虎の牙

7話 かべをはうもの

7,703字 約15分 2017年4月14日 公開

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 それから、また数分間たっても、舞台には、なにごともおこりません。見物たちは、もうがまんができなくなりました。

 まっさきに立ちあがったのは、小林少年です。小林君は、つかつかと舞台のきわまで、近づいていきました。そして、いきなり、「勇一くーん、勇ちゃーん。」と大きな声で、呼びかけてみました。

 なんの答えもありません。

 また、くりかえして呼びました。それにつれて、見物たちは、みな席をはなれて、舞台のそばへあつまってきました。そして、てんでに、なにか言いだしたものですから、にわかに、ガヤガヤとさわがしくなってきました。

 小林君は、たまりかねて、舞台にかけあがり、奥のほうに向かって、「だれかいませんか。」と、どなりました。

 すると、黒い幕のうしろから、白いつめえり服の助手がふたり、飛びだしてきました。

「先生がいなくなってしまったんです。ぼくたちは、いままで、いっしょうけんめいに、さがしてみたのですが。」

 助手のひとりが、息をはずませて、言うのです。先生とは魔法博士のことにちがいありません。

「先生がいないんですって? じゃあ、勇一君もですか。」

「ええ、ふたりとも見えないのです。」

 では、博士も勇一少年も、ほんとうにべつの世界へ飛びさってしまったのでしょうか。

「いまのはブラック・マジックでしょう。きみたちはまっくろな服を着て、舞台で、はたらいていたのでしょう。」

 小林君は、ブラック・マジックという奇術の種を知っていたので、こう言って、なじるように助手たちにたずねたのです。

「そうです、ぼくたちは、この白服の上から黒ビロウドの服を着て、黒ずきんをかぶり、黒い手ぶくろをはめて、助手をつとめていたのです。そうすれば、電気の光線のぐあいで、見物席からは、何も見えないのです。ぼくたちが、いくら舞台を歩きまわっても、すこしも見えないのです。」

「それでいて、博士がいなくなるのを、知らなかったのですか。」

「ぼくたちは、しょっちゅう舞台にいたわけではありません。ちょっと、楽屋へはいったあいだに、先生も、子どもさんも、見えなくなってしまったんです。じつにふしぎです。」

 こんな問答(もんどう)を聞いていても、ブラック・マジックというものを知らない見物たちには、なんのことだかわかりません。みんなが、けげんらしい顔をしているので、小林君はかんたんに、ブラック・マジックの種明かしをしました。

「みなさん、いまのは魔法でもなんでもない、ふつうの手品で、ブラック・マジックって言うんです。電灯をぜんぶ見物席のほうに向けて、舞台には、じかに光がささないようにしてあるので、こうして、しゃべっているぼくの姿でも、手や顔のほかは、ハッキリ見えないでしょう。ですから、博士はあんなまっ白な服を着ていたのです。また勇一君にも白い服を着せたのです。

 ぼくの服でさえ、ハッキリ見えないくらいですから、まっ黒なビロウドの服を着て、頭や、手先も黒ビロウドでつつんでしまったら、見物席からは、すこしも見えません。このふたりの助手君は、そういうまっ黒な姿になって、舞台で、はたらいていたのです。これが手品なのですよ。

 さっきの大トランプの奇術も、はじめから黒ビロウドをかぶせて、舞台においてあったのを、助手君が、その黒いきれを、だんだん、はがしていったのですよ。すると、さも空中から大トランプが、あらわれるように見えたのです。ハートの女王さまが動きだしたのも、助手君のひとりが、おけしょうをして、絵の女王さまとおなじ服を着、かんむりをかぶって、カードを切りぬいたところから、上半身を出して見せたのです。カードの裏がわを見せるには、すばやく、切りぬいた絵を、もとのとおりにはめこみ、自分は頭から黒ビロウドをかぶって、姿を消してしまうのです。

 勇一君が宙に浮きあがったのは、黒ビロウドを着た助手君が、勇一君のダブダブした白い道化服のあいだに両手をかくして、そのからだを持ちあげていたのです。すると、いまひとりの助手君が、黒ビロウドのふくろのようなものを、勇一君の頭のほうからかぶせていって、だんだん足の先まで、かくしてしまったのです。そうすると、見物席からは、勇一君が消えてしまったように見えるのですよ。

 魔法博士のからだが、服をぬぐにつれて、消えていったのは、あの白い服の下に黒ビロウドのシャツとズボンをはいていたのです。手にも黒い手ぶくろをはめ、その上からもう一つ、白い手ぶくろをはめていたのです。さいごに、顔まで見えなくなったのは、頭からスッポリと黒ビロウドのきれをかぶったのですよ。」

 小林君は、さすがに名探偵の片腕と言われるほどあって、手品の種には、くわしいものです。話しおわって、ふたりの助手のほうをふりむいて、そのとおりでしょうとたしかめますと、助手たちは、びっくりした顔をして、そうだと、うなずいて見せました。

「勇一君を黒ビロウドでかくしてしまってから、どうしたのですか。舞台のゆかへおろしたのでしょうね。」

「そうです。この黒布をはったゆかへおきました。このへんですよ。」

 ひとりの助手は、勇一君をおろした場所へ歩いていって、指で、さししめしました。むろん、そこには、何もありません。舞台にあがってしまえば、まぶしい電灯のうしろがわになるので、黒いものでも、よく見えます。広い舞台には、ふたりの助手のほかに、まったく人影がありません。

 奇術の種がわかりますと、博士と、勇一少年がいなくなったのは、奇術ではなくて、ほかにわけがあることが、ハッキリしましたので、いよいよ、さわぎが大きくなりました。

 見物のうちの、おとうさんやにいさんたちが、まず舞台へあがって来ました。そして、舞台の前の、電球をとりつけてあった板をはずし、それを反対のほうに向けて、舞台を明かるくしておいて、背景のうしろ、幕のかげ、舞台のゆか下と、ありとあらゆる、すみずみを、さがしまわりましたが、どこにも人影はありません。

 舞台のうしろのドアをあけると、楽屋につかっていた、せまい部屋があり、そこも、くまなくさがしたうえ、つぎのドアをひらくと、パッと目をいる明かるさ。もう夕方でしたが、いままで暗いところにいたので、にぶい光でも、まぶしいほどです。

 そこは廊下になっていて、一方は行きどまりのかべ。一方はべつの部屋につうじています。庭に面したガラス窓をしらべてみると、うちがわから、しまりができていて、そこから人の出たようすはありません。

 小林君は、せんとうに立って、廊下の先のべつの部屋へ、はいって行きました。円形のせまい部屋で、小さな窓が一つしかなく、その窓もしめきったままで、別状はありません。まるい部屋のまん中に、ラセン階段があります。そこは、この洋館についている、夢のお城のような、円形の塔の一階だったのです。

 もし、魔法博士が、勇一君をつれて逃げたとすれば、見物席のほうへは出られませんから、この塔にのぼるほかに、道はないのです。ほんとうに魔法の力で消えてしまうなんて、考えられないことですから、博士と勇一君は、この塔の上に、かくれているにちがいありません。なぜ、かくれたのか、すこしもわけがわからないけれども、そんなことを考えているひまはないのです。小林君は、グルグルうずまきになっているラセン階段を飛ぶように、かけあがっていきました。

 二階の窓にも別状ありません。そのつぎの三階が頂上でした。だれもいません。しかし、そこの窓が、ひらいたままになっています。かけよって、しらべてみると、窓わくにつもったホコリが、ひどくみだれています。何者かが、その窓から外に出たらしいのです。

 まさか三階の窓から、飛びおりることはできません。地上七メートルもあるのです。では、綱をつたっておりたのでしょうか。しかし、どこにも綱のはじは見えません。

 小林君は窓から首をだして、のぞいて見ました。思ったとおり、足がかりなんかすこしもない、なめらかなレンガのかべです。ヘビかトカゲでなくては、このかべを、はいおりることはできないでしょう。

 そう思って、見おろしたとき、小林君の目に、ギョッとするようなものが、うつりました。その直立したなめらかなかべの上を、一ぴきのまっ黒な怪物が、とほうもなく大きな、トカゲのようなやつが、ノロノロとはいおりていたのです。ちょうど二階の窓のへんを、頭を下にして、さかさまにはいおりていたのです。

 それは、写真でも絵でも、一度も見たことがないような、まっ黒な動物でした。大きさは、ちょうど人間ほど、足は四本、ひふは、まるで黒ビロウドのようです。

 オヤ、おかしいぞ。手が二本、足が二本、黒ビロウドのシャツとズボン、クツした、手ぶくろ。小林君は思わず、アッと声をたてました。

 すると、怪物のほうでも、その声におどろいて、ピッタリはうのをやめ、グーッとかまくびをもたげるようにして、小林君のほうを見あげました。

 それは、魔法博士の顔でした。ニヤリと笑った、あのぶきみな魔法博士の顔でした。

石の獅子(しし)

 小林君は、あまりのことに、声をたてることも、身うごきすることもできません。魔法の力ですいつけられたように、ジッと黒い怪物を見ていました。

 すると、黒いヒョウのような動物は、まもなく、レンガのかべを下までおりて、そのままよつんばいになって、そこの木のしげみの中へ、かけこんでしまいました。その向こうは、やぶれたレンガ塀をへだてて、すぐ八幡神社の森につづいています。黒い人間獣は、夕やみのジャングルの中へ、姿をかくしてしまったのです。

 小林君は、おそろしい夢でも見たのではないかと、自分の目をうたがうほどでしたが、しかし、けっして夢ではありません。あの黒い怪物は、たしかに魔法博士の顔を持っていたのです。

 小林君が見たのは、黒い怪物だけです。では、勇一少年はどうしたのでしょう。勇一君まで、魔法の力で四つ足の動物になって、博士よりもさきに、森の中へかくれてしまったとでもいうのでしょうか。

 なんにしても、早くこのことを、みんなに知らせなければなりません。

 小林少年は、塔の階段を飛ぶようにかけおりて、下に待っていた見物の人たちに、ことのしだいをつげました。

 知らせを聞いた人々は、あまりのふしぎさに、ボンヤリしてしまって、しばらくは、おたがいに顔を見合わせるばかりでしたが、やがて、正気にかえると、にわかに大さわぎをはじめました。

 とにかくさがさなければならない。勇一少年と魔法博士の行くえをつきとめなければならない。二十何人の子どもとおとなが手わけをして、洋館の中と八幡神社の森の中を、オズオズさがしはじめました。

 一方、小林少年は、勇一君のおうちにかけつけ、青くなったおとうさんといっしょに現場に帰り、捜索隊にくわわりました。また、ひとりの少年のおとうさんは、近くの交番に、このことを知らせましたので、まもなく本署から数名の警官がかけつけます。それらの人たちがいっしょになって、洋館のうち外を、のこるところなくさがしたのですが、勇一少年と魔法博士の姿は、どこにも発見することができませんでした。

 八幡神社のうすぐらい森の中、立ちならぶ木の枝の上、くさむらの中など、くまなくしらべましたが、黒い怪物の影もなく、また神社をかこむ町の人たちに聞きまわっても、あやしいものを見た人は、ひとりもいないのです。

 そのうちに、ますます、あたりが暗くなってきましたので、ひとまず、捜索をうちきることにし、警官たちも、ふたりの見はりばんをのこして、本署に帰りましたが、ただちにこの事件は、警視庁に報告せられ、東京中の警察署が、魔法博士と勇一少年をさがすことになったのは、言うまでもありません。

 そうしてみんながひきあげてしまっても、小林少年だけは、ただひとり、八幡神社の森の中にのこって、大きな木の幹にもたれ、ボンヤリと考えごとをしていました。

「ふしぎだなあ。あんな黒いヒョウみたいな姿で、森の外へ逃げだしたら、町には、だれか人が通っているんだから、たちまち見つかって、大さわぎになるはずだ。うまく逃げだせるはずがない。もしかしたら、あいつは、例の魔法を使って、だれにもわからないように、この森の中に、かくれているんじゃないかしら。」

 そう考えると、なんだかゾーッと背中が寒くなってきました。森の中はもうまっ暗です。向こうの社殿(しゃでん)がボンヤリと見わけられるばかりで、そのほかは、一面に黒いまくを、ひきまわしたようです。

 ところが、ふと気がつくと、そのやみの中で、なにかモヤモヤと動いたものがあります。ギョッとして、小林君は、木の幹に、からだをかくし、動いたもののほうを見つめました。

「なあんだ、気のせいだったのか。」

 それは社殿の前の左右にすえてある大きな石のコマイヌでした。その右のほうのコマイヌが小林君の五メートルほど向こうに立っていて、それが身うごきをしたように感じたのです。

 三だんに組んだ石の台の上に、ちょうど人間がうずくまったほどの、大きな石のコマイヌがいるのです。コマイヌといっても、イヌの形ではなくて、むかしの絵にある獅子のような姿をしています。たてがみが、クルクルうずをまき、大きな顔、ふとい足、ふさふさした尾、どこの動物園にもいないような、ふしぎな怪獣です。

 しかし、それは石をほってこしらえたものですから、動くはずはありません。さっきから、みんながその前を行ったり来たりしていたのですが、だれも石のコマイヌなんかに注意するものはなかったのです。

 小林君は、へんな気持ちで、やみの中にぼんやりと浮きだしている、そのコマイヌをながめていました。「あの石のイヌが動きだしたらどうだろう。いまにきっと動くぞ。」昼間から、ふしぎなことばかり見せられたので、ついそんなことを考えるようになっていたのです。

 すると、小林君の考えが、石のイヌにつたわりでもしたように、そのコマイヌが、モゾモゾと動きはじめたではありませんか。

 小林君は、からだがツーンとしびれたようになって、もう身うごきもできません。これはおそろしい夢でしょうか。いや、夢ではない。昼間のことから考えると、夢がこんなに順序よくつづくものではありません。

 コマイヌ、というよりも石の獅子です。その石の獅子は、いまではもう生きた怪物になって、そろそろと石の台をおりています。みょうなかっこうで、台をおりてしまうと、やみの中を、社殿のほうへ、よつんばいになって歩きはじめました。

 小林君は、もしかしたら、こちらへ、飛びかかってくるのではないかと、ドキドキしていましたが、石の獅子は、木のかげに小林君がいることは知らないらしく、ふりむきもせず、社殿に近づき、階段をはいのぼり、正面のとびらをひらいて、社殿の中へ、姿を消してしまいました。そして、とびらが、何かに引かれるように、スーッとしまったかと思うと、「ウォーッ。」と一声、おさえつけたような、うなり声が、聞こえてきました。

 ああ、あの声です。昼間、魔法博士が舞台から消えたとき、見物たちの耳をうった、あのぶきみな猛獣のうなり声とそっくりです。

 小林君は、もうむがむちゅうで、かけだしました。あとからあの怪物が追っかけてでもくるように、死にものぐるいで逃げました。そして、洋館の入り口に見はりをしている警官のそばにたどりつくと、やっと元気をとりもどして、ことのしだいをつげるのでした。

 警官は、おどろいて近くの交番から、このことを本署に電話で知らせました。そして、しばらくすると、本署からピストルを持った数名の警官が、かけつけて来ました。

 もうすっかり夜になっていましたから、警官たちは、手に手に懐中電灯をふりかざし、八幡神社の社務所の人を呼びだして、それを案内役にして、一かたまりになって、社殿に近づきました。

 警官たちは、みなピストルをサックから出して、手に持ち、いざといえば、うてるように、かまえながら、サッと社殿のとびらをひらきました。とびらの中に集中する懐中電灯の光。

「オッ、そこにいるゾ。」かさなりあうまるい光の中に、大きな石の獅子が、チョコンとすわっています。警官たちを見ても、逃げるでもなく、飛びかかってくるでもなく、まるで石のように身うごきもしないのです。しばらく、異様なにらみあいが、つづきました。

「おい、へんだぜ。こいつは、ほんとうの石のコマイヌじゃないか。」

 ひとりの警官が、およびごしになって、グッと手をのばして、ピストルの先で、怪物の肩のへんを、つっつきました。すると、コツコツと石をたたくような音がしたではありませんか。たしかに石でできているのです。

 それにいきおいをえて、みんながコマイヌのそばに近より、懐中電灯でてらしつけながら、その全身にさわってみました。ひとりの警官が、コマイヌの頭に手をあてて、グッとおすと、からだぜんたいがかたむき、手をはなすと、ゴトンと音をたてて、もとの位置にもどりました。

「ハハハ……、なあんだ、やっぱり石のコマイヌじゃないか。おい、きみ、きみは、こいつが動いたと言うのかい。」

 小林少年は、夢に夢みるここちでした。

「さっきは、たしかに生きていたのです。あすこの石の台の上からおりて、ここまで、はって来たのです。」

「フーン、この石がねえ。」

 警官はピストルでコマイヌの頭をコツコツやりながら、また笑いだすのでした。

「しかし、昼間は、こいつ、たしかにあの台座の上にいた。それは大ぜいが見て、知っている。ところが、見たまえ、あの石の台座の上はからっぽだ。」

 べつの警官が、台座のほうを懐中電灯でてらしながら、ふしぎそうに言いました。

「まさか、きみが、コマイヌをここへ持って来たわけじゃなかろうね。」

「ぼくには、こんな重いもの、とても持てませんよ。」

「そうだろうね。すると、いったい、これはどういうことになるんだ。」

 警官たちが、首をかしげているあいだに、小林少年は、ふと、社殿の一方の柱に、異様な傷があることに、気づきました。ひとりの警官の懐中電灯が、ちょうどそこを、てらしていたからです。

「あれは、なんでしょう?」

 小林君の声に、みながそのほうを見ました。おそろしい傷あとです。十五センチ四方ほど、柱の皮がめくれ、白い木はだがあらわれて、それがひどいササクレになっています。

「へんな傷だね。大きな動物が、(きば)でかみついたというような傷だね。それに、傷のまっ白なところを見ると、ごく新しい傷だ。」

 警官たちも小林少年も知らなかったけれども、読者はごぞんじでしょう。勇一君のおうちの庭で、白ウサギが消えたとき、マツの木の幹にのこっていた、あのおそろしい傷あと、あれとそっくり、そのままなのです。

 それは知らなくても、一方には、いつのまにか社殿にしのびこんだ石の獅子、一方には、見るもおそろしい柱の傷あと、この二つの怪異(かいい)のくみあわせの、ぶきみさに、人々はゾーッとおびえた目を見かわして、ただ立ちすくむばかりでした。

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