黄金仮面

15話 恐ろしき水罠

1,924字 約4分 2021年7月28日 公開

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 不思議、不思議、舟の上には警察の人々、明智小五郎、舟の持主の漁師の外に、誰もいない。場所は岸を離れた湖水の中だ。全くあり得ないことが起ったのだ。

 あっけに取られた人々の胸に、漠然と、ある信じ難き考えが湧き上って来た。若しかしたら、若しかしたら……彼等はその異様な想像に慄然とした。

 と、突然湖面に響き渡るエンジンの爆音。と同時に起る明智の叫び声。ハッと振向く人々の目に、今まで曳舟にしてあったモーターボートが、非常な速度で、彼等の舟を離れて行く、奇怪千万な光景が映った。ボートを操縦しているのは、いつの間に乗り移ったのか、こちらの舟の持主である筈の漁師だ。

「畜生、あいつだ。あいつが殺したんだ」

 出し抜かれた明智小五郎は、憤怒の形相物凄く、エンジンの所へ飛んで行って、運転を始めた。又しても、湖上の追撃戦。

「あいつは、賊の手下だ。小雪に入智恵をしたのもあいつだ。それ丈けでは安心出来ぬものだから、漁師の舟を手に入れて、その舟の持主に化け、味方と見せかけて、僕等を見張っていたのだ。そして、小雪が発見され、何か喋り(そう)になったのを見ると、たまらなくなって、刺し殺してしまったのだ」

 明智が運転を続けながら波越警部に怒鳴った。

何時(いつ)の間にそんなことが……」

「君はそれが分らないのか」明智は癇癪玉(かんしゃくだま)を破裂させた。「手品の種は、さっきの財布だ。財布が流れて来たと教えたのは、あいつだったじゃないか。無論自分の財布を投込んだのさ。そして、我々の注意をその方に向けて置いて、手早く兇行を演じたのさ」

 云われて見ると、あの時、一同がそれを拾い上げたり、中味を検べたりする為に、一方の舷へ集って、しばらく小雪の方をお留守にした。その(あいだ)に、人知れず彼女を刺し殺すのは、全く不可能なことではない。

 そんなことを怒鳴り合っている()にも、舟はグングン速度を増し、賊のモーターボートに迫っていた。

「大丈夫、スピードはこちらが早いのだ。賊を捕えるのは(またた)く間だ」

 警察署長が、さい前漁師が云ったのと同じ様なことを得意らしく叫んだ。

 オヤ、変だぞ。相手は追手の舟の方が早いことをチャンと知っている筈だ。見す見す追いつかれると分っているものを、何ぜあの様に逃出したのであろう。そんな誤算をする様な賊ではない。こいつは、用心をしないと危いぞ。明智はふとそこへ気がついた。

 彼は(かじ)を握ったまま、何ぜという訳もなく舟の中を見廻した。云い知れぬ不安に襲われたからだ。

 すると、アア、これはどうしたことだ。舟の底に、もう二寸程も水がはいって、ジャブンジャブンと不気味な音を立てているではないか。昂奮の余り、誰一人足の下の浸水のことなど気づかないのだ。

「誰か舟の底を(しら)べて下さい。どこからこんなに水が入って来るのだか」

 明智の声に、人々はやっとそれを悟って、俄かに騒ぎ出し、水の中を手さぐりで、舟底を検べ始めた。

「いけないッ。大きな穴があいている。何かこめるものはありませんか」

 刑事が舟底の穴を発見して、青くなって叫んだ。

 云う内にも、水は刻々に増しつつある。人々の靴を浸し、已にズボンの裾を濡らし始めた。

「これだ。これをこめ給え」

 明智が手早く羽織を脱いで投げた。

 刑事はそれを丸めて浸水の箇所を塞ごうとあせる。だが、もう手遅れだ。六人の目方と同じ力で吹き上げる水を、間に合わせのこめ物なぞで防ぐことは出来ぬ。

 立騒ぐ間に、浸水は早くも舟の半ばに達し、舟は刻々に沈んで行く。エンジンは動いているけれど、舟足が重くなった為に、速度は半減されてしまった。

 場所は深さの知れぬ湖水の真中だ。泳ぎの出来る者も出来ないものも、色を失って、ワッと異様な叫声を立てた。

「畜生ッ、あいつの罠だ。馬鹿野郎。頓馬(とんま)。アア、俺は何という間抜けだ」

 明智はモジャモジャ延びた髪の毛を掴んでくやしがった。

 と、遥かに聞えて来る、賊の高笑い。彼は追手の舟を湖心に近く誘出(おびきだ)して置いて、いきなり方向を転換し、湖の東岸へとまっしぐらに走っている。そして、高く手を振りながら、さもさも愉快そうに、カラカラと笑っている。彼は前以って舟の底に仕掛けをして置き、逃出す時に、その栓を抜いて行ったのだ。

 追手の一同は、併し、賊の嘲笑を、(いきどお)る余裕もない。舟は已に完全に沈んでしまった。

 金ピカの肩章いかめしい警察署長も、鬼警部とうたわれた波越氏も、名探偵明智小五郎も、こうなってはみじめだ。彼等は沈み行く舟の舷につかまって、辛うじて水中に身を浮かせ、首ばかりを突出して、哀れな呼吸を続けるのが、精一杯だ。

 だがそれも長くは保つまい。水泳の達者な明智は別として、その他の人々は、やがて疲労の極、どの様なことに成行くか、いとも心細い有様である。

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