20話 悪魔の妖術
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それから半時間程たって、外の廊下に怠らず見張り番を勤めていた書生の青山は、例のドアが内部からコツコツノックされているのに気づいた。
彼は乳母のお豊が、自分を呼んでいるのかと思って、ドアにちかづいて、何の用かとたずねて見た。
すると、中からは、意外にも令嬢不二子さんの声が聞えて来た。
「お前青山なの? 早くここを開けておくれ。大変なのよ。婆やが、婆やが」
その惶しい声の調子が、何か恐ろしい事が起っているとしか思えぬので、青山は驚いて、何を考える暇もなく、大急ぎで鍵を廻し、ドアを開こうとした。
ところが、変なことに、誰か中からノッブを押えているらしく、ドアはやっと一二寸開いたかと思うと、バタンと閉ってしまった。
と同時に、青山が真蒼になって、ぎごちなく身構えしながら、ソロソロあとじさりを始めた。
彼は非常なものを見たのだ。
僅か一二寸開いたドアの隙聞から、ギラギラ光る金色のものが覗いたのだ。中からノッブを押えていたのは、意外も意外、いつの間に忍び込んだのか、怪賊黄金仮面であったのだ。
だが、流石番人を仰せつかった程あって、強情我慢の青山は、真青になって歯を食いしばりながらも、持場を捨てて逃げ出す様なことはしなかった。
「だれだッ。そこにいるのは誰だッ」
彼は一間程離れた所から、ドアを睨みつけ、いざと云えば得意の当身を用いる積りで、拳をかためながら、思い切りの声をしぼって怒鳴った。
だが怪物は恐ろしく黙り返っている。
令嬢不二子さんは、無論賊を歓迎して、彼と共に逃出す積りであろうが、部屋の中には外にもう一人の人物が、見張り役のお豊がいる筈ではないか。そのお豊が声も立てぬのは変だ。若しや彼女は已に怪物の為に恐ろしい目に合ったのではあるまいか。と考えると、豪傑の青山も気持がよくはないのだ。
やがて、ドアがジリジリと開き始めた。
細い隙間から、ピカピカと長い金糸の様に光るのは、確かに黄金仮面の衣裳だ。
隙間が段々に拡がって行くに従い、金糸は見る見る太くなって、黄金の柱が立った。
上部に見えるのは、有名な黄金の仮面であろう。細い目と、例の三日月型の不気味な唇の端が、ゾッとする笑いを笑っている。
青山は、いきなり逃出したいのを、やっとこらえて、
「こん畜生」
と叫びながら、めくら滅法に、怪物めがけて突進んで行った。
だが、こんな青二才の襲撃に驚く黄金仮面ではなかった。彼は無言のまま、ゆっくりと、ドアの隙間からピストルの筒口を差出した。
「アッ」
とひるむ青山。
その瞬間をのがさず、怪物はパッとドアを開け放つと、猛然として廊下へ躍り出し、まるで稲妻の様な素早さで、青山の傍をすり抜け、玄関の方へ走り出した。
「誰か来て下さい。賊だ、賊だ」
青山は怪物のあとを追いながら、家中に響き渡る声で叫んだ。
部屋部屋から、主人の大鳥氏を始め、書生などが、ドヤドヤと現われたが、ピストル片手に、飛ぶ様に走る金色の怪物を見ると、皆々怖け立って、誰一人その行手をさえぎる者もなく、賊は無人の境を行くが如く、遂に門外へ消えてしまった。
負けぬ気の青山は、それでも、たった一人で賊を追って、玄関から走り出したが、彼が門に達するまでに、突如響き渡るエンジンの音、賊はちゃんと自動車を待たせて置いたのだ。
青山が運転手を呼んで、賊を追跡する為に、車の用意を頼む頃には、怪物の自動車は、已に遠く遠く走り去っていた。
黄金仮面は不二子誘拐の目的を果さず、身を以て逃れた。不二子は安全なのだ。併し父大鳥氏は、賊を追うことは兎も角として、先ず愛嬢の安否を確めないではいられぬ。
彼は惶しく、さい前賊の逃げ出した部屋へ駈けつけた。
ところが、行って見ると、これはどうしたことだ。肝腎の見張り役、乳母のお豊は、さも呑気らしく、椅子に凭れてコクリコクリ居眠りをしているではないか。
「コレ、婆や、婆や。どうしたのだ」
大鳥氏が揺り起すと、お豊はやっと目を覚して、キョロキョロあたりを見廻している。
「不二子は? 不二子は大丈夫か」
「ヘエ、お嬢さまでございますか」乳母は寝ぼけ声で答える。
「お嬢さまなら、次の間におやすみでございますよ。ホラ、ごらんなさいまし、ああして、よくおよってございます」
お豊が指さすのを見ると、開け放ったドアの向うのベッドの中に、不二子の寝姿が見える。アア、やっぱり不二子には別状なかったのかと、大鳥氏はホッと安堵した。
「マア、わたくし、居眠りをしていたのでございましょうか」
お豊はやっとそれに気づいた様に、頓狂な調子で云った。
「そうだよ。お前にも似合わぬことではないか。お前、あの黄金仮面の賊が、この部屋に忍び込んだのを、何も知らないでいたのだね」
「エッ、何でございますって? あの化け物がこの部屋に。それは本当のことでございますか」
乳母は容易にそれが信じられぬ体だ。いや乳母のお豊ならずとも、誰がこの不思議を信じることが出来よう。窓は皆中から締りがしてある上に、その外には頑丈な鉄格子がはまっている。見る所、どの窓にも別段異状はないのだ。又唯一の入口のドアには鍵をかけ、青山が見張りをしていた。彼はお豊の様に眠り薬を飲まされはしなかった。その厳重に密閉された部屋へ、どこからどうして、あの化物奴、忍び込むことが出来たのであろう。お伽噺の悪魔の様に、突然部屋の中に湧出したとでも考える外はないのだ。何という不気味な悪魔の妖術であったか。
大鳥氏とお豊とが、狐につままれた様な顔をして、ぼんやり佇んでいる所へ、丁度その時帰宅した尾形老人が、アタフタと駈け込んで来た。
「アア、一足おくれました。幸、明智先生の御快諾を得て、御一緒にお出でを願ったのですが、少しの所で間に合いませなんだ。実に残念なことを致しました。併し、お嬢さまには別状もございません様子で」
「アア、不二子はよっぽど疲れていたと見えて、ああしてよく眠っています」
そこで、尾形老人は廊下に待っていた明智を室内に招じ入れて、主人大鳥氏に引合わせた。挨拶が済むと、大鳥氏は明智の為に今夜の出来事を、やや詳しく物語った。そこへ書生の青山も、賊の追跡を断念して戻って来たので、明智は彼に二三不明の点を質問したあとで、意味深い微笑を浮べながら云った。
「すると、黄金仮面が、お嬢さんの声を真似て、青山君にこのドアを開けさせた、という訳ですね」
「マア、そうとしか考えられません」
青山が答える。
「黄金仮面ともあろうものが」明智は皮肉な調子で始めた。
「そんな馬鹿げた真似をするでしょうか。目的も達しない先に、青山君に一目で分る自分の姿を見せて、いきなり逃出すというのは、何だか変ではありませんか。彼はただ逃げ出す為に、苦心をしてこの部屋へ忍び込む様な愚かものでしょうか」
「併し、不思議と云えば、もっと不思議なことがあります。賊はこの全く入口のない部屋へ、どうして忍び込むことが出来たのでしょう」
大鳥氏は名探偵の顔色を読む様にして云った。
「たった一つの解釈があります。それは、賊は一度もこの部屋へ忍び込みはしなかったと考えるのです」
明智が実に突飛なことを云い出した。
「忍び込まなかったものが、どうして逃出したのです」
正直者の青山は、びっくりして、分り切ったことを尋ねた。
「忍び込まなかったものは、逃出すことは出来ません」明智は謎の様に答えた。「ところで、その時部屋の中には、お嬢さんの外に誰もいなかったのでしょうか」
「ここにいるお豊という女が、見張り役を勤めていたのです」大鳥氏が答える。
「で、何も見なかったのですか」
「それが、迂闊なことに、居眠りをしていて、少しも知らぬというのです」
「エッ、居眠りを」
明智が叫ぶ様な声を出したので、一同思わず、隣室の不二子さんの方を眺めた。今の声が彼女の目を覚しはしなかったかと気遣ったのだ。
「まだ日が暮たばかりなのに、年を取った方が居眠りをするというのは、変ではありませんか。アア、ここに紅茶茶碗がありますね。お豊さん、あなたもこれを飲んだのですか」
乳母が飲んだと答えると、明智はその茶碗を手に取って、一寸中を覗いたかと思うと、カチャンとひどい音を立てて、テーブルに置いた。
一同が、又ハッとして隣室を見る。
明智は、さっきの叫声といい、今の仕草といい、なぜか故意にひどい音を立てている様に見えるではないか。
「お嬢さんまで眠り薬を飲まされたのでしょうか。さっきから見ているのに、あの方は身動きもなさらないではありませんか」
それを聞くと、大鳥氏がギョッとして明智の顔を見つめた。
若しや不二子は、殺されているのではあるまいかという恐ろしい考えが、ふと頭をかすめたからだ。
「僕の推察が間違っていなかったら、凡ての謎はあのベッドの中に隠されているのです」
明智は云ったかと思うと、人々の驚くのも構わず、ツカツカと令嬢の寝室へ這入って行って、ベッドの向側へ廻ると、不躾にも、不二子さんの寝顔を覗き込んだ。
「ハハハハハハハ、素敵素敵、僕達はお嬢さんの為に、まんまと一杯かつがれたのですよ。賊は決して忍び込みも、又逃出しもしなかったのです」
明智は気でも違ったのか、若い女の寝室へ這入るさえあるに、その枕元でゲラゲラ笑い出したではないか。しかも、彼の云うことは、何が何だか、まるで意味を為さぬのだ。
「不二子が、どうかしたのですか」
大鳥氏は心配に青ざめて、寝室へ這入って来る。
「どうもしやしません。ホラ、ごらんなさい。これです」
云ったかと思うと、明智はいきなり、不二子さんの頭を、シーツの中から引ずり出した。
「ア、君は、何をするんだ」
大鳥氏がびっくりして怒鳴るのと、不二子さんの頭が、コロリとベッドの下へ転がるのと同時だった。
「ワッ」
という叫声。何かしら途方もないことが起ったのを知った一同は、我先にと寝室へ駈け込んだ。
青山が不二子さんの首を拾い上げた。
「ナアンだ。こんなものですよ」
彼が手に持っているのは、人々の想像した様な、血みどろの人間の首ではなくて、柔い枕を丸めて、それに深々と黒いナイトキャップを冠せた、不二子さんの頭の贋物に過ぎなかった。それが寝室の薄暗い電燈の下で、向うむきになっていたので、今が今まで、誰も贋物とは気づかなかったのだ。
胴体はと探って見ると、毛布の下に蒲団の丸めたのが横えてある。
「すると、不二子があの……」
大鳥氏は、余りのことに、あいた口が閉がらぬ。
「そうです。ここから逃げ出したのは、本当の黄金仮面ではなくて、賊の面と衣裳を借り受けた大胆な変装姿の不二子さんでした」
明智がニコニコしながら説明した。
「無論お嬢さんの智恵ではありません。凡ては蔭にいる黄金仮面の謀です。彼はお嬢さんに予め金の衣裳とソフト帽子と麻酔薬とピストルとを与えて、家出の入智恵をしたのでしょう。お豊さんが居眠りをしたのは、眠り薬が利いたのです。お嬢さんはその隙に、ベッドにこんな贋首を拵えて置いて、金色の衣裳を身につけ、面をつけ、帽子を冠り、ピストルを持って、ドアをノックしたのです。その時青山君が聞いた声は、正真正銘のお嬢さんの声でした」
アア、何という素敵な手品であったろう。怪賊黄金仮面の、人の意表を突くこと、凡そかくの如くである。
人々は暫くの間、声を呑んで立ちつくした。
「我子ながら、それ程の馬鹿者とは知りませんでした」やがて、大鳥氏は憮然として云った。「不二子は悪魔に魅入られたのです。併し、いかに堕落しようとも、たった一人の私の娘です。このままにして置いては、死んだ妻に対しても申訳がありません。未練な様でも、娘の行衛を探して取戻さねばなりません。明智さん、あなたのお力をたのむ外はないのです」
「承知しました。仮令御依頼がなくとも、黄金仮面は僕の仇敵です。きっとお嬢さんは取戻してお目にかけます。いや、お嬢さんを取戻す丈けではありません。黄金仮面そのものを引捕えるのもそんなに遠いことではない積りです」
明智の絶えぬ微笑が、一刹那影をひそめ、目の底に異様な光が燃えた。仇敵黄金仮面に対する深讎綿々たる闘志を、まざまざと語るものである。