黄金仮面

17話 黄金仮面の恋

3,491字 約7分 2021年7月28日 公開

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 C湖の大捕物は、かくして何等得る所なく終った。侯爵令嬢美子姫の下手人は分った。だが、その下手人小雪さえも、あの怪賊の為に果敢(はか)ない最期をとげてしまった。

 二美人の惨死。国宝にも比すべき古美術品の盗難。だが怪物黄金仮面の正体は勿論、その配下の行衛さえ、名探偵明智小五郎の手腕を以てしても、遂につきとめることが出来なかった。

 新聞紙が、この絶好の社会種を、鳴物入りで書き立てたのは云うまでもない。(したが)って、東京は勿論、日本全国の老若男女が、嘗つて聞いたこともない怪賊の噂に震え上った。

 それから十日ばかりは、何のお話もなく過ぎ去ったが、その間とても、噂は噂を生み、おびえきった人々は、枯尾花(かれおばな)を妖怪と見誤ったことも度々であった。

 古物商の薄暗い店内に、はげちょろけの仏像に並んで、一体丈けギラギラ光る金色の如来像が立っていたが、あれが黄金仮面ではなかったかと一人が云うと、もうそれに違いない様に、噂はそれからそれへと伝わって行った。

 又ある時は、上野の帝室博物館で、場内の掃除女が気絶した騒ぎさえ持ち上った。閉館近い夕暮のこと、仏像ばかり並んでいる陳列室を掃除していると、等身大の鍍金仏が、フラフラと彼女の方へ歩いて来る様な幻覚を感じて、テッキリ黄金仮面と思込み、キャッと悲鳴を上げたまま、気を失ってしまったと云うのだ。

 それは兎に角、本物の黄金仮面が、三度目の犯罪を企てていることが分ったのは、四月も終りに近いある日のことであった。

 それは、どんより曇った、変に蒸し蒸しする、何となく(おさ)えつけられる様な夕方であったが、明智の部屋借りをしている、お(ちゃ)(みず)開化(かいか)アパートの一室へ、妙な客が訪ねて来た。

 我々の主人公明智小五郎の住居について記すのは、これが初めてだから、少々説明をしなければなるまいが、彼は『蜘蛛男』の事件を解決して間もなく、不経済なホテル住居をよして、ここのアパートへ移ったのだが、独身者の彼には、一家を構えるよりも、この方が気楽でもあり便利でもあった。借りているのは表に面した二階の二た部屋で、一方は七坪程の手広い客間兼書斎、一方は小ぢんまりした寝室になっている。

 黄金仮面が鳴りをひそめているので、明智は少々退屈を感じていた。その日も、所在なさに、客間のテーブル兼用の大型デスクに頬杖をついて、プカプカ煙草を吹かしている所へ、突然ドアにノックの音が聞えて、見知らぬ老人が這入って来た。

 老眼鏡に胡麻鹽髭、折目正しい羽織袴、どう見ても一時代前の人類だ。

 老人は一礼すると、一封の紹介状に名刺を添えて、うやうやしく差出した。

 名刺には「大鳥喜三郎(おおとりきさぶろう)」とあった。有名な大富豪の名前だ。まさかこの老人が大鳥氏ではあるまいと、ジロジロ眺めていると、老人は、

「私は大鳥家の執事を勤めて居りまする、尾形(おがた)と申す者でござります」

 と切口上で云った。

 紹介状は実業界にいる友人の自筆で、万事よろしく頼む(むね)が記してあるばかりだ。

 老人は長々と何か喋っていたが、凡て前口上に過ぎず、結局「黄金仮面」の事件について、頼みの筋があって、やって来たということであった。

 黄金仮面と聞くと、(いささ)か迷惑そうにしていた明智の顔が俄かに緊張した。

「詳しくお話し下さい。先ず第一に、警察をさし置いて、なぜ私に御依頼なさるのか、何か特別の理由でもおありになるのですか」

「それでございます。実は大鳥家にとりまして、甚だ外聞を憚る儀が出来(しゅったい)致しましたので、実にはや、何とも彼とも申上げ様のない事件で」

 老人はデスクを挟んで、明智と向き合って腰を卸した。

 こいつは面白そうだわい。と思うあとから、ふと変梃な疑問が湧上って来た。危険危険、大鳥家の執事なんて真赤な嘘で、この老人こそ当の黄金仮面の廻し者ではあるまいか。先日賊がモーターボートの中へ残して行った置手紙には「この次はお前の番だぞ」と書いてあった。明智が賊にとって、非常な邪魔者であることは云うまでもない。紹介状の偽造なんて造作もないことだ。ひょっとすると、うまく云って、彼をおびき出し、危害は加えぬまでも、この事件に手出しが出来ぬ様、自由を奪ってしまう計略でないとは云えぬ。

 それに気づくと、明智はいきなり鉛筆を取って、テーブルの上の便箋(びんせん)に、老人にもハッキリ読める様な大きさで、スラスラとある簡単な文字を書いた。書きながら、刺す様な目つきで、じっと老人の表情を注視した。

 彼が書いた文字というのは、ある人物の名前であったが、若し読者諸君がその場に居合わせたならば、その人名の余りの意外さ、突飛さに、アッと驚きの叫声を立てたであろう程、実に非常な人物の名前であった。

 では、彼は一体誰の名を記したのか。それはお話が進むにつれて、間もなく分って来るのだが、このことは明智が当時已に、黄金仮面の正体が何者であるかを悟っていたという、驚くべき事実を裏書きするものであった。

 老人は明かに明智の落書を見た。彼が果して賊の一味であったら、その文字を見て顔色を動かさぬ筈はないのだ。ところが、彼はそれを読んでも、平気なばかりか、却って明智が呑気相(のんきそう)にいたずら書きをしているのを責める様な面持である。

「サア、どうかお話し下さい。私はもう充分あなたを御信用申しているのです」

 明智がうながすと、老人はやっと要点に話を進めたが、老人の話し振りをそのまま書いたのでは、少々退屈だから、その大意丈けを()に記すことにする。

 大鳥喜三郎氏には、息子さんの外に二人の令嬢があった。姉の不二子(ふじこ)さんは今年二十二歳、仲々の才媛で、内地(ないち)の女学校を卒業した上、外交官の伯父さんの監督で、二年程欧洲へ勉強に行っていたこともある位、類なき美貌の上にこの閲歴(えつれき)だから、所謂(いわゆる)社交界の花とうたわれているのだが、その不二子さんが、執事の言葉を借りると、実に言語道断の所業を始めたのである。

 事の起りは今から一週間程前の夜、いつもお母さまの許しを得、行先を告げて外出する不二子さんが、どうしたことか、日暮にふと居なくなったまま、十二時過ぎまで帰らなかった。しかも帰って来ると、誰にも顔を合わさず、ソッと寝室へ這入った様子が、どうもただ事でない。

 無論翌日、お母さまからそれとなく尋ねて見たが、ハッキリした返事も出来ない始末だ。

 引続いて、そんなことが毎晩の様に起るので、とうとうお父さまのお耳にも入った、捨てては置けぬと、折檻(せっかん)せぬばかりに聞き訊すのだが、不二子さんは強情に白状しない。で、最後の手段として、執事の尾形老人が、尾行を命ぜられた。

 初めの晩は、不二子さんの行動が実に千変万化を極め、自動車を飛び下りたかと思うと、複雑な露地をグルグル廻って、飛んでもない場所から、又自動車に乗り換えるといった調子で、とうとう中途で見失ってしまったが、次の晩(と云うのは昨夜のことだが)は、今度こそと意気込んだ甲斐あって、おしまいまで尾行を続けることが出来た。

 結局行きついた所は、郊外戸山ヶ原(とやまがはら)のはずれの実に淋しい場所に、ポツンと建っている古い洋館で、場所といい建物といい、何となく不気味な感じがする上に、自動車を見ていると、いつの間に乗っていたのか、不二子さんが降りたあとから、もう一人の人物が、ヒョイと飛降りて、素早く洋館の中へ姿を消してしまったが、ヘッドライトの反射の薄あかりで、チラと見えたのは、確かに金色(こんじき)の顔、金色の衣裳、噂に聞く黄金仮面に相違なかった。

 建物は窓という窓が密閉されていて、少しも光が洩れず、隙見(すきみ)をする箇所もなかったし、チラと見た怪物の姿にど胆を抜かれた老人は、逃げる様に帰宅して、(あわただ)しく事の次第を報告した。

 アア、何たることだ。大鳥家の令嬢ともあろう人が、如何に魔がさせばとて、怪賊黄金仮面と媾曳(あいびき)をしようとは。

 だが、それ丈けなればまだしも、もっといけないことは、ある日大鳥氏が用事があって土蔵へ這入って見ると、数日(ぜん)まで確かにあった、家宝「紫式部日記絵巻(むらさきしきぶにっきえまき)」を納めた箱が紛失していることに気づいた。しかもつい二三日前、用もない不二子が土蔵へ這入っているのを見たという者がある。色々詮議(せんぎ)して見たが、外に疑わしい人物はないのだ。相手は美術品に異常の執心を持つらしき黄金仮面である。彼が不二子をそそのかして盗み出させたとしか考えられぬではないか。

 という訳で、大鳥氏としては、いくら黄金仮面逮捕の為とは云え、可愛い令嬢に悪名の立つことは好まぬ。併し打捨てては置けぬ問題だ。と考えあぐんだ末が、出入りの者の助言で、素人探偵として令名(れいめい)ある明智小五郎を訪ねて、ひそかに智恵を借りることにしようと相談が纏まったのである。

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