定重 われ/\若輩者が押して申上げましたら、定めてお叱りもござりませうが、今もむかしも道理ばかりでは濟まぬ世の中でござりまする。たとひ叔父上に十分の道理がござりませうとも、いまさら鎌倉の將軍を相手取つて、理非を爭ふなどとは及ばぬこと。どのやうな御不足がござりませうとも、堪忍あそばすがお家の爲、このたびは何とぞそれがしをお供に連れられて、まげて國境まで御出迎ひを……。
高綱 最前も申した通り、ゆきたくば其方ひとりで行け。
定重 くどうも申すやうなれど、お家を大事と思召されて……。
高綱 えゝ、面倒な。家がなんぢや。高綱がけふ限りで家を捨てたらなんとする。
薄衣 え、もし、父上樣……。(思はず縋らんとす。)
高綱 (ぢつと娘の顏をみたるが、又つき退ける。)こんな馬鹿々々しい世のなかに、生きてゐる奴の氣が知れぬわ。
定重 では、どうあつても御出迎ひには……。
高綱 まだわからぬか。くどい奴ぢやなう。
(高綱は奧に入る。あとにふたりは顏を見あはせる。)
薄衣 今更ならねど父上のはげしい御氣性、一旦かうと云ひ出されたら、容易に思ひ返しはなされまい。困つたことでござりまするなう。
定重 このたび將軍御上洛には海道筋の大小名、いづれも人數をひき連れて、路次の警固をつかまつるとあるに、叔父上のみ御不參とこれあつては、後日の御咎は逃れまい。まして將軍のお側には、日ごろより佐々木一家とは仲違ひの梶原父子もひかへて居れば、この機に乘じていかなる讒言を申立てんも測られず、油斷せば家の大事……。(思案して。)兎もかくも一旦は立歸り、出發の用意をとゝのへて、再びお迎ひにまゐるでござらう。
薄衣 もし父上が飽までも御不承知と仰せられたら……。
定重 是非に及ばず、それがし一人にてまゐるまでぢや。萬一叔父上が御不興を蒙るとも、それがし父子が申しなだめて、無事を計るが一族のよしみ……。(詞優しく。)かならず御心配あるな。
薄衣 なにとぞ宜しくたのみまする。
定重 さらば重ねて……薄衣どの。
薄衣 御出發の折には今一度お立寄り下さりませ。
定重 無駄とは思へどお誘ひにまゐらう。
(ふたりは會釋して、定重は下のかたに入る。薄衣はあとを見送りて思案顏にたゝずみしが、これも思ひ直して奧に入る。下のかたより子之助の姉おみの、廿二三歳の農家の娘、旅姿にて出づ。)
おみの (あたりを窺ひて。)子之介は厩にゐると御門で教へられたが、はて何處へ行つたことであらう。
(奧より子之介出づ。)