15話 十二、愛馬との再会
読み方を変える
岩屋の修行中に、モー一つちょっと面白い話がございますから、序でに申上げることに致しましょう。それは私が、こちらで自分の愛馬に再会したお話でございます。
前にもお話し致しましたが、私は三浦家へ嫁入りしてから初めて馬術の稽古をいたしました。最初は馬に乗るのが何やら薄気味悪いように思われましたが、行って居ります内にだんだんと乗馬が好きになったと言うよりも、寧ろ馬が可愛くなって来たのでございます。乗り馴らした馬というものは、それはモー不思議なほど可愛くなるもので、事によると経験のないお方には、その真実の味いはお判りにならぬかも知れません。
私の愛馬と申しますのは、良人がいろいろと捜した上に、最後に、これならば、と見立ててくれたほどのことがございまして、それはそれは優さしい、美事な牡馬でございました。背材はそう高くはございませぬが、総体の地色は白で、それに所々に黒の斑点の混った美しい毛並は今更自慢するではございませぬが、全く素晴らしいもので、私がそれに乗って外出をした時には、道行く者も足を停めて感心して見惚れる位でございました。ナニ乗者に見惚れたのではないかと仰っしゃるか……。御冗談ばかり、そんな酔狂な者は只の一人だってございません。私の馬に見惚れたのでございます……。
そうそうこの馬の命名につきましては、良人と私との間に、なかなかの悶着がございました。私は優さしい名前がよいと思いまして、さんざん考え抜いた末にやっと『鈴懸』という名を思いついたのでございます。すると良人は私と意見が違いまして、それは余り面白くない、是非『若月』にせよと言い張って、何と申しても肯き入れないのです。私は内心不服でたまりませんでしたが、もともと良人が見立ててくれた馬ではあるし、とうとう『若月』と呼ぶことになって了いました。『今度は私が負けて置きます。しかしこの次ぎに良い馬が手に入った時はそれは是非鈴懸と呼ばせていただきます……。』私はそんなことを良人に申したのを覚えて居ります。しかしそれから間もなく、あの北條との戦闘が起ったので、私の望みはとうとう遂げられずに終りました。
とに角名前につきては最初斯んないきさつがありましたものの、私は若月が好きで好きで耐らないのでした。馬の方でも亦私によく馴染んで、私の姿が見えようものなら、さもうれしいと言った表情をして、あの巨きな躯をすり附けて来るのでした。
落城後私があちこち流浪をした時にも、若月はいつも私に附添って、散々苦労をしてくれました。で、私の臨終が近づきました時には、私は若月を庭前へ召んで貰って、この世の訣別を告げました。『汝にもいろいろ世話になりました……。』心の中でそう思った丈でしたが、それは必らず馬にも通じたことであろうと考えられます。これほど可愛がった故でもございましょう、私が岩屋の内部で精神統一の修行をしている時に、ある時思いも寄らず、若月の姿が私の眼にはっきりと映ったのでございます。
『事によると若月は最う死んだのかも知れぬ……。』
そう感じましたので、お爺さまにお訊ねして見ますと、果してこちらの世界に引越して居るとの事に、私は是非一と目昔の愛馬に逢って見たくて耐らなくなりました。
『甚だ勝手なお願いながら、一度若月の許へ連れて行ってくださる訳にはまいりますまいか……。』
『それはいと易いことじゃ。』と例の通りお爺さまは親切に答へてくださいました。『馬の方でもひどくそなたを慕っているから一度は逢って置くがよい。これから一緒に連れて行って上げる……。』
幽界では、何所をドー通って行くのか、途中のことは殆んど判りませぬ。そこが幽界の旅と現世の旅との大した相違点でございますが、兎も角も私達は、瞬く間に途中を通り抜けて、或る一つの馬の世界へまいりました。そこには見渡す限り馬ばかりで、他の動物は一つも居りません。しかし不思議なことには、どの馬もどの馬も皆逞ましい駿馬ばかりで、毛並みのもじゃもじゃした、イヤに脚ばかり太い駄馬などは何処にも見かけないのでした。
『私の若月も爰に居るのかしら……。』
そう思い乍ら、不図向うの野原を眺めますと、一頭の白馬が群れを離れて、飛ぶが如くに私達の方へ馳け寄ってまいりました。それはいうまでもなく、私の懐かしい、愛馬でございました。
『まァ若月……汝、よく来てくれた……。』
私は心から嬉しく、しきりに自分にまつわり附く愛馬の鼻を、いつまでもいつまでも軽く撫でてやりました。その時の若月のうれしげな面持……私は覚えず泪ぐんで了ったのでございました。
しばらく馬と一緒に遊んで、私は大へん軽い気持になって戻って来ましたが、その後二度と行って見る気にもなれませんでした。人間と動物との間の愛情にはいくらかあっさりしたところがあるものと見えます……。