24話 墜落する悪魔
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満月に近い月でした。それを、ときどき、うす黒い綿のような、むら雲がかすめて、通りすぎます。そのたびに、避雷針にとりすがった怪人が、ハッキリ見えたり、かげになったりします。例のコウモリの黒マントが、風にヒラヒラとはためいて、天空の魔人というような、ものおそろしい姿です。
明智探偵は五分間ほど、腕をくんで、つっ立ったまま、じっと塔の屋根を見つめています。まわりの警官たちは、明智がおそろしいほど、だまりこんでいるので、やはりおなじように、つっ立ったまま、塔上の怪人と明智の顔とを見くらべています。
「この探偵さんは、何を考えているんだろう。怪人があんな高いところへ、あがってしまったので、どうすることもできなくて、こまっているんじゃないかしら。」と、いうような顔つきです。
すると、いままで銅像のように身うごきもしなかった明智が、ヒョイと、そばにいる警部補のほうを、ふりむきました。そして、
「この近くに猟銃を持っている人はいないでしょうか。一つさがして、借りだしてくれませんか。」とたずねました。警部補はビックリしたような顔をして、
「猟銃なら、近くにわたしの知っている猟銃家がいますが、しかし、猟銃でなにをしようと言うのですか。」
「ともかく、大いそぎで、それを借りてください。たまもいっしょにですよ。けっして、あなたのごめいわくになるようなことは、しません。ぼくにまかせてください。」
警部補は、明智が名探偵であることを、よく知っていました。警視庁の捜査課長でさえも、明智の知恵を借りることがあるのを、知っていました。それで、この人の言うことならば、まちがいはないだろうと、部下の警官に、猟銃を借りだしてくることを命じました。
明智はそのまま、だまって、また塔の屋根を見つめています。警部補も、明智の気質を知っているのでなにもたずねません。うす雲が、月の表をかすめるたびに、塔上の怪人も、地上の人々の顔も、暗くなったり、明かるくなったりして、やがて、二十分あまりもたちました。そこへ、さっきの警官がりっぱな猟銃を持って、息せききって、もどってきました。明智はそれを受けると、たまをこめ、銃を肩にあて、塔の屋根に向かって、ねらいさだめました。
「明智さん待ってください。犯人を殺してはこまります。わたしの責任です。」
警部補があわてて、銃の筒口をにぎりました。
「いや、けっして殺しません。傷つけもしません。まあ、見ていらっしゃい。」
明智はつよく言いはなって、もう一度ねらいをさだめると、猟銃の引きがねを引きました。ガンと空気がゆれて、うすい煙がたって、そうして、塔の上の怪人がフラフラとよろめくように見えました。警官たちはいっせいに、屋根の上を見つめました。月の光にてらされて、怪人はフワリと宙に浮きました。避雷針をはなれて、横たおしになり、それから、スレートの屋上をすべって、空中を、スーッとおちてくるのです。ヒラヒラする黒マントの羽が、みるみる大きくなり、人々の頭の上に、あのおそろしい虎の顔をした怪物が、ふってきたのです。警官たちは「ワーッ。」と言って飛びのきました。そして、怪人が地上にころがったのを、たしかめると、またそばへよって行きました。警官たちでつくられた輪の中に、二十面相の魔法博士は、生きているのか死んでいるのか、じっと横たわったまま動きません。それが、青い月光にてらされて、まるで火星人かなんかのような、ふしぎな姿に見えるのです。明智探偵は、警官の輪をはなれて、ツカツカと怪人のそばへ近づきました。そして、怪人の足のところに、しゃがんで、何かカチッと、音をさせたかと思うと、立ちどまって、こわきにかかえていた猟銃をとりなおし、その台座を怪人の腹のへんにあてて、グッとおさえつけました。すると、オヤッ、どうしたというのでしょう。怪人はブルブルとからだを、ふるわせて、スーッと消えていくように見えたのです。ほんとうに、足の先から、だんだんペチャンコになって、もう腰のへんまで、せんべいのように、うすべったくなってしまったではありませんか。
とかれたなぞ
「ワハハハハ……。」
あっけにとられて、ぼんやりしている警官たちの顔を見て、明智探偵がとつぜん笑いだしたのです。いよいよ、わけがわからなくなってきます。
「諸君、これは人形ですよ。ゴム人形ですよ。ただ黒マントだけがほんもので、あとはすっかりゴムでできているのです。」
「ウッ、すると、あの青銅の魔人と……。」警部補が、うなるように言いました。
「そうです。青銅の魔人と同じしかけで、魔法博士のゴム人形がつくってあったのです。いざというとき、かえだまにつかうつもりで、ちゃんと用意しておいたのでしょう。ごらんなさい。その足首のとめ金も、青銅の魔人とそっくりです。いまぼくが、そのとめ金をはずしたので、空気がぬけて、こんなにひらべったくなってしまったのです。」
さっきカチッといったのは、明智がそのとめ金をはずした音だったのです。この人形は、からだぜんたいが、自動車のチューブよりも、ずっとあついゴムでできていて、その中に空気を入れて、ふくらませてあったのです。からだには、洋服のラシャをはりつけ、頭にほんとうの毛をうえ、ひげをはやし、顔や手は絵の具で人間らしい色にぬってあるのです。メガネまでかけています。
「ぼくは、そこまで気がつかなかったが、塔の上の部屋の天井に秘密の戸があって、そこから屋根の上へ、出られるようになっているのでしょう。二十面相はこの人形を持って、そこから屋根の上にぬけだし、人形を避雷針にひもでくくっておいて、逃げだしたのです。ぼくのうった猟銃のたまで、そのひもが切れたので、こいつがおちてきたのですよ。」
「すると、あいつは……。」
「たぶん、屋根づたいに、逃げたのでしょう。あいつは、いつでも絹糸の縄ばしごを持っていますから、塔の屋根から本館の屋根へおりるくらい、わけはありません。本館の屋根から、どこかへかくれたのですよ。あいつはまだ、この屋敷の中にいるはずです。だが、見はりはだいじょうぶでしょうね。見はりの警官は、持ち場をはなれてはいないでしょうね。」
「だいじょうぶです。この建物のまわりには、すっかり見はりがついています。ここにいるのは、持ち場のない遊軍ばかりですよ……。それにしても、明智さん、あなたはこれが人形だということが、よくわかりましたね。ぼくたちは、ほんものの魔法博士だと思いこんでいたのですが。」
「人形でなければ、猟銃でうったりなんか、しませんよ。ぼくも、ここから見ただけでは、これが人形だということはわからなかった。見たのではなくて、頭で考えたのですよ。」
「推理ですね。それを聞かせてください。わたしには、さっぱりわからない。」
「見はりがついていれば、あいつをさがすのは、いそぐことはありません。では、てっとりばやく、それをここでお話しましょう。しかし、だいじょうぶでしょうね。自動車の車庫は。」
「ガソリンをからっぽにして、そのうえ車庫の前に見はりがついています。あいつは歩いて逃げるほかはないのです。しかも、まだなんの報告もないところをみると、あいつは建物の外へは、姿を見せないのですよ。中にいるのです。家の中のどっかにひそんでいるのです。」
「では、お話しましょう。それは、あの『密室』のなぞに、かんけいがあるのですよ。あいつはたしかに、あの地下室へはいった。そして戸をしめた。ところが、ぼくらが、ふみこんでみると、影も形もなかった。出口はどこにもない、ただ、空気ぬきの小さな穴が二つあるばかりで、その下のほうの穴のうちがわのほこりが、何かでこすったように、みだれていた。
ぼくはあの時、二十面相が、まえに青銅の魔人のゴム人形で世間をだましたことを思いだした。そして、こんどもまた、魔法博士のゴム人形を用意しておいたのじゃないかと考えたのです。
ぼくたちは、地下道のトンネルの中で、おとし穴の板の橋をかけるために、てまどっていた。あいつはそのひまに、どこかにかくしてあった人形を持ちだし、人形の首と足に長いひもをつけて、首のほうのひもを上の空気ぬきの穴へ、足のひもを下のほうの穴へ通し、自分は穴の外がわにまわって、そこから、うまくひもを引っぱった、としたら、どうです。」
「ウーン、そうか。どうりで、なんだかフラフラした、へんな歩きかただと思った。電灯はついていたけれど、ひどくうすぐらかったので、すっかりだまされたわけですね……。しかし、あの入り口のドアがしまって、かぎがかかったのは、なぜでしょう。まさか人形がそんなことをするはずはないが……。」
「やっぱり、ひものしかけですよ。長いひもを二重にして、その先の輪になったところをドアのとってにかけ、ひものはじを空気ぬきの穴の外へのばして、グッと引っぱれば、ドアがしまる。あのドアはしめさえすれば、しぜんにかぎがかかるようになっていたのです。ひらく時にはかぎがいるが、しめる時には、かぎがいらないのです。そうして、しめておいて、一本のひもをはなし、一本だけをたぐりよせれば、ひもはぜんぶ穴の外へ出てしまいます。
それから、こんどは、人形を下の穴のすぐそばまで引きよせ、穴から手を入れて、足のとめ金をはずすと、スーッと空気がぬけて、人形がしなびてしまう。そのグニャグニャになったゴムを、十センチの穴から、外へ引っぱりだしたのですよ。」
「なるほど、すっかりわかりました。それで穴のうちがわのほこりに、あんなあとがついていたのですね。フーン、うまく考えたな。それにしても、ほこりのあとだけで、そこまで考えついたのは、さすがに明智さんですね。かぶとをぬぎますよ。しかし、そのグニャグニャになった人形を、塔の屋根にあげる時には、また空気を入れたのでしょうが、こんな大きな人形に、そんなにてばやく空気がはいりますかね。」
「それは、青銅の魔人の時とおなじですよ。やはり、この建物のどこかに、自動車のタイヤに空気を入れるエアー・コンプレッサーがあって、そこから、くだが引っぱってあるのです。塔の中にも、そのくだが来ているのでしょう。エアー・コンプレッサーなら、この人形をふくらますくらい、またたくうちですからね。」
「フーン、じつに、手数のかかるいたずらをやったものですね。こんどの事件は、さいしょから、そうだったが、あいつは魔術のうでまえを、見せびらかしたくて、しかたがないのですね。わたしは、こんなへんてこな犯人ははじめてですよ。」
「そうです。あいつは、こんどはほかになんの目的もなかったのです。ただ、ぼくをこまらせて、それ見ろと笑いたかったのですね。ところが、すっかりぼくにうらをかかれてしまった。この勝負もまた、あいつの負けですよ。ハハ……、考えてみると、なんだか、かわいそうですね。」
明智探偵は、ゆかいそうに笑いましたが、そんなふうに安心してしまってもいいのでしょうか。怪人のほうには、まだまだ奥の手がのこっていたのではないでしょうか。