白髪鬼

8話 肉食獣

3,346字 約7分 2021年10月6日 公開

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 わしはとうとう自殺をあきらめた。そして、自殺をする代りに、実に今思い出しても身の毛もよだつ恐ろしいことを考えついた。

 昨日もお話した通り、その墓穴の中には、わしの一家の先祖代々の棺が、ズラリと並んでいた。奥の方から順番に並べて行く慣例だから、一番手前の棺が、一番新しい死人を葬ったものに相違ない。

 わしは、十七歳の折父の葬式に列したきり、この墓穴へ近づいたこともないけれど、ここへはわしの分家のものなども、埋葬されることになっていたから、一番手前の棺には、存外新しい死骸が入っているかも知れぬ。エエと、わしの親戚で、ごく最近なくなったのは誰であったか。

 オオ、そうだ。分家の娘のお千代が死んでいる。分家といってもわしの家とは永らく仲たがいになっていて、日頃余り行来をせぬけれど、墓場丈けは、先祖からのならわしで、ここへ葬ったのをちゃんと覚えている。

 それを知ると、わしはもう、耐らなくなった。本当に腹の減った気持を知らぬみなさんには、この時のわしの喜びを想像することは出来まい。まさか、なんぼなんでもと、みなさんはきっと顔をしかめるだろう。

 だが、浅間しいことに、わしはニヤニヤと笑い出したのだ。肉食獣が獲物を見つけた時の様に、我を忘れて、鼻をヒクヒクさせ、舌なめずりを始めたのだ。

 わしは金属製の燭台を握ると、ゴソゴソとその新しい棺の方へ這い寄って行った。どうして蓋をこじ開けたのか、もう無我夢中であった。

 わしは、ムチムチと肥え太った、若い娘の肉体を幻に描いていた。それが非常な魅力で野獣の食慾をそそった。わしは恐ろしい肉食獣になり果てていたのだ。

 蓋をこじ開けると、片手をさし入れて、中を探り廻った。先ず指に触れたのは、冷い房々とした髪の毛であった。わしはもう、喉をグビグビ云わせながら、嬉しさに夢中になって、その髪の毛を握りしめ、グイと持上げようとした。

 持上げようとした拍子に、わしは力余って、うしろへ倒れてしまった。髪の毛の根元には何にもなかったのだ。肉が腐って、抜け落ちたのであろうと、更らに手を入れて探って見ると、いきなりゴツゴツした固いものに触った。なで廻して見ると、乾き切った頭蓋骨だ。洞穴(ほらあな)の様な二つの眼窩(がんか)だ。唇のないむき出しの歯並だ。

 胸にも腹にも、カラカラの骨の外には、柔かいものは少しもない。肉も臓腑も、蛆虫(うじむし)の為に食い尽され、その蛆虫さえ死に絶えてしまったものであろう。

 アア、その時のわしの失望はどれ程であったろう。若い娘のふくよかな肉体を幻に描いて、夢中になって、僅かに残っていた最後の精力を使い果してしまったのだ。絶望の極、もう身動きをする力もなかった。棺の中へ手をさし入れたままの姿勢でグッタリとなってしまった。だが今から思うと、それがわしにとっては非常な仕合せであった。

 あの時、棺の中に少しの腐肉でも残っていたら、わしはきっと、その蛆のわいた人肉を、手掴みにして、ムシャムシャやっていたに違いないからだ。人として人の肉を(くら)う。世にこれ程罪深く、浅間しいことがあるだろうか。わしはもう、ただそれ()けの理由で、二度と世間に顔を(さら)す勇気が失せてしまったであろう。

 (しか)し、それはあとになって考えること、当時は心がひもじさで一杯になって、良心もなにも、どっかへ押し出されてしまっていたので、仕合せに思うどころか、絶望の極、メソメソと泣き出したものだ。泣いたとて、もう涙も流れぬ。声も出ぬ。顔の筋肉を出来る丈けしかめて、泣いている表情をするばかりだ。

 暫くは、そうしてグッタリとなっていたが、何となくあきらめ切れぬ心が湧いて来た。人間の生きようとする執念深さはどうだろう。わしは又燭台を握って立上った。筋肉に立上る丈けの力が残っていた訳ではない。ただ生きよう生きようともがく本能力が、わしを動かしたのだ。

 わしは最早や人間ではなかった。野獣でさえもなかった。謂わば胃袋のお化けであった。不気味にも執拗なる食慾の権化であった。

 どこからあの様な力が出たのであろう。わしはまるで機械の様に、順序正しく、十幾つの棺を、蓋をこじ開けては中を探り、こじ開けては探りして行った。若しや、何かの間違いで、その中に新しい死人の棺が混っていはしないかと念じながら。

 だが、無論、それは空頼みに過ぎなかった。どの棺も、どの棺も、中にはカサカサにくずれ干からびた骸骨ばかりであった。

 そうして、わしはとうとう、墓穴の一番奥の棺に達した。恐らくこれが、この呪わしい洞窟を考案した先祖の棺であろう。蓋を開いて見るまでもない。骸骨に(きま)っている。わしはよっぽど開かないで置こうかと思った。併し、わしの執念は、理性を超越して、自動機械みたいに依怙地(いこじ)になっていた。わしは、その最後の棺さえもあばき始めた。

 あとになって考えて見ると、その棺の中に眠っていた、異国風の墓地を考案した先祖の霊が、この様なむごい目を見せた詫び心に、気力の尽きたわしを励まして、その最後の棺に導いてくれたのかも知れない。

 ()し一つ手前の棺であきらめてしまって、最後の棺を開かなんだなら、わしはこうして、仮令(たとい)牢獄の中にもせよ、今まで生き永らえていることは思いもよらなかったであろう。その最後の棺が、わしの救主であった。

 わしは棺の蓋をこじ開けた。イヤ、こじ開けたのではない。この棺丈けは、不思議なことに燭台の先を、ちょっと当てたばかりで、釘が打ってないのかと思う程、手答えもなく、易々と開いた。わしはどうせ骸骨に極っているとあきらめ果てた気持で、片手を中にさし入れ、探り廻して見た。

 ところが、いくらなで廻しても、どうした訳か、中には何もないのだ、骸骨は勿論、棺の底さえガランドウで、どこまで行っても手先にぶつかる物がないのだ。

 わしはギョッとして、思わず手を抜き出すと、そのままじっと身をすくめていた。この棺には確に底がないのだ。底がないばかりか、その下に漆喰の床も、土さえもないのだ。気がつくと、棺の上によりかかったわしの顔へ、下の方から、冷い風がソヨソヨと吹き上って来る。

 思考力の衰えていたわしは、急にはその意味を悟ることが出来なかった。棺の底がなくて、下から風が吹いて来るという、不思議千万な事実が、わしを怖がらせた。若しや、本当に気が違って、こんな不合理な錯覚を感じるのではあるまいかと、我身が恐ろしくなった。

 だが、間もなくチラッとわしの頭に閃いたものがある。海賊朱凌谿は、あの宝物をどうしてこの墓穴の中へ運び込んだかという疑問だ。正面の扉は特別の鍵がなくては開く筈がないし、四方の壁は、どこに一箇所隙間もない。

 どこかに彼等丈けの知っている秘密の通路がある筈だ。アア、どうしてわしは、今までそこへ気がつかなかったのであろう。早くその秘密の入口を探せばよかったのだ。

 イヤイヤ、探したとて、見つかる筈がない。先祖のお導きがなかったら、永久にこの通路を探し当てることは出来なかったであろう。それにしても、何という巧な思いつきだ。棺の底を掘って、秘密の出入口を(こしら)えて置くとは。上から見たのでは何の異状もないのだから、わしの様な特別の場合の(ほか)は、先祖の棺をあばく不孝者はない筈だ。随って、賊のこの秘密の出入口は永久に安全なのだ。流石(さすが)は海賊王、実にうまいことを考えたものではないか。

 わしが今日、こうして皆さんにお話が出来るのも、全く海賊朱凌谿のお蔭だ。彼が作って置いてくれた抜け穴のお蔭だ。

 わしのその時の嬉しさを察して下さい。絶望の極、神を呪い、自殺さえしようとしたわしだ。苦しみがひどかった丈けに喜びも(また)大きかった。

 わしはもう自由の身だ。いとしい妻にも会える。親友の川村と話をすることも出来る。元の楽しい生活がわしを待っているのだ。わしは余りの幸福に、何だか嘘みたいな気がして仕方がなかった。夢ではないかしら。夢ならさめるな。この歓喜のあとで、もう一度絶望が来たら、わしはたちどころに死んでしまうだろうから。

 わしは嬉しさに、ガタガタ震えながら、両手を棺のふちにかけて、中のほら穴へ足を入れ、ソッと探って見ると、あった、あった、土を掘った階段の様なものに足の先が触った。もう間違いはない。わしは愈々(いよいよ)助かったのだ。

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